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三 奇遇

 勇者一行は王都を出発して、東へ丸一日かけて徒歩で移動していた。


 エルグランド王国は首都を国の中央に、国土は五角形状の国である。西と南は海に面し、国境より先の東に大山脈を構えていて、そのさらに先にウィル達が目指す魔界が位置する。

 エルグランド王国は海に面していることで、恒常風の影響により穏やかな気候を保っている。水が豊かなこともあり、王国は水運によって栄えてきた。これらもエルグランド王国が最も住みやすい国と評される理由の一つだ。


 王都の東方には大河がある。石造りの橋架は幅があり、おそらく王都への往来だろう、特に商人の姿が多く見える。

 王都で商売をする場合、国の東側の商人は必ずと言っていいほどこの川を目にすることになる。

 王都はこの大河から運河をひいている。南方の商人は海へとつながるこの大河を上って、反対に北方の商人は下って、東方の商人はいくつかある橋を利用して国の中心部へと向かう。



「そういやよ、ウィル。これから俺達はどの国へ行くんだ?」

 ついつい聞き忘れてたぜ、と僧侶はさして重要なことでもなさそうに問い掛けた。


「ふふん、聞いて驚け。なんとだな」ウィルは自慢げに鼻を鳴らした。「あのシュバルツハイデだ」


「ほぉ! こりゃ驚いた。あの大国シュバルツハイデか」


 シュバルツハイデとは、三百年前にエルグランド王国が同盟を結んだ大国である。二国の名前は数々の歴史書に記されることとなり、当時の勇者と魔王の偉業は王国では伝説として語り継がれている。

 人族と魔族との中で最も深いつながりを持つこの二国間の橋渡しをすることは、勇者にとってとても名誉なことである。


「オレもこれでやっと二度目のシュバルツハイデだ」


 シュバルツハイデはエルグランド王国から見て、ここよりさらに東に位置する。この川を下り海路を使うことも考えられるが、極力陸路を使うようにとのお達しから、一行はこのまま国を越えて東に向かうことになる。


「シュバルツハイデか。懐かしいなぁ。前に行ったのはいつだったか覚えてるか?」

「二年前じゃないか?」

「エド、お前は行ったことあるか?」

「ない」

 じゃあ二年は前の話だ、と僧侶は言った。


 ウィルが勇者に就任したのは四年前のことである。歴代を見ても異例の若さでの就任であった。

 それから一年は勇者としての心得を学び、経験を積むために国のあちこちを転々と旅をして顔を広め、それからシュバルツハイデに新任勇者として顔を出しに行った。ウィルがシュバルツハイデに足を踏み入れたのはその一度きりである。とにかく深く感動したことをウィルは覚えている。



 橋架からさらに二、三町を進んだところにパッシオンという町がある。城下ほどではないがそれなりに賑わいのあるところだ。

 一行がそのパッシオンに到着したのは昼を過ぎた頃であったが、今日はこの町で宿を取ることになる。別段急ぐ必要もないし、加えていい宿に泊まりたいという願望があるからだ。

