ティアラ・レーメル
インターホンを鳴らすも、中からの反応は無かった。
家庭用でもない簡素なものだから、インターホンと言っても来訪を知らせる呼び鈴的な機能しか存在しない。よって、それを介しての応対は出来ず、中で返事をしてから本人が直々に迎え入れる以外に来訪者に応対する手段はない。
が、待てど暮らせど媛奏の声は聞こえて来なかった。扉に耳を傾けても、声どころか物音一つしない。
「媛奏、入っていいか……?」
返事も、なし。
この部屋に送ったのはつい10分前だと言うのに、もう眠ってしまったのだろうか。
「……入るぞー」
無許可だが、致し方ない。
俺は扉を開けて、室内に脚を踏み入れる。
ソファーの上に脱ぎ捨てられたブレザー、入って左斜め正面の膨らんだベッド、そこから伸びる黒い髪。
媛奏はこちらに背を向けて、俺の侵入にも気付かないほど深く寝ているようだ。
照明が焚かれたままなのは、察するに一直線にベッドに飛び込んだからだろう。粗雑に放られたブレザーがその仮説を何より肯定している。
余程疲れていたようだ。
話なんかより真っ先に寝かせてあげれば良かった。
「……………………」
他人の寝顔を覗き込む趣味の悪さを自覚しつつ、好奇心に駆られて媛奏の顔を覗く。
媛奏はすぅすぅと寝息をたてて、静かに眠っている。
透けるように白い肌に、わずかに紅潮した頬。あまりしっかりと見たことなかったが、なかなか端麗な顔立ちをしている。この位置からは横顔しか見えないが、小さくも高い鼻が栄えて、良い絵になりそうだ。
と。
「ラン……ディール……?」
後ろからそんな声が聞こえた。
ドキリ……として、俺はゆっくりと振り向く。
開けっ放しの扉の向こうには、ティアラがいた。戸惑いの表情を浮かべて、その場に立ち尽くしている。
そうして初めて、自分が今置かれている状況の悪さを認識した。
後ろから見たら、他人の寝顔を覗く趣味の悪い男、というだけじゃない。少し腰を屈めていたため、ティアラからは──────
「……ご、ごめん。見ていないから……っ」
「っ!ちょ、ちょっと待て!」
手で口を覆いながら、その場から一目散に走り去るティアラを、慌てて追いかける。
どうも完全に勘違いされてしまった。
どこか足取りにふらつきのあるティアラに、俺はすぐに追い付き、彼女の手首を掴む。
「……ごめんなさい。その、覗くつもりはなかったんだけど、見えちゃって……」
俺が弁明しようとしたところでティアラに先手を打たれ、言い淀んでしまう。
「だ、大丈夫!誰にも言わないから!」
「いや全然大丈夫じゃねぇから……」
俺は大して上がってもいない息を荒げて、一間置いてから言葉を続ける。
「何を思ったか知らんが、別に、そういうんじゃない……」
言ってて、全く何の釈明にもなっていないことに気付く。
正直に話せば済むが、「顔を覗いていただけ」と言うのも些か問題発言だろう。
懸命に頭を回しながら、俺は論点をずらして答える。
「ただ、その……ヘレナに言われたことが気になって、様子を見に来ただけだ」
思ったよりそれらしい言葉を紡げた。
ティアラは、右へ左へさ迷わせていた視線を俺に合わせて、
「そ、そっか……」
と言って、再び目を逸らす。
「ご、ごめん。勘違いしちゃって……」
「あ、いや……」
居た堪れない雰囲気が、ティアラとの間に漂う。気の利いた一言も言えない、口下手な自分を呪った。
「……手、離してもらってもいいかな?」
「あぁ、悪い」
無意識下で掴みっぱなしだったティアラの白い細腕から、慌てて手を離す。強く握っていたつもりはなかったが、少し赤くなって、俺が掴んだ痕がついてしまった。
「じゃあ、行くね……」
自室に戻るつもりだったのか、俺の方に身体を向け、その場から駆け去るティアラ。すれ違い様に靡いた彼女の長い髪の香りが、鼻孔の奥を擽る。
俺はその後ろ姿を、黙って見送った。




