La Prince Perdue (迷子の王子様)
「で、この人何なの」
ビアンカが千尋をまじまじと見つめた。気絶した泥だらけの全裸男を三人がかりで千尋の部屋に運び込み、蒸しタオルで全身を清拭したあげくに言う言葉としては甚だしく遅きに失していたが、この発育のいい金髪の美少女はいたって真面目だ。
「説明してくれるまでは、これを秘密にする約束はできないわよ」
「うん……」
「男ノ人ノ体、初メテ触ッタヨー」
ラエマが頬に両手をあて、首を左右に振りながらおどけた調子で繰り返している。恥ずかしい気持ちと裏腹の興奮を、彼女なりに表現しているらしい。
現在の状況が千尋にとって恐ろしく不利で危険なことはわかっていた。女子寮は男子禁制だ。寮監のエッジワース女史はごく穏やかな性