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秋泉媛奏

こんな時、折り畳み傘を鞄に常備しておいてつくづく良かったと思う。

雨に比べれば、であるが、雪なんて傘を差す必要もない天候だろう。しかし周りの人達が差している中で、自分だけ頭に雪を積もらせていく様はあまりよろしくないわけで、差さざるを得ない。

私は、あいにく傘の持ち合わせが無かった汐理と相合(あいあ)い傘をしながら、少し湿った雪路(ゆきじ)を踏みしめ、帰路(きろ)()いていた。

閑静な住宅街は一層静かで、柔らかく吹く冷たい風に(あい)まって、密着する汐理の暖かみが身に染みる。

「何年ぶりだろうなー、相合い傘なんてするの」

他愛もない話をしている中で、何の前触れもなく汐理が、傘の中から天を仰いで独言する。

「中学じゃしなかったし、小学生……、低学年くらいだったかなー」

「男か女か、そこが重要」

「たぶん男子だったな」

「………………」

生まれてこのかた17年、異性と相合い傘の一つもしたことのない私に見せ付けるかのごとく、その豊満な胸を張って語調を強める汐理。

「……ひめ?」

「リア充ハ敵ダー」

「リア充って……。小学生だよ?小学生」

「男子ト相合イ傘シタコトナイ私ニ謝レー」

「悪かった悪かった。だからその棒読み口調やめよう?」

「…………はぁ」

私は白い溜め息を1つついて、呟く。

「出会いが欲しい」

「……切実だねー」

高校2年も終わりに近付き、いよいよ3年生。受験だなんだと忙しい年なのに、高校生でいられる最後の年でもある。入学前に抱いた(はな)の高校生活はどこへやら、やりたいことはたくさんあるのにその期限も残り数えるほどとなってしまった。

落ち込みに下がった頭をあげて前を見れば、正面には汐理の家が伺える。裏庭には汐理のお父さんが仕事で使う大きなトラックが停めてあるが、そのトラックは正面からは見えないので、パッと見はこれと言って特徴のない、戸建(こだ)て住宅だ。

大体の形は覚えているが、この大きな路地の突き当たりという立地でなければ、どれが汐理の家かと辺りの住宅街を彷徨(うろ)いて探し回っているくらいごく一般的な家である。

まぁ、かく言う私の家だって、何か特徴があるというわけでもないけれど。

「……今日、あのお二人は?」

この路地を通る時、私はいつもこの質問を汐理にしている。当初はちゃんとご両親なんて言っていたが、今ではすっかりこれで通じる。

「……仕事が休みとか言って、今朝は二人とも居た。まぁだからこそ、夜は出掛けるかも」

「……ラブラブ夫婦 様様(さまさま)だね」

「ただの馬鹿親だよー、あんなん。良い年して節操(せっそう)なくイチャイチャイチャイチャと……。まぁなんか間違って居たとしてもいつも通り気にしなくていいからねー、ひめ」

「うん……」

友達の家に遊びに行く時、どちらかと言えばその友達の両親はいない方が何となく良いと思うのはきっと私だけではないだろうと、私は勝手に思っているのだが、汐理の両親はその理由がハッキリしている。

