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懐中の短剣

 サン=ロレ島へ戻るシャトルバスの中で、ラピスはずっと考え続けていた。STORMを起こすものが生物であるとするならば――生物(それ)は、どこにいるのか? 


(そういえば、あの研究員はおかしなことを言っていた)

『怪鳥』がサン=クロンを襲ったその日、ラピスは研究員の一人から、半ば強奪するようにスクーターを借り受けた。その研究員は二日後に愛車を受取りに現れた。


――あんたらがサン=クロンまで出張っていくのは結構だが、この島でのさばってる奴も何とかしてくれよ。


 研究員、ユアン・シャオはそう言った。アルコールに耽溺する悪癖のために同僚からもやや低くみられる、だらしのない男。その印象を知っていたせいで、ラピスは彼の言葉をあまり重要視していなかった。地下の隔離区画に収容されている『難破者(レックマン)』のことだろうと思っていた。


(……だが、そうではないとしたら?)

 膝の上に軽く乗せた手が、握り拳になった。


 バスを降りてゲートをくぐり、私服のままでガードのオフィスに駆け込む。デスクに陣取っていたノーマンが、ぎょっとした表情を見せた。ラピスたちに待機命令が出ている間、彼は志願して指揮官代理の任についていた。

「隊長? 休暇……」

「休暇は返上だ、ノーマン。警備記録を参照したい。構わないな?」

「隊長の御用とあらば」

 とびつくようにコンソールに向かい、施設内での異常検知報告について検索をかける。別ウィンドウで、記録全体からユアンのIDに関連付けられたものもピックアップさせた。

 屋内の監視カメラを中心とした異常検知のログには何もない。だがその一方で、ユアン関連の記録を精査した結果は彼女を愕然とさせた。

くそっ(shit)、どうしてこれに気づかなかった。自分の無能さに絶望しそうだ」


 ユアン・シャオは三週間前のSTORM発生の翌日にも、「夜間に研究棟の廊下で銀色の怪人を見た」と報告していたのだ。呼気に若干のアルコールが検出されたため一笑に付されていたようだが、今となってみればこの情報は到底ないがしろにはできない。

(銀色――)

 橋梁道路の上で二号車を炎上させ、トロル1の首とカラバッジオの命を奪ったあの怪人の姿が目に浮かぶ。

「間違いない。やつはこの島にいるんだ」

「あの化け物が……」

 ノーマンが呆然とディスプレイを凝視した。『銀色』がSTORMの発生源だと断定するにはまだ早い。しかし、あれが研究棟内まで侵入しているとすればそのこと自体が大問題だ。


「ホートリーはまだ意識が戻らない……このことを上に報告してセキュリティ強化を進言すれば、私は十中八九任務を解かれて更迭されるだろうな。その時は、後を頼む」

「隊長……」

「そんな顔をするな。簡単にお前たちを見捨てて出ていく気はない。このカード、使いようによっては……そうだな、伸るか反るかひとつ学者どもの元締めに揺さぶりをかけてみる」

「元締め? まさか医療(メディ)センターの」

「そうだ。単に医学セクションの責任者にしては、やつの権限と発言力は大きすぎる。そう思わんか」

「ジョセフ・ミルトン……」

「ノーマン。もう一つ頼みがある。クラッキングの得意な隊員を探してくれ。医療(メディ)センターのデータベースにアクセスしたい。秘匿性の高い記録にな」

「お任せ下さい、隊長」

 ノーマンが直立し、踵を打ち鳴らして挙手の礼をとった。



 医療センターの受付で案内を請うと、予想に反してあっさりと面会の申請が通った。少々拍子抜けする。ミルトンのオフィスはエレベーターで五階に上がった先にあった。

「どうぞ、こちらのドアです」

 カッターシャツにスラックス姿のクラークが、花梨木を貼った重そうなドアを指し示した。

 入室したラピスに気づくと、ミルトンは保守的なデザインのノート型PCから顔を上げ、すぐにまた視線をディスプレイに戻した。

「ガードの隊長さんがこんな処へ? 珍しいこともあるものだ。待機休養中と伝え聞いていたが――」

「生物」

 ラピスはただ一言だけ発する。

「何だって?」

 ミルトンはきょとんとした顔でラピスを見つめた。表情のどこにも、動揺のかけらも浮かんでいない。

「STORMを起こしているのは何らかの『生物』ではないか、と考えている。サン=クロン市を襲った『怪鳥』についての報告は受けているはずだ」


 ラピスとミルトンの間に、直接的な指揮系統の繋がりはない。医療(メディ)センターとガードは互いの能力、あるいは器材が必要な場合には要請という形で協力し合う。その関係は救急隊と病院のそれにごく似ていた。

 ガードがいなければ、学者たちは『難破者レックマン』という試料を手に入れられない。ラピスとしては、その優位性を盾に相手に肉薄するつもりだった。


「サン=クロン? あれは生物化学兵器によるテロだ、という発表だったのでは?」

 ミルトンの言葉には言外の意図が感じられた。公式発表以上の情報について取りざたするな、という含みだ。それでも、ラピスはさらに踏み込んだ。

「あなたは食えない男だな、ミルトン局長。一般職員や学生はそれでごまかせても、私と隊員たちはやつを見た。戦闘を行った。あれが振りまいた『影響力』はSTORMのそれとほぼ同じものだ」

