13人目
「……えっ?」
ランディールさんの言葉に、当のティアラさんが驚きの声をあげる。
それには全く気にも留めず、ランディールさんは自分の左腕の袖を捲った。そこに現れた包帯を、自ら解いていく。続いて現れたガーゼもゆっくりと剥がした。
ようやく現れたランディールさんの左腕の皮膚。しかしそこには、斜めに大きな傷が入っていた。一応傷口は塞がっているが、応急処置しか施されていないようで、その裂け目は赤黒く、少し左右から引っ張っただけで簡単に裂けてしまいそうだ。
私は思わず、苦い表情になる。
「これは闇法師にやられたんだが、これを今から “なかったこと” にしてもらう」
そう言うと、ティアラさんの前に腕を差し出し、「頼む」と呟くランディールさん。ティアラさんは一瞬だけ戸惑った顔をしたが、すぐに真面目な表情になる。
それから、ランディールさんの傷口の右手に両掌をかざした。
すると。
「……!」
赤黒い傷口が徐々に溶けていき、周りの皮膚に浸透した。それから傷口が沸々と沸いて、アメーバ状の物体が中へと入り込み、埋めていく。
この間実に10秒、ランディールさんの左腕の傷はたったそれだけの時間で完全になくなった。
「ありがとう」
「うん。どういたしまして」
ランディールさんとティアラさんの会話があまりに自然だった。日常的で、さも当たり前かのように。
私はしばらく、呼吸を忘れて、この目を疑った。
これが人間の成せる業なのだろうか。私とこの人達は、本当に私と同じ人間なのだろうか。
「……これで分かったかな?」
ランディールさんの問い掛けに、固まっていた私の思考が解ける。
「これが、法魂力……」
「そう。一様に攻撃、というわけではないんだ。傷を治したり、心を読み取ったり、時間を操ったり───。普通の人間には絶対出来ないようなことが当たり前のように出来る、それが法魂力だ」
話が逸れたな。とランディールさん。
「そこに記されてる『時空系 法魂力を持つ法術師』というのは、つまり『時間を自由に操ることの出来る聖法師』のことだ。これによって何千何万という月日がたった55年に短縮され、“施し” が行われたわけだな」
施し。その言葉に私は目線を落とす。
『伝超脳波』という、これがその “施し” だろうか。
ランディールさんは、そんな私の視線に気付いて、
「その “施し” っていうのが、そこにある『伝超脳波』ってやつだ」
と教えてくれた。
洗脳を施す何か、というのは文章から読み取れるが、いまいち具体性に欠ける。
あえて、大雑把に訊いてみる。
「何をするものなんですか?」
「強いて言えば……俺達の意思を伝えるものかな」
「意思?」
「例えば……『アイザック・ニュートン』。この人物は万有引力を発見したとして有名だろう?」
私は頷きながら、ランディールさんの口からニュートンの名前が出たことに驚いた。ニュートンは、宇宙人の間でも有名人なのだろうか。
「引力は当たり前のように存在しているが、その存在を認識することは難しい。
宇宙空間と地表との違いを探求すればいずれ分かることかも知れないが、人類の宇宙進出までは時間がかかる。それに、そこにも書いてある通り『最低限の知識は我々と統一する』必要がある。間違った解釈をされては観測の意味がない。
早期の発見、統一された知識の保持という意味を込めて、アイザック・ニュートンに『伝超脳波』で万有引力を伝えたわけだ」
そこまで聞いて、私は1つの疑問が浮かんだ。
「じゃあ、ニュートンには物理学の知識的なんて一切無くて、ある日突然発見した、ってことですか」
口に任せて、問いた。
「いや、そうじゃない」
それをランディールさんは、短い一言で否定する。
「俺達が伝えたいと思った事柄に関して、『ある程度才能のある人間』『発見したと発表してもおかしくない人間』を一人に絞り、その人物個人に『伝超脳波』を施すんだ。
例えば……媛奏は宇宙に関する知識はあるかな?」