具体的に言えば、私と汐理で汐理の部屋にいた時、隣の寝室から断続的なベッドの軋音(あつおん)が聞こえた時は居たたまれないどころの話じゃなかった。

さすがにそれは以降一度も無くなったが、事ある(ごと)にキス、ハグを乱発し、新婚三日目かと思うくらいに惚気(のろけ)(さま)は気恥ずかしくて、見ていられない。

こう言った理由で私は、汐理の家に行くときには毎回両親の存有存無を確認し、出来れば居ないことを祈っているのであった。

「……5日ぶりだなー」

藤名(ふじな)家の門を抜け、玄関ポーチにさしかったところで私は呟く。

「あれ、そんなもんだっけ?」

玄関扉の取っ手に手をかけたまま、汐理がそれに返答した。

「一週間くらい前の気がしたんだけど」

「この前やったばっか、って教室で言わなかったっけ?」

「そこら辺のさじ加減はなー……」

語末を濁して、汐理が「ただいまー」と言って玄関に上がっていく後ろを付いて、

「お邪魔します」

無意識に滑り出てくる常套(じょうとう)句を言いながら、藤名家に足を踏み入れる。


────しかしそこで私は、ふと違和感に気付いた。

言い様のない、違和感に。寒いものが背筋を走る。

なんだろうか、この鉄錆(てつさび)のような鼻を差す臭いは……。


汐理も何か気付いたようで、動きを止めている。

私も汐理も霊感はない。だから恐らくそういう(たぐ)いのものではないのだろうけれど、何かそれよりも(たち)の悪いものな気がする。

もっと何か、得体の知れない────

「…………汐理?」

けれど、あまりに汐理がその場を動かないので、私は思わず彼女の名を呼んだ。その背中しか見えない私の視界では、なぜ汐理が固まってしまっているのか、その理由(わけ)が分からない。

が、


「……なに、あれ」


汐理のほんの小さなその(ささや)きも、周りがあまりに静か過ぎて聞き逃しはしなかった。汐理の肩を越えて、私は彼女が見ている景色と同じ景色を、視界にいれる。

「……………?」

汐理の家は、玄関からリビングまで直線の廊下で結ばれている。無論、廊下とリビングの境には扉があり、その扉は木の枠に曇りガラスが嵌め込まれいるため中の様子を薄っすらと見ることが出来る。

端的に言ってしまえば、玄関からリビングの中を、曇りガラス越しに見られるのだ。


けれど今、それは出来なくなってしまっている。


なぜか。


振り撒かれたようにべっとりと、赤黒い液体らしきものが曇りガラスに張り付いていたからだ。


昼間とはいえ天候は雪。外でも決して明るいとは言えない中で、この家は何故か電気が消えていて暗い。

これだけでも異常なのにその光景があることで、明らかにこの家で非日常的な何かが起きたことは、はっきりとしている。

「……今日はいるんだよね、二人とも」

「………………そのはず、なんだけど 」

家に二人もいて、物音一つしないなんてことがあるだろうか?ましてやあの鴛鴦(おしどり)夫婦が二人揃って無言でいられるわけがない。

「もう出掛けた……とか?」

「鍵……かかってなかったのに……?」

「…………………」

では、この静けさの中に二人ともいると言うのだろうか。どう耳を傾けても物音一つしないこの空間に、人が。

「とにかく、行こう……」

靴を脱ぎ、汐理が先陣を切る。私は汐理の肩をがっちりと掴みながらその後に続いた。ゆっくり、()り足で進む。

この廊下だって私は何度も行き来しているが、こんなに長く感じたことはない。

扉の前まで来ると、曇りガラスの液体は扉の内側に付いてることがよくわかった。上から3分の2くらいはそれで覆われており、中の様子は完全に分からない。

と同時に、この液体の正体も観取した。


これは、血だ。

間違いなく。

この独特な色気、扉を越えて鼻を差す鉄錆の臭い。これに適合するのは、血液以外に思い当たらない。


私は生まれて()(かた)17年、血の気が引くという意味をよくわからなかったけれど、たった今はっきりとわかった。この全身の力が抜ける感覚、溢れだす脂汗、薄れ行く現実意識、これが血の気が引くと言うことなのだろう。

