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二十 炎の山

 北の界境付近には火山がある。そこは温泉地帯として有名な場所だ。ホノルを発った一行はそこで束の間の休息を取っていた。ここまで来たのならば温泉に入らなければ、というのが一行の考えだった。


「温泉って初めて入ります、私」

「おいしいの? それ」

「食べ物じゃないよ」

「温泉は食えねえが温泉卵は食えるな」

 語尾に卵がついているか、ついていないかの違いがわからないザムルの頭は混乱した。


「どの温泉に行きましょうか?」

 例によって案内係はベラである。温泉地という絶好のシチュエーションの中、今日もベラの媚態は輝いている。

 着ているものはみな場に合わせようとユカタというものを着ている。東洋で流通しているものらしい。いつもとは違うベラの服装にウィルはドキリとした。


「はぁい、そこの勇者さんご一行。お姉さんとイイことしない?」


 突然に声を掛けられた方向に一行は向いた。そこには足湯に浸かっている魅惑的な女性がいた。厚い唇で誘惑し、胸部にそびえる山と谷を惜しみなく見せびらかせられる豊満な肉体。しかし彼女の腰には細い尾があった。サキュバスだ。

「ジロジロといやらしい目で女を見やがって。やっぱりむっつりだな。淫魔か?」

「お前にだけは言われたくないし、オレは淫魔の子なんかじゃない」

 昔はもっと青い反応をしてくれたってのに。つまんねぇの、とクリスは唇を尖らせた。


「サキュバスがオレ達に何の用だ?」

「んもう。私はヒルダよ。ヒルダお姉さん、って呼んでちょうだい。私はね、魔王様の使いよ」

 ヒルダは揺れる胸の間からある封筒を取り出した。なぜそんなところに仕舞っていたのかは聞いてはいけない。


「魔王の?」

「そう。そこのカワイコちゃんの誘拐しようとした不埒者を捕まえてくれたでしょう? 最近、って言っても昔からだけどね。魔界はちょっぴり物騒で。魔王様はどうにかイイ感じに治めようとしてるんだけど、上手くいってなくて」

「長い。本題は?」

「んもう。ただの焦らしプレイじゃないの」


 駄目だ。ウィルには相手にできないタイプの相手だ。ウィルはクリスにバトンタッチした。


「んまあ要するにだ。魔王は誘拐犯を捕まえたことに感謝してるってわけだ」

「簡単に言うと、そうね。お礼にご奉仕してきなさい、って魔王様が」

「いらん!」

 サキュバスのするご奉仕なんて限られている。そりゃあ、あれだ……あはんうふんなご奉仕だ。これ以上は青少年の教育に悪い。

 ベラとマルガレーテはまだ清いエドとザムルの耳を守るために、彼らの耳を塞いだ。


「つまらないわねぇ。まあいいわ。ここで少しゆっくりしていきなさいな」

 ゆっくりしていきたくない。ウィルの純情はアラームを鳴らしていた。


「じゃ遠慮せず。ついでに酒なんかあるといいなぁ」

「あら、気が合うわね。やっぱり温泉に来たのならお酒を飲まないと」

「クリスぅ!?」

 この困り者僧侶はそそくさとヒルダの隣に座ってしまった。ああ、こりゃあ気持ちいいぜ、なんて言ってる場合か。ウィルはこの馬鹿僧侶を怒鳴り散らしてやりたかった。


「ああ。やっぱり勇者の一行なだけあっていい魔力の匂いね」

「サキュバスってのはそんなのがわかんのか?」

「そういう魔族だから。どう? 私とワンナイトラブなんて」

「悪いな。俺はもっと慎ましやか女が趣味なんだ」

「嘘つけ」

 いつもヒルダのような豊満で派手そうな女性ばかりはべらしているくせに。ウィルは先ほどの仕返しをした。

「嘘じゃねえよ。ほら、お前らも入ってみろよ。気持ちいいぜ」

「そうそう。温泉卵もあるわよ?」

「たまご!」


 食べ物の話になったせいでザムルが温泉に飛びついてしまった。ザムルが入ってしまったのであれば仕方ない。他の全員も足を湯に入れた。

 ちなみにヒルダの隣はウィルである。ベラとマルガレーテに目で脅されたからだ。エドとザムルを悪女の隣に座らせる気か、と。勇者であってもヒエラルキーには逆らえないものなのだ。


