二十二 勇者
迷宮を無事脱出した勇者の一行は、内陸砂漠の中に存在するオアシスの町に滞在していた。
「はぁー……生き返りますぅ」
マルガレーテはパタパタと耳を上下させながら、本当に美味しそうに水を飲んだ。
迷宮を脱してからというもの、ベラは黙りっぱなしだった。クリスはこの空気をどうしたものか、と頭をかいた。こういう時に神サマにお祈りするべきなのか、と馬鹿げたことまで考えた。
「クリスー。お腹すいたー」
「ボクも」
子供組が財布を管理しているクリスの袖を引っ張った。二人の催促にマルガレーテまでもが私も、と便乗した。
こいつらは何の心配もしてないようで幸せそうだよ。クリスは溜め息をつきたくなった。
「わかったわかった。……おい、ウィル。オレは三人を連れて何か買ってくるからよ。その間に話すことを話しとけよ」
ウィルとベラに気を使ったクリスは、お子様三人を連れてその場を離れていった。
喫茶店のテラスのテーブルの上にイフリートが封じられているランプを置いて、ウィルとベラは向かい合わせになって座っていた。暫くの間二人はだんまりだった。
「兄ちゃん、新聞はいるかい?」
「え? ああ、もらっておく」
ウィルは普段新聞なんてものを読まないが、店員の勧めにウィルは新聞を受け取った。この空気から逃れる理由が欲しかったせいであるかもしれない。
ウィルはただぼんやりと新聞を眺めて、目についた小見出しの記事を読んだ。
「へぇ。帝国の首領が変わったのか」
この呟きにベラは何か反応しないものかとウィルは窺ったが、ベラは俯いていて、ブロンドの髪の間から覗く表情は雲っていた。困ったな、とウィルはクリスを真似して頭をかいた。
これではどうしようもない。新聞を机に伏せて、何となくウィルは会話を切り出した。
「オレさ、今となっちゃエルグランド王国の勇者をやれてるけど、本当は帝国で生まれたんだ」
今度こそベラは肩を揺らして反応を示した。
帝国とは、この大陸においてある一国しか指さない。エルグランド王国の北に栄える大国カミエータのことである。極寒の厳しい場所だ。
「親父は魔族で、おふくろは人間で。ハーフなんだよ、オレ」
後ろ頭をかきながら告白する彼の姿は、人間のようにしか見えなかった。
だが彼がハーフであることは真実だ。なぜなら砂漠の迷宮で、彼はイフリートの莫大な魔力を受け止めてしまったのだから。魔族の特徴である魔核を有しているということだ。
それだけではない。彼は尋常ならざる力を持っている。並の人間では持ち上げられない大剣を片手でやすやすと振り回せられ、道を塞ぐ岩盤をその拳で砕くこともできる。
人族と魔族のハーフの特徴は、それぞれの長所を濃く引き継ぎ、並の者より優れた能力を持つところにある。ウィルの場合は怪力と食欲に強く表れた。
「……帝国は反魔族の意識が強いって聞くわ」
「オレが生まれた時もそうだったよ。村じゃ悪魔の子だー、って虐められてたしな」
何でもないようにウィルは言ったが、迫害は相当のものだったはずだ。
ベラは顔を上げてウィルの顔を見た。ウィルは笑っていた。ベラの方が泣きたくなった。
帝国は反魔族国家の代表として挙げられる。
魔族やモンスターはただそこにいるだけで人々から暴虐を尽くされ、魔族の権利など当然あるはずがなく、魔核が裏で大量に取引される。国境一つ挟むだけで二国間の魔族に対する態度がこうも違うのだ。
真逆の主義を抱く二国が戦争を起こさないのは、各国の軍事力が拮抗しているからと言えよう。しかしそれは非常に危ういバランスの上で成り立っている。実際過去に何度か戦争が起こりかけた。エルグランドから見て、帝国はとても危険な思想を孕んでいるのだ。
半人半魔のウィルにとって帝国に住まうということは、地雷に囲まれた戦場に立っているも同然だったはずである。
「ある時この国から逃げようってなって。でも、親父は逃亡の最中に殺されちまった」
息子と妻を逃がすために囮になったのだろう。彼の父親が二人に追いつくことはなかった。ウィルが父親を亡くしたのは、その時まだ十歳の時だった。
決死に母と息子は追手から逃げ続けた。崖から落ちかけ、靴を失った日もあった。何も食べない日もあった。