 町は大変活気があり、民衆は陽気そうな人が多い。明るい顔を見るとこちらまでにこやかになる。太陽が似合う町だ。


「パッシオンは情熱の町、ってねぇ。町と一緒で情熱的な女の子が多そうだ」

 僧侶が道を行き交う女性達をじろじろと眺めながら言った。


「おい。今は大事な任務中だぞ」

「今日はこの町に泊まるんだろ? 酒に付き合ってくれる女くらい探したっていいじゃねぇか」


 僧侶の悪癖にも困ったものだとウィルとエドは顔を見合わせ、肩を竦めた。二人の非難の目がなければ、僧侶は今すぐ女性に声を掛けに行くことだろう。

「おいクリス。今やんなきゃいけないことはだな」

「ああはいはい、わかってらぁ。仕事だろ、仕事。大事な大事な勇者サマのお仕事」

 余程女を口説きに行きたいのか、僧侶は嫌そうな顔をして、嫌みを込めて言った。


「そんじゃとっとと宿を決めて、ついでに俺の酒も買って、女を漁りに」


「――きゃあああああ!!」


 悲鳴だ。それも女の。

 何事だと勇者の顔が変わった。


「エド! 方角わかるか!?」

「あっち」


 耳のいい盗賊は悲鳴がした方向を指差した。疑いもなく勇者はそちらへと駆け出す。盗賊は勇者に続き、僧侶は厄介事だと二人の後ろ姿を追った。

 混乱している人々が逃げ惑う方向に騒動の原因はいた。


「ひぃ! モンスターが暴れてやがる!」

「自警団を呼んで来い! うわぁっ! こっちに来るな!」


 人の流れに逆らい進んだ先では、イノシシ型のモンスターが鼻息荒く周囲の建物に突撃をかまし続けていた。

 モンスターの突進に巻き込まれたのか負傷している人が何人かいる。


 ウィルは力強く聖剣の柄を掴んだ。完全に勇者の顔になっている。

 誰かに危険が及べば、それを身を呈してでも守りきることが勇者の務め。ウィルはそう信じていた。


「クリス、怪我人の治療を頼む」

「わかってるっつーの。ほら、エド。お前は俺を手伝え」

「わかった」


 戦闘をウィル一人に任せ、クリスはロザリオを握り締めて治癒魔法の詠唱を始めた。ウィルは詠唱中無防備となるクリスと怪我人に被害が及ばぬよう目を光らせる。

 三人の間に無駄なやり取りはない。それぞれ自分の役割を理解し、迅速に行動している。実に鮮やかな連携プレーである。

 しかし町民の目にはそれが信じられない光景に見えた。モンスターの相手を仲間一人に任せるなんて無謀でしかない。


「お、おいあんた危ないよ! 自警団に任しときなって!」


「自警団が到着するまでに被害が大きくなるかもしれない。それに、安心してくれ。――オレは勇者だ」


 名乗りと共に、ウィルは背中から聖剣を振り下ろした。



 モンスターはウィルの姿を目に入れると、戦闘の気配を察知したのだろう。標準をウィルに合わせた。

 緊迫する場面にウィルの血は騒いだ。聖剣を握る手に力がこもる。と同時にモンスターが地を蹴った。

 小細工なしに真っ直ぐにウィルに向かっている。しかし不意打ちがなくともあの突進を真面に食らえば無事ではいられないだろう。


 落ち着きを持ってウィルは腰を落とした。

 剣の幅が太いことを利用し、盾代わりにモンスターの突進を受け止めた。二、三歩ほどずるずると押されたのみで、モンスターのタックルはウィルに容易く止められた。


「す、すげぇ……」

 誰かがぼそりと呟いた。

 モンスターもこれには意外だったのか目を丸くしている。


 その隙にウィルは大男でも持ち上げることが困難そうな大剣を、片手で易々と振りかざした。あっと声を上げる間もなく、モンスターの首が切断されてしまった。


「一件落着、か」

 そしてまたウィルは何ともないように聖剣についた血を振り払い、定位置である背に戻した。そのままくるりと笑顔で振り返った。

 ここまで僅か数分足らずの出来事である。ほんの少しの間に起こったことが信じられないようで、町民は一様に唖然としている。勇者からしてみればよくある光景なので、その様子に笑みを苦笑に変えた。


「とりあえずこれ以上被害者が出る前に終わってよかっ」


「――ぶもぉおおおお!!」


 先ほどのモンスターのような雄叫びが上がった。けれど先のやつは首を落とされている。鳴き声を上げられるはずがない。

 まさかとウィルは後ろを振り返った。


「もう一体、いやがったのか……!」


 のそりと町角から巨体が現れた。ウィルが倒したモンスターと同種である。しかも先ほどのものより一回りも体躯が大きい。興奮しているようで、目を血走らせながら足踏みをした。今にも走って来そうである。

 あの巨体である。さっきのような荒業であれば、受け止めるにしても、今度は町民に被害が出るかもしれない。加えて町中である。力技で何とかしようと思えば町の損害が大きくなること間違いなしだ。