 クンクンとヒルダがウィルの匂いを嗅いだ。


「あんらぁ? あなたは特に美味しそうな匂いね。魔力の匂いがぷんぷんしてる」


 ヒルダの顔をウィルは押し退けた。いつぞや青白い顔の吸血鬼にもやられたものだ。彼はヒルダと真逆のことを言っていたが。


「ねぇ。たまごはー?」

「ああ、ごめんなさい。今上げるわ」

 とヒルダは言うと、湯に浸けていた網を引き揚げた。中には卵が数個入っている。美味しいものにありつける、とザムルは破顔した。

「やったー!」

「わーい!」

 ザムルと共にマルガレーテが歓声を上げた。実年齢はともかく精神年齢は同レベルらしい。



 ベラはヒルダから受け取った感謝状を読んでいた。そこには限りなく感謝の意を込めた言葉が並べられていた。

 ウィルは自分が大した人間ではないとよく言うが、ベラはそうではないと思う。いつだって彼は公平であり、困った人や悲しんでいる人がいると真っ先に手を差し伸べる。ダグウェルの願い事やホノルの廃墟の時がそうだ。初めて出会った時だって。ベラはとっくの昔にウィルのことを見直していた。


「世界を救った勇者は国のお姫様と結婚して、幸せに暮らしました。めでたしめでたし」

「なんだよ、ベラ。突然に」

「よくある英雄譚えいゆうたんの一節でしょう。……ウィルもこういう英雄譚えいゆうたんに憧れるの?」

 何せ突然に話を振られたので、ウィルは少し考えた。

「オレなら好きになった子と結婚したいな」

 もし好きになった人がお姫様だったなら、話はまた別である。

「ふぅん……」

 ベラは呟いた。



「そうそう。この温泉のお湯はどこから引いていると思う?」

 クリスと酌をし合い、顔を赤くしたヒルダが言った。

「そりゃああれだろ。あそこの火山」

 同じく鼻を赤らめたクリスが答えた。

「そうよぉ。あそこには火の精霊がいーっぱいいるんだからぁ。もしかしたら精霊の加護が貰えるかもよぉ?」

 本当かどうかはわからないけどねぇ。酔っ払いのヒルダはけらけらと笑った。酒に溺れるような大人は駄目だな。エドは卵を咥えながら一つ学習した。



 精霊とはこの世を作っている要素のことだ。

 火、水、土、風の精霊を総称して四精霊と呼ばれる。世界を構成する四つの要素に対応する形で四つ精霊が存在するとされている。

 四精霊は精霊術の基礎である。その他にも四精霊に金を加えて五精霊とも呼んだりもする。光と闇の二大精霊も有名であり、雪の精霊や春の精霊などもいるらしい。


 精霊を連呼しすぎてゲシュタルト崩壊を起こし気味ではあるが、精霊の話はまだ続く。


 ベラも得意とする魔法とは、世界の法則を式にして現象そのものを一つの攻撃手段として用いる術だ。古来神が人に与えた言葉が力を持ち、今の魔法の形になったと言われている。本来魔法を発動する際は言葉を式にして、長い呪文を唱えなければならない。ベラは例外だ。あんなに短い詠唱で魔法が発動できるのは世界中でベラぐらいのものだ。

 それに対し、精霊の力を借りて超常現象を起こすものが精霊術と呼ばれる類のものだ。これは世界各地に存在する精霊とある形で契約を結ぶことで行使できるようになる。契約方法は精霊使いのみが知っている。他人にその方法を知られたくないのか、恥ずかしいことをされたのかは精霊使いのみが知りうることだ。


 ちなみに両者の違いはそれほど明確ではない。クリスの治癒術などは魔法とも言えるし、精霊術とも言える。祈りの力とも言えてしまう。ボーダーはほぼ白に近いグレーなのだ。

 ではなぜ分類化したのかというと、時代が進むと細かくカテゴリー分けするようになるのが世の常なのだ。そういうわけだ。

 魔法、精霊術の他にも召喚術なんてものもあるが、説明が長くなるのでここらで割愛するとする。


 というわけだかどういうわけだかはわからないが、一行は火山に登っていた。


「また登山ですかぁ……私、もう限界……」

「早くぅ、早くぅ」

「置いて行かれるよ」

 マルガレーテは子供二人に手を引かれながら、ひいひいと言いつつ足を動かしていた。


「本当に火の精霊はいるんだろうか?」

 ウィルは暑さで滴る額の汗を拭った。

「いると思うわよ。魔力の流れが盛んになったから」


 大山脈と違い、舗装された道がある火山を歩くことはそこまで困難ではない。ベラは後ろを振り返ってマルガレーテに応援の言葉をかけた。

 火山の中腹ほどになると、火山の内部に直接入り込む入口に到達した。ここの火山は火山口を直接覗き込めるよう整備された、観光にも使えることができる珍しい火山である。ちなみに特別なイベントがある時以外登る人はあまりいない。登山家にとって舗装された道がある火山はつまらないし、一般の人はそもそも苦しい思いをして火山を登りたいとは思わない。


「おお、祠がある。こりゃあ本格的だな」

 火山の内部には祠が設けられていた。神職に就いているクリスからしてみれば、ここに精霊が集まる条件は十分に果たしていると考えた。


「やっと着いたと思ったら、すごく暑いじゃないですか……もう、だめ……」

「マル? マルー?」

 マルガレーテは立ち止まるとその場にひれ伏してしまった。体力が限界を迎えたらしい。


 ウィルは精霊というものを一目見てみたくて火山の内部をきょろきょろとせわしなく探した。

「流石にそう都合よく精霊には会えないわよね」

 ベラは祠を拝んで、さあ帰ろうと提案した。


「ベ、ベラ……」

 ウィルは震える声でベラを呼び止めた。ベラは怪しみながらウィルに顔を向けた。

「どうしたの、ウィル? 帰りましょう」

「い、いた……」


 ウィルの目はこれでもかと言うくらい開かれていた。そんな馬鹿なこと言わないでよ、とベラはウィルの指差した方向を向いた。火の精霊がいた。


「きゃああ!」


 精霊はくりりとした目をウィルに向けた。ウィルは固まったままだ。


「めらめらー」

 ザムルは陽気にサラマンダーに手をかざした。

 火の精霊は実体という実体を持っておらず、火の玉そのものと言ってよかった。火の玉に目玉がついているような感じだ。


「サラマンダー……うそ、ほんとに……?」


 火の精霊、サラマンダー。この火の玉こそが探し求めていた精霊だ。


 サラマンダーはウィルに興味があるらしく、ウィルの周りをくるくると飛び回っている。

 サラマンダーは目で笑った。ウィルも引き攣った笑みを返した。するとサラマンダーはウィルに飛び掛かった。

 惨事が起こると仲間達はひやひやしたが、サラマンダーの炎は間違ってもウィリの体を燃やさなかった。ウィルは胸の中で何かが燃え上がっているものを感じた。


 恐る恐るウィルは仲間達に振り返った。


「も、もしかして契約……しちゃった?」

「……そんな上手い話があるのね」


 ザムルだけがキャッキャと笑っていて、誰もが呆然とウィルのことを見つめていた。




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