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大浴場

浴場が城の外れにあるとは聞いたが、20分以上も歩くとは聞いていなかった。

本当に端から端まで歩いたため、普段から運動しない私はもう脚が痛くて仕方がない。ティアラさんも私とさほど状況が変わらないようで、到着してから脚に手を当てて小さく呻いている。しかし一方でヘレナさんだけは平然としており、息一つ荒げていない。


「……情けないわね貴女達」


そんな私達を、同情さえ感じるような口調でヘレナさんが呆れる。


「仮にも10代でしょう」


「最近、筋力が衰えちゃって……」


掠れた声でティアラさんが答えた。


「まったく、これだから温室育ちのお嬢様は。ほら、いつまでもへばってないで行くわよ」


「はい……」


スタスタ行ってしまうヘレナさんに代わって、私はティアラさんに手を貸しながらそのあとに続く。


城の廊下全体が毛の短い絨毯だったのに対し、浴場の脱衣所は大理石だった。無駄に高い天井、無駄に高そうな装飾が各所に施され、5つほど水平に並んだ洗面台の鏡は金で縁取られている。浴場という単語で、なんとなく銭湯を想像していたがこの作りはどちらかといえばヨーロッパ風だ。まぁ、ヨーロッパの浴場に行ったことはないけれど。


「ふぅ」


脱衣所に入るなり、ヘレナさんが脱ぎ出す。脱ぎ出すといってもシャツとかそんなラフなものではなく、部分的にプロテクターのような鎧が付いており、それを外す作業だった。外してそのまま下に落とすため、その度に床の大理石が割れそうな悲鳴をあげる。


「もうちょっと静かに脱ごうよ……」


なんて注意するティアラさんは、ずらりと並んだ棚の中の籠を一つ取り出し床に置くと、そこに静かに服を入れていった。もっともティアラさんは鎧のような物を付けていないので、音の鳴る要素がないのだが。

たぶんこれが正しい脱ぎ方なのだろう。それに倣って、私も制服を脱いでいく。ここで脱いだらもう2度とこの制服は着ないだろうな、なんてことを思いながら。


「……相変わらず成長しないわね」


いち早く下着姿になったヘレナさんが、露になったティアラさんの胸元を横目で見ながら呟く。


「う、うるさいな……」


「太るの気にして食事制限なんかしてたらいつまで経っても肥えないわよ、そこ」


かく言うヘレナさんは、言うだけあって胸が大きい。背は高いし脚は長いし胸はこの大きさだし、まるでモデルのようだ。生まれて初めて女体に見とれてしまった。


それに比べて私の身体のなんと貧相なことか。日本人故に、なんて言い訳はしたくないが、このちんちくりん具合だけは日本人だから、と言うことにしないと恥ずかしくて仕方がなかった。