 こんな時は力を上回る技で仕留めるのが賢明である。けど、とウィルは冷や汗を流した。


「剣術ってのは苦手なんだよ……」


 ウィルの剣は我流である。力でのゴリ押しだ。だからこそ聖剣は大剣の形を取ったのだし、そこが自分の持ち味だと自負すらしていた。けれど今回のような場合は逆に仇となる。


 器用さを求められる点ではここはエドが適任だろう。けれどあの分厚い肉にエドのような細い体で傷がつけられるとは思えない。

 クリスに聖魔法でどうにかしてもらおうにも、彼は今怪我人の治癒で忙しい。

 やっぱりオレがやるしかないのか、とウィルは再び抜刀した。


 正直なところ、自信はない。けれどやらなければならないのだ。その使命感がウィルを奮い立たせた。こんな緊張感、久々である。


 雄々しさを表す牙を誇張してモンスターが向かって来た。

 やるしかない。ウィルも対向して駆け出した。



「――穿うがて。大地の牙」



「ぶもおああああ!」

「なっ!?」


 場違いな凛とした声がしたかと思えば、地面が盛り上がってモンスターの体を貫いた。ウィルの仕業ではない。

 突然の出来事に思わずウィルの足が止まる。


「これは、魔法……?」

 にしては先ほどの詠唱はあまりにも簡潔すぎた。けれどこの事象は魔法以外の何物でもないと語っている。


「ウィル。上」

 エドの短い言葉にウィルが建物の上を見上げると、そこには一つの人影があった。逆光でよく見えない。姿を確かめようと目を凝らすとその影がふわりと飛び降りた。


 ウィルの前方に降り立ったのは一人の女だった。はっきりとした金髪碧眼であり、その美貌に目が奪われる。十中八九魔法の発動者はこの女だろう。


「よそ見をしている暇はないんじゃなくて?」


 女の台詞にハッとしたウィルは剣を構え直した。

 女の方も腰に差した優美なレイピアを抜いた。柄に埋め込まれた宝石のようなものがキラキラと輝いている。


 身を捩り、暴れて岩の牙を振り払ったモンスターは足踏みしていた。興奮に相当の怒りがプラスされたようである。


 一番に動いたのはウィルだった。自慢の大剣を振り下ろすが、立派な牙で受け止められてしまう。さっきのやつよりもレベルが高そうだ。

 ウィルとモンスターが拮抗している間に女が高く跳躍した。モンスターの眉間に深く、骨すらも貫いてレイピアを突き刺した。女の体重も相まってより容赦なく穿通した。モンスターは再度悲鳴を上げた。

「あら。なかなかしぶといわね」

 頭を突き抜かれたのにモンスターはまだ地に足をつけない。かなり体力のある個体のようだ。


「そのままで」ウィルに指示を出した女はレイピアを抜き取り、モンスターの頭上から退いた。

 今度は何を、とウィルが思う間に女はモンスターの首の下に潜り込んだ。流れるような動きとはこういうことを指すのだろう。


 首には脳に血液を送るために太い血管が存在する。そして項より、胸側の皮膚の方が薄い。加えて刃物を扱う時は突くより、引く方が斬りやすい。


「絶えなさい」


 氷も竦みあがる冷たい声で女は剣を一閃させた。


 おびただしい量の血液が傷から噴き出す。今度は悲鳴を上げることなく、とうとうモンスターは地に伏せた。



 モンスターの脈がないことを確認して二人はそれぞれ剣を収めた。

「ヒュ~」どこからか口笛の音がした。おそらくも何もなく犯人はクリスだろう。


「ありがとうございます勇者様方! おかげで被害も最小限で済みました」

 町民を代表した一人が前に出てウィルに礼を述べた。いやいや、とウィルは謙遜ぶる。


 巨体の方のモンスターと戦闘している間に自警団が到着したのだろう。モンスターの遺骸の回収や被害状況の調査などが始まった。クリスのおかげで重傷者もいない。多大な被害にならなくてよかった、とウィルは息をついた。



 ところで、と改めてウィルは女を観察した。町民の頭の中で、勇者一行に勝手に組み込まれたこの女は誰なのだろう。

 前述した通り、女はとても美しい。絹糸のような金の髪とサファイアのような深い煌めきを持った瞳は、彼女の美しさを彩る装飾品にすぎないだろう。

 現に旅人の装いをしていても彼女の美しさは色褪せていない。くすんだ色合いのケープよりロイヤルケープをまとう方が似合うはずだ。それほどまでに女は高貴で美しかった。


 そしてその美しさに反して剣の腕前は目覚ましい。技術面においては、力押しのウィルにとって、その技量は遠く及ばないだろう。

 歳の頃はウィルと変わらないか、あるいは下であろう。世の中は広い、とウィルは思い知った。


「誰だか知らないけど、助かったよ。ありがとう」

「いいえ、気にしないで。それより、そんな腕前でよく勇者を名乗れるわね。少し心配するわ」


 グサリ! ウィルの心に特大サイズの言葉のナイフが突き刺さった。


 これでも勇者だ。こんな自分でも勇者だ。戦闘には自信があった。なのに、なのにだ! 今自分以上に細腕の女にコケにされた!