恐らく汐理も気付いたようで、わずかに肩が震えている。

そして次の瞬間。

沸き上がる衝動を爆発させるかのようにして勢いよく。

汐理は私の手を振り払い、扉に手をかけ、それを開けた。

リビングの中もやはり、電気は消えていた。ただリビングには大きな窓があり、外のわずかな光も最大限に採り入れるので廊下よりかは明るく、その全体がよく見える。


地獄絵図。


それが、今日私が藤名家のリビングを見て一番最初に感じたことだった。

床に広がる血溜まり、壁に飛び散った血飛沫(ちしぶき)、天井から滴る血液────。


その中に横たわる、二人の人間。

苦しみの形相を浮かべたまま固まって、血色のない身体は一つがうつ伏せ、一つが仰向け。


出来れば見間違えであって欲しかった。けれど見間違えるはずもない。正真正銘、それは汐理のお父さんとお母さんであった。

血溜まりの上で立ち尽くしていた汐理は、人形のようにその場で力なく、崩れ落ちる。


言葉を失った。悲鳴も出ない。

私は、

私達は、

殺人現場を目撃してしまったのだ。


私の位置からは、汐理の顔は伺えない。けれど自分の両親が死に、その遺体が目の前に転がっていても、彼女は泣きも喚きもしない。ただしゃがみこんで、かつて自分の両親だった二人の遺体を呆然と見つめるだけのようだった。

その、刹那。


「やはりヴォルフィーラ様の(おっしゃ)る通りだ」


その声は、不意に聞こえた。

私は下に向けていた目線を上に上げる。

そこには、全身を黒いマントのようなもので覆い、黒い刃の剣と赤い瞳を持つ男が立っていた。

さっきまで居なかったのが、確かにそこに。音もなく、私達の前に現れた。

刃からは、赤い液体が滴っている。それを血だと認識するのには1秒とかからなかった。その認識が出来た時点で、この男の正体もハッキリ分かる。

この男が、汐理の両親を殺した犯人だ。

それを理解した瞬間、私の足は釘で地に打ち付けられたように動かなくなってしまった。

男は、ゆっくりと歩き出すと汐理の前で立ち止まる。そして剣を振りかざす。

「っ!?、やめ────」

私が制止の声をあげたときにはもう、汐理の身体は肩のところから大きく裂けていた。

締まりの無くなった蛇口から出る水のように止めどなく流れる生暖かい汐理の血が、私の足元まできて靴下に染み込んでいく。

男はその様子に目もくれず、赤い瞳を私に向けて、短くこう言った。


「お前が、そうか」


それが、何を示すのかは分からない。

分からないが、私は死を覚悟した。

殺される。


そう思った瞬間、私は走り出していた。

藤名家をあっという間に飛び出し、雪の舞う寒空の下、白い地面に赤い足跡を残しながら、肌に叩きつけられる冷気をものともせず、ただただ走った。

警察に行けば良いのだろうか。しかし警察署はおろか交番さえどこにあるのか分からない私が知っているわけない。

通報しようにも、携帯は鞄の中だ。

────しかし鞄は、藤名家に置いてきてしまった。

もうあとは、自分の家しか逃げ場はない。家に帰って、お母さんに通報してもらおう。

幸いな事にも汐理の家と私の家は近い。徒歩7分の距離だ。振り向いて見てもあの男の姿は見えないし、並の持久力しかない私でも疲れ果てる前には家に着けるだろう。

私は走った。ただ、ひたすらに。おかげで最短ルートから逸れてしまったが、今更引き返せるわけがなく、とにかく脚を前へ前へと進めた。閑静な住宅街の中を一人、息を荒げて走る。


どれだけ進んでも人一人いないのは、雪のせいなのだろうか。ここの辺を歩くと必ずと言っていいほど聞こえる子供のはしゃぎ声や犬の鳴き声はちっとも聞こえないし、どこまで行っても足跡一つ見当たらない。これには少し違和感を覚えたが、それを推考する余裕はなかった。


冷気に当てられ過ぎた肌の感覚が完全に無くなった頃、私は無事自分の家に辿り着いた。靴下で雪道を走ったが為に指が取れそうなくらい痛い。剥き出しだった耳も限界まで冷えたせいで頭痛がする。

