危機
「こういう斜坑を下っていくリフトって、実在するんですね。フィクションの中だけだと思ってました」
「それは認識不足というものだ。鉱山や軍事基地の地下区画などには普通にある」
埃っぽい匂いの空気に深呼吸をためらいながら、千尋はミルトンとともに地下へ向かっていた。数メートル間隔で設置されたナトリウム灯が互いの顔を周期的に照らす。この斜坑の先に、ミルトンが言う『難破者』の『隔離病棟』があるのだ。
資材搬入路を兼ねた巨大なリフトの床は10mx10m。屋根や壁、座席などは一切なく、二人はむき出しの滑り止め鋼板の上で直接、斜坑内の空気に触れている。レールの継ぎ目を越える際のゴトゴトという音が断続的に腹に響いた。
(この向こうに平川君が……)
両腕で自分の肩を抱きかかえるような仕草をしてしまうのは、地下の冷気の所為だけだろうか。
斜坑の底でリフトは車止めに接触し、油圧緩衝装置の作動音が闇の中に低く伸びてこだました。わきに取り付けられた階段を降り、通路を歩き出す。白く塗り上げられたドアの前でミルトンがセンサーにQREスティックを通し、千尋もそれに倣った。
大型トラックがそのまま通過できるほどの高さと幅を持つ通路の片側には、ドアと交互に上下幅30㎝、横幅2mほどの細い窓があり、その部分の壁は分厚い耐衝撃シャッターを兼ねているらしかった。
窓に目を向けた瞬間、何かがその内側から壁にぶつかってシャッター全体がわずかに震える。収容された被災者――『難破者』が暴れているのだ。
「ひゃっ……」
「心配はいらない。彼らのパワーには限界がある。この壁は大型恐竜がぶつかっても破壊できない……さて、目的地は次の檻だ」
ドアをくぐり、レコーディングスタジオの調整室のような小部屋に入る。透明な強化アクリルに隔てられた向こうに、平川慧一がうずくまっていた。あの日変容した姿のままだ。
「ケイイチ・ヒラカワ君。面会だ」
ミルトンがマイクを通して呼びかける。その声に反応して慧一が、残った唯一の眼を見開いた。
「平川くん!」
「千ヒロちャン――」
壁のスピーカーから、ゆがんだ声が響いた。
慧一が千尋を見つめる。彼は肥大した左眼球にまぶたを被せようと、懸命の努力を試みていた。
「うデ……良カっタ」
唇のほとんどない口元がわずかに緩む。それは、笑顔だった。
「……ありがとう。あなたのおかげで今も私、生きてる」
千尋の目に涙があふれた。強化アクリルに手をつき、額が接する寸前まで顔を近づける。できることならこのままこうしていたい。感謝と憐憫の甘い疼きの中に浸って、罪悪感から逃れていたい。
だが、それはできないことだ。何も知らされずに日々STORMの脅威と隣り合わせに過ごしている多くの学生たち――それと恐らくは下級の職員たち――のために、謎と秘密を暴かねばならないのだ。
「教えて。あのSTORMの時、あなたが何を感じたか。どんなイメージを見たのか」
「イめえジ……」
彼の眼球がぐるりと上へ回転し、白目になる。右目の位置に生えた鋏脚がびくりと震え、先端の爪が軋みをあげて開かれた。
「コわイ……たダ……コワい……僕がなクナる。塗リつブサレてしマウ……」
「まず、恐怖。これは被災者全てに共通した感覚だ」
ミルトンが低い声で呟いた。
「広イ……。危険――身ヲ守りタイ……コノカらだデハ」
ごぼ、と慧一の口から吐瀉物があふれた。滴り落ちる液体とともに、喉の奥から言葉が上がってくる。
「……探セ!」
突然何かに打たれたように彼は絶叫し、よろめきながら檻内を右往左往した。
あちこちにの壁にぶつかって地響きを上げる慧一を、千尋は必死にとどめ、呼びかけた。
「平川くん、落ち着いて! ここには怖いものはないわ」
「彼らの意識は、程度の違いこそあれ共通してある種の変性状態にある。それは催眠に似ているが、リラックスしてはいない。自分の発した刺激語にでも、ああして強い反応を示すんだ。だが『探せ』とは?」
千尋に語りかけるというよりは自問自答として、ミルトンは慧一を凝視し喋り続けた。
「平川くん、教えて。私はあの時『孤独』を――どこからかなだれ込んできたような、巨大で異質な孤独感を味わったわ。あなたは? 感じなかった?」
「孤独……分かラナい……最善……」
困惑したように慧一は動きを止め、再びうずくまってしまった。
「やはりそうか。彼は、君の言う『孤独感』を体験していないんだ。これは一体何を意味するのか……もしや、君こそが」
ミルトンがそう言いかけた時、不意にあたりに警報音が鳴り響いた。照明が一段暗くなり、警告灯の赤い光が廊下から差し込んでくる。
「――STORM警報!?」
「いや、違う。これは施設内に何か異常が発生した時のものだ!」
二人は慌てて廊下に駆け出した。だが、その判断は誤っていた。二人の目の前で、『難破者』たちを収めた各ケージのシャッターが、ゆっくりと上に開き始めていたのだ。
そして、地上へと向かう長い通路の向こうに佇んでいるものを、二人は見た。中世の騎士を思わせる銀色の立像。Vの字型を呈する頭部。
「あれは……」
千尋の頭の中で、眼前の映像と伝聞とが結びついた。あれは、辻村高志がサン=クロン市で交戦したという銀色の怪人――『鏡面』ではないのか。
ミルトンがぐらりとよろけ、かろうじて壁によりかかって体を支えた。わななく唇からかすれた声が漏れる。
「『銀色』……いや、Prinsipal……まさか本当に? だが、アレはまだ――」
『鏡面』はそのまま通路のさらに奥へと消えていく。千尋はミルトンの腕を掴んで注意を引き寄せた。
「ミルトン局長、ここは危険です。中へ戻りましょう」
顔面から音を立てて血が引いていくという感覚を、千尋は初めて理解する。通路に面して開いたいくつものシャッターからは、何体もの『難破者』たちが姿を現しつつあった。
* * * * * * *
ほぼ同じころ。崇とビアンカ、ラエマは落ち着かない気持ちを抱えたまま、金曜日の午後と同じく学生食堂にいた。すでに日は落ち、蒼い夕闇が黄昏にとって代わる時間だ。
検査を受けに医療センターに行ったきり、千尋が帰ってこないのが三人の気にかかっていた。
「チヒロ、遅いね」
ビアンカが斜め上30度ほどの虚空を見上げて言う。これで三度目だ。
「そろそろ、確認を入れた方がいいかもな」
「実ハサッキカラこーるシテル。デモデナイ。電波ガトドカナイトコロニイルカモッテ表示サレル」
「医療センターで電波の届かないところ、だと?」
崇はかつて二年近くこの島で生活している。医療センターの概略図は頭に入っているつもりだった。しかし、ラエマの言うような場所に心当たりはない。
(俺が入れなかったエリアがある……とすると、あるいは地下か?)
不意に、端末に環からのコールが入った。ほぼ同時に、遠くで鳴り響く警報音が耳に入って、崇は顔をしかめた。
「俺だ……この警報音に関することか?」
(ええ。医療センターのセキュリティシステムに異常が発生しました。地下で複数のロックが解除された模様です。ガードに出動要請が出ています)
「どうする?」
(あ、追加情報を拾いましたよ。収容されてた変容体が施設外へ出てるようです。これはなかなか、刺激的な状況かと)
「ビアンカとラエマにはシェルターへ退避してもらうか)
(それがいいと思います。あと、そちらの現在地にほど近い、E-35Mの緑地区画に隣接する道路へガードの車列が向かっていますね。なので、私もそちらへ行きます)
「おい、何をする気だ?」
(タカシ、あなたは原則的に、STORM発生中でなければごく無力です。ですから、それに代わるものを調達しましょう――彼らの外骨格歩行作業車を奪います)
「おい!?」
通話が切れた。崇は数秒、目を閉じる――この状況で取るべき最適の行動は何か? E-35Mはここからそれほど離れていない。
「ビアンカ。ラエマ。リラダン長屋のみんなに一括送信でメールを送れ。重要度『最高』で」
通話内容を全部聞いたわけではなかったが、ビアンカにも、ラエマにも、危機的状況が発生していることはわかった。
「何て?」
「『AIFが学園にテロを仕掛けてきた、シェルターに退避しろ』だ。俺も男子寮の連中に送る」
「AIFノ工作員ガソレイウ。イッツ、アイロニカル」
「済んだら君らもシェルターへな。早く行け、俺の体はひとつしかない」
「うん、チヒロをお願いね」
走り去るビアンカが一瞬、崇を振り返った。うなずいて見送る崇は、ポケットの中でアンカーをきつく握りしめた。
環は津田沼邸から緑地区画を縫うように全力疾走していた。秒速にして毎秒12m。100mを8秒強で駆け抜ける、五輪ランナーを凌駕する速度を維持してすでに800m。平坦なトラックの上ではなく、起伏のあるむき出しの土の上。
ハロゲン灯の光を見つけ、足を止める。木の陰に身をひそめて様子をうかがう彼女に呼吸の乱れは認められない。
車列は停止していた。エンジンのアイドリング音が響く中、木立に沿って移動した彼女の耳に、車載通信機からの音声が漏れてくる。
〈ここまで来れば……命令を変…作戦目的を伝え……〉
姿勢を低くしたまま藪から飛び出し車列最後尾の運搬車に走り寄る。荷台の端にガード隊員が立って、車列先頭の偵察戦闘指揮車のほうを注視しているのがわかった。荷台の上には外骨格歩行作業車がある。コクピットを覆う前部装甲は乗降のために展開されたままだ。
〈脱走し……『難破者』は基本的に、無視……妨害……排除せよ〉
「ふむ。なにか妙な具合ですが、好都合ですね」
環は軽くジャンプして荷台下部のステップに片手をつくと、そこからバネ仕掛けのような動きで足を上にして斜めに跳ね上がった。
ガキン。
異様な金属音と振動にそのトロル乗員が体を後方に向けたのと、環の膝から下がその男の首に絡みつくのはほぼ同時だった。
「なッ……」
環が尻尾をつかまれた蛇のように身をくねらせて上体を持ち上げる。100kgを超える重量がかかり、トロル乗員の頸椎と鎖骨が嫌な音を立てた。
「申し訳ありませんが、せめて最後に――」
環の、二―ハイソックスに覆われていない太ももが彼の顔面を挟み込み、サテン生地が鼻と口に押し付けられる――環はそのまま体をひねって、男の首を折った。
「よい夢を」
ガード隊員の体を引きずり機体の陰に押し込むと、環はそのまま運搬車の前部に向かった。通信機の音声に集中して耳を凝らしているのか、運転手はこちらに全く気付いていない。側面ドアのウインドウから腕を滑り込ませ、瞬時に気管を握りつぶす。
〈……を惹き起こしているPrincipalは医療センターにあるはずだ。突入して、破壊せよ。以上だ。総員、続け〉
「なるほど、これはチャンスです。乗るしかありません」
事切れた運転手に代わってシートに体をすべり込ませ、環はハンドルを握った。前方の車列が次々にアイドリング状態から移行し、前進を始めた。
10秒後。
環が通ってきたのとは反対側から、スキンスーツ姿の崇が現れた事を確認し、環は端末の画面にAIFのマークを呼び出した。液晶のバックライトを最大光度にして彼に示して見せる。
「環!」
「ナイスタイミング。乗ってください、タカシ」
キャリア4号車のドアが崇を飲み込み、そのまま走り出した。