 そして剣の腕前は女の方が上という自分も認める事実に反論などできないウィルの自尊心は破裂した。


「勇者ヴィルヘルム。あなたの噂はよく聞くわ。わたしはベラ」

「ベラ、ね。知ってるみたいだけど、オレはウィル。よろしく……」

「どうぞよろしく」


 がっくしと肩を落としたウィルとは反対に、ベラは優雅に淑女の礼をした。その洗練された行動がさらにウィルの心を傷つけた。



「いやー、すごいすごい」


 ぱちぱちぱち、とだらけた拍手が聞こえた。そちらの方を向くと手を叩いている僧侶の姿があった。傍でそれを見ている盗賊は、僧侶を真似て小さな掌で、これまた小さな拍手を送った。

 唐突に賞賛を浴びたベラはきょとんと二人を見た。年相応に思える反応に僧侶はニッと笑った。


「お嬢ちゃんみたいな凄腕の剣士、久しぶりに見たよ」

「ありがとう。嬉しいわ」

「……クリス、誰だよ。この人より凄い剣士って」

「レオナルド将軍」


 クリスの即答にウィルは今度は体を丸ごと沈めた。相当プライドが傷つけられたらしい。ウィルの消沈ぶりにクリスは豪快に笑った。


「仕方ねーだろ。腕を上げるにゃ実戦が一番だが、今の時代、戦争なんてねぇんだからよ。将軍やこのお嬢ちゃんは別格だっての」


 昔、それこそ三百年以上前であれば、勇者でなくとも、生きるために否応なく強くなっていたことだろう。荒れていた昔は実戦経験を積むのは簡単だっただろうが、現代ではそうはいかない。


 第一お前には馬鹿力があんだろ、とクリスは慰めの言葉をかけてくれたが、今のウィルにとってそれはナイフにしかなりえなかった。馬鹿力しかないから、先程焦ってしまったのだ。一面特化というのも考えものだ。



「おっと、自己紹介がまだだったな。俺はクリスってんだ。職業は……まあ見りゃわかると思うが、僧侶だ。こいつのお供ってのをやってる。で、このガキが」

「エド。盗賊」

「よろしく。ついでにこの人、なんて気を使わなくていいわ。よろしくと言ったのに、なんだか突き放されてる気分で嫌だわ」

「そりゃこのバカが悪かった」


「な?」とクリスは意地悪くニヤニヤと笑いながら潰れているウィルを見下ろした。

 こうして見ると落ち込んでいるのではなく、大剣の重さに潰されているような人に見えてくる。それが可笑しくてクリスはまた笑った。


「ところでお嬢ちゃん、どっかで俺と会ったことない?」

「陳腐なナンパね」


 丁寧な対応を引っ込めて、ベラはウィルにしたようにクリスに対しても厳しい言葉を浴びせた。


「僧侶にはナンパが許されていたかしら?」

「今時俺みたいな僧侶、ごまんといるっての」

「お前みたいな僧侶がたくさんいて堪るか……」


 仕返しとばかりに下の方から悪態が飛んできた。いまだ落ち込んでいるウィルはエドによしよしと慰められている。

 そんな三人の様子を見て、ベラは首を傾げた。


「あなた達って、噂やわたしの想像と全然違うのね。驚いたわ」

「それはよく言われるな。特に勇者は覇気がないって!」

「一番おかしいって言われんのはお前だろうが」

「クリスだね」


 今日は随分と笑いのツボが浅いらしい。クリスはけらけらと笑った。

 やっぱり違うわね。ベラは一人納得した。


「わたしは今日、この町の宿に泊まるの。あなた達は?」

「一応オレ達もそうするつもりさ」

「そう。ならまた会えるかもしれないわね。それじゃあお互い、いい旅を」

「いい旅を」




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