ランディール・ヴェントル
座標526・503が示すその場所は、隣に広がる雄大な大陸から切り離された大きな島の、ちょうど中間地点にあるらしい。
3400kmも距離があれば当然だが、俺達が飛び立った地点からは、その島国の影も形も全く見えなかった。しかしそれからしばらくも上空を飛行しないうちに、その場所は大雑把に確認できた。
山と海に周りを囲まれた平野の真ん中、隙間なく高層ビルが建ち並んでいるあの辺りだ。既に2ヶ所も闇法師の破壊被害にあっているというだけあって、栄えた都市である。
その遥か上空を、地上から確認出来るか否かの微妙なラインで鳥のように飛び抜けながら、俺の後ろに付いて飛行しているハードウォーグとギーナスに向けて、下降の手信号を示す。と同時に、透過装置も起動する。『透過装置を機動しろ』なんていう手信号は無いから、俺はそれに関して指示はしない。しかし二人は期待通り俺を見て判断してくれたようで、振り向いたときには既に二人とも透過装置を機動させていた。
真っ逆さまではないものの、凄まじい速さで下降しているため、あっという間に地上が近付く。顔面に刺さる空気が冷たい。
一昨日居た南半球の巨大な島は焼けるような暑さだったと言うのに、こちらは凍えるように寒く、雪まで降っている。おまけに曇より下のこの辺りは、視界が悪い。
ぼやけた先に見えた地上の町には、この国の治安組織なのだろうか、赤いランプとけたたましいサイレンを鳴らしながら道路を走り抜ける車が多くいた。何か事件でもあったのだろうか。あるいは闇法師が、なにかしたのだろうか。
そんな様子を視界の端に捉えながら、狭いビルとビルの合間を縫うように飛び抜け、座標526・503が示す詳細な場所を座標照準機で割り出す。
どうやらその場所は、ビル群を抜けたこの先、前方の住宅街の辺りらしい。
飛行速度を落としつつ、左腕に装着した通信機を口元に近付け、闇法師を発見したという第46捜索隊へ回線を繋ぐ。
「46隊、聞こえてるか」
数秒のノイズのあと、
『────はいッ!聞こえてます!』
応答はあった。声色だけで焦りが明白に伝わる。
「もうすぐ目標の座標だ。闇法師は、見失ってないな?」
『はいッ、騎卿ヴェントル!たった今民家に入っていきました!急いで下さい!』
見渡す限りのもの全てが雪で覆われてしまって、まるで何もない白い平野のようになっている真ん中に、彼ら46隊からの発信はあった。距離にして約1キロメートルほどを真っ直ぐ進んだところだ。
「もうすぐだ。警戒を怠るなよ」
更に高度を落とし、民家の屋根スレスレを飛行する。全てが全て民家というわけでは当然なく、ところどころで現れる雑居ビルのようなものを目線の真横に捉えて回避しながら、目標を目指した。
さっきから感じているこの、肌の内側にビリビリと響く感覚は闇法師から伝わるそれに違いない。闇法師の方も勿論、俺の気配に気付いて行動を変えるだろう。下手に動かれる前に、仕留めなければならない。
今頃全速力でここに向かっているであろう、ジャックやヘレナの援護はまだ先になりそうだ。正面から対峙するような闇法師ならば俺一人で倒すくらい造作もないことだが、逃げるような闇法師ならばそれを確実に捕られられるほどの自信はない。
聖法騎士の肩書きを持つ者としては、なんとしてもこの場で殺さなければならない。
しばらくして、地上からこちらに向かって大きく両腕を振る46隊隊員の姿があった。彼の右側にある家の屋根の上からこちらを見る他四人の隊員の姿もある。
地面に降り立つなり、俺は即座に訊いた。
「闇法師は?」
「この中です!」
腕を真っ直ぐ伸ばし、指し示したのは俺から見て右側の民家。2階建で壁はクリーム色、周囲の家より少し大きいが、これといって特徴があるわけではない普通の家だ。
「住人は?」
「成人女性が一人……。けどついさっき、生命反応が無くなりました……」
「……遅かったか」
と、その時。
雪を蹴る音が聞こえた。
ざっざっざっざっという、激しく雪を蹴る音。
46隊員の背後、俺から見て正面の方向。
目を凝らして見ると、何かがこちらに向かって走って来ているようだった。
それに怯えるように反応した46隊隊員が、腰に備えた銃を抜こうと手をかける。
俺はその手を即座に抑えた。
「落ち着け。銃が要り用か判断するのはまだ早い。それより透過装置の起動を確認しろ」
一瞬思考を止めていた46隊員も、『透過装置』の単語を聞いてハッとなって、自分の腰をまさぐった。
「二人は、大丈夫だな?」
後ろのハードウォーグとギーナスにも、その確認をとる。