「いや、全然……」
「じゃあそんな君が、例えば太陽光に秘められた何かを発見したとしよう。始めは周りの人間にその発見を教えると思うんだが、果たして君の友達はそれを信じるかな?」
「信じ……ないと思います、たぶん」
「なぜ?」
「太陽のことなんて何にも知らない私が、太陽に関する何かを発見したなんて言っても信憑性に欠けるというか……」
「そう。発見や発明というのはそれに関するある程度の知識が必要だ。つまりそれを有していない人間が『発見だ』『発明だ』と騒いでも、所詮は戯れ言としか思われない。
万有引力はこれとはまたちょっと違うが、農夫が『万有引力を発見した!』と言うより、物理学者が『万有引力を発見した!』と言った方が、信憑性はあるだろう?」
至極最もだ。私は相槌も込めて深く頷く。
「要約すれば、『伝超脳波』を施されるのは、施す事柄に関してある程度の才能や技術・知識を持った人間、ということだな。
それは、言語においても同じ。自分の意思を文字や言葉で伝えようという、当時の人間には想像も出来ないことを考えていた人間にこそ、その起源を施すに相応しいわけだ」
最初の質問が、ここに来て回収された。
「君達の世界で言う『日本語』『英語』『中国語』『フランス語』『ドイツ語』『イタリア語』、その他諸々、これは全て惑星地球創造計画のために流用・応用・考案された言葉だ。『日本語』は全銀河で使われている共通言語、『英語』はその装飾副助詞、『中国語』と『フランス語』はそれぞれペンドラとシトーゼという惑星で使われている言語、『ドイツ語』と『イタリア語』は完全な創作言語だ。こんな具合で地球上の言語約65%が『伝超脳波』を使って俺達から伝えられた言葉なんだ」
彼らが日本語を話せるのは、日本語が銀河共通の言葉だから、ということらしい。言葉の中に時折英語が入っているのは、英語が装飾副助詞だからか。
しかし私は、またもや疑問が沸いた。
「日本語が……っていうか、銀河共通の言語を日本に伝えた理由は何なんですかね?」
良いところを突く、とランディールさん。
「聖法師という存在を知ったのは今日が初めてだと思うが、これは何も、俺達の銀河にのみ存在する者じゃない。地球にもいるんだ、聖法師が」
また一つ、とんでもない事実が明かされた。
地球に聖法師?じゃあ、超能力者だなんだと宣う彼らは本当に異能力の持ち主だとでもいうのか。いや、そもそも聖法師とは、超能力者なのか。私にはまだ、分からないことが多過ぎる。
ランディールさんはそんな私の困惑を知ってか知らずか、言葉を続けた。
「聖法師は通常、遺伝によって成るものだが、極稀に覚醒遺伝のような形で聖法師の力を表す者がいる。計画の開始時より前に一人の聖法師が地球に紛れ込んだらしく、その血筋がその後何千年と受け継がれたわけだ。これが発覚したのが52年前、現在までに発見された聖法師の数は実に12名……。内、8人が日本人だ」
「そ……そんなに?」
「実験の開始から3年間続けられた詳細現地調査で、既に日本に5人の聖法師がいたことが発見されたらしい。なぜ日本にのみそんなに偏ったのか、理由が分かるかな?」
ランディールさんの言葉が切れたところで、ヘレナさんがなんの前触れもなく席を立った。何かに痺れを切らしたかのような立ち方だったので一瞬ヒヤリとしたが、席を立って向かった先は、室の隅にあったコーヒーメーカーのような機械の前。
実際には給湯器だったようで、ヘレナさんが下部に大きめのティーポットを置き、機械表面の赤いボタンを押すと、湯気を纏った熱湯がティーポットの中へと落ちていった。
どうやら、何か温かい飲み物を振る舞ってくれるらしい。
そこまでを目で追って、そう言えば質問されたことを思い出した。
私は頭を巡らす。日本に集中して聖法師が現れた理由……理由……。
「……最初に紛れ込んだ聖法師が日本に住み着いたから、とかですかね?」
「ご明察」
