秋泉媛奏
そこはまさに、映画の世界だった。
……なんて言うと無難過ぎて陳腐、安っぽさが否めないのだが、私の語彙力がせいぜいそれくらいしかないので仕方がない。しかし、映画の世界ならあり得そうなものだと思ったのは、紛れもない事実だ。
陳腐にして安っぽい、しかし率直な感想がそれだった。
私がランディールさんの後を付いて、無機質な宇宙船の廊下にローファーの靴音を響かせ歩いて来たここは、この宇宙船の操縦室らしい。
一般に操縦室と言うと、二人分の椅子、所狭しと並べれたスイッチ、低い天井、必要最低限しか揃ってなさそうな個室的空間を思い浮かべる。
しかしこの宇宙船の操縦室は、およそ“室”と呼べるほどでなかった。
どんな学校の体育館より大きな空間。
正面に、どんな映画館のスクリーンよりも大きなガラスの窓。
その麓には十数人の青い服を着た人達が上下に二列で椅子に座り、モニターやらレバーやらキーボードやらと台が一体化した装置に指を走らせていた。
そんな彼らを上から見下すような形で飛び出した10m四方ほどの台の上に、私は立っていた。
正面に視線を向ければ、わずかに内側へ湾曲している巨大なガラスの先に薄い雲と太陽に照らされギラギラ光る大海原が果てなく広がっている。
「お待たせして申し訳ない、ストレガルロ艦長」
台の一番先端で後ろに手を組み、その大海原を見つめる人物にランディールさんはそう言った。
「準備は完了しました、騎卿ヴェントル」
その人はこちらを向くと手組をやめ、右腕を胸の高さで水平にして、握り拳を丁度心臓がある、左胸辺りに当てた。
彼ら式の敬礼か何かだろうか。
「いつでも発てます」
「どうも艦長」
「いえ。……ところで」
ランディールさんに合わせていた“艦長さん”の視線が、ふとこちらに向けられる。
それだけで、私は察する。
ここは宇宙人───つまり彼らだけの空間。地球人の私の存在が不審に思われているのだろう。まぁ、仕方のないことだ。
自己紹介しなきゃと思うと同時、しかし何て言い出せばいいか分からず、言葉を紡げなかった。
「……ああ、紹介が遅れました」
そんな私の挙動を、私の前に立つランディールさんが背中で感じ取ってくれたのか、そう言いながら私の横に周り、肩に手を置く。
「このコは秋泉媛奏と言いまして、ここ地球の住人です」
私はランディールさんに自己紹介をしてもらいながら、艦長さんに軽く一礼をする。
けれど、艦長さんの視線はもう私になく、ランディールさんへ向いていた。
「なぜ、地球の住人がここに?」
「ゼレルに狙われている可能性があるからです」
ランディールさんの一言で、艦長さんの表情が怪訝なものに一変した。
「ゼレルに……?その娘がですか?」
「ええ。恐らく今回のゼレル襲来は、このコが目的だったかと」
艦長さんは再びこちらに顔を向けると、嘗めるような視線を私に当てた。
どんな人物がゼレルとやらに狙われるのか、どう言った理由で狙われるのか、なんてことを一切知らない私でも、艦長さんの視線が疑いのそれであることを余儀なく悟った。
それはランディールさんも同じだったようで、
「そうは見えないのも無理もない。ゼレルを専門にしている俺達ですらその理由は明確に分かりませんから」
しかし、と言葉を続ける。
「狙われているのは間違いなく事実。彼女はこのまま、聖法騎士団城に匿います。身の安全の為にも、それが最善策でしょう。……あくまで俺の独断ですが、仮に騎士団が反対し、見て見ぬフリをしろと言っても、俺は見過ごすつもりはありませんけどね」
ランディールの口調は淡々としていたが、どうしてか偉人の名言のような、説得力のあるものだった。
しかし艦長さんはそれに説得されたわけでも小さく笑って、言う。
「お噂通りの人だ」
「どうも」
ランディールさんはわざとらしく会釈をした。
「なるほど、事情は承知しました騎卿ヴェントル」
艦長さんは再び後ろてで手を組むと私達に背を向け、巨大なガラス窓の先に広がるマリンブルーの大洋を見た。
それから、
「では出発しましょう。……空錨解除準備、射熱シールド出力を前方に集中!」
この広い操縦室の全体に響く大きな声で指示を出す。
次には、艦長さんの言葉を復唱するたくさんの声があちこちから聞こえて、全体を低いエンジン音と機械音が包んだ。
艦長さんの言葉の意味は分からなかった。が何となく、これから地球を発とうとしていることは察した。
「想定進行路の阻害物を確認、報告せよ」
「想定進行路に阻害物無し!即時進行可能です!」
「うむ。……では、騎卿ヴェントル」
艦長さんは再びこちらを向き、ランディールさんをまっすぐ見てそれだけ言った。
私には何が完了したのかよく分からなかったが、ランディールさんは艦長さんに負けず劣らない大きな声で、
「空錨解除、地球軌道上まで進行せよ!」
そう指示を出す。
すると、ガッコンッという、何が外れるような音が下から鳴った後、ゴォォと燃え盛るような音が全体を覆う。
そして、
「これで、この星ともお別れだ」
私の横より少し前に出たランディールさんが、呟くように私にそう言った。
見れば、正面のガラスの先に広がる太平洋の海が、手間へと流れるように動いている。いや、動いているのはこちらか。
ついに出発したんだ。
もっと船首を上げて、ロケットのように飛ぶのかと思いきや、ほぼ水平な角度で前進しながら、高度を上げていた。
そのうちに海なんか全く見えなくなって、雲の中に入る。
現実離れしたこの光景は、まるでテーマパークのアトラクションにでも乗っている気分だ。新幹線より少し大きな揺れと、わずかに聞こえるエンジン音のような唸り、ガラス窓に当たっては左右に流れていく雲。
やがてはそれも薄くなっていき、見えてきたのは、緩やかな弧を描く地平線。
雲の海と、縁が碧色の宇宙に挟まれて、白い緩やかな線が、巨大なガラス窓にも収まらないくらい、 どこまでも際限なく広がっている。
「第4惑星圏、突破!」
不意に聞こえた声は、窓ガラスの麓に設けられた機械の前に座る誰かから発せられた。
第4惑星圏がどのくらいの高さの事を示すのかは分からないが、紺色の宇宙が目視出来る高さとなれば相当な高さに達したのだろう。
「射熱シールド出力を前方から上部に変更。第2ブースターを起動して第5惑星圏まで一気に上昇しろ!」
艦長さんが、後ろ手を組み、脚を肩幅に開いたまま命令を下す。
すると宇宙船は、1回軽く沈むような動作をしたあと、上下左右に揺れながら上昇し、徐々に雲海を突き離していく。
代わりに近付いたのは紺色の宇宙。その色はどんどん濃くなる。
そのうちに、
「外気孔遮断、人工重力システム機動!」
「媛奏、構えろ」
ランディールさんに、切迫したような声で名前を呼ばれて、両腕の付け根を持ち上げるように掴まれる。
私は「へっ?」と間抜けた声しか出なくて、言葉の意味など理解する暇もなかった。
次の瞬間。
「うっ、ぐ?!」
思い切り下へ引っ張られるような感覚。いや、思い切り押し潰されるような感覚と言ってもいい。
とにかくとんでもない重圧感が私に襲い掛かったのだ。とても立っていられる状態じゃなくなって、ランディールさんの手をすり抜け、私はそこに両手をついてしゃがみ込む。ほぼ、倒れるに近かったが。
「……大丈夫、か」
ランディールさんは軽く膝を曲げて私に手を差し伸べる。どうやら床に手を着けるほどの状態になったのは私だけらしく、この空間の誰もがもう構えるのをやめて平然としていた。
私は差し伸べられたランディールさんの手を握り、引っ張ってもらって立ち上がる。
「ビックリした……」
思わず本音が漏れた。
「ごめんな、事前に説明しておけばよかった」
ランディールさんの謝りの言葉を耳に入れながら、私はふと、宇宙船内が暗くなっていることに気が付いた。
そうして、窓ガラスの先を見てみれば────。
「っ……」
私の瞳が、一瞬で青に染まった。
それは、宇宙飛行士にしか見ることのできない光景で、自分は一生目にすることはないと思っていた。
わずかな弧を描く散れ散れの雲が宇宙の彼方へ消え行き、その先の小さな光りが、小さいながら強く私に存在を主張する。
雲間から見える海は藍色で、大陸には木々の常盤色、砂漠の白茶色、雪山の灰白色。
これが、生命の惑星、地球の姿。
「……俺も最初、自分の生まれ育った星を宇宙から見たとき、君みたいに言葉を失って、思うことがあったよ」
ランディールさんは私と同じ方向を見て、そう呟いた。
「叡智に見えた人間が、小さく、下らなく思える。金も規律も常識も、一歩宇宙に出れば意味なんてこれっぽっちも無いのに、人間は何をあんなに必死になっているんだ、ってね」
相変わらず地球を見つめたまま、私はゆっくり頷いた。
「……もうあと3分もない内に出発する。心の準備を、しておいてくれ」
ランディールさんは艦長さんのところまで歩いていくと、一、二言何か言って、左腕に装着された機械のような物にも口を開く。
私はなんとなく、この場に独りで立ち尽くすのが怖くなって、ランディールさんの後を追う。
と、ここで一つ、疑問に思うことがあった。
ここは紛れもない宇宙空間だというのに、私は平然と床に脚をつけて歩いている。結わずに“垂れ下がった”長い髪は、中に浮かぶことなく制服のブレザーに触れている。
私の知っている宇宙空間は、床は歩けないし髪は垂れ下がるはずはないのだが……。
「あぁそうそう、説明がまだだったな」
私を一瞥してから、左腕の機械のボタンを押してこちらに顔を向けるランディールさん。
「説明……?」
「地球の大気圏を抜けて宇宙空間に入った時に君が感じた不思議について、の説明」
それと、と続く。
「宇宙空間なのに重力がある不思議について、ね」
私は「あぁ……」と、地球の真の姿に圧倒されて消し飛んだ疑問を再び思い起こす。
「一言で言ってしまえば、人工重力システムって機械による作用だ」
人工重力……?と、私はランディールさんの言葉を復唱する。
「一定空間に人工的な重力を作れるシステム。これを使えば無重力空間の宇宙にいても、設定次第で地球の地表に立っている時となんら変わらずに宇宙空間で立っていられる」
つまり、擬似的な重力をつくる、ということだろうか。重力と引力の違いも分からない私がその言葉を聞いて思ったことは、『やっぱり宇宙人の科学技術ってすごいんだなぁ』なんて、小学生張りの感想だった。
「このシステムは地球の大気圏を抜けて宇宙空間に到達する直前に電源を入れるんだが、一瞬だけ地球の重力と人工重力が被って、船内の重力が通常の1.2倍近くになってしまうことがある。これが、君が一瞬感じた重圧感の正体だ」
私はてっきり、地球の外に出るときは必ずああなるものなんだと思って、自分の足腰の弱さに落胆したのだが、違ったらしい。
「通常は自動で作動するからこんな突然切り替わるなんてことはないんだが、何分この宇宙船は旧式でね。人間の手動だからどうしてもタイミングを完璧に合わせるのが難しいんだ」
「騎卿ヴェントル」
と。タイミングを見計らったかのように、ランディールさんの言葉が綺麗に切れたところで、艦長さんがこちらを振り向いてそう呼んだ。
「光速航行の準備、完了しました」
「……よし」
私から艦長さんに視線を移すと、ランディールさんは艦長さんより前に出て、大きな声を上げる。
「到達座標を惑星ヴェレティスに設定、光速航路を確保しろ!」
ランディールさんの指示を復唱する声があちこちから聞こえる最中、今度は地球を発つ時より大きな音が耳を覆う。
いくら宇宙に疎い私でも、『光速航行』と聞けばピンとくるものがある。
ワープだ。
きっとこれから、ランディールさん達の惑星までワープするのだろう。
「光速航路確保、旋回します!」
下の方のコックピットからそんな声が聞こえた次には、宇宙船が微妙に船体を傾けながら左へと旋回する。
恐らくもう二度とは見ることの出来ない地球。
旋回と同時に右へと流れるように消え行く地球の弧線を、私は目の奥深くに焼き付け、別れを告げる。
ゆっくり流れる太陽系の惑星達を尻目に、船体の向きが180゜逆になる。
そして見えたのは、太陽系の主。
そしてその名の由来、太陽。
真正面というより左端に少し見えるだけだが、それだけでどんなものより存在を主張していた。
真っ黒な宇宙に浮かぶ火の塊。これが本当の赤色。酸素のない宇宙で燃えたぎる火焔は、見ているだけで熱くなる。
「進行方向良し、光速ドライブ充填完了!航行、開始します!」
「全乗員、衝撃に備えろ!」
ランディールさんの言葉に、私は慌てて近くの手すりを掴む。
さっきの二の舞にはなりたくない。
しかし当のランディールさんは何にも捕まらず、それどころか私の肩に手を回してガッチリと支える余裕さえある。
瞬間、全てを後ろに引っ張られる感覚が身体を襲う。
急発進と呼ぶもおこがましい程の速度で、思わず私は眼を瞑る。
こうして私は、
ただの女子高生だった私は、
地球より遥か果て、彼方遠くの銀河まで向かった。
背が高くて金髪で、心と顔が男前な、宇宙人と共に。




