Principalities(権天使)
拘束を解かれた崇の足に、次第に力が戻ってくる。
医療センターを出るまでの間、崇たちは誰にも会わなかった。廊下を行き来するスタッフの足音に、息をひそめて物陰に隠れたことは数回。しかし誰何されるようなことは起きていない。
「驚いたな。何でこんなに手薄なんだ」
「何か他のことに気をとられてるみたいね……」
センター内には人の動きは確かに感じられた。エレベーターのゴンドラが往復し、窓の外は他のフロアから投げかけられた照明の明かりを反射して、うっすらと明るい。ガードに制圧されてなお、ここは休まずに何かをしようとしている。
「タマーキサン重イネ」
ラエマは上半身だけの環を背負っていた。電源ケーブルでつながった装甲車用のバッテリーは、崇が運んでいる。巨大なボローニャソーセージ三本、1.5kg分のカロリーとタンパク質は、崇を滑稽なほどに回復させていた。
「ああ、代わろう。半分でも相当な重さがあるはずだ。俺の役目だな」
状況に気づいた崇が、ラエマと役割を入れ替える。
「お待たせ。問題なさそうよ。この先の道路はISLE関連施設がないし、人けもないわ」
前方を偵察に出ていたビアンカが戻ってきて告げる。彼女は崇の目から見てもなかなか優秀なパスファインダーだった。
「済みませんね……とにかく、津田沼邸へお願いします。あそこなら予備の燃料電池もありますし――タカシ、あなたに新しいアンカーを用意できます」
「新しいアンカーだって!?」
考えてもみなかった。だが、推論が正しければアンカーの制作者は津田沼宗稔なのだ。そこに予備があっても、おかしくはない。
津田沼邸に着くと、四人は環の案内に従って地下へ降りた。崇も潜伏していたことのある、あの地下遺構の中だ。
「ここは……」
見慣れない通路と入り組んだ階段を通り抜け、四人がやってきたのは昼光色の照明で照らされた小部屋だった。
「本当は、タカシをここに連れてきたくはなかったんですけどね。そこの棚から燃料電池パックと、疑似筋肉制御端子の替えと、充填剤を探して下さい」
環が自分の修理のために必要とするものを指示したが、崇たち三人のほうはそれどころではなかった。
「タマーキサンガ、モウ一人!?」
「違う! これは……都だ!」
環より幾分薄い色の髪。涼しげな双眸の上に明るく秀でた額をさらした開放的な髪形は、崇のよく知っているものだ。
「……済みませんが、姉さんとよりを戻すのは後日にしてくださいね。彼女の外部知覚はシャットされてますし、状況には余裕が――」
「ああ、わかってる」
下半身を機械に接続された都の透き通るような裸身に崇は手をのばしたが、肌に触れる寸前で手をひっこめた。
「生きていることがわかった。それだけで十分だ。あと、環は嘘つきだってことも」
「タカシは優しいですよね。言葉の選択が」
少女の形をしたものの内側に手を突っ込んで端子を接続し、シーラントを塗って硬化させる作業はどこか倒錯的な感じがして、崇を落ち着かない気分にさせた。だが、これで環は当面の間、機能と記憶の連続性を維持できる。
片隅のデスクの上に安置された、以前のものと寸分たがわぬフェイス・アンカーを崇は手に取った。
「千尋を探しに行く。ビアンカ、ラエマ。環たちを頼む」
「ええ。必ず帰ってきなさいよ」
「今度ハチヒロニ、ゴ飯オゴッテアゲレ」
「ああ、そうだな。じゃあ行ってくる」
千尋が抱える経済的な苦境については、あれからしばらくの間で互いに周知されていた。
(長期にわたって彼女に食事をたかるようなことにならずに済んで、よかった)
崇は一抹の寂しさとともにそう思った。どんな結末を迎えるにしても、この島でまた延々と学生生活を繰り返すようなことにはなりそうにない。
崇の心は晴れやかだった。メイリンのことは残念だったが、真は昔のままだった。都も破損した体で時を止めて待っていてくれた。忘れ物は置き忘れたときのままでここにあったのだ。
ならば、今手にしているものを失わないために。もう一度だけできる限りのことをやってみよう。
津田沼邸の玄関から地上に出ると、崇は緑地区画の中を走り抜けた。
* * * * * * *
歩哨に立ったガード隊員二人にねぎらいの声をかけながら、ドアをくぐる。目的の人物はそこにいた。ラピスを認めると、彼は手首のところで縛られた手を両方一度に持ち上げた。歓迎の意を表しているらしい。
「ほぼ意図通りに踊ってくれて、感謝しているよ、ルリサワ隊長」
医療センター管理局長ジョセフ・ミルトンはシニカルな笑いを浮かべてそう言った。
「私を踊らせたと? こうなることが、分かっていたというのか?」
若干の苛立ちを覚えながら、ラピスはこの奇妙に強壮で活発な男に対峙していた。つい一日ちょっと前に訪問したばかりの、ミルトンのオフィス。
地下の難破者隔離病棟で保護された女子学生、皆川千尋もここにいた。外傷こそなかったが、精神的な虚脱状態にあるのか反応に乏しい。
「いや、そんな器用なことはできない。私は神じゃないのでね……だから感謝している、というのだ。この島がAIFの手で調査されれば、ISLE加盟諸国の現政権と、財団への出資企業及び各団体の力は確実に弱まるだろう。バチカンも」
「あなたは、カトリックの神父だと聞いたが……」
そういわれたミルトンの表情に、苦い侮蔑の色が浮かんだ。
「現在の教皇庁が、きわめて教条的な聖書至上主義者たちによって占められているのを知っているかね。彼らは、あの鉱物生命体を『天使』であると公認することで、大気圏の外を――宇宙空間を、『天国』として『主の手に』取り戻したがっている」
「天国、か。ヨーロッパ人ってやつは度し難いな」
笑い出しそうになる。ラピスにとって、宇宙はあくまでも世界の外の、ひたすら不毛で冷たい空間だ。神々や天使は、仮に実在したとしても位相の異なる別次元にいる。そうでなくては無力な人間の身としてはたまったものではない。
「鉱物生命体……『Principal』。あれが、そうなのか」
「そう。西暦583年に、地球に飛来したと考えられている」
「……サン=ロレ修道院の伝説だな?」
ミルトンが意外そうな顔をした。
「知っているとは思わなかったな……あれはおそらく、歴史に記録された最初のSTORMだ。それがキリスト教という文化基盤の中で誤解され、歪められて伝わった。あれは断じて『天使』などではない。だが、バチカンの連中に彼らが見たがっているものを唯々諾々と差し出せば、『Principal』は奇蹟の物証、聖遺物として科学者の手から取り上げられてしまうだろう」
「どうもわからんな。あなたはバチカンの代理人としてISLEの要職についているのだと想定していた。なぜ彼らをそうも悪しざまに誹謗する。それとも、それは私を惑わすためのポーズか?」
「違うよ、隊長。むしろ『バチカンの代理人』こそがポーズ――擬装なんだ。私の恩師は、社会的抑圧と経済的貧困からの救済、その実践的活動こそが福音であるとする立場をとっていた。だが、現在その理論は異端とされている……私の名前は偽名だ。仮面をかぶり、カトリック教会の現主流派の中に食い込んでここまで来た。師に報いるために」
ラピスはおぼろげに理解した。ミルトンといえば『失楽園』の作者を普通は思い浮かべる。そんな名前の神父がいたら、まずからかいの対象になるだろう。
そして、まさかその人物が本当に異端の教説を奉じる反逆者だなどとは誰一人想像もすまい。
「まあわかったよ、ミルトン局長。ISLEは様々な人間の思惑と野心が生み出し、私らを生贄に、いうなれば悪魔と取引して来たわけだな。これ以上話す必要はあるまい――『Principal』のありかを教えろ。破壊してやる。それですべて片が付く」
ラピスが銃口を向けて威嚇すると、ミルトンは顔色を変え、奇妙な哀願を始めた。
「待ってほしい、ルリサワ隊長。どうしても一つ、やらなければならない実験がある。すでに準備を始めているんだ。『Principal』を破壊するのはそのあとにしてくれ」
「実験だと?」
「ああ。ごく最近、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(※)からもたらされた観測データがあるんだが、それによれば――Principalとほぼ同一の反射スペクトルを示す小天体が複数、今後数世紀にわたって地球に接近する長楕円軌道をとっている」
「何だと!」
「『Principal』は――STORMを発生させる鉱物生命体は、あれ一つではない」
ラピスは絶句した。大気圏を通り抜け、地上に降り注ぐ無数の『Principal』たち。恐ろしい想像が脳裏を駆け巡る。世界各地でSTORMが発生したら――『人類』は生き残れるのか?
「なるほど。『フェイス・アンカー』はどうあっても量産するべきだな……『赤い獅子』が知っていたとも思えないが――それで? 実験とは何だ」
「説明させてもらえそうで嬉しいね……『Principal』が休眠状態で内部の電位を変化させ、外界に向けて電磁波嵐として無作為に放出する。それが我々に理解できた『STORM』だ。無論ほかにもさまざまな作用が起きていることが推測できるが、我々の科学はまだ、それを正確に言い表す言葉を持たない」
ミルトンが、虚ろな顔でソファに沈み込んだままの千尋を見た。
「だが、チヒロ・ミナガワとケイイチ・ヒラカワへの聞き取りの結果から一つの仮説が成り立つ。それを検証したい。これまで、我々はSTORMが人間を変容させるのだ、と考えてきた。しかしチヒロ・ミナガワはヒラカワよりも深いレベルでSTORMの影響力を受けたと推測されながら、変容を起こしていないんだ。考えられる可能性としては……こうだ。『STORMが人間を変化させるのではなく、人間がSTORMを拒絶しようとして、自衛のために変化する』」
「まさか……そんな?」
反射的に常識が理解を拒否した。そして、はっと腑に落ちる。ミルトンが言っているのは、まさに人間のこういう反応の事ではないのか? 自分を脅かす存在への反発。遮蔽。
「『Principal』は間違いなく知的生命体だ。それは形状から容易に類推できる。彼女なら――チヒロ・ミナガワなら、催眠などの変性意識状態であれと『接続』することで、対話が可能なのではないか……」
「だめだ、許可できない。人間として、女として、そんな不確かな仮説に基づいて、子供を危険にさらすようなことは……第一、本人が了承するはずがない! 強制するつもりかもしれないが、その時は私がお前を殺してやる」
顔面を朱に染め、怒気を露わにラピスが目の前の男――科学と信仰の間をふらふらと飛ぶコウモリに詰め寄ったその時。
「……やります」
千尋が声を上げた。
ラピスは振り向き、千尋を穴が開くほど見つめた。
「本気か」
千尋の顔には赤みが差し、虚ろな表情は消えていた。目には涙のあとがあったが、強い光を宿していた。
「私には……まだ知識が足りない。神様のことも、政治の事もよくわかりません。でも、みんな自分が正しいと信じてること、そうであってほしいと思うことのために、争って、奪い合って、いやなことを押し付け合ってるんですよね? この島に私たちが集められ、何も知らされずにいたのも、そういうことなんですよね?」
ミルトンがうつむいて答えた。
「ああ、その通りだ。残念ながら人類の歴史はその繰り返しだった。だが、別の知性と向き合うことが――それによって自分たちの在り方全てを相対化して捉えることができれば、少しづつでも何かが変わるかもしれない。私はそう希望している」
「私にはなんの力もない。でも、もし私が本当にSTORMに影響を受けない体質で、それが私の力だというなら――その力でこの世界を変えられるだけの何かを手に入れられるのなら」
千尋は唇を引き結び、拳を握って立ち上がった。
「私は、私の力で戦ってみます。世界を変えてやります――あなた方に絶対にできない方法で。ミルトン局長。私を接続してください」
千尋は次の瞬間、口元に笑みを浮かべながら大粒の涙をこぼした。
「でも、できれば生きて帰りたいです……日本に帰って――」
唇が震え、言葉にならない。
「約束しよう。君を生還させるために、私たちは全力を尽くす」
ミルトンが小さく十字を切るのを、ラピスは確かに見た。
* * * * * * *
崇はふと足を止めた。遠くで何か乾いた破裂音と、空気をつんざく飛翔音が聞こえる。北の空が時折赤く光り、何かを反射していた。
「何だ……いや、まさかこれは」
身を隠すことを完全に放棄し、彼は急いで高台へと駆け上がった。肩にはあの日、島に降下する際に使った個人降下翼を担いでいた。隠匿していた建設現場あとのスクラップ置き場から回収してきたのだ。
古い時代の石組みが露出した丘の上から、沖を見渡す。それを見つけたとき、崇の胸中に恐怖と怒りと、懐かしさが一度にこみ上げた。見覚えのある艦影が洋上にあった。フランスの警備艦艇と交戦している。
「27型フリゲート……この島に侵攻する気か!」
(どうすればいい?)
理由は推測できる。メイリンが引き起こしたサン=クロンの事件が、AIFを苦境に立たせたのだ。早期の実力行使に出ざるを得なくなったに違いない。
(ここから個人降下翼で滑空して、フリゲートに着艦、作戦中止を要請するか? いや、無理だ。高度が足りない――)
混乱した頭で無茶なことを考える。その時、さらに事態を急迫させることが起こった。
島内各所に設置されたスピーカーが、大音量で警報を鳴らし始めたのだ。
〈ISLE全領域にSTORM警報アラートを発令します。繰り返します。ISLE全領域にSTORM警報アラートを発令。領域内の職員及び学生、その他の滞在者は至急、最寄りのシェルターへ退避してください。励起タイムまで推定一分です〉
一分後――ISLE全域をかつてない規模のSTORMが覆い尽くした。
※
現用のハッブル宇宙望遠鏡の後継として2018年に打ち上げが予定されている、次世代宇宙望遠鏡。遠宇宙の微小な赤外放射を観測することができる。