正解だった。矢継ぎ早の解答だったが、私の勘も中々捨てたものじゃない。
「日本に降り立った聖法師はやがて妻を持ち、7人の子を授かった。その7人の内5人に聖法が遺伝し、聖法師となったわけだ。そこの、②に着目してみてくれ」
私はランディールさんから手元へと目線を移す。
と、同時に。
「お口に合うか、わからないけど」
そんな言葉と共に、右手元にティーカップが置かれた。
「あ、すいません。ありがとうございます」
斜め後ろのヘレナさんに、私は一礼した。
ヘレナさんはどことなくぎこちない笑みを浮かべて、ジャックさん、ランディールさん、ティアラさん、自分の順でティーカップを置いていく。
四人のティーカップは同じ白陶器製のようだが、私のだけステンレス(らしきもの)製だった。持ち手と縁の部分が黒で縁取りされている。客人用なのだろうか。
中には、ほのかに薄い茶色の液体が入っており、茉莉花のようないい香りが鼻孔をくすぐった。
手をつけようかと思ったが、そう言えばまだ話の最中だと気付いて、慌てて視線を戻す。横道ばかり逸れてはいけない。
「え、えーと……『②法術(聖法・魔法・霊法・闇法)が存在しない環境下での知的生命体の生活様式と思考理念』……」
取り合えず、読み上げる。
ランディールさんは、ティーカップに軽く口をつけてから言った。
「つまり、聖法師の存在は実験の阻害となってしまうわけだ。だから、発見された聖法師は速やかに聖法銀河帝国に連れていく他ない。この際一番の厄介なもの、コミュニケーションを取る上で障壁となるものが───」
「言葉……」
「その通り」
正面のティアラさん、右横のジャックさんがティーカップを口元に近付けるのを確かめてから、私も取っ手に人差し指を掛けた。
唇をカップの縁に当て、わずかに傾けながら液体を啜る。
見た目の薄さに反して、味は中々しっかりとしていた。味は、甘めの紅茶にコーヒーの苦味を足した感じ、だろうか。そこに、わずかな果実の風味が漂っている。私の味覚ではこれくらいが伝わる表現の限界だった。
なんにせよ、地球上に存在する飲料で無いことは確かだった。
「遺伝の今後の可能性を考えれば、聖法師が現れる確率が最も高いのは日本だ。この際、コミュニケーションを取るのに銀河共通語を話せないとお互い困る。だから日本には銀河共通語を伝えたんだ。もしも地球に最初に紛れ込んだ聖法師が中国やフランスやドイツに住み着いていれば、日本人は “日本語” を話していなかっただろうな。全ては偶然だ」
それから小一時間ほど、ランディールさんの話は続いた。
主な話は地球創造計画のことで、大雑把に聖法銀河帝国の歴史も聞いた。聖法についての話もしてくれる予定だったらしいが、疲れがピークに達した私の集中力が散漫になってしまい、
「話は騎士団城に着いてからにしよう。今は一眠りした方がいい」
ということになった。
「到着まで好きに使ってくれ」
そう言って案内されたのは、かつての私の部屋より広い個室だった。照明を焚いてもさほど明るくないが、テレビにソファーやベット、トイレ、バスルームらしきものまである。
「ヴェレティスに到着する時に起こしに来るから、それまでしっかり寝ておけよ」
それじゃ、と父親のように言い残してランディールさんは部屋の扉を閉めた。
私はよたよたとした足取りでベッドに倒れ込む。羽毛のような布団がぶわりと舞い踊って、私を包み込むように密着した。
久しぶりに横になった気がする。
思えば、今日1日で私の人生は大きく変わった。
友達が殺され、母親が殺され、宇宙人に出会い、地球を出ていく……。今までの平凡な人生が嘘のようだ。私には刺激が強すぎる。
私は靴を脱ぎ、ブレザーを適当に放り投げ、羽毛の布団を被った。制服が皺になることは分かっていたが、どうせもう使わないのだから、気にする必要もないだろう。
瞼の重みに耐えきれず、目を瞑る。
意識が暗闇に引き込まれるまで間もなく、私は泥のように眠った。