「親父のおかげで命からがら逃げ出せて。着いたのがエルグランド王国だったよ」
逃げ続けて、ボロボロになった親子はいつの間にか国境を越えていた。
当時からエルグランド王国は親魔国家として栄えていたため、力尽きた辺境の地にて、現地人にウィルと母親は保護されることになった。
その時のウィルには、王国の国民ほとんどが救世主に見えたことだろう。今まで受けてきた扱いとはまるで逆の、人々の優しさに触れ、涙しないことは不可能だった。
ウィルも昔は荒れていた。迫害され続けてまともに成長しろと言われても、実際は難しいところが現実というものだ。
しかし新しい環境。昔と違い親切な人々。そのおかげでウィルはエルグランド王国で新たな人間として生き始めた。
ウィルにとってエルグランド王国は楽園だった。ウィルは帝国ではなく、王国を自らの故郷にすることに決めた。ウィルは昔のことが嘘のように幸せな日々を過ごした。こんな日がこれからずっと続くのだ。心の片隅ではそんなことを考えていたのだろう。
「でも一年と経たないうちに今度はおふくろが病にかかってさ。帝国での心労がたたったんだろうって医者は言ってた」
魔族に対する当たりが強い国にいたのだ。魔族の伴侶になるという常識外れの行動を取った女もまとめて軽蔑されていたに違いない。
体を弱らせたウィルの母親は長くかからないうちにベッドから起き上がれない体になった。
「オレ、そん時から馬鹿だったからさ。最初は親父を恨んだよ。おふくろが魔族と結婚しなきゃ病気にもなんなかっただろうし、オレだって虐められなかっただろ、って」
そうすればもっと幸せな人生だったはずだと、もういない父親を憎んだ。
自分の父親が人間でさえあれば。魔族でなければこんな思いをしなかったはずだ。母親だってこんなに苦しまずに済んだはずだろう。恨みは日に日に募っていった。
ウィルは母親のことを回顧して笑みを深めた。
「でもな、おふくろが言ったんだよ。『私はあの人と結ばれたことも、あなたを生んだことも後悔してない。だって二人を愛してるから』って」
ウィルは母親の言葉を一言一句間違えることなく覚えている。
あの時の母は本当に幸せそうだった。ウィルは母の最期を思い出した。恨みなんかこれっぽっちもないように、母は穏やかに逝った。
「おふくろのことを、オレは何にもわかってなかったよ。そんで親父の偉大さってのが、その時やっとわかったんだ。おふくろは結局死んじまったけど、幸せそうだったからオレはいいと思ってる」
母の死に顔は笑顔だった。ならば母の遺言を信じるべきだ。子供だったウィルはそう思った。
両親を喪い、身寄りもないウィルを村の人間は自分の子のように世話をしてくれた。心優しい人に囲まれ、当時のウィルは不自由がなかった。
「村で生活して、オレは驚いたよ。人族と魔族は敵対するもので、親父とおふくろのように仲良くする方が珍しいと思ってたのに、この国じゃ当たり前だったんだから。もし最初からオレの家族がこの国で暮らしていたら、どんなに幸せだっただろうかと思った」
所詮願望にすぎないとわかっていても、夢見ずにはいられなかった。それだけ村での生活がウィルにとって幸せだったからだ。
「だから今のこの国を作った勇者と魔王にオレは心底憧れた」
彼らがいなければウィルは今のように生きていなかっただろう。死んでいたかもしれない。ウィルの正義心は勇者と魔王に対する崇拝から生まれた。
村にいる時にウィルは剣を習った。がむしゃらに強くなろうとした少年は力だけが突出した戦士になり、国内最難関の御前試合に参加し、そして優勝して勇者の称号を手に入れた。
「オレも人族と魔族の両方のために何かしたい。そう思ったから勇者になったんだ」
「勇者はなろうと思って簡単になれるものじゃないわ。それでもなっちゃったあなたは本当にバカなのね」
「今すごく感動するとこだったのに……」
がっくしとウィルは肩を落とした。
でも、とベラの言葉には続きがあった。
「……そんなウィルがかっこいいと、わたしは思うわ」
ベラの瞳には羨望にも似た妬みが浮かんでいた。




