秋泉媛奏
私はよく、夢を見る。
『将来の』の方ではなく、
『睡眠中に見る』方の夢だ。
私ほど、寝る度毎回のように夢を見る人間も珍しいだろう。
部活は帰宅部、
バイトをやっているわけでもない。
疲れ果てることがほとんどないから眠りが浅くて、夢を見やすいのだろうなんて最初こそ思っていた。
が、文化祭や体育祭、友達と海へ遊びに行った時、
立つのが億劫になるほどくたくたに疲れて熟睡しても、私はその夜に夢を見た。
人間は『熟睡時、すなわちノンレム睡眠時にも夢は見るが、記憶できないから見てないように思える』らしい。
それを私は、記憶力が凄いとかそういう次元ではなく、人間の脳科学的に不可能なことを可能にしてしまった。
最初は、何か脳の病気かと疑った。
しかし起きている時は何でもないし、睡眠に関しても寝付けなかったり目覚めが悪かったりするわけじゃない。
害が無ければ何でも無いんだろうとそう決めつけて、今も医者には診せていない。
歳を重ねるに連れて見る回数が増える、その夢の内容は実に様々だ。
普段全く仲良くないクラスメイトと遊園地に行って仲良さげに言葉を交わす夢。
プライベートで会えるはずもない人気歌手と一緒にその人気歌手のライブを見に行った夢。
現実にあり得ると言えばあり得るものから、現実には絶対あり得ないものまで本当に様々である。
ただ、一様に様々と言っても、自分が知っているもののみが登場するという点では一貫している。
自分の脳内にある記憶が材料となって作られるのが夢なんだから当然と言えば当然だろう。
しかし───最近では特に───この一貫性を持たない夢を私はよく見るようになった。
つまり、自分が全く知らないものが登場する夢だ。
それも、不気味なマントを羽織った男の人達の剣戟だとか、
目に傷を負った男の人が女の人を殺す夢だとか、
黒い眼球に赤い虹彩の瞳を持つ男の人に私が首を締められる夢だとか、
物騒なものばかりだ。
よく言われているものに、『歯が抜ける夢は家族を失う前兆』だとか『空を飛ぶ夢は逃避願望の表れ』だとかがある。その類いだと括って良いだろうか
だとすれば一体何を表しているのかが疑問だが、生憎さっぱりわからない。
例え何を表していたとしても、
私は平和な日々を送れればそれで良いのだけれど。
◇───◇───◇───◇───◇───◇
カーテンを越えて窓から射し込む朝日、外から聞こえる鳥の囀さえずり。
────それらを上から塗り潰すかのごとく、けたたましく鳴り喚く携帯のアラームが私の目を覚ました。
12月も中旬、部屋の中とは言えど、もう外の冷気が窓を隔てて私の肌を差す。眠気より寒気が勝って、布団から出られない季節だ。部屋の暖 房を点ければそんなこともないだろうけれど、部屋が暖まるまでずっと布団の中で身を縮込ませていられるほどの時間は、学生身分の私にはない。
一先ず私は、全身を布団にくるんだままベッドから降り、窓際までのそのそ歩いてカーテンを開ける。
「っ………」
同時、目の奥が痛くなるほど眩しい光が視界を覆う。まるでカメラのフラッシュを目の前で焚かれたかのような衝撃にしばらく何も見えなかったが、やがてやんわりと治まっていく。半開きの眼が全開となって見えたのは、
「……………………」
全てが純白に覆われた世界だった。昨日までこの窓から見えた景色とは全く違う銀色に輝く世界。屋根も道路も線路も庭も、何もかもが雪化粧を施し、各々が持つ色を白に塗り替えられていた。
東京でこんなに雪が降るなんて何年ぶりだろうか。17歳にもなって、少し胸がときめく。
と、
「……?」
虫の羽音じみたものが聞こえて部屋の方に顔を向ければ、ベッドの上で放置された携帯が、バイブレータのみで私に着信を知らせていた。頭から布団を被ったまま、また私はベッドまで戻って着信────電話だった ────に応じる。画面には『藤名汐理』の文字。
私は先を読んで、少しイタズラを仕掛けてみたくなった。
