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渚のシンパシー

〈あの時、不安と恐怖のほかに、『孤独感』としか表現できないものを感じました。真っ暗な中に自分が浮いていて、なにも触れるものがない。そんな感覚〉

〈よく分からないな……だがそれはもしかするとSTORMの正体につながる鍵かも知れない。自分の経験と君の話以外に材料がないのが残念だ〉


 AIFの科学者たちがこれまでに立てた仮説では、STORMとは特殊な電磁波を用いて遠隔的に人間の脳及び内分泌系を変調させ、肉体の変容や知的能力の低下を起こさせる、何らかの装置の起動によるもの、とされている。

 その仮説に従えばサン=ロレのISLE施設群とは、様々な資質を持つ少年少女を集め変容体を作り出す、恐らくは軍事目的の『人体改造プラント』だ。

 超常現象めいた災害を装って、ランダムに対象者を選び出す――崇もこれまではそう考えていたし、その線で諜報活動を行っていた。目の前の少女、皆川千尋も独自にほぼ同じ推論に到達している。


〈決定的な証拠をつかみ、AIFに渡してISLEを国際社会から葬る。それが予定された勝利の形だった。だが――〉


 千尋の言う『孤独感』をその構図の中においた時、それは無視できないレベルの不協和音を発するように思われる。情報の不足が原因で、真実と大きく異なる絵を見せられているのではないか。そんな違和感があった。

 それに、これまでの仮説では崇をサン=クロンへ向かわせた『声』を説明できない。送り込まれた疑似STORMの特性も不可解だった。メイリンの使ったものともやや違う。


(ガード隊員の生存者や、これまでに出た変容体からも聞き取りを行うことができればいいんだが……ん、まてよ)


〈千尋。君は医療(メディ)センターで検査を受ける予定がある、そう言っていたな〉

〈ええ。来週の月曜日に〉

〈可能なら、その時にこれまでの――変容体やガード隊員の『主観的な』STORM体験についての報告を閲覧できないかどうか、試してみてくれないだろうか。その『孤独感』のことはセンターの人間に話しても構わない〉

〈大丈夫なんですか? 重要な情報なんじゃ〉

〈手持ちのカードを切らずに、新しいカードは手に入らない〉

〈賭け……ですね〉

〈人生はいつだって、賭けだ〉

 唐揚げを頬張りながら落ち着いた様子でタイプする崇を、千尋はなにか底冷えのするような思いで見つめた。

(この人の今生きている世界は、私とは決定的に違ってしまっているんだ……)

 硝煙の匂いとでもいうものを、嗅いだ気がした。



          * * * * * * *



 待ち合わせの時間より三分前に、ラピスはビーチへ続くまばらな雑踏の中にゴードン・ハスケルを発見していた。先日の『テロ』による混乱は未だ尾を曳き、このサン=マロ市でも観光客の出足はひどく減っている。

 二人は携帯端末で連絡を取り合い、ちょうど時間ぴったりで合流した。ルネは『お出かけ』にすっかりはしゃいでいて、二人がデッキチェアを借りてビーチにパラソルを立て終わると、即座に夏用ブルゾンを脱いで水着姿になった。

「一人で水にはいるんじゃないぞ」

 ゴードンがそう念を押し、ルネがうなずく。それを見てラピスはほっとした気分になった。この男はごく常識的だし、女子供への対応も堂に入ったものだ。少し寂しくなるが、これなら任せられる。

 昨日早朝にかけた電話。こちらの意図が正確に伝わるまで少々の紆余曲折はあったが、ゴードン・ハスケルはルネの引き取りを快諾してくれた。ISLE関係者の委任状があれば、一時的な身元引受人としては問題ない。イル=エ=ヴィレーヌ県の家庭裁判所は来週初めにでも、申請を受理してくれるだろう。


 パラソルの陰になっていないふとももを、陽光がじりじりと灼く。クーラーボックスを肩から下げた売り子の青年から、ラピスは日本製の缶入りモヒートを買った。

 プルタブを開けて一口あおると、心地よいミントの刺激が喉を駆け下りた。デッキチェアの上に伸ばした足の親指へと向けられた視線の先では、8歳の少女が無心に砂遊びをしている。休暇最終日の過ごし方としては、悪くない。

「大変なんだな。ガードってのは」

 バドワイザーの缶を開けながらゴードンがもごもごと呟いた。


「ええ。ルネを引き受けてもらえて――助かるわ」

 崩すまいと身構えたはずの冷ややかさが、揺らいで溶けるのを感じる。自分は、ルネだけでなく自分自身も預けたいのかもしれない。


 この男に。


 愚かしいことだ。すぐさま自分を叱咤しそんな弱気を打ち消そうとするが、口から出る言葉はなおもラピスを裏切った。

「明日からまた通常任務だと思うと、ぞっとする」

「むこうの島でも、あんなものが――」

 ゴードンの舌の上で言葉が凍り付いた。口を滑らせた――ばつの悪そうな表情がそう告げている。その瞬間、瑠璃沢一美が消え失せラピスはラピスに戻った。

「何を、どこまで知っている?」

 オクターブ低い声でそう口にした瞬間に気づいた。自分も口を滑らせている。 

 どちらからともなく自嘲の笑いが漏れた。とんだ馴れ合いではないか。

「莫迦か、私たちは」

 どの途、ルネを間に挟んで殺しあうわけにもいかない。

「違いない……まあ、俺が知ってるのは見たものと、聞いたことだけだ。サン=クロンで起きた惨事はテロなんかじゃなく、あの怪鳥が振りまいた災いだ。そしてサン=ロレ島では、ああいうことがたまに起きる。それと……」