「だって、ちょっと食べると真っ先にこっちが肥えちゃうんだもん」


インナー1枚姿のティアラさんが、自分のお腹を擦りながら小さく反論する。


「食べると全部ここに流れる私にはよく分からないわね」


言いながらティアラの前に回ると、その豊満な胸でティアラさんの顔を挟んだ。


「わっ?!」


「あとはもう揉み(しだ)いてもらうしかないんじゃない?揉み拉いてもらえる男がいるならの話だけれど」


「もういいよこのままでも……」


ヘレナさんを払いのけると、ティアラさんはこちらに視線を向けた。


「な、なんですか?」


「……媛奏(ひめか)ちゃんも私と同じくらいだね」


ブレザー、セーター、シャツと無意識下で流れるように脱いでいった私は、気付くと上半身下着姿になっていた。

露になった申し訳程度の私の谷間にティアラの視線は落ちている。


「え?いや、ティアラさんの方が大きいですよ、全然」


「いやいや媛奏ちゃんの方が」


「私からしたら団栗の背比べね」


酷なその一言で、私達は完全に言葉を失ってしまった。


「くだらない傷の舐め合いしてないで、さっさと入るわよ」


いつの間にか下着まで脱ぎ終えたヘレナさんはタオル1枚を手に、しかしどこを隠すこともなく、籠棚の先にある浴場の方へと向かった。


「……何食べたらあんなにいいスタイルになるんですかね」


モデルの後ろ姿と言われて疑う余地のないプロポーションに見蕩れて、素直な本音が漏れる。


「確実に私達より不摂生な食生活送ってるはずなんだけどなぁ……」


「あれで、ですか?」


「好きなものを好きなだけ食べてるよ、いつも」


それであのプロポーションとは、まったく世の中不平等だ。

食べなきゃどこも肥えないのは分かっているが、食べたら肥えて欲しくないところが肥えてしまう。人間上手く出来ていないものである。


「じゃあ、私達も行こうか」


「あ、はい」


いつの間にかティアラさんは全て脱ぎ終え、バスタオルを身体に巻き終えていた。

ぼうっとしていた私は急いで下を脱ぐと、お風呂セットをあけてバスタオルを取り出す。それをぐるりと身体に巻き付けて、シャンプー、リンス、ボディーソープの入った桶を抱え、少し先を行ったティアラさんの横まで駆けた。


どう見ても浴場には相応しくない、重厚感のある扉をティアラさんが開けると、予想以上の明るさが私の目を眩ませる。


中は奥に長い長方形になっており、床と壁は灰色の切石が並べられ、絵画が施された半円ドーム形の天井からはガラスで抜かれたその絵の月やら星やら太陽から外の光が差し込んでいる。手前には鏡付きのシャワーが左右で5つずつあり、その先に石縁に囲まれた円形の湯船、一番奥の壁一面に淡いステンドグラスが嵌め込んであった。


既にヘレナさんはその右側一番奥のシャワーの前に座って、手にシャンプーを落としている。雰囲気の割には妙にそそっかしい。そんなに急ぐ用事でもあるのだろうか。

ティアラさんがヘレナさんと一つ空けて座ったので、私はティアラさんと一つ空けた一番端に座る。

すると、


「ちょっと、なに1コ空けてるのよ」


髪を洗う手を止めて、こちらを睨むヘレナさん。


「隣に来なさい隣に」


「せっかく3人しか居ないんだから広く使おうよ」


「せっかく3人で来たんだからこそ仲良く並ぶべきでしょ。これじゃ3人別々で来たのと変わりないわ」


そう言うと、


「ちょっと媛奏」


何の前触れもなく、いきなり呼ばれた。


「は、はい?」


「ここに来なさいここに」


自分とティアラさんの間にある風呂椅子をポンポン叩きながら、ヘレナさんはそんなことを言った。そこまでして3人並ぶ意味が果たしてあるのかは分からないが、


「あ、はい……」


私には従う以外の選択肢が無かった。

解きかけていたバスタオルを巻き直し、桶を持って二人の間に座る。

すると満足したのか、ヘレナさんは何も言わずにまた髪を洗う手を動かし始めた。

なんだか猫みたいな人だ。


「ごめんね、媛奏ちゃん」


ヘレナさんに振り回された私を、ティアラさんが謝罪で労う。


「いえ、全然……」


「怒ると面倒だから、とりあえず従ってあげてね」


「丸聞こえなんだけど」


洗う手は止めないまま、再びこちらを睨むヘレナさん。

それを、巻き付けたバスタオルを解きながらティアラさんがあしらう。


「聞こえるように言ってるの」


「まるで私の性格に難があるみたいじゃない」


「みたいじゃないからね」


ヘレナさんの方は一切見ずに、シャンプーで髪を洗い始めるティアラさん。私もそれに続いて、なぜか慎重な手つきになってシャンプーを手に落として髪を洗う。


「なによ、今日はえらくツンツンしてるじゃない。胸を馬鹿にされて怒ってるの?」


「怒ってないよ。ストレスは成長の妨げになるって言うし」


「可哀想に……。気にしてるのね」


「気に……っ!、は、してるよ……」


「まぁ、ハッキリ言ってこの成長期に成長しないならもう望み薄ね。しばらく変化ないなら尚更」


(とど)めとばかりに放たれたその言葉に、ティアラさんはすっかりしょげてしまった。もちろん、私も。

湯気に包まれた室内が、一瞬で静かに冷めた。湯船に流れ落ちる源泉 (らしきもの)の水音だけが響く。


そんな中、シャンプーを流してリンスを髪に塗り込むヘレナさんが口火を切った。


「……あ、そうだ」


私とティアラさんの視線が左に向く。


「今日みんな、学校戻るわよね?」


私に向けられた言葉でないことはなんとなく察したため、私は引き続き髪を洗う。

そして、やはりそれにはティアラさんが言葉を返す。


「うん、今夜発つってランディールが言ってたけど……」


「私、少しやることあるから今夜はパスするわ」


「え?」


ティアラさんの手が止まる。


「一緒に行かないの?」


「ええ。そっちに行けるのは明日の夜になるわね」


「そ、そう……。わかった……」


忘れていたが、彼女達は高校生だ。学生をやりながらこっちの職もこなすなんて大変そうだなぁと程度の低い感想を持ったが、時に私も、かつては現役の女子高校生だった。今やただのニートだが。