玄関に、鍵は掛かっていなかった。走ってきた勢いを殺さず(ドア)を開け、家に入ってからすぐに振り向いて鍵を締める。

(ドア)に寄っ掛かりながら私は呼吸を整えつつ、大きく息を吐いた。

もう大丈夫だ。ここまでくれば安心だろう。

呼吸を少し整えてから、私は廊下を駆けてリビングの扉を開ける。

「お母さっ……」

リビングには、誰も居なかった。台所の方も覗くが、居ない。どちらにも居ないとなると、トイレだろうか。

「お母さーん……?」

なぜか大きな声を出すのを(おく)してしまい、普段の声で家のどこかにいるであろう母を呼ぶも、返事はない。


嫌な予感がした。


私は2階に上がり、階段を上がってすぐ左の、母の部屋の扉に耳を押し付ける。

物音は、ない。嫌なほど静かだ。

耳を離し、ゆっくりと扉を開けた。

中は、特に何かが荒れていると言うわけでもなく、相変わらずの簡素さだった。

しかし、母の姿はない。

リビングにも台所にも部屋にもいないとなると、あとはやはりトイレくらいしか思い付かない。

1階のトイレは階段の脇にあるので、2階に来るときに確かめてある。電気がついておらず、鍵もかかっていなかったので誰もいないと断じていいはずだ。

2階のトイレは、母の部屋の反対側、(すなわ)ち階段を上がって右にあり、母の部屋を出ればすぐにわかる。

私は後ろに首を向け、確認する。

電気は、付いていなかった。鍵が掛かっていれば取っ手の所に赤いマークが出るのだが、そこに表示されているのは青マーク、つまり鍵は掛かっていないことが示されていた。

母の部屋の扉を後ろ手に閉め、確認の為にトイレの扉をゆっくりと軽く2回、ノックする。応答はない。念には念をと、開けて確めるが、やはり母の姿はなかった。

まさか鍵を開けたまま出掛けたりするわけはないから、この家のどこかにいるのは間違いないはずなのだが、可能性のあるとこは全てこの目で確かめたし、もう検討がつかない。


しかし、その時。


ドスッ、という、何か重く柔らかいものが落ちたような鈍い音が、この静かな家の中に響いた。


きっと1階にいたら、その音源は分からなかっただろう。しかし2階にいた私は、その音源が2階にあることも、2階のどこから聞こえたかもはっきりと分かった。分かってしまった。

音源は、このトイレより右、物置と父の部屋を隔てた先の、階段から一番遠い8畳ほどの部屋。


それは確かに、私の部屋からだった。紛うことなく、私の部屋からだ。


緊張が、頂点に達した。いつ口から心臓が飛び出してもおかしくない。

私は極限まで息を殺し、足音を消して自室を目指した。10年以上住んでいて、この廊下をこんなに長く感じたことはない。

階段を上がってから5秒で辿り着く部屋に、私はざっと20秒かけて辿り着いた。

私はドアノブに手を掛ける。再び静寂に帰った家の中で、ただ繰り返される私の呼吸が(うるさ)い。

深い呼吸を一つして、扉を開けた。


そこには、あの男がいた。

汐理の家で見た、全身黒装束に黒刃の剣と赤瞳を持つ男。扉が開かれたことに気付いて、こちらに振り向く。


その、奥。

クローゼットの前に、母はいた。横になって倒れ、目は硬く閉ざされて、肌からは血色が無くなっている。

そして、腹部から今も湧き出るようにで続ける赤い液体が、母の死を明確にしていた。

なぜ母が私の部屋に、と思ったが、簡単だ。この男から逃げようとして、この家の一番奥である私の部屋まで追い詰められたのだろう。

けれどその真相は、もう一度として明らかには出来ない。

母は、この男に殺されたのだ。


男は私を見るとニヤリと笑い、剣に付いた血を振り払って、ゆっくりと一歩を踏んだ。


私は脚がすくんで、立っていることすら危なく、ただ後ろに下がることしかできなかった。

男はあっという間に距離を詰め、言った。

「悪いなお嬢ちゃん。俺達ゼレルの為に、犠牲になってくれてよ」

刹那、剣が振り上げられる。

私は固く、目を瞑った。


「ッぐァ……!」

その声と同時に、なにか生暖かい液体が私の顔に飛んできた。

目を開くと、あの男は消えていた。


代わりにいたのは、蒼い瞳に金と紺の服を着た、銀刃の剣を持つ男性だった。


その顔には、見覚えがある。

会ったことは決してないと分かるのに。


ああ、そうだ。確か、今朝の不可解な夢に出てきた。


名前は確か────────

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