渦中への門出
正午にはまだ時間があった。だが陽射しに焙られたアスファルトの上には既にゆらゆらと陽炎がたち、路面には遠くの建物が逆さに映り込んでいる。
サン=ロレ島への入り口にあたるゲートの前。本土へ向ってバスが引き返したあと、停留所のカマボコ形の屋根の下には、国籍も人種もまちまちな一団の少年少女たちがどこか頼りなげに佇んでいた。
フランス本土との間をつなぐ、防波堤を兼ねた構造の長大な橋。島とサン=クロン市を結ぶそれを一日に数度往復するシャトルバスで『ISLE』へとやってきたのは、計画加盟外の各国から厳正な審査を経て編入を認められた、高い知能指数と身体能力、また、それぞれに何らかの世人に隔絶した『才能』を持つとされる『学生』たちだった。
「千尋ちゃん、行こうか」
バスの車中で意気投合した同じ日本人の男子学生、平川慧一が気さくな調子で呼びかけてくる。見るものが見れば彼の端正な面差しの奥底からは、どこか軽薄で好色そうな内面がうかがえるのだが、皆川千尋は未だそれに気づくほど人として練れてはいなかった。
「ええ、行きましょう」
ゲートへと歩き出した彼らは、それぞれにポケットから明るいグリーンの透明なプラスチックでできた、短いスティックを取り出した。それは一見すれば前世紀の1980年代頃にビジネスホテルなどでよく使われた、ルームキーのキーホルダーに酷似していた。
だが、これは携帯性と紛失しにくさ、比較的硬性のセキュリティを兼ね備えた電子記録媒体だ。ISLEでは個人認証と進入可能エリアの区分、そしてプリペイド方式による各種の通貨支払いにこのスティックが利用される。
「量子化暗号式登録データ格納機器(Quantized encryption Registration data storage Equipment)」の頭文字をとってQREという略称で一般に通用しているが、日本人の間ではかつて旅客鉄道で使用されたカードからの連想で『キュウリ・スティック』と呼びならわされていた。
スティックを読み取りセンサーのリングにくぐらせると華やかな電子音が響き、黄色と黒でだんだら模様に塗装されたゲートのストッパーが、回転して垂直に上がった。
10人ほどの少年少女たちはゲートを抜け、手元の端末に表示された宿舎までの順路にそって、石畳の道を歩いていく。島を遠方から見たときのやや冷たい印象とは裏腹に、内側へ入ってみればここにはまるで中世の城塞都市のような、古色を帯びた石壁や切妻屋根の建物が並んでいた。
程よい間隔で植えられた街路樹に目をやりながら、千尋の目はその風景の中に混ざった、ひどく場違いな印象を与えるものに吸い寄せられていた。
羊羹箱の片端をすっぱりと斜めに切り落としたような四角い車体に、分厚いコンバットタイヤを履いた四軸八輪の装甲車両が数台、木陰に停車している。エンジンはかかったままらしく、車体の周囲には薄い煙が漂っていた。
日本で時たま見かけたJSDFの装甲兵員輸送車に良く似ている。だがこの白く塗装された装甲車は車体上面の大きな楔形の銃塔から、長大な砲身の機関砲らしきものを突き出していた。塗装とは対照的に、威圧感がある。
(やだ、何であんな車両があるんだろう?)
この島は計画加盟国の警備艦艇によって周辺が常時パトロールされ、厳重なレーダー網でカバーされているとは聞いていた。陸からの入構経路は先程通った橋だけだ。
千尋は得体の知れない不安に襲われて、ふと周囲の学生たちを見まわした。
(まさか、この中に工作員やテロリストが紛れ込んでいたりとか……?)
そんなことがあるわけはない、と自分に言い聞かせる。ISLEは現に加盟国以外からも学生や研究者を受け入れ、基金から学費を支給までして人材を育成している。敵意を抱かれるはずなどないではないか?
だが装甲車は厳然としてそこにあり、付近の路上には搭乗員らしき武装した人影がぱらぱらと佇んでいるのがわかる。いわゆる軍服の類ではなく、ゴルフウェアのようなスラックスとシャツ、あるいは合成皮革製の黒っぽいツナギのようなものの上に、彼らはそれぞれ弾薬パウチ付きのタクティカル・ベストを着こんでいた。
「へえ。ああいうの興味あるんだ」
慧一がそういいながら、何やら手慣れた様子で千尋の手をとり、横に並んだ。
「別にそういうわけじゃないんだけど……」
長身の少年がごく自然に示した、そつのないエスコートぶりに頬を赤らめながらも、千尋はここに来る前サン=クロン市で買った、中古の制服のすり切れかけた袖口を思い出して、居心地の悪い気おくれを感じていた。
「早く行こうぜ。みんなもう先に行っちゃったよ」
慧一の言う通り、今や付近にいる『学生』は千尋たちだけになっていた。
「『新入生』か……。まずいときに来てくれたものだな。好奇心に駆られてその辺に鼻を突っ込んで回らないでくれるとありがたいが。ホートリー、それらしい反応はあったか?」
警備部隊『ISLEガード』の隊長、ラピスは車長用ペリスコープの視界に路上の学生たちを捉えたまま、傍らの部下に呼びかけた。
「ダメですね。赤外線センサーにもドップラーレーダーにも何も出ません。考えられない」
「考えられないなんて言う言葉は辞書から消すんだな、ホートリー。相手はレーダーをかいくぐって個人降下翼で低空進入するようなやつだ。案外我々など、そいつから見ればド素人かもしれんぞ」
「……面白くない想像ですが、同感です。もう少し各種センサーの感度を上げてみましょう」
ラピス――瑠璃沢一美はため息交じりに応えた。
「ああ。そうしてくれ、ホートリー」
一通りの訓練は受けているが、ラピスたちは『軍人』ではない。このISLEに非公開で出資している兵器メーカー、ルビコン・オードナンス社の警備部門から出向してきているサラリーマンに過ぎない。表向きには民間軍事会社ブラックウォード・インターナショナルからの派遣ということになっている。だがブラックウォードは本当のところ、実体のないペーパー・カンパニーだ。
深夜に受けた出動要請を、ラピスは苛立たしく思いかえしていた。昨日も幸いに何事も起こらず、定時のパトロールの他には訓練を兼ねたスカッシュの対戦くらいで終わった。退屈だが平和な一日。
だが締めくくりのシャワーを浴び、髪にシャンプーをまぶそうとしたところで携帯端末の着信音がけたたましく鳴り響いたのだ。
レーダーでカバーできない低空を監視するため、島の数か所に設けられた立哨所からだった。その内容は――
『警備艦艇の哨戒エリア、5km半径外から低空侵入する小型の飛行物体を発見、顕著な熱源の反応を確認できず。個人降下翼と推定』というものだ。
手のひらに取ったばかりのシャンプーを悪態をつきながら洗い落とし、濡らしただけの体を拭いて戦闘装備を身に着け、車庫に駆け込んで部下を点呼。島内をくまなく走り回って――既に10時間になる。
侵入者そのものはおろか、間違いなく取り外してどこかへ隠匿もしくは放棄したはずの個人降下翼も見つかっていない。
(まあ、『STORM』警報でなかっただけましか)
この島での任務における最大の厄災を想起し、背筋がぞくりと粟立った。
「感度最大で反応なしです。着陸に失敗して、もう冷たくなってるんじゃないですかね、そいつ」
ホートリーがうんざりした様子で、赤外線カメラ群のモニタ映像からいったん目をそらした。
二人が乗り込んでいる装甲偵察戦闘指揮車『ミゼリコルド』には現在、島内全域に設置された赤外線カメラの映像が集約、送信されて来ている。
「冷たく……」
なんとなく部下の言葉をそのまま口の中で繰返す。冷たく――そうだ、たとえば濡れた泥を全身にくまなく塗り付けていれば体表温度はかなり誤魔化せるのではないか?
(そんな事までしているとしたら……いったい何者だ?)不安と苛立ちが止まらない。それを部下に気取られるわけにもいかない。
「えっ?」
不意に、ホートリーが声を上げる。ただならぬ気配にラピスがそちらへ視線を向けると、モニタの映像がすべて消えていた。頭の中で、経験が警鐘を鳴らす。
これは、アレだ。
〈総員に連絡! 頭部防護システムと車載シールドを起動、状況に備えろ! 減衰タイム経過後、持続レベルに入り次第、外骨格歩行作業車3機をリフトアップする!〉
ヘッドセットのマイクを口元に押し付けるようにしながら、指揮下の車両群に対して指示を飛ばした。
〈一号車、了解!〉
〈二号車、了解!〉
〈ウォーカーキャリア1、了解――〉
通信回線に次々と飛び込んでくる部下たちの応答を確認しながら、ラピスは耐え難い悪寒と動悸、ねじれるような胃痛を味わっていた。無論、まだ単なる自己の生体反応だ。いざ始まればこんなものでは済まない。
――『STORM』が、来る。
街路上に設置されたスピーカーから、耳障りな警報音が流れた。人気の巨大ロボットアニメシリーズで、主人公たちの拠点に敵の襲撃が行われた際に流れるものにそっくりな、切迫感のある断続音だ。
「え、なに。何なの!?」
突然のことにおろおろする千尋を、慧一はひしと抱き寄せた。だが、彼の表情に先ほどまでの余裕はない。
「僕にも分らないが……なにか災害の警報だよな、これは」
歩道の縁に吹寄せられてたまったマロニエの落葉が、ふわりと浮き上がった。辺りにはいつの間にか渦巻くように風が吹き出している。
〈ISLE全領域にSTORM警報を発令します。繰り返します。ISLE全領域にSTORM警報を発令。領域内の職員及び学生、その他の滞在者は至急、最寄りのシェルターへ退避してください。励起タイムまで推定30秒です〉
合成音声にありがちな若い女性のものではなく、落ち着いた男性の声で無機質なアナウンスが流れた。だがその音声の微妙な震えは、それがだれかの肉声であると語っていた。
「なんだぁ、こりゃあ!?」
「さ、30秒!? 短すぎる。シェルターってどこなの?」
詳細はわからないが、そのためにシェルターが設けられる災害となれば危険で深刻なものに違いない。生まれて間もないころに起こったという核施設の大事故を思い出し、千尋はひどい恐怖にとらわれた。
「あれ……あれじゃないか!?」
慧一がやや離れた場所にある、路肩の建造物を指差す。短い丸頭ボルトを半ばまでねじ込んだような形の、白いペンキを塗られた金属製のもの。観光地の電話ボックスをなんとなく連想させるそれは、しかし今やゆっくりと回転しながら、地中に沈み込んでいこうとしているようだった。
「拙いぞ……走れ!」
慧一に促されて、千尋もその物体のほうへ必死で駆け出していた。
6/1 追記
ミゼリコルド偵察戦闘指揮車の車輪の数、数え方を間違えていました。四軸八輪に修正しています。