「……あ、そういえば」


今度はティアラさん。


「媛奏ちゃん、学校はどうするの?」


しかし、その話の方向はヘレナさんではなく、私に向いていた。

洗う手を止めて、思考を巡らせる。

私だってニートは嫌だし、何より最終学歴が高校中退なんて恥ずかしい。けれど一方で、私がこの世界の高校に編入したところでその学習内容に付いて行けるのかは甚だ疑問だ。

学校には進度と言うものがある。小学校、中学校ではほとんど変わらないとしても高校となると日本国内でも多少バラつきがある。さらにそれを地球規模で見れば、バラつきというかほとんど違うことだってある。それが地球外ともなれば、もう全く違うだろう。

そもそも学校に行く意味とはなんだ。将来の為だとすれば、今の私の将来はどうなっているのだ。このまま死ぬまで騎士団城(ここ)に置いてもらえないとすれば、就職する以外に自力で生きる術はない。だとすれば、学校には行くべきなんだろうか。


「……どう……したらいいんですかね」


しかし、いくら考えたところで結論はでず。結局私は右を向いてティアラさんに助けを求めた。


「えーと……、行くとしたら編入、になるんだよね?」


丸投げの質問を受け止めきれなかったティアラさんは、それをヘレナさんに流す。


「……貴女の住んでいた日本と違って聖法銀河帝国は高校まで義務教育だから、小学校からの教育課程を修めていないと高校には入れないわよ」


しかし、ヘレナさんから放たれた言葉は、真っ直ぐ私を突き刺さした。学校どうこう以前に、そもそも通えないというのだ。


「……じゃあ、もし通うとすれば、小学校から……?」


「幼稚園からよ」


この歳にして幼稚園年少組からやり直すとは、精神的に来るものがある。


「けど、漏れなく全てがそうと言うわけではないのよ」


話はそれで終わらなかった。無意識下で動かしていた手が止まり、反射的にヘレナさんの方に顔が向く。


「聖法銀河帝国の学校は大きく帝国立と王国立の2つに分かれているのだけど、帝国立というのは要するに聖法銀河帝国が設置している学校のことで、当然国の定める法律に従い遵守しているの。それに対して王国立はそれぞれの惑星に存在する一国家、私達の通う学校で言えば惑星ヴェレティスのスフィンデルトという王国が設置する学校なわけ。つまり王国立の学校は王国が定める法律に従うのよ。その法律も王国によって様々で、帝国と全く同じ法律を定めるところもあれば全く異なる法律を定めるところもある。学校ごとに任せるなんて法律を定めるところもあるわ」


タオルにボディソープを染み込ませ、粗雑に自分の腕に擦り付けるヘレナさんは、淡々と話を続けた。


「一例を挙げるとすれば私達の通う学校が────まぁレイドリック聖法学院というのだけれど、レイドリックが属するスフィンデルト王国は、どちらかといえば年齢主義的なのよ。つまり学力に関係なく一定の年齢に達したら進級する形式ってこと。15歳の中学一年生はいないし20歳の高校一年生もいない。当然、17歳の小学一年生もいないわ。ただし、小学校にも中学校にも高校にも、入学試験及び卒業試験が存在する。これに合格出来なければ希望する学校には入れないし、どの学校からも合格判定が貰えなければそう言う人達が一括りに集められた『基礎教育修得大学校』に入ることになる。そこでいい成績を修められれば普通の学校に進学できるけれど、最終的に基修校12年生になっても卒業判定がもらえなければ『バランズィナ』になって生涯奉仕活動ね」


「バランズィナ……?」


「奉仕する者と書いて、奉仕者(バランズィナ)。ゴミの回収とか公共施設の清掃とか、その類いね。働く以外は専用の施設で食事して風呂に入って寝る、これを生涯繰り返すのよ」


話が逸れたわね、とヘレナさん。


「要するに、学校に通いたければ王国立の学校、その中でも課程主義ではなく年齢主義の法律を定める王国の学校に行くことをお勧めするわ。もちろん、学力が伴っていることが前提だけれど」


最後に大きな釘を刺してから、ボディソープまみれになった身体をシャワーで流していく。

私は尋ねた。


「じゃあ、皆さんが通うレイドリック聖法学院に、私は……」


「残念ながらそれは無理ね」


湯船に浸かるためか、手首に付けていたゴムで長い髪を結って、頭上に巻き上げるヘレナさんは、全く言葉を濁すことなくきっぱり言い切った。


「レイドリックは名前にもある通り聖法師(アレス)をより強力な聖法師に養育するための学校よ。それも入学時点で人並み以上の力を有した聖法師の、ね。貴女は……まぁ聖法は使えるようだけれど、それではとてもレイドリックのレベルには達していないわ」


あわよくばこの人達と同じ学校に行きたいという切な願いは、その言葉の前に儚く散った。

当たり前だ、地球での知識しか持ち合わせていない私がこの人達と同じ教室で同じ内容を学んだところで得られるものには天と地の差がある。そもそも入学試験を受けて合格するということはこの人達と同じ又はそれ以上の知識、力量を持っているということだ。どう考えても、そんなわけはない。


「だ、大丈夫大丈夫!媛奏(ひめか)ちゃんならすぐに友達できるよ!」


私がもっとも懸念していたことを、横からティアラさんが励ます。


「あら、そんなことを気にしていたの?」


それを、薄ら笑みでヘレナさんが一蹴する。


「友達なら大丈夫よ。元地球人っていうだけで嫌と言うほどみんな興味津々に寄ってくるから。その中から好きに選りすぐりなさい」


嫌なことを聞いてしまった。

まぁしかし、今の私をアピールできるものが元地球人ということ以外に無いのは事実であるし、例えヘレナさんが言ったようにならなくてもいずれ自分からいくだろう。


「いずれにせよ、学校に行きたいのならランディールに相談すると良いわ。あとはアイツが全部やってくれるから」


ヘレナさんは一足早く湯船に浸かると、ふぅと息を抜いたきり一言も発さずピクリとも動かなくなった。白く細い首に、うなじのほつれ髪が妙に官能的だ。


「……まだ新学期始まったばかりで、入学にしても編入にしても時間ならたくさんあるからゆっくり考えて大丈夫だよ」


いつの間にか髪を洗い終え、タオルにボディーソープを染み込ませながらティアラさんが柔らかく微笑む。


「はい……」


新学期ということは、あと半年ないし一年の間に判断を下せということだろう。明日までに決めろというよりは遥かにマシだが、最低でも半年待つのはさすがに長すぎる気もする。


「今後の人生を左右することよ、嫌でもじっくり考えなさい。騎士団は貴女を追い出したりはしないけど死ぬまで寝て起きて食って寝るだけの生活は、したくないでしょ?」


ヘレナさんがこちらを見ることもなく、そのままの姿勢でいう。

それは、至極最もだ。私は身体を洗いながらそう感じた。

寝床と食が確保されているからと言って、私の今後が変わるわけではない。それでは動物園の動物と同じだ。変わるためには、現状の打開しかない。


「……と言うか、いつまで洗ってるのよ」


一人で全て先行してるヘレナさんは今さらそれに違和感を感じたらしく、私達に呆れ顔を向ける。


「ヘレナが早いの。ちょっと待ってて……」


私はほとんど洗い終わって、あとは全身の泡をシャワーで流すだけだったがティアラさんはまだタオルにボディーソープを落としたところで、身体を洗うにすら至っていない。


「トロいわねぇ……」


向けていた背中を反対にし、湯槽の石縁に腕をつくヘレナさん。そのまま、落ち着いた表情で瞳が閉じた。


「……なんか、自由な人ですね」


湯槽まではそれなりに距離があったが、反響する可能性を考えて、私は小声で呟いた。


「猫みたいでしょ?」


ティアラさんが笑う。


「同じこと思いました」


つられて私も笑った。

頬にピリッとした微弱な痛みが走ったのは、口角を上げて笑ったのが久しぶりだったからだろうか。


「ホントにマイペースで困っちゃうよ。悪いコじゃないんだけど……」


ティアラさんの呟きに、しかし今度は聞こえていないのか聞こえて敢えてかヘレナさんは何も言わない。


一足先に私はシャワーで全身の泡を流し終え、タオルを濯いだ。身体を洗うティアラさんの手はあまり速くなく、まだ上半身も洗いきってはいないようだ。ティアラさんの性格なら、ぼうっと待っていると『先に入っていいよ』と言われるに決まっているし、それで先に入るのはなんだか忍びない。私は意味もなくタオルを濯ぎ続けた。

その時、


「あ、ティアラぁ」


突然聞こえたその声に、二人揃って肩がビクリと動く。

ヘレナさんがその伏した姿勢を変えることなく、ティアラさんを呼んだのだ。


「な、なに……?」


それに答える声は、妙に怯えていた。


「出発前に私の部屋寄ってくれない?渡しておきたいものがあるから」


けれどその内容は、さっきの会話に対してではなかった。ティアラさんもそれに安心したのか、止まっていた手が再び動く。


「渡しておきたいもの?」


「聖法理論のレポートと銀河海理学の課題」


「……それ、提出期限先週末じゃなかったっけ」


「私には特別措置が施されているのよ」


そういうわけで代わりに提出よろしく、と言い残してまた閉じるヘレナさんの眼。


「絶対ないよそんなの……。それで先生のお小言聞くの私なんだからね?」


「逆の立場になったときはちゃんとやってあげるから。恩は売っといて損ないわよ」


「……都合のいいことばっかり」


膨れっ面のティアラさんは足先まで洗い終えて、ようやくシャワーでその泡を流した。私は、意味もなく濯ぎ続けたタオルを桶から取り出し、絞る。


「あ、ごめんね媛奏(ひめか)ちゃん、待ってもらっちゃって……」


「っ、いえ、全然!」


すっかり見透かされていた。

ティアラさんは手早くタオルを濯ぐと、絞って四つ折りにして、手首に着けたヘアゴムで柔らかい茶色の髪を結う。


私はそのゴムを忘れたことに今更気付いた上、そもそも地球を出たあの日は髪を結いていなかったために私用のヘアゴムは現在一つも持っていない。


なぜ私は、あの日に限って髪を結わなかったのだろうか。


自宅の湯船ならまだしも皆が利用する湯船に髪を浸けるのは忍びない。

私は髪を頭上に掻き上げて、手に持ったタオルで適当にそれをくるむ。今までにやったことのない芸当だったが、意外と安定して崩れ落ちて来ない。


ティアラさんが湯に脚を浸けるのを見計らって、私も湯船に脚を入れる。かなり湯だっているので熱そうに見えたが、実際湯に浸かるとそれほど熱くはなかった。するすると、全身を湯に浸す。


「ふぅ……ぅ……」


全身の力が抜けていく。同時にその絶妙な湯加減に鳥肌が立った。そしてそれに身を震わす私を見て、


「……おっさんみたいね」


と、なかなかショッキングなことを言うヘレナさん。しかし、確かにティアラさんはふぅと息は抜いたものの、あとは目をそっと瞑って静かに入浴していて、実に上品だ。


「ふ、普通ですよー……」


消え入る声で答えるも、なんの言い訳にもなっていなかった。


と、そこに。


「あれ、ティアラ?」


浴場の観音扉が開くような音が聞こえたかと思えば、そんな軽快な声が室内に響く。

3人の視線が、その声の主に集まった。


そこには、全裸にも関わらず、桶を小脇に抱えて仁王立ちをする短髪の女性がいた。女性と言っても、声色や顔立ち、肌の質感から推考して私達3人と同世代くらいだろうか。


「……あ、あとヘレナ、と……誰?」


艶やかな黒髪のその人は、湯煙で霞む私の姿に目を細めた。

恐らくティアラさんとヘレナさんの知り合いなのだろう、ヘレナさんは特にリアクションをしないがティアラさんは「あ、」と言って、


「カレン、もう戻ってたの?」


なんて、その人に尋ねた。カレンさんと言うらしい。


「なんか予想より早く決着付いちゃってね、1日早まった」


ティアラさんの問いに答えながら、カレンさんはずんずん私に近付く。

私は名を名乗るべきか迷ったが、今口を開くと二人の会話に割って入るようで切り出しにくい。前もこんな場面に何度か立ち会ったが、しかしその度に周りの人に助けられていては一向に成長がない。ここを皮切りに、と思ったが。


ずいっ、と。カレンさんの顔が私の顔に近付く。

それに驚いて私は開いた口から言葉が抜ける。

そして次には、


「あ、もしかしてランディールの言ってた地球(エラーテ)()?」


なんて、カレンさんの方から言ってくれた。私は、


「はい、そうです……」


としか、答えられなかった。


「えーと確か、秋泉(あきずみ)……媛奏(ひめか)、ちゃんだっけ?よろしくね、私はカレン・ヴァイツカート」


私に手を差しのべるカレンの顔は、ティアラさんの優しい笑顔とはまた違った、活気溢れる笑顔に満ちていた。


「よろしくお願いします」


湯から手を出し水気を払い、カレンさんの手を握る。


「聞いたの?この()のこと」


ここではじめてヘレナさんが口を開く。

カレンさんは私との握手を終えると、さっきまでヘレナさんが座っていた一番手前の風呂椅子に座り、


「こっちに帰ってくる途中でね。『聖真師(レヴォルガーレ)の仲間としてちゃんと伝えておくべきだと思って』だかなんだか」


喋りながらシャワーで髪を濡らして答えるカレンさん。次にはシャンプーを髪につけて、あっという間に泡立ててしまった。その手つきはヘレナさんより早い。


「じゃあもうエリオンも知っているのかしらね」


「多分。あ、でもアイツ今レジオンにいるから伝わってないかも」


「レジオン?」


「連邦帝国の原子兵器製造基地があるとこ。アイツ今侵攻中だから」


「あぁ……」


ヘレナさんとカレンさんが話始めると、ティアラさんは湯船縁の囲い石に頭を乗っけて「ふぅ」と息を抜いたまま固まる。湯の水面が低いため、仰け反る姿勢を取るとティアラさんの胸の谷間というか(はざま)が強調され、なんとも色っぽい。


「変なところ律儀だよね、ランディールって」


「律儀というより、責任感が強いんじゃないかしら。まぁそういう人が一人は居ないとね、組織として成り立たせる為には」


「まぁ、ね。ところで媛奏(ひめか)────あ、媛奏って呼んでいい?」


話の矛先はいきなりこちらに向いた。

いや、そもそもカレンさんは私に話し掛けていたのだから、どちらかと言えば軌道修正だ。


「あ、はい……いや、なんでも好きにどうぞ……」


私はカレンさんの方に顔も身体も向けたが、当のカレンさんはシャンプーを洗い流している最中だった。そんな状態でよく喋れるものだ。というかこちらの声は聞こえているのだろうか。


「じゃあ媛奏(ひめか)、ランディールからの伝言。『明日の夜に総帥と話があるから心の準備しておいてくれ』だってさ。……ランディールが明日の夜7時くらいには戻ってくるから、それ以降かな」


「話……ですか?」


「そ。具体的な内容は聞いてないけど、まぁ普通に今後どうするかってくらいだと思うよ」


カレンさんは話ながらも、身体を洗う手を動かし続ける。その動きに優雅さや丁寧さは全く無く、なんというか、作業のようだった。

とまで視界に入れて、遅れてカレンさんの言葉が頭に入る。


「学校とか……ですかね」


「それも一つかな。媛奏、聖法使えるんでしょ?その辺も聞かれるかも」


さっきヘレナさんも、私が聖法を使える(てい)で話を進めていたが、当の私自身がそれを全く自覚できていない。現に今聖法を使えと言われても困惑するだけだ。こんな状態で話をしろと言われても、……いや、だからこそか。私自身に聖法が使える自覚がないというこの話をすればいい。


「……聞かれたことに素直に答えればいいだけよ。そう身構えなくても大丈夫」


ヘレナさんが、私の強張った表情を読んでそう声を掛けてくれた。

その通りだ。なにも尋問ではない。私という人物を知るための話だ。何を身構える必要がある?聞かれたことに答えるだけ、それ以外は何もない。


「先、上がるわね」


ヘレナさんはカレンさんの入浴も待たずに、先に湯船から出た。


「もう?」


ティアラさんは顔を上げて、ヘレナさんを目で追う。


「熱さには弱いのよ、私」


その言葉を最後に、また大っぴらに身体を晒しながらヘレナさんは浴場を出ていった。


「……相変わらずマイペースだな」


濡れ髪をかきあげながら、カレンさん。


「一緒に入りたかったね」


肩に手で湯をかけながら、ティアラさん。


「別に。元々誰も居ないかと思って来たから。居ても居なくても一緒」


「そうかなあ……。3人揃ってなんて、滅多にないのに」


「そういうのが好きじゃないんでしょヘレナは。待って、もうちょっとで洗い終わるから」


二人の会話を耳に入れながら、縁に寄っ掛かってそっと目を瞑る。

溜まった疲れと心地よい湯加減に眠らぬよう気をつけながら、私はゆっくりと意識を薄れさせていった。


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