「旅行者がそこまで知っているのか……あきれた話だ。いっそ退職したくなってくる――それと?」

 ラピスの目がまた鋭くなった。

「おかしな伝説が近郊の修道院に伝わっていたんだ。似たようなことが、6世紀ころに起こったというのさ」

「興味があるわ。詳しく話して」

 ゴードンは修道院で聞いた話を彼女に語り聞かせた。奈落より這い出た悪魔の群。蹂躙される人々の上に天から降り立つ御使い。与えられた力をふるって戦う聖者――

「……信じがたいところもあるが、いずれにしても何かが起きたことは間違いない」

「ふむ……」

 漠然とだが、ラピスの中ではSTORM現象とはISLE内に存在する何らかの施設、もしくはそこで行われる実験が原因ではないか、という推論が生まれていた。それが、先日の怪鳥の襲来によって大きく揺らいでいる。

 あの『難破者(レックマン)』と推定される生物が発したものは、STORMに酷似した影響をサン=クロン市民に、またラピス自身にも及ぼした。とすれば当然のごとく一つの推論が成り立つのだ。

 STORMを発生させているのも、ある種の『生物』なのではないか?


 そして、その推論の上にハスケルの語った伝説を重ね合わせたとき、仮定の段階ではあるが奇怪な図像が浮かび上がってくる。

 STORMは6世紀にも発生していた。それは何らかの生物、恐らくは伝説に語られる『悪魔』か『御使い』によって惹き起こされた――


 半分ほど残ったモヒートを、傍らの砂の上にひっくり返してぶちまける。予定よりやや早いが、休暇は終わりだ。

「ルネ! いらっしゃい」

 優しく、だが強い声で三日間の間ともに暮らした少女を呼んだ。ルネはきょとんとした顔でこちらを見たが、すぐにプラスチック製のシャベルを片手に走ってきた。

「ごめんね、お姉ちゃん、もう帰らなくちゃいけなくなったの。ルネを連れてはいけないのよ。だから、ゴードンおじさんと一緒に行きなさい。いいわね?」

 一瞬、泣き出しそうに顔をゆがめた少女は、しかしラピスの眼に浮かんだものを受け止めた。

「うん、わかった……また会ってくれる?」

「もちろんよ。時間ができたらすぐに連絡するわ」

 抱き上げて頬にキス。そして抱擁。いい子だ。できることならずっと一緒にいたい。

「あんた、そんな表情(かお)もするんだな」

 ルネをラピスから受け取りながら、ゴードンはしみじみと言った。その唇が不意に柔らかいものでふさがれる。次の瞬間、さっと身を離して踵を返し、ラピスは肩越しに振り返ってゴードンに告げた。

「ルネを頼む……島からはできるだけ離れろ、ハスケル。次に会うときは――」

 続くべき適切な言葉が見つからない。一番それに近いものを声に出すことにはためらいがあったが、ラピスはあえて押し切った。

「抱いてくれると、嬉しい」

 ああ、違う。そうじゃない。私はもっと――後悔と自己嫌悪が意識を染め上げる。だがゴードン・ハスケルは静かにうなずいてくれた。


 ルネのバッグだけを置いて、荷物を手に歩き出す。30mほど歩いたときに、後ろから声が追いかけてきた。ただ一言。

「死ぬなよ」

 ラピスは、あの日ゴードンがそうしたように、左手を上げてそれに応えた。



          * * * * * * *



【――問題の核心に存在すると思われる『それ』と聖ロレとの関連性は■□□□】

 医療センターの一室で、ジョセフ・ミルトンは黙々と報告書を作成していた。あて先はローマ・カトリック教会の総本山、すなわちバチカンの教皇庁と、クータンスの司教座だ。


【現時点では疑問を抱かざるを得ません。現地の伝説に残る『御使い』とは必ずしも■□□】

 そこまで入力した後、ミルトンは目を閉じてため息をつき、ここまでタイプした報告書3000文字を保存せずにエディタを終了させた。窓辺に移動して遠方を眺め、眉根を揉む。


(バチカンに、彼らが欲しがっているような内容の報告を送ることなど、できるものか)

 それは彼にとって二つの意味での背信だった。現在、医学研究者としての彼に資金と身分を与えてくれている、ISLEへの。そして、成人するまで自分を育ててくれた修道院長と、彼から受け継いだ神学と思想への。


 だから、できない。

(師よ。主よ。私に、彼らと戦う勇気と力をお与えください。叶うことならば勝利の時まで)

 だが、とミルトンは反芻する。週明けの月曜日にはISLE財団の大口出資者の一つであるルビコン・オードナンス社が、台湾支社から厳玉鈴(ユアン・ユーリン)を派遣してくる。

 直接的にはガードの上位統括者という地位だが、STORM研究の性質上、ミルトン自身の権限も大きく制限されることになるだろう。いつまでこの状況を維持できるか、研究を続けられるかは甚だ危うくなってきたといえる。

(プランBへ移行せざるを得ないか……)

 自分の計画通りに進められないのであれば、思い切り引っ掻き回してやろう。あれが神などで――御使いなどで、あってたまるものか。


 月曜日に予定している日本人学生、皆川千尋の検査のことも気にかかった。彼女の謎――STORMの中で影響を免れるその特性についての解明は、いずれ悲惨な境遇にある多くの人々を救うかもしれない。彼女自身を救うことにはならないかもしれないが。


 麦は地に落ちて死ぬことで、実りをもたらすのだ。

 

 バカ連載が終わってようやく更新再開です。お待たせしました。いよいよギリギリ感あふれる日程、二宮杯には間に合うのかw


次回もお楽しみに。

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