二人は黙って頷いた。
俺は頷き返す。
自分も確認を済ませ、まだ球体状の法剣を手の中に収める。
しばらくしないうちに、そのぼんやりとした人影はハッキリとした形で見えた。
それは味方でもなければ敵でもない、ましては闇法師でもない。
この惑星の住人、地球人の少女だった。
黒色のコートはボタンが全開で、正面からの風で左右に大きくなびいている。そこから見える紺色のブレザー、白いラインの入った灰色のプリーツスカートから察するに、彼女は学生だろうか。
どうも、俺と同じくらいの年齢に見える。
そんな一瞬の情報の後、俺の目に飛び込んで来たものは、唯一露出している彼女の白い顔に付いた赤黒い何かだった。
この距離でも、それが何かはよくわかる。
それは、血だった。
彼女は返り血を浴びている。
俺を含めた、この場の全員が戦慄に呼吸を忘れた。
この刺さるような寒さの中を素足に靴下で駆け、鼻先を赤く染めながら、何かから逃げるように走る少女は明らかに異常だった。
彼女は、俺達の目の前で右に曲がって民家に入って行く。
そこは、さっき闇法師が入ったという民家だった。
事の重大さに気付いたのは、彼女の姿が完全に見えなくなってからであった。
「マズイな……」
手に握った球体状の法剣を、完全な剣の形に変形させ、形成しながら呟く。
「ど、どうすれば」
46隊員は、予測外の連続に落ち着きを失っていた。
「お前らは闇法師が逃げ出さない様に引き続き監視だ。始末は俺達がつける」
46隊にはそれだけ命じて、後ろの二人の方を向く。
「二人は俺と来い」
「「はい騎卿」」
法銃を構えて、二人は答えた。
俺は頷く。それから地面を蹴って大きく跳躍し、闇法師とさっきの少女が入った民家の塀を越えた。二人も俺に続いて跳躍し、着地する。
すぐ正面の大きな窓は内側からのカーテンで遮られ、中の様子がわからない。
いきなり突入するのではなく、まずは様子を伺ってからと思っていたのだが、どうもそれは出来ないようだ。
「騎卿ヴェントル、一つ確認なのですが」
不意に、ハードウォーグが尋ねる。
「確認?」
「はい。こういう場合は闇法師の征伐と、あの少女の身の安全、どちらが優先なのですか?」
その質問は、一瞬、俺を試しているかのように聞こえた。しかしハードウォーグは、そんな嫌味な男ではない。ましてや聖法騎兵が聖法騎士に、つまり目上の存在に向かってそんな反抗的なことを言う男でもない。
彼なりの、純粋な質問だった。
一間置いて、答える。
「ヘレナなら前者、ジャックなら即答で後者だろうな」
「では、ランディールなら?」
ギーナスが、悪戯な笑みを浮かべて話に割り込む。
俺はそれを不敵に笑って、言った。
「もちろん、両方だ」
「そう言うと思いましたよ」
この5日間、昼夜行動を共にした俺の性格は、どうやらよく理解されているようだ。
「具体的にはどうなさるおつもりで?」
続けざまに、ハードウォーグに問われる。
中の様子が伺える場所を探しながら、俺はこう答えた。
「……俺の推測がただしければ、あとはタイミングで何とかなる」
「推測、とは?」
「簡単に言えばこの闇法師の目的さ。奴ももう、俺達が来たことには気付いたはずだ。この時点で逃げる様子が無ければ、俺達を殺すために機会を伺っているか、それ以上に重大な用があるかのどちらかに限られる。前者の場合、こっちが動かなくても向こうが勝手に出向いてくれるわけだが、ならもうとっくに目の前に現れてもおかしくない。しかし現実、闇法師はその姿を俺達の前に現してはいない。そうなると必然的に後者の可能性が高くなる。闇法師最大の敵である聖法騎士を無視してまで遂行したい何か……。しかも逃げないと言うことは、ここで遂行したい何かがあるんだろう」
玄関の前に来たところで、ドアノブに手を掛ける。音を立てるとさっきの少女に気付かれ兼ねないので、細心の注意を払ってゆっくりと中へと押す。
隙間から中を覗くと、2階へと上がっていく少女の後ろ髪が一瞬だけ、チラリと見えた。
「何か、とは?」
「一概にこう、とは言えないな。その闇法師がどの闇法組織の所属なのかによって変わる」
中の様子は、これでもう分かった。もはや1階に用はない。
「昨日まで倒した闇法師はデュー・アンフェールの奴が多かったが、フェレイユとヴァイゼンの奴もそこそこ居たし、無所属まで居たからな。デュー・アンフェール、フェレイユ辺りなら目的は読みやすいが、ヴァイゼン、ましてや無所属となると予想は難しいだろう」
「仮に、ですが……。あの少女に用があるとすれば?」
