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ありえざる面影

「発砲するな、ネットを使え!」

 血に染まった触角様の器官をうごめかせながら接近する『難破者(レックマン)』を前に、それでもラピスは必死で部下の暴発を抑えようとしていた。甲殻をまとったゴリラのようなその変容体の左腕に、着衣のままの少女が抱えられていたからだ。

〈りょ、了解! トロル1、ネット弾を使用します〉

 トロル1の装備する20mm短機関砲(スクラマサクス)の砲身下部には55mm多用途擲弾発射装置(ランチャー)が付属していた。催涙ガス、トリモチ、ネットといった、非殺傷性の兵器を投射するためのものだ――もちろん必要があれば破片榴弾(HE)なども使用できる。

 唯一の難点は、再装填のためには、乗員がコクピットを開き、車外に体をさらさなければならないことだ。トロル1の操縦者、カラバッジオは果敢にそれを実行に移した。即座に残り二機がカバーに入る。同僚を守るため、彼らはそれと意識することも無く短機関砲を接近する変容体へと指向していた。


 不幸だったのは、『難破者(レックマン)』平川慧一に残された理性が、完全なものではなかったことだ。彼は眼前に現れた3体の外骨格歩行作業車(エクソウォーカー)を脅威と見做し、ネット弾発射の準備操作に過敏に反応してしまった。

「グルルルゥオアアアガアアアア!」

 恐慌と憤怒が入り混じった咆哮をあげ、慧一はトロルへと突進する。

「平川くんッ、駄目ェ!」


「いかん、撃――」

 一瞬、叫びが喉を詰まらせる。ラピスには『撃つな』とは言えなかった。『撃て』とはなおのこと、言えなかった。『難破者(レックマン)』が腕に抱えているのは日本人――同胞だった。

 そして変容体の凶猛な鉤爪の前に身をさらしているのは、指揮下に配属されて三年になる、忠実な部下だった――


 ドム! ドム、ドム!



 立て続けに三発の発射音。単一砲身の『スクラマサクス』にM61バルカンのような速射性はない。自動小銃に範をとった三点バーストが最速の射撃モードとして設定されている。

 これまでの戦訓からは、『難破者』に対してはそれで十分すぎるはずだった。彼らの耐久力と回復力は生物の常識を超えるものだが、それでも対装甲兵器に抗堪できるケースはほとんど無い。だが、恐るべきことに慧一の甲殻は20mm徹甲弾に耐えた。一発が腕部の曲面で弾かれ、残り二発は肩の上の分厚い部分で受け止められた。


 そして、弾かれた一発は無残な結果をもたらしていた。おおよそ1クラス下の12.7mm弾であっても、人体に命中すれば胴体を両断するほどの破壊力を及ぼす。20mm弾がわずかにかすった皆川千尋の左腕は、肘の上半ばほどから先が粉砕され、四散していたのだ。

 耐えがたいショックが彼女を襲い、千尋は絶叫すらできずに白目をむいて昏倒した。そして一瞬の後、トロル1が発射したネットが慧一と千尋を覆った。




〈STORM警報(アラート)解放(レリース)タイムに移行します――〉

 遠くの街頭スピーカーから流れるアナウンスを聞きながら、崇は半ば途方にくれていた。

 すでに道路からは数百m離れている。STORMが終息に近づくにつれ崇の肉体は先程までの威容と強靭さを失い、彼は緑地区画の中を裸足で走ることに苦痛を感じはじめていた。

 現在彼は全裸だった。身に着けているものと言えば、『アンカー』だけだ。降下の際に身に着けていたスキンスーツは、変容を受け入れ体躯が巨大化した際に、裂け破れて失われてしまっていた。


 底の抜けたような無力感が彼を塗りつぶしている。弱々しく萎えた四肢は、自分の体重を持ち上げることすら叶わないほどに疲労し切っていた。一時的に作り出されて増大した各部の体組織が活動を停止し、薄い煙をあげて消えていく。あとにはべとべとした黒い汚泥のようなものが残され皮膚にへばりついて、元来潔癖症に近い彼の精神を痛めつけた。


(……AIF(反ISLE評議会)からの事前通達が本当なら、この島に住んでいる協力者が接触をもとめてくる……筈だ。だが一体、狭い島の中、こんな状況でどうやって……?)

 疑念が彼ののろくさい歩みを止めさせた。急激に襲う飢えもそれに加担する。ついに彼は膝と手を地面につき、うずくまった。


「クソ……こんな所で……」

 自分の低空侵入はすでにガードに察知されていたはずだ。ここで倒れてしまっては、彼らの手に落ちることになる。

 一瞬、崇は先刻の少女と、甲殻ゴリラめいた変容体のことを思い出していた――彼らはおそらく、ガードに『保護』された。それで良かったのか?

(仕方が無かった。あの変容体は人間の理性を残していたし、少女は変容すら起こしていなかった。少なくとも彼らの命は守れた筈だ……ああ、だがこんなことで本当にまことを救出できるのか?)

 アンカーによって保護され制御された彼の脳と肉体は、STORMの影響下で潜在能力と休眠遺伝子の情報を自在に引き出し、生物としての常識的限界を超越した超人の力を振るうことを可能にする。そして終息後に人間の姿に戻ることも。

 しかし、STORMが発生するのはこの島の周辺だけ、そして発生から終息までの時間は長くても五分程度。それは何かを成し遂げるにはあまりにもか弱く不安定な『ちから』だ。

 戦闘中に心臓を酷使した反動か、崇の脈は酷く細り、時折リズムを狂わせていた。こんな状態で初夏とは言え屋外に全裸で潜伏していたら、確実に命を落とす。


 ガサッ。


 藪をかき分けて何かが動く音がした。


「誰だ」かぼそい叫びが口から漏れる。声をあげてから後悔したがすでに遅い。そんなミスを犯すほどに崇の意識は朦朧としていた。

「待っていましたよ、タカシ・フワ」

 ――涼やかな、だがどこか平板で無機質な声が響く。

 敵との接触を想定して身構えた崇の前に、無防備に身をさらして現れたもの。それは、すらりとした長身をISLEの女子学生用制服に包み、つややかな長い黒髪を背中まで垂らした少女だった。彼女の顔の左半分は、額のところで分けられた前髪の、長い房に隠されていた。


 その色の薄い瞳と、整いすぎた骨格の顔立ちに、崇は見覚えがあった。

みやこ……?」

 少女は少し悲しげに、首を横に振った。

「姉さんを覚えていてくれてありがとうございます。でも、私はみやこではありません。私はたまき――都の妹です」


「妹がいたのか……」

「ええ。ですが、現在の状況は過去の人間関係(リレーション)を確認しセンチメンタルな感興で思考を占有することを許しません。タカシ、あなたの肉体は早急に休養と加療を必要としています。私と一緒に来てください」

「ああ、ぜひそうしたい。だが俺は今このとおり、ろくに動けない……どうやって?」

「簡単なことです」

 たまき名告なのった少女は、そう言い放つといとも簡単に彼を抱えあげ、花嫁を腕に新居の戸をくぐる花婿を十数倍に加速したような軽やかさとスピードで、緑地区画の木々の間を駆け抜け始めた。 

  


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