「凄い雪積もってるね」
『ひめ!ちょっと外見てみ外!凄い雪積もってるから…………って、あれ?』
「読まれてやんのー」
モーニングコールにしては、まだまだ不十分だった。
『……なぜ分かったし』
「勘」
『適当だなぁ』
「電車動いてる?」
『私まだ部屋ん中だからわかんない』
「まじかー」
喋りながら、部屋の時計を見る。時刻は七時丁度を少し過ぎた辺り。家を出るまで30分を切っていた。少し、急ごう。
『動いてなかったらどうするん?』
「徒歩かなー。あーでも徒歩はちょいキツいなー」
布団をベッドの上に放り、携帯を右耳と右肩に挟んで、私はパジャマを脱ぐ。
「うお、寒っ」
『え?』
「あ、いや独り言」
半裸になっただけでより寒さを痛感した。クローゼット内のチェストから適当なブラジャーを引っ張り出し、身に付ける。
『はぁ……。て言うか今日、休校にならないかなぁ?』
「休校だったらもうこの時間には学校メール来てるんじゃない?」
『……私、それ登録してない』
「あ、そうだった。いい加減登録したら?」
付け終えたところで、次はクローゼットの左扉のハンガーにかかった制服に手を伸ばす。
『いやさぁ、それが面倒だからこうやってひめに電話してるわけよ。ひめが私の学校メール的な?』
「電話する方が面倒じゃない?」
胸ポケットに校章の入ったブラウスの袖に腕を通し、第一ボタンを除いた6つのボタンを上から順番に閉める。そのあと襟を立てて、学校指定のリボンをそこへ通し、襟を直して襟ボタンを留める。
「メールの方は登録だけしたらあとは勝手に来るわけだし」
『そんな情報社会の中で頑なに電話でコミュニケーションを取ろうとする健気な私の女子力偏差値は?』
「直接私の家に来て訊いていたら68」
続いてパジャマの下を脱ぎ、白のラインが横に入ったプリーツスカートを穿く。昨日穿き忘れて丸1日心身共にヒヤヒヤした為、忘れないようあらかじめ自室の椅子に掛けておいたホットパンツもその後から穿く。
『あ、その手があったか!』
「実行しないでよ?」
『え、駄目なの?』
「当たり前でしょ」
再びクローゼットへ向かい、次はチェストから一組、ハイソックスを取り出す。立ちながらは厳しいので、ベッドに腰掛け、それを履く。
「て言うか学校の有無が分かったんだから、そろそろ切っても良い?」
『え、いや、結局学校有る感じなん?』
「メールが来てないってことは通常通り有るってことでしょたぶん」
『えぇめんどくさぁ』
「文句は校長に言って。じゃ、学校でね」
『うぅい』
電話を切ってから再び携帯の画面を見るも、やはりメールは来ていない。新着メールを問い合わせても、出てくるのは『新着メールはありません』の文字だけだ。このメールシステムが存在する以上電話での連絡網がまわってくる訳もなし、本当に今日はいつも通りの通常授業だと諦めるしかない。
ベッドから立ち上がり、携帯をスカートのポケットにしまって、ハンガーにかかった紺色のセーターを引ったくって部屋を出た。後ろ手で扉を閉め、セーターを頭から被りながら階段を降りていく。
リビングへ行く前に、洗面所に寄った。顔を洗って、寝癖と静電気で無造作に乱れた黒髪に二、三、櫛を通し、整える。今日は結うか迷ったが、うなじを出すと寒そうなのでこのままにしておく。
鏡に映る自分と睨みあってから、
「……よし」
それだけ呟いて、リビングに歩みを進める。
「おはよう。もう焼けてるわよ」
リビングの扉を開けると同時、母の第一声がそれだった。しかし私のお弁当作りで忙しそうに動いていて、私には目も向けない。
既に四人用ダイニングテーブルの椅子に座って、テレビを凝視しながら食パンを頬張る父の斜め正面に座る。焼けたと言われた私の食パンと、その横に置かれていたミルクティーは父の隣に置かれていたが、自分のこの位置まで引っ張った。
何も手の施しがされていない、ただ焼いただけの食パンを好む人間で私はないので、テーブルの中央に置かれたマーマレードをそのパンに塗りたくって、
「いただきます」
オレンジの香り漂うパンを口につける。
父の凝視するテレビを見てみれば、ここ連日報道されている例の破壊事件だった。
『────の損壊に続き、今月11日にアメリカ・ペンシルバニア州のフィラデルフィア美術館の屋根が何者かによって大きく損傷していることが分かりました。アメリカでの一連の事件はこれで7ヶ所目で、全世界では計42ヵ所が被害にあっています。日本でも既に六本木ヒルズ、東京カテドラル聖マリア大聖堂、京都国立近代美術館、北海道庁旧本庁舎の4ヶ所で被害に────』
この事件のせいで最近、国連だか国際警察だかが中心となって、全ての国が常に警戒体制で物々しい雰囲気となっている。
普段あまり意識的にニュースを見ない私も、私以上に見ない人ですら事件の概要を覚えてしまうくらい、最近はこればかり報道されるようになった。世界史の先生が、「これは将来、世界史の教科書に載るくらい大変なことだ!」なんて興奮気味に言っていたが、たかが庶民の私にとっては至極どうでもいいことだった。世界中の様々な建物が破壊されたとしても自分の家までがその被害に会うわけでもなし、何だかんだで他人事でしかない。それより、いつまでこの厳戒体制の窮屈な世の中で過ごさなければならないかの方がよっぽど気掛かりだ。
「ふー……」
父が、深い溜め息をつく。「なんの溜め息?」なんて質問は、警察官の父にはするだけ愚問というものだろう。連日連夜の出勤による疲れに決まっているのだから。
「……………………」
「……………………」
テレビだけが喋り続け、私と父は無言。
娘として、疲れている父に何か労いの言葉をかけてあげるべきだろうか。
しかし、何て言えばいい?父との仲は別に険悪というわけでもないけれど、かといって良いわけでもない。普段から忙しい父と話す機会はこの朝の時間くらいしか無くて、だけどお互い無言というのをもう何ヵ月も繰り返している現状から、いきなり声かけしろと言われても厳しいものがある。
そうこうしているうちに、
「ごちそうさま」
早々に食事を終えた父は、自分の使用した皿とマグカップを持って席を立った。
やっと半分まで食べ終えたパンをくわえながら、気まずい雰囲気から逃れられた私は少し、胸を撫で下ろすのであった。
時刻は7時28分。朝食をのんびり食べていたので間に合わなくなると思い、そのあとの行程を全て急ぎで済ました結果むしろ2分ほど早くなってしまった。しかし、早い分には問題ないだろう。
3年間使っていくうちに丁度いいサイズになるだろうと予測して入学時に買うも、2年後期になった現在でもブカブカのままのローファーに足を滑り込ませ、
「行ってきまーす」
リビングにいる母に向けて、朝出せる最大の声を張る。
「行ってらっしゃい」
返事だけが返って、母は顔も見せないのであった。まぁ、もう馴れたことだが。
「……まかろーん」
今日もまた、いつものようにフランス発祥の洋菓子の名前を呼ぶと、白い毛並みのマルチーズこと我が家の愛犬『まかろん』が、玄関まで続く長い廊下を短い足で全力疾走して、私の足元までやって来た。
「んー!今日も可愛いなーまかちゃんはー」
相手は犬だが、私は猫なで声で愛犬持ち上げ、自分の鼻をまかろんの鼻に擦りつける。勿論まかろんは何も言わないが、尻尾がはち切れんばかりに左右しているところをみると嬉しいらしい。
「今日は雪だよ、ほら」
私は玄関の扉を開け、積もった雪の上にまかろんをそっと降ろす。しかし、
「おっ!とっと」
降ろした瞬間にまかろんは私に飛び付いて来た。
「あはは。肉球に雪は冷た過ぎたかなー?ごめんね」
うちの犬は、雪が降っても喜んで庭駆け回るタイプではなかったらしい。
飛びかかってきたまま抱き上げ、さっきまかろんを持ち上げところに再び降ろし、雪のように白い毛並みの頭を撫でる。
「じゃ、またあとでね」
その小さな頭に軽くキスをして、私は家をあとにした。