「興味深いが莫迦げているよ、隊長」

「そうかな」

「我々の研究チームは目下、独自の仮説に基づいて検証を行っている。地球の自転によって発生する誘導電流が――ダイナモ理論についてはご存知と思うが――この島にほど近い場所の地殻中に存在する特殊な金属鉱床に影響を与え、潮汐によって周囲に循環する海水との相互作用で、局地的な電磁波嵐を発生させている、というものだ」

「初めて聞いたな、そんな仮説は」

 なるほど、もっともらしい説明を思いついたものだ。ラピスは心の中でミルトンに向かってつばを吐いた。

「当たり前だ、まだ発表していないからね。君は日本人だからおかしなクリーチャーや手の込んだ陰謀をいろいろと想像するかもしれないが、そんなものは現実に発生している『難破者(レックマン)』と、我々の活動に異を唱えるAIFだけで十分だよ」

「……そうかもしれないな。お邪魔した。だが私の祖国をそんなふうに貶すことはやめていただきたいな。子供だましの安っぽい創作物でも、私たちはそれで色々とかけがえのないことを学んできたんだ」

――苦境の中にあっても希望と誇りを失わずに前進すること。人間の善性を信じること。

――『仲間』を信じ、未来を託して時に我が身を投げ打つこと。


「失礼した……お国が近い将来、世界のリーダーとしての責任を担う、名誉ある国家に再び躍進することを祈らせて呉れたまえ」

「お気持ち、感謝する」


 なるほど、とラピスは思った。これで一つ、確信できたことがある。

 生物説に真っ向からぶつけて打ち消すだけの理論めいたものがすでに出来上がっている、ということは、逆に彼らにはSTORMの原因と作用についてある程度まとまった知見があるのだ。決して表面上装っているような手探り状態などではない。

 それが判っただけでも十分だ。傍目には相手を刺激して自分と隊員をあらぬ危険にさらしていると映っても、ラピスには確固たる成果をもぎ取った手ごたえがあった。何か事を起こされても、有事の際に行使できる武力はこちらが握っている。これでいい。

(それにしても、忌々しい男だ)

 少しくらいは動揺させてやりたいものだが――


「どうものぼせ上って、お邪魔をしたようだ。申し訳なかった。私はこれで失礼しよう」

「それがいい。明日からは君の責任も分散されていくらか軽くなると聞いている。新体制への移行に備えて、よく休むといい」

 ミルトンはあくまでも鷹揚な態度で応えた。

 黙礼して踵を返し、ドアのところまで来てラピスは振り返った。

「ああ、それと一つだけ……私の部下たちを惨殺した『銀色』は、研究棟にも自由に出入りできるらしい。何かあったらすぐに連絡をくれ。外骨格歩行作業車(エクソウォーカー)が進入できないから心もとないが、徒歩戦闘要員(フィールドサーヴィス)を投入してやる」


 その一瞬、背後でタイプ音と衣擦れが途絶えた。廊下に出たラピスの後ろで、自動ドアは音もなく閉まった。


         * * * * * * * 



 津田沼邸のティールームでは、千尋とビアンカ、ラエマの三人が紅茶とクッキーを前にくつろいでいた。現在時刻は午後9時。本来学生寮の門限は過ぎているが、夜12時までに戻ることを条件に許可はとってある。


「凄いお屋敷よねえ。こんなとこを環さん一人で管理してるって、信じられない」

 そういったビアンカの背後に、環がちょうどドアを開けて戻ってきた。

「お褒めいただきありがとうございます。でもほんと、ここは別荘程度のつつましいものなんですよ。母の実家の本宅は、この五倍はあるそうですから」

「くっきー美味シカッタネー」

「辻村さんは一緒じゃなかったんですか?」

 顔を上げて訝しげにそういった千尋に、環は微笑んで見せた。

「タカシはいま、テストに供した新型スキンスーツから、着替えてるところです」

「ああ、あの破れないやつね」

 ビアンカが納得顔でうなずいた。


 崇がテストした新型スーツとは、STORMによる変容中に膨張する肉体に合わせ、身体の部位ごとに伸縮性の異なる3Dメッシュで構成されたものだ。変容前と変容後、どちらの体型にもフィットし、スーツに付属する装備品の喪失を防ぎ、崇の帰投を容易にする。

「モウ裸デ帰ッテコナクテモ済ムワケネ。チヒロチョット残念?」

「そんなこと、ない」

 中庭での初遭遇のショックを思い出したのか、千尋は耳まで真っ赤に染まった。最初の出会いこそひどいものだったが、千尋は自分が次第に辻村高志を意識してしまっていることに気づいている。

 この週末まで、彼女たちは崇と環を交えてあたかもグループ交際のような体裁で行動を共にしていた。周囲から見ればとんでもないハーレム状態だが、崇は常に数歩離れた位置で周囲に気を配って歩いた。崇自身が受けた訓練を振り返るに、どんな思いがけない方法でこちらが交わしている会話を察知されるかわかったものではない、という理由だ。そんな状態での移動中も、千尋は気がつけば白髪の青年を目で追っていた。


 危険な任務を帯び、ともすれば手の届かない過去への強烈な執着を示す、傷跡だらけの男。浅からぬ縁があるらしい黒髪に片目を隠した少女の、甲斐甲斐しい世話焼きぶりが折々に千尋の心をちくちくと痛めつける。

 帰ってきた崇は、目配せの合図一つで環を呼んだ。別室に消えた二人の姿に、千尋は奇妙な苛立ちを覚えた。

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