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十八 黒い荒野

 魔王城の城下から離れて、一行は荒野を進んでいた。


「エドー! エドー! きゃふー!」

 新しく仲間に入ったトラの亜人、ザムルはエドと荒野を駆けていた。

 最初は呆れていたエドも新しく弟分ができて嬉しいのか、率先してザムルに構っていた。小さな子がはしゃいでいる姿は見ていて微笑ましい。勇者一行の旅に新たな癒しができた。

「あんまり遠くに行くんじゃねーぞー」

 クリスが注意をかけた途端にザムルが転げた。しゅん、とまだ短い尾が垂れ下がった。転げたザムルにエドが手を貸した。


「こけちゃった」


 照れ笑いをしたザムルの頬を、駆け寄ったウィルが布で拭った。

「ほら、こんなに真っ黒にして」

 新しく買ったばかりの服だというのに。仕方のないやつだ、とウィルはザムルの服を軽く叩いて抱き起してやった。気分は一家のお兄さんだ。


 ザムルが真っ黒に汚れたところで、マルガレーテが小首を傾げた。

「おかしな話ですよね」

「何が?」

「こんなに黒い土をしているのに、木どころか植物が全然生えていないことですよ」

 マルガレーテがぐるりと周囲を見回した。森の民として、やはり植物がないことは気になるらしい。


「シュバルツハイデという名前は『黒い荒野』という意味なの」


 ベラのお得意の博識が披露された。

 黒土は本来植物が育つのに十分な栄養を蓄えているはずなのに、魔界特有の魔力の障気が緑を枯らしてしまう。だからこの土地は黒い荒野(シュバルツハイデ)と呼ばれている。


「お、なんだありゃあ」

 クリスが指を望遠鏡にして見た先にはこじんまりとした城があった。


「ええっと、あそこは……」

「クノッヘン城。別名『骨の城』よ」

 現地人であるマルガレーテが答える前にベラが言った。やはり知識の面ではベラの方が優れているらしい。



 荒野で下手に野宿をしてハイウルフに襲われるのはごめんであるので、一行は城に一泊させてもらえるように頼みにやってきた。しかし、城を前にして誰もが口を引き攣らせた。


「あ、悪趣味、だな……」


 城壁には何かの頭蓋骨が陳列していた。もしやこれが「骨の城」なる由来ではないだろうな。ウィルは一つの骨を拾い上げた。「うげっ。これ人骨だ」すぐに落としたが。


「この城には一体どんな悪趣味なやろうが住んでるってんだい?」

「吸血鬼よ」

「えっ!」

 冗談まじりのクリスの呟きに、思いがけず返事があったのでクリスは肩を跳ねらせた。


「本職の出番だろ? 頑張れ」

「ファイト」

「ふぁいとー」

 ウィルが親指を立てたのを、エドが真似して、それをザムルが真似した。いつの間にかパーティーのメンバーはクリスの後ろを歩いていた。クリスは初めて一人置いて行かれるウィルの気持ちがわかった。


 魔王城に比べてクノッヘン城は貧相な城だった。城というよりはどちらかというと貴族の屋敷に近いような、そんな作りだった。


「お邪魔するぜー」

 任された立場としてクリスは城の扉を開けた。こういう時に頼りになる人間である。ただしロザリオをしっかりと握りしめている。台無しである。


「誰かいないのかー? 旅の者なんだがー?」

 クリスの声は城中に響き渡った。返事はない。無人の城なのだろうか。クリスの後に続いて他の仲間も城に踏み入った。誰も出てくる様子はない。


「誰もいないんだろうか?」

「それはないわ。綺麗に清掃が施されているもの」

 床には埃が落ちていない。誰かがいることは確実だ。しかし住民は出てこない。おかしなものだとウィルは思った。


 ――バタン。前触れもなく城の扉が閉じた。ホラーか何かかと全員扉を振り返る。


「ま、マルガレーテ。扉を閉めんなら先に言えよな……」

「わ、私じゃないですよ……」

「じゃあ誰が……」

 ごくりと唾を呑んだ。扉が閉まったことで城の中は真っ暗である。エドとザムルが身を寄せ合った。

 周りを窺うベラの耳元に誰かの吐息がかかった。


「これはまた……なんとも言えない美酒の香り。可憐なお嬢さん。あなたはもしや処女」


 ベラの渾身の拳が何者かの顔にめり込んだ。


 ベラに殴り飛ばされた男は伸びきっていた。コウモリのように暗い表情で、顔は青白く、針金のような体躯の男だ。


「なんだ? コイツ」

「もしかしてコイツが吸血鬼?」

 男の口を覗くと人間にはない鋭い牙があった。吸血鬼のようだ。こんな変態が? 女性陣はゴミを見る目で男のことを見た。


 少しすると呻きながら吸血鬼の目が開かれた。

「うぐっ……こ、これはこれは手厳しいお嬢さんだ。恥ずかしがらずともよいのですよ。処女は吸血鬼の好物」

「光魔法で滅せられたいのかしら?」

「すみませんでした」

 般若の表情でレイピアを抜いたベラに、吸血鬼はプライドも何もなく非のつけどころのない土下座を披露した。


 本当に吸血鬼なのか? 知らねぇよ。ウィルとクリスが小突き合った。

 吸血鬼は殴られた頬を擦りながら上体を起こし、一行の面々を眺めた。


「失礼。久方ぶりのお客人だったものでね。ついはしゃいでしまって」

「はしゃいでセクハラ発言なんて上等ね」

「申し訳ありませんでした」

 首元にレイピアの切っ先を向けられた吸血鬼は再度土下座した。本当にプライドの欠片もない臆病な吸血鬼である。


「発言をお許しいただけますでしょうか? 殿下」

「いいわ。許す」

「ははあ」

 ちょっとした茶番を挟んで吸血鬼はもう一度上体を起こした。ただ正座はしたままである。


「はじめまして。私はこの城に住んでいる吸血鬼だ。この城は荒野の真ん中にありましてね。旅人がやって来るのは本当に稀なんだ。私の城に何か用があって来たのでしょう?」

「迷惑をかけるんだが、ここで一泊させてもらえないだろうか? 疲れた体を癒したいんだ」

「ははぁ。なるほど。もちろん構いませんよ」

 ウィルの申し出に了承した吸血鬼はよいしょと立ち上がった。ふらりとよろめいたのは足が痺れたせいだろう。


「ただ私もこんな城に住んでいて寂しいものでね。食事を一緒にしてもらえるとありがたいのですが」

「しょ、食事……」

 吸血鬼の食事とは、すなわち人の血では……。もしかして自分達を晩餐にするのでは、とウィルの頭には嫌な考えが過ぎった。

「ははは。嫌ですね。お客人の血を吸うほど私は飢えていませんよ。それに……」

 そこまで言うと吸血鬼はウィルの匂いをクンクンと吸った。


「あなたは食べてもあまり美味しくなさそうだ」


 ウィルが聖剣を抜くと吸血鬼はすぐさま土下座した。



 吸血鬼は変なことばかり言うが、もてなしは丁寧にしてくれた。晩餐まで用意してくれて、一行は寛いでいるところを吸血鬼に呼ばれて食堂に集まった。


「骨の城っていうんだから……骸骨が動くんだな……」

 クリスが給仕として働く骸骨を見て、ビクビクとしながら言った。聖職者が情けないものである。


「私の能力なんですよ。これぐらいしか取り柄がなくて。さあ、いただきましょう」


 乾杯のために吸血鬼が赤い飲み物が入ったグラスを掲げた。ウィル達の前にも同じものが置かれている。なんだか不気味な飲み物だ。

「この出会いに感謝して。乾杯」

 全員が杯を掲げると、ぐいと仰いだ。

 飲み物が嚥下してから、ウィルは閉じていた瞼を上げた。すると吸血鬼と目が合い、彼はにこりと笑った。


「どうです? 美味しいでしょう。一番搾りの血液ですよ」

「ぶふっ!」

「冗談ですよ。ただのトマトジュースですって。一番搾りの」

 人間の食事中に言うような冗談ではない。ウィルは汚れた口元を拭った。


「あなた達はこれからどちらに?」

「帰るところだよ。エルグランド王国に」

 国名を聞いて吸血鬼はほほう! と声を上げた。


「それならばここから西に向かった森に立ち寄られるといい」

「森? 森があるんですか?」

 マルガレーテが食いついた。

「ええ、ありますよ。大きな森です。行ってみるとすぐにわかりますよ」


「おかしな場所ではないでしょうね?」

 ベラの中ではすっかり吸血鬼は信用のならない人物になったらしい。吸血鬼はこれ以上とないほど顔を青くさせて首を振った。

「怪しい場所ではありませんよ。決して」

「本当に?」

「本当です。神に誓って」

 吸血鬼が何を言うのやら。ベラは脱力して食事に集中した。吸血鬼は命の危機から逃れて安堵し、ずるずるとイスにもたれかかった。


「うまい!」

 ザムルがフォークを掲げて叫んだ。出された料理にとても満足しているらしい。トマトソースで汚れた口元をエドが拭ってやっていた。

「それはよかった。食後にデザートも用意していますよ」

「デザート!?」

「ええ。トマトのシャーベットです」

 なんだそのトマトに対する謎のこだわりは。ウィルは呆れた目を吸血鬼に向けた。


 美味しそうに料理をたいらげるザムルを見て、吸血鬼は微笑んだ。

「この地で獣人に会うとは。珍しいこともあるものですね」

「オレ達もつい先日会ったばかりなんだ。変だろう?」

「そうですね。最近は奴隷商人が北で活発に働いていると聞くものですし」

「どこでそんな話を?」

「コウモリ達が教えてくれるのですよ」


 吸血鬼は杯に残ったトマトジュースを飲み干した。

「食事が終わった後はどうぞ疲れた体をゆっくりと休めてください」

「もてなしてくれるところだけは感謝してあげるわ」

「ありがたき幸せ」

 少し堪えて、みなぷっと吹き出した。食事は笑いに包まれた、楽しいものになった。



 ***



 クノッヘン城を後にして、一行は吸血鬼から勧められた森を歩いていた。熱帯を思い浮かばせる樹海である。ただし、そこでもまた一行は迷子になっていた。


「大変。ニコラのコンパスが狂ったわ」

 ベラの手の中ではコンパスの針がぐるぐると、あっちを向いたりこっちを向いたりしている。

 吸血鬼が勧めた森は大山脈の手前にあった。界境を越えてしまえば人間の世界だというのに。迷ってしまったら話にならないではないか。あの吸血鬼、やっぱり変な場所を教えたんじゃない。ベラは吸血鬼の胸に杭を刺してこなかったことを後悔した。


「どうする? ここで全員野垂死んじまったらよ」

「ひぃい! 恐ろしいことを言わないでください!」

 クリスの笑えない冗談に、マルガレーテが身を竦みあがらせた。


「がおー! がおー!」

 ザムルは呑気にまだつとい遠吠えを繰り返している。なにやらニコニコしているところを見ると、故郷でも思い出しているのだろうか。

「ジャングルっぽいもんな、この森」

「それだわ!」

 ウィルの呟きに、ベラが突如何かに閃いた。突然隣で叫ばれて驚いたウィルは彼女へと向いた。


「ここは妖精の森なんだわ」


 コンパスが狂ったのも妖精の悪戯いたずらの仕業ね。ベラは最早コンパスが役に立たないとわかったら、潔く鞄の中にそれをしまった。

 妖精は悪戯いたずら好きだ。森に入った人間を見つけて、戯れにこの周囲の法則を書き換えたのだろう。


 ウィルは熱帯雨林のような森をぐるりと眺めた。

「妖精ってこんなところに住んでるのか?」

「妖精は私達エルフが好む穏やかな森と違って、ジャングルのような湿気が多い森を好むんです」


「やっと気付いた?」

「気付いたみたい」

 高い、少女のような声が響いた。


 ウィルの目の前に小さな少女が現れた。背丈はいつか出会った子供ゴブリンよりも小さい。透明の、昆虫が持っているようなはねが背にある。彼女達(とは言っても性別はわからない)が妖精である。

 珍しいものに出会えてベラの目が輝いたが、彼女は今やるべきことを思い出した。


「こんにちは、妖精さん。わたし達はこの先の大山脈を越えたいの。通してもらえる?」

「どうしよっか?」

「通してもいいけど、ね」

「ね?」

 妖精達は顔を向い合せて首を傾げた。


 どうにも妖精達は何か理由があって一行の足止めをしているらしかった。もちろん悪戯心もあるだろうが。

「どうして通してくれないのかしら?」

「だって、ね」

「ダグウェルがこの先にいるから」

「『ダグウェル』?」

 どこかで聞いたことがあるような、とマルガレーテが記憶を探った。


「ダグウェルはおっきなおっきなドラゴン」

「ドラゴンだって!?」


 この世に存在する種族の中でも、とりわけ稀有な種族。それがドラゴンである。


「……ああっ! ダグウェルって、あのドラゴン族の統領、ダグウェル様ですか!?」

「そう。とーりょーのダグウェル」

 一人慌てるマルガレーテにウィルが尋ねた。

「誰だ? そのダグウェルってのは」

「ダグウェル様を知らないんですか!?」

 魔界の者が人間界に疎いように、人間界の者も魔界に疎い。隣国に関してだって知らないこともあるのだ。まして魔界の世情など。だがマルガレーテは知らないなんて信じられない、とばかりに力説した。


「ダグウェル様はですね、あのドラゴン族を治め続けている偉大なお方ですよ! もしかしたらあの魔王様でさえ頭が上がらないとも言われているんですから!」

「魔王が?」

 そうですよ! 大袈裟にマルガレーテは頷いた。


「ダグウェル様が大山脈に帰っていただなんて知りませんでした。以前噂をお聞きした時は旅に出ていらしたと聞きましたのに」

「ちなみに何年ぐらい前なんだ?」

「えーっと……大体半世紀ぐらい前ですかね」

 うちのパーティーではマルガレーテ以外生まれてやしないぐらい昔の話じゃないか。これがジェネレーションギャップなのか。


 この先の大山脈の頂上付近にダグウェルはいるらしい。吸血鬼はこれを勧めていたのだろうか。ウィルは青白い顔をした吸血鬼のことを思い出した。


「会いに行くか?」

「もちろん」

 少しの間も開けずに即答したのはもちろんベラだった。




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