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それぞれ、休息の夜

 崇は激しい自己嫌悪に襲われていた。そして頬が痛い。というよりも、左の下顎骨が痛かった。ベッドの傍らで顔を真っ赤にして依然むくれたままの少女は、彼の骨に埋設された『フェイス・アンカー』の固定用ワッシャーを思いっきり強打してくれたのだ。


 とはいえやはり自分が悪い。最初に目覚めたとき、朦朧とした視界の中に彼が最初に認識したのは、このリラダン長屋テネメント14号室の天井からぶら下がる、錬鉄製の無骨なシャンデリアだった。ろうそくを上に立てる中世風のものを模して造られているが、光源は白色LEDだ。それは彼にとって強い印象のあるものだった。

 偶然にもこの部屋は、都とメイリンがかつて共同生活をしていた、まさにその相部屋なのだ。アンカーの電気ショックで意識を断たれ、目覚めた後も軽い譫妄状態にあった崇はすっかり状況を誤認してしまった。三年前のSTORMに遭う直前、つまり都と結ばれた直後の瞬間だと思いこんだのだ。そこへ黒髪の少女の顔面が目の前に――


「その……申し訳ない。本当に済まなかった」

「もういいです」

 当然のことながら、少女の態度は硬化したままだった。

「初めてだったけど、別に気にしてないですから。もういいんです」

 実のところ全くよくはなさそうだ。


 その様子を見て、崇は途方に暮れた。どこからか送り込まれたSTORM類似のパワーによって変容体としての力を振るった、そのツケが肉体に回ってきている。早急にエネルギーの補給が必要だ。具体的に言えば、何か食物をとらなければあと一時間と経たずに再び昏睡に陥るだろう。しかしこの雰囲気では言い出せそうにない。


「……名前」

「え?」


 部屋にいたもう一人、金髪の少女が崇をじっと睨むように見ている。一瞬戸惑った彼に、少女は畳みかけて来た。

「名前よ、名前。あなたの名前。日本人でしょ? 何があったかまだよくわからないけど、他人に面倒をかけておいて名前も名告らないってのはレイセツに反するんじゃないの」

「う……そうだな。君の言う通りだ。俺はふ――辻村高志。二日前に編入された日本からの」


「タカシ・ツジムラ? ドレドーレ」

 入ってきた時のまま部屋の入り口に立っていた、アフリカ系の少女が、ポケットから個人用端末を取り出した。画面をタップして何かメニューを呼び出そうとしている。


「デタデタ。タカシ・ツジムラ……オー、ばいあすろんトくろすかんとりー・すきーノ元たいとる保持者ナノカ、スゴイネ!」

「中学の頃ね――昔の話だ。事故で競技からは退いた」


 アフリカ系の少女が参照した、名簿のプロフィールに記された情報はもちろんフェイクだ。だが津田沼邸の地下に潜伏している間に、こういう時はそつなく応答できるように練習してあった。

「じゃあ、その体の古傷はその時の?」

 黒髪の少女が訊いてくる。崇はうなずいた。実際には彼女が見たのは、AIFの保護下にあるときに特殊部隊の訓練で負った、さほど重大でない負傷の痕なのだが。

「ふーん…じゃあ私たちも自己紹介しなくちゃね。私はビアンカ。ビアンカ・パーマーよ。出身はニュージーランド」

「ラエマ・ンガングラ。こんごカラキマシタネー、ヨロシクネ」

「皆川……千尋です。日本から」

 にぎやかに名告りあう少女たちの姿はなかなかに心ときめくものだったが、崇は想像以上に早く限界を迎えていた。目がかすむ。肺で圧縮した空気を噴射し高速移動する派手な能力を使った影響で、胸部にもひりつくような痛みがある。それに低血糖。


 ベッドの上に起こしていた上半身を支えきれなくなり、がっくりと後方に倒れ込んだ。

「ちょっと、寝てる場合じゃ――」

「すまないが、頼みがある……なにか、食べるものを……」


「オゥワ! コレカナリヤバイネ!? ワタシノ村デ昔収穫前ニ畑焼カレタトキニ――」

 意識が暗転し、ラエマの妙に生々しい体験への言及が耳の中でループして次第に消えていった。


         * * * * * * * 



 丸一日経っても市内の混乱はまだ収まらず、外周部には近隣から駆け付けた緊急車両や報道関係者の車がごった返していて、通行を規制しようとする警察と右往左往する群衆が険悪な状況を作り出していた。その音がここまで響いてくる。

 ゴードンは三日前に訪れた、サン=ロレ修道院の分院に宿を求めていた。修道士はごく快く彼を迎え入れてくれた。

「街は大変なことになっているようですな、ご無事で何よりでした。当院には今、ほかにも市内から避難してこられた方が安息を得ておられます……あなたにも神のお恵みを。といっても急なことで何のおもてなしもできかねますが」


 修道士はそういったが、食事は満足のいくものだった。茹でたほうれん草をチーズと和えた、ねっとりとしたペーストがパンに添えられ、玉ねぎとベーコンのスープ、それに少量のワインとともに供された。

 鐘楼に隣接した小部屋を与えられ、薄い毛布をかぶって昨日無理をし過ぎた体を休めていると、ホテルの部屋に置きっぱなしの旅行バッグのことが頭によぎった。

 手回りの貴重品はあらかた腰のポーチに収めていた。バッグを取り戻せなくても金銭的な損失はごく少ない。だが、当座の着換えがないのはなんとも具合が悪かった。どうにか隣のサン=マロ市あたりまで出ていってこまごました買い物ができればいいのだが――

 そんなことを考えながらごろごろしていると、携帯端末に着信があった。アラームはStyxの『Mr.ロボット』。直接通話の時に鳴るよう設定した物だ。


 壁の時計を見る。時刻が正しければ、夜の11時27分。


「はい、ゴードン・ハスケルです」

〈夜分にすみません。瑠璃沢一美です〉

「誰だって?」

 とっさに口走ってしまった後で、ゴードンはそれが昨日のガード分遣隊の指揮官であったことを思い出した。

「ああ、いや――あんたか。本当に電話してくるとは思わなかった」

〈昨日はご協力ありがとうございました。少し時間ができましたのでお話をできれば、と思いまして〉

 何だか妙な感じだ。あの指揮官はこんな話し方をしていただろうか。

「本当に昨日の隊長さんなのか。莫迦に丁寧というか――」

〈……これが素です。普段は荒っぽい部下たちに囲まれていますので、相応にふるまわないと〉

「……大変そうだな」


 電子装備を鈴なりにしたヘルメットの奥から覗く、眼光鋭いが知的な輝きを備えた眼を思い出した。引き結ばれた唇と咬筋の発達した意志の強そうな顎。それにこの喋り方ならば、なかなか魅力的な美女だったのではないか。

「それにしても無事でよかった。あの橋の上の爆発、あんたたちだったんだろう?」

〈ええ……兵員輸送車に乗っていた部下を一度に失いました。幸いあの女の子は、別の車両に乗ってたので無事です。ちょっとおでこと膝をすりむいて泣いてましたけど〉

「ありがたい……気になってたんだ。あんたの番号は聞きそびれてたからな」

〈恐れ入ります〉


 瑠璃沢一美は、重ねて任務への協力に感謝を表明した。保護した女の子は当面、自分の宿舎で預かって一緒に暮らすつもりだという。


 ゴードンはそれを聞いてぎょっとした。

 あの島に? サン=ロレ島ではSTORMとやらが発生して、昨日のような騒ぎがちょくちょく起きるのではなかったか。大丈夫なのか?


 その一瞬の動揺は、一美にも伝わってしまっていた。

〈どうしました?〉

「ああ、いや、何でもない。疲れてたせいかちょっと眩暈(めまい)がしてね」

〈そうですか、じゃあ今日はこれで失礼します、お大事に〉

「済まない……俺は旅行者だから、あの子を見てやれないからな。実際助かった、ホッとしたよ」

 通話は切れた。ゴードンはしばし、胸に手を当てて動悸が静まるのを待った。

「くそ……まさかカマをかけられてたんじゃあるまいな?」

 こっちがSTORMについて知っていることは、まだ察知されていないはずだ。されていないと信じたい。だが、ゴードンには瑠璃沢一美からまた連絡(コンタクト)があるのではないかという奇妙な予感があった。



         * * * * * * *



 中庭に落ちていた全裸の男――『辻村高志』の状態を把握した千尋たち三人は、ありていに言ってかなりのリスクを負って、彼の要求に応えることになった。

 ティールームの砂糖壺から中身をごっそりくすねてバカ甘い紅茶を淹れ、戸棚の中に誰かの名前を書いて仕舞われていたクッキーをちょろまかす。もちろん彼の食欲、というより飢えに対処するにはそんなものでは足りない。 シャッターを下ろした学生食堂を恨めしく見つめながら、千尋は遅くまで開いている研究員向けの購買部に出向いて、割高な加工済みあるいは冷凍の食品を買い求めた。


 ソーセージの缶詰にカップラーメン(食べなれた日本のものではなく、ヨーロッパで生産された微妙な味のものだ)、冷凍のピザにレトルトのハンバーグ――実家にいた時にはこんな費用の掛かる贅沢な、それでいてジャンクフードとしか言いようのない代物に手を出したことはない。

 ビアンカのリーダーシップの強い性格が、この時ばかりは恨めしく感じられた。全員で出かけて分担して買い物をしようと主張した千尋に、ビアンカは「誰か見ていなかったらこの男は逃げ出すか、寮内に徘徊して怪しからん事をするかもしれないし、逆にこのまま昏睡が覚めずに容体が悪化して死ぬかもしれない」と、隙のない論理で切り返し、くじ引きでの買い出し担当決定を言い渡したのだ。


 残念ながら、千尋はそのくじ引きで赤い印のついた紙を引き当ててしまった。

(うう……ついてない)

 とんだ散財だ。日本人同士ならこういう時は立て替え払いにしてあとで徴収することもできるのだろうが、彼女たちにその論理が通じるのかどうか。自分の語学力でややこしい貸借関係を納得させられるかどうかもわからない。


 それに、そもそも『辻村高志』を拾ったのは千尋、二人は日本人で同胞、ならば彼の面倒は千尋が見るべき――そんなふうに思っている節すらある。


 両手をふさいだ紙袋の間でバランスをとりながら、千尋は『もしもたった今STORMが発生したら』という恐ろしい想像に震え上がった。多分そんなことになったら、自分は絶対にシェルターまでたどり着けない。脳を破裂させて死ぬか、平川慧一のように生まれも付かない怪物に変わるか――


(あれ?)

 そういえば、とふと思い出す。

(私はあのSTORMの中で、影響を受けていなかったのよね?)

 退院前にミルトンと交わした会話が脳裏によみがえる――


(CTスキャンや脳血管造影の結果も、まったく異常なし。不可解だ)

(できれば今後も、我々に協力して欲しい。時々簡単な検査をするだけだが、データが蓄積されれば君の友人を救えるかもしれない)

 ミルトンは確かにそういっていた。


(どういうことなんだろう……辻村さんが目を覚ましたら、よく話してみたほうがいいのかも……)

 寮へと急ぎ足で戻る千尋の影が石畳に長く延びる。等間隔に並んだシェルター・ポストの丸い屋根が眠気を誘うリズムで繰り返される。


 その一つの上にぬるりと這いあがったピンク色の塊に、千尋はまったく気づいていなかった。

何とか今夜も一回更新可能になりました。ラストまでのプロットを再検討するのにちょっと時間がかかりまして。まあだいたいオーライで行ける感じに。明日も頑張ります。

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