十一 僧侶
昨日のウィルの宣言通り、一行は日の出と共に町を出発した。野宿の地点に選んだのは、昨日話題に出たとある村である。
「辺境の村、ラクルース……」
ウィルが呆然と、文字が消えかけている立札を読み上げた。
この村が中継地に使えない理由を、行けばわかるとベラは言った。確かに着いてやっとわかった。人の気配など全くしない。瓦礫と化した家屋や、火が回ったらしい箇所、血と思われる跡。
ベラは痛ましげに村を見据えて言った。
「ここは、十年前に反魔族派の反乱因子によって滅ぼされた村よ」
何もない。あるのはただ、悲惨な傷痕だけだ。
「へぇ。お嬢ちゃん、よく知ってんだな」
「まあね」
ベラは悲しげに目を細めた。
十年前と言うと、ここ最近で反魔族派の勢力が最も大きかった時期のことだ。ラクルースの村はその当時犠牲になった、知る人は知る場所である。
クリスは村の入り口近くに立て掛けてあった、村名が刻まれている立て札を撫でた。当時燃えてしまったのか、触れた場所からぼろぼろと表面が剥がれ落ちてしまった。
「この村はエルグランド王国の中でも、人族と魔族の共存意識が高かったとこでな。魔族が人族と一緒の家に住んでたり、ハーフの数が国一番の村だった」
当時は有名な村だった。だからこそ反魔族派の標的に選ばれた。今はもう、そんな光景を見る影もない。
平和な村だった。花が美しい村だった。穏やかな住民ばかりだった。クリスはぽつりぽつりと呟いた。
「クリスこそ、この村のことをよく知っているのね」
「そりゃあな。ここは俺の故郷だったりすんのさ」
クリスはぼんやりと村の景色を眺めていた。
クリスの言葉に、仲間達は呆気にとられる。
ここがクリスの故郷。こんな悲惨な地が故郷だとは、普段の彼からは全然想像ができない。いつもは飄々と酒を飲んでいて、女をたぶらかしてばかりいるこの男の故郷が、ラクルースの村だと。
「今日はここに泊まんだろ? 何もないが、屋根と壁はあるから適当に寝床を探してくれや」
野宿よりはマシなはずだ。何ともなさそうにクリスは言った。しかしその様子が逆に彼らを傷つける。
そんなつもりでこの村に立ち寄ろうと言ったわけではないのに。ウィルはひどい後悔に苛まれた。
ただ少しでも安全で、寝床のある旅にしようとしただけだ。事実さえ知っていれば。知っていれば、自分は迂回ルートを進むよう提案したはずだ。
誰も何も言えない中、ベラただ一人、意を決してクリスに話し掛けた。
「クリスがこの村出身なら、お願いがあるの」
「何だい?」
「お墓がある場所はわかるかしら?」
クリスには酷だと思うが、ベラは頼まずにいられなかった。申し訳なさがベラの表情に現れた。
「俺はこの村の教会の後取りでね。実家に帰るようなもんさ。気まずそうにしなくていい」
つらいのはクリスの方だと思うのに、ベラは逆に慰められてしまった。こんな時に大人になって欲しくなかった。ベラには昨日までの自分が、なんだか恥ずかしく思えた。
村の教会ですら、例に漏れずテロの標的になっていた。屋根の上に取り付けられたモチーフが儚げに映る。
村人の埋葬は国の軍が奉仕活動として行ったとベラは記憶している。奉仕を行った軍人達は口を揃えて言った。今のような時代にあんな惨い事件が起こり得るのか、と。村人達は口に出すのも憚るくらいに無惨な死体に成り果てていたらしい。一般市民には見せなれない光景だったそうだ。だから一般人よりそういう場面に慣れている軍人が弔いをした。
「墓地は教会の裏だ」
クリスが案内する。
十年前の襲撃で亡くなった人も含めて、この村の故人の墓はほとんど教会の墓地にあるそうだ。
教会の正面の扉は焼け焦げていて、最早扉としての役目は果たしていなかった。
小さな教会だった。長イスが数列と、正面に祭壇と、斜め奥にオルガン。壁一面は聖女のステンドグラスだった。辺境の村にお似合いの教会だった。歩くと教会の床が軋んだ音を立てた。
「嬢ちゃん、知ってるか? 僧侶ってのは今んとこ妻帯が許されてるが、昔はダメだったんだぜ?」
唐突にクリスが話題を振った。
宗教的に厳密には僧侶は神父と牧師に分かれ、そのうち前者は妻帯を許可されず、後者は許可される。クリスは前者の神父であり、結婚はできない。
だが物事には例外があり、ある手順を踏むことによって結婚している神父も存在する。
「それくらい知ってるわ」
「今の教会は緩いねぇ」
へらへらと笑って、クリスは胸のロザリオを手で弄った。
いつもならここで酒を傾けると思うのに。懐にあるスキットルの中身は空なのかしら? ベラは首を傾げた。
「お嬢ちゃんはさ、忘れたくないもんをどうやって記憶につなぎとめる?」
「忘れないように努めるだけよ」
「ははっ。お嬢ちゃんらしいな」
俺は嬢ちゃんみたく賢くないからよ。クリスは言った。
「たとえば大事な人からもらったロザリオがあったとしてよ、事故で無くしちまうんだ。同じようなもんを探すんだけど、やっぱり本物とは違うんだわ。微妙に形が違ったり、傷の場所が違ったり。違う場所を見つけて、ああ本物はこうだったって、そんで忘れてないって実感すんだよ」
ベラには思いもよらない方法だ。
ベラはクリスの胸のロザリオが目に留まった。そして彼の悪癖を思い出した。
「酒でも飲んで、いっそ忘れちまった方が楽なんだろうけどよ。空しくなるだけだな」
自分ではどうしようもできない悪循環のできあがりだ。「罪深いねぇ」クリスは呟いた。人々を迷える子羊と説くはずの彼が、迷子そのものだ。
クリスは教会のステンドグラスの天使を見上げた。陽を浴びたステンドグラスは神秘的に輝いている。慈愛に富んだ笑みを浮かべる天使の視線と、クリスの視線とが交わった気がした。
教会の裏へと続く、たてつきの悪い扉をクリスが開けた。その先には墓地が広がっていた。墓石がずらりと並んでいる。この村の死者の殆どがここに眠っているはずだ。
「お嬢ちゃんは信じてくんねぇかもしれねぇけどよ。俺にも将来を誓い合った恋人ってのがいたんだ」
「……その人はどうしたの?」
ベラは何となく答えが分かったが、尋ねずにはいられなかった。
「死んじまったよ」
十年前の襲撃で亡くしたに違いない。そしてその人の墓はこの中のどれかであるはずだ。
俺を含めて数人しか生き残んなかった、とクリスは言った。
「なんで俺だけ生き残っちまったんだろうなぁ……」ヘヘヘとクリスは笑ったが、ベラは見ていられなかった。いつもの彼ならばもっと気安い笑みを浮かべるはずだ。ベラはクリスから顔を背けた。
「ごめんなさい。わたし、花を摘んでくるわ。一人で行きたいの! だから、クリスはここで待ってて」
あくまでも自分が一人になりたいという風を装ってベラはお願いした。
「ああ。悪いな」クリスの返事を聞くと、ベラは一目散に教会の裏の林へと向かった。
ベラの足音が聞こえなくなってから、クリスはある墓の前で膝をついた。父親の墓も、母親の墓も、友人の墓も……全てここにある。だがクリスがまず一番に向き合うのは、決まって彼女だった。
墓を立てて十年。何の因果か、今は勇者のパーティーの一員なんかをやってる。あの日俺達の村を救ってくれなかった勇者なんていうやつのパーティーに。
碌に墓参りなんてしない墓石はコケが生えている。クリスが撫ぜるとざらりとした感触があった。たまに来るときにきちんと掃除をしてやらなかった罰か。クリスは自嘲気味に笑った。
「なあ、アンジェラ」時間はたっぷりあり、言いたいこともたくさんあるはずなのに、クリスはいつも墓を目の前にすると言葉が出てこない。結局いつも決まり文句を言うだけで終わってしまう。
「……愛してるよ」
***
クリス、ベラと別行動をしているウィルとエドの二人は、今晩の寝床を探していた。
ここはパン屋だろうか。奥に大きなかまどが見える。崩れたレンガを直す人はもういない。店内はかつて香ばしい匂いでいっぱいだっただろう。
焼け焦げたせいで、踏み込むと崩れる床に慎重になりながら歩く。チェストの上に飾ってあるのはこの家の家族の写真だろうか。おそらく、この家族はもういない。
やるせなくて、ウィルは覚束ない足取りで屋外に出た。広場の水が流れていない枯れた噴水の縁に腰掛ける。
今はもう誰もこの村に足を踏み入れないのだろう。どの家も埃が積もっていたし、道には無造作に雑草が生えたままだ。
昔はここを子供達が走り回っていたことだろう。城下とは違う人々の笑い声がいつも絶えなかっただろう。クリスの言った穏やかな村の風景とやらが瞼の裏に浮かぶ。
ここが十年前の悲劇に見舞われた村。クリスの故郷。
「勇者なのに、オレは何にも知らねえなぁ」
ウィルは笑って誤魔化そうとしたが、不器用な彼には無理な話だった。
なぜこんなにも大切なことを知らなかったのか。ウィルは後悔に苛まれた。
ベラの方がよっぽど見識がある。ベラの方が剣術、魔法の腕がある。ベラの方が丁寧な振る舞いができる。ベラの方が、ベラの方が……ベラの方が勇者に相応しいのではないか。
仲間のことさえ知らなかった。無知な自分を自覚したウィルは自己嫌悪に至っていた。
――パシン。消沈しているウィルの頬をエドが軽く叩いた。彼の目には薄く涙が張っている。ウィルは唖然とエドを見返した。
「ウィルががんばってるの、知ってる」
エドはしっかりとウィルの目を見て言った。
「ウィルがいるから、毎日ご飯を食べられるようになった。ウィルがいるから、スリをしなくてもよくなった。だからボクにとっての勇者はウィルだけ」
ウィルだけが勇者なんだ。
称号だとか、身分とかは関係ない。だからそんなこと言わないで欲しい。エドはそう伝えたかった。口下手な彼にはうまい言葉が見つからない。
しかし数年共にしてきた、弟のような仲間だ。エドの言いたいことなど、ウィルには手に取るようにわかった。ニッカリ、ウィルは笑う。
「エド、お前はいいやつだな!」
わしゃわしゃと低い位置にある頭を、ウィルは撫でまわした。
たったこれだけの励ましで気を持ち直すとは、我ながら単純だとウィルは感じた。
「オレ、馬鹿だしなぁ」
「ベラの方が頭いいよね」
「うっせぇ!」
すっかりベラ大好きっ子になりやがって。面白くない。事実だとわかっているから余計に面白くない。
ああそうだ自分は馬鹿だ。ウィルは開き直った。「けど」開き直ったウィルは晴れやかな表情をしていた。
「馬鹿でも、なんかできるよな。いや、しないとな」
ウィルの瞳には、何かをやり遂げる意志の炎が燃え盛っていた。