変に神妙な顔をするハードウォーグの傍ら、俺は薄く笑った。
「それこそ俺が望む展開だ」
少し後ろに下がって、頭を上げる。
玄関、つまり一階から階段を使って2階に上がるのも一案ではあるが、これだと闇法師の警戒心を強め、倒すのが難しくなる。よって2階から直接中へ入るのが最適だろう。
幸い、この家の2階部分には長いベランダが存在した。あそこからなら、簡単に2階へと入れそうだ。
「話が逸れたな。両方救うと言ったが、これはもちろん同時に実行するわけじゃない。あの娘の身の安全に注意を払いつつ、闇法師を倒すやり方でいく。ただしこれは、俺の推測が正しければの話で、逆にハードウォーグの仮話が正しい時は、それこそ同時に実行出来る」
「そんなことが、可能なのですか?」
「タイミングが合えば、な」
地面から3メートルはありそうな高さを、地面を蹴り、ほぼ垂直に飛んで、ベランダに着地した。
地球の重力は惑星ヴェレティスとあまり変わらないという話だったが、実際には地球の重力の方が若干大きい。よって普段通りに超身力を使って飛ぶだけでは3メートルも跳べないと思っていたが、意外と難なく跳べた。
ハードウォーグとギーナスも、俺のあとに続いて着地する。
「さっきから思っていたのですが、闇法師を倒すと言うのが即ち少女を救うということになるのでは?」
真っ暗な部屋の中を覗く俺に、後ろからギーナスが問いた。
「良いところに気付いたな」
口を開いたせいで白く曇った窓ガラスを素手で拭いながら、それに答える。
「けど、それはあくまで俺の推測内でのみの等式で、ハードウォーグの仮話内では不等式になるな」
「闇法師があの少女を要用としている場合は、ということですか?」
「そう。そしてその闇法師が無所属の場合は必ずではないが、どこかの闇法組織の所属だった場合は保護する必要性が出てくる。ここまでしてようやく両方達成と言えるな」
「保護?」
「俺達聖法騎士の目の届くところで闇法師の魔の手から護るってことさ」
「それはつまり……」
「つまり、一緒にヴェレティスまで来てもらうことになるな」
鼻息で徐々に白くなっていく窓ガラスと戦いながら中に目を凝らすが、どうもそこに人の様子はない。簡素な机に簡素な椅子、床には乱雑に服が落ちているが、荒らされた様子はない。そこから察するに、この部屋では何もなかったのだろう。
顔を離して、次は左隣の部屋を覗こうと顔を近付ける。
瞬間、
「……ここだ」
強い気配を感じた。禍々(まがまが)しい、闇法師の気配を。
「確かですか?」
「あぁ。確実にここにいる」
気配に加えて、カーテンの隙間から見える青白くなった手のようなもので俺は確証を得た。あれがきっと、先ほどまで生命反応があったという女性だろう。そしておそらく、あの女性はさっきの少女の母親に違いない。可哀想に。
「目的はやはりあの少女ですかね?」
「さぁな……。ただ何にせよこのままだと確実にあの娘は殺されそうだ。かなり殺気立ってる」
これと言って慌てるような様子がなく、大きな動きがないところから、もっと余裕があって冷静な闇法師かと思いきや全くそんなことはないらしい。
冷静な闇法師は周囲に注意を払い、正しく冷静な判断を下すため厄介だが、それ以外の、いわゆる一般的な闇法師はその逆なので扱いも容易い。
「なんてことを言ってたら、もう来たな」
部屋の扉が開き、闇法師の背中越しに顔面蒼白の少女が見えた。
タイミングなら、今が最高だ。
「俺が闇法師を征伐したら入ってこい。あぁ、それからもう一つ。透化装置の電源は落としとけよ」
俺は法剣で、大きな窓を十字に切る。水に刃を通したかのような、切った感覚のない感覚を味わう間もなく、それを剣の柄で思い切り打ち割った。切り込みの入った窓ガラスはあっけなく全壊し、外から中への侵入を遮るものはもうこれで無くなる。
闇法師は、黒刃の剣を少女の頭上に振り上げたところで、この大きな物音に反応した。しかし闇法師が完全に振り向き終える前に、俺は一瞬で間合いを詰め、その心臓を銀刃で貫く。
「やっぱり、その娘が目的か」
俺が静かにそう言うと、闇法師は苦し気な薄ら笑みを浮かべる。
「この程度で……、救った気になる
……なよ、聖法騎士……」
「なに?」
「オレ達から、いや……デストトリス様の手からは……何があろうと絶対に、逃げられない」
そこまで言って、闇法師は絶命した。砂のような、煙のようなものとなって、目の前から姿も形も残さず完全に消滅した。
俺は剣を元の球体に戻し、怯えきった少女に手を差しのべる。
「大丈夫か?」