十六 溝
エルフの里は丸太小屋の家が多い。石造の物件が多いエルグランド王国の建築を見慣れているベラには新鮮なものだった。
「やはりエルフの里というからには木造の建築物が多いのね。服も質素なものばかり」
「エルフは狩りを生業とする一族ですから」
エルフ族は贅沢を好む人族と違い、獣を狩り、森の恵みを授かって生きる倹約な生き物である。
マルガレーテ以外のエルフはみな正常(というとマルガレーテが異常と言っているようなものだが)であるようで、少し遠巻きにベラ達のことを観察していた。
長老やマルガレーテと同じく端整な顔立ちをした者ばかりだ。声を掛けに行きたいのに、警戒されていることとエドの監視がついていることでクリスは不貞腐れていた。ちなみに醜態を晒さぬよう、酒は真っ先にエドに没収されていた。
「そういえばマルガレーテはどうして里の外に出ていたの? おまけに森の侵入者にとても警戒していて……あ、あなたの行動を責めているわけではないのよ?」
「その……略奪者を追い払うためだったんです」
「それって奴隷狩りのことかい?」
クリスの不躾な問いにマルガレーテは僅かに頷いた。
「エルフ族は魔族とも人族とも違った見た目をしているでしょう? そういうものを好む方がいるので、誘拐も……」
ベラは顔をしかめた。
奴隷問題は昔から何度も議論を重ねられていた。エルグランド王国とシュバルツハイデは両国間で人権を保護する条約を結んでいる。しかし悪というものはいつの時代、どこにでも存在するものだ。自警団が何度奴隷商を検挙してもまた次が現れる。同じことを何度も繰り返すばかりで、根本の解決にはいまだ至っていないのが現状である。
エルフは特に奴隷として扱われる数が多い種族だ。そのためによそ者に対して過剰に警戒心を表す。この里の住民がベラ達を窺っているのも当然の行動だと言えた。
「エルフ族は美人ばっかだからな。変態が寄り付くのもわからないでもねえさ」
「もう!」
マルガレーテは赤面して茶化したクリスの背を叩いた。
マルガレーテはエルフ族が持つ尖った耳がやや垂れ気味で、目も垂れ目気味の全体的におっとりとした印象を受ける女性だ。ただし歳は一行のメンバーよりも何回りも、というか一世紀以上離れている。ほんと詐欺だよな。クリスは思った。
「でもあの時はびっくりしたわ。マルガレーテの弓の腕はすごいのね。あんなに遠くからわたしのすぐ目の前を射ってみせたんだもの」
「えへへ。実は私、長老から教えを受けているんです。長老は弓の名手なので。確か伝説の勇者様のお供だったとか」
「え゛」
クリスは濁声で呻いた。もう見た目で騙されたくない。そう思った矢先にこれだ。しばらく年齢の話は避けようとクリスは思った。
「わしらの村はいかがでしたかな?」
ウィルとの話を終わらせたらしい二人がベラ達と合流した。
「長老さん。ありがとうございました。とても興味深かったです」
それはよかったと長老は片手で顎を撫ぜた。ちなみにそこに髭なんてものはない。
「探求心の深いお嬢さんでいらっしゃるようじゃ。マルガレーテにも見習わせたいものですな」
「酷いです長老!」
「そういう落ち着きのなさも直せと言うておるのに」
ぷくっとマルガレーテは頬を膨らませた。どうやら不服のようだが、反論する材料がないらしい。
マルガレーテを前にして長老はウィルへと振り向いた。
「先ほどの話の答えは出ましたかな?」
「はい。彼女がいいと言うならば」
長老とウィルにのみ通ずる話に彼らは首を傾げた。
「何の話をしていたのですか?」
「マルガレーテよ。お前はこの方達と共に少しの間でよい、旅に出るのだ」
長老の突飛な話にマルガレーテは目を大きく見開いた。マルガレーテだけではない。ベラ達もである。寝耳に水だ。マルガレーテは長老の不興を買わないように、震える唇を恐る恐る開いた。
「わ、私はこの里に必要ないのですか……長老」
「それは違うぞ、マルガレーテよ」
震える声で喋ったマルガレーテに長老が諭した。
「かつてはわしも世界を見て回った。わしはこの閉鎖的な里で長い一生を終わらせるべきではないと思うておる。世界にはお前がまだ見ぬものや、学ぶべきもので溢れている。加えて世界の広さを目の当たりにすれば、その慌て癖も少しは落ち着くじゃろうて」
何度も言うが長老、見た目と口調が全くマッチしない。
「……はい。わかりました」
マルガレーテはしおらしく返事をした。
俯いた彼女は準備をしてきます、と小さな声で言ってとぼとぼと家の方向へ歩いて行った。
「いいのですか、長老?」
「これも人生の経験のうち。それにヒナ鳥はいずれ巣を旅立つもの。マルガレーテはヒナ鳥というより雛菊ですがな」
ほっほっほ、と長老は笑った。それは面白い冗談を言ったつもりなのだろうか。ウィルは反応に困った。
長老から手ほどきを受けている、という話を聞いたベラは、もしやこれは長老が課した試練なのではと思った。けれど年季が入ったポーカーフェイスからはその真意を問うことはできない。
「ああ見えましてもマルグリットは里一番の弓の使い手。勇者殿の力にもなりましょうぞ」
それは間近で体験したのだから、一行は身をもって知っている。マルガレーテがパーティーに加わってくれると、不慣れなシュバルツハイデの地でも楽になることだ。
「でも、マルガレーテは大丈夫かしら?」
あの様子では今落ち込んでいるかもしれない。心配するベラに長老は微笑みを深めた。
「マルガレーテなら大丈夫ですじゃ。そのうちいつものようにはしゃぐじゃろう」
「さあ、行きますよみなさん!」
長老が言ったことは本当だった。準備を終わらせたマルガレーテと里の入口で合流した頃には、彼女はもういつもの調子を取り戻していた。
装いは旅に相応しいもの、背には弓矢を負って彼女の準備は万全だった。
「それでは行ってきます、長老!」
「気をつけて行ってくるのじゃぞ」
表立ってマルガレーテを見送っていたのは長老だけであったが、里の奥の建物の陰に隠れて他のエルフ達も彼女を見送っていた。
「エルフ族ってシャイなのかしら?」
あながち間違いとも言い切れないのでウィルは何とも言えなかった。
マルガレーテの協力を仰いで、一行は迷っていた森を楽に抜けることができた。森の方向から流れ出る小川に沿って一行は歩いていた。
「ここまで来たら、魔王城までもう目と鼻の先ですよ」
ほら、見えるでしょう? マルガレーテが指し示した。マルガレーテの指の先には城があり、そこはウィル達の目的地だった。
「順調な旅だったわね」
感心するように頷いたベラを、ウィルは呆れた目で見た。彼女にも意外に欠点があったようだ。なんだかウィルは安心した。
ここまで到着するのに、王都を出発してからおよそ一カ月余りほど経過した。やっと折り返し地点に到着したところだろう。魔王様に到着してすぐに帰国するとして、約二カ月の旅になる。意外に長い旅になった。
「今日はこの先にある村に一泊して、その次の日に魔王城に着くようにしましょう」
「そうだな。みんなも異論はないか?」
ウィルの問いに答えるものはいなかったので、そのままマルガレーテの提案を受け入れることになった。
着いた村はグラーベンという名前だった。川を挟んで位置する村で、とてもこじんまりとしていた。
「やっと地面の上じゃなくてベッドの上で寝られるのか」
やれやれとクリスは凝り固まった肩を回した。
エドは村人のささやきに耳を傾けた。
「人間だ」
「大丈夫なのか?」
「さあな」
嫌悪が混じった言葉だった。村人達もあまり歓迎している目をしていない。エドは嫌な予感がした。
エドの予感は的中し、トラブルは宿屋で起こった。
「宿泊ができない!? どうしてですか! 空き部屋ならあるんでしょう!?」
「できないもんはできないんだよ」
怒鳴るマルガレーテから目を逸らし、宿屋の主人はウィル達をチラリと見た。その行動でマルガレーテには主人がなぜ宿泊をさせてくれないのか、その理由に思い至った。
「……あの人達が人族だからですか」
主人は是とも否とも答えなかった。ただ顔を渋めただけだった。マルガレーテは我慢ができずにカウンターを叩いた。
「どうしてそんなことをするんですか!」
「……あんただってエルフならわかるだろ。あいつらは人間だ。理由はそれだけで十分さ」
ウィル達は周囲からの射抜くような目を浴びた。嫌悪に晒されて心地の良い者などいない。エドは気分が悪くて身を縮み込ませた。
「あんたもエルフの癖に人間なんかと行動するなんて変わってるな」
宿屋の主人を援護する声が周囲から上がった。怒りで我を忘れたマルガレーテは背の弓矢に手を伸ばした。が、ベラがそれを制して前に出た。
「なんだよ、お前」
「人族も魔族も、エルフ族も何も変わらないわ。ただ見た目や文化が違うだけよ」
ベラは落ち着きを払って言った。ベラの物言いにムッとした魔族はベラに言い返した。
「ずいぶん偉そうに物を言うな。まさか噂の勇者か?」
「いいえ。わたしは勇者ではないわ。勇者であるのは彼よ」
ベラはウィルのことを指差して言った。
「ふぅん……パッとしねぇな」
そろそろオレはキレてもいいはずだ。ウィルは怒るところを間違えて額に青筋を浮かべた。
ベラだけにも任せられない。ウィルも前に出た。勇者ということで彼にはベラ以上に注目が集まった。
「魔族が思っているよりも、人間は悪いものではないとオレは思う」
「おうおう、ウィルが言うと説得力が増すねぇ」
ウィルはクリスの太股を抓った。
「ふん。自分達のことなんかいくらでもよく言えるさ」
「あなた達ねぇ!」
とうとうベラまでもが声を張り上げた。今度はウィルが仲間を制した。
ウィルは周囲の顔付きを窺ったが、気が立っている者ばかりだ。エドも怯えている。ウィルが望む穏便に治めることはできないようだ。
「仕方ない。村の外れで野宿をしよう」
「ハァ。今日もかったい地面の上でご就寝かよ」
クリスがぼりぼりと後ろ頭をかき、エドを連れて一番に宿を出た。マルガレーテ、ベラと続いて最後に最も嫌な目線を浴びながらウィルも宿を出て行った。
***
「……ごめんなさい」
村の外れでたき火を囲みながら、唐突にマルガレーテが謝った。
「どうしてマルガレーテが謝るんだ?」
ウィルは心の底から意味がわからないと言っていた。だって、とマルガレーテは言葉を続ける。
「私も魔族のカテゴリーに入っていますし。……勇者様であるウィルさんに申し訳なくなったんです」
「魔族のみんながみんな、あの村の人達のようではないだろう」
マルガレーテは涙目で顔を上げた。ウィルは微笑みながら、たき火に使う枝を折った。
「知ってる人に人間を好きになった魔族の人がいてさ。魔族の誰もが人間を嫌ってるわけじゃないって、オレは知ってんのさ」
ウィルの向かい、マルガレーテの隣ではクリスが酒を仰いでいた。
「そうそう。マルガレーテが謝るたぁねえさ」
「人族と魔族をつなぐことが勇者の役目だもの。こんなことでへこたれていられないわ。ねぇ? ウィル」
「ああ」
あの悪意にへこたれていないウィル達を見て、マルガレーテは少し涙が治まった。気弱になっているマルガレーテの肩をエドが持った。
「ウィル達、強いから」
それは必ずしも肉体的に強いという意味ではなかった。
マルガレーテは弱い心を振り払って、涙を拭い、片手で拳を作った。
「長老が言ったことは本当でした。私、もっといろいろ学ばなきゃいけないみたいです。精一杯、みなさんのお手伝いをさせてもらいます!」
「よろしく頼むよ」
その日の食事は、いつも食べるものよりもずっと美味しくマルガレーテは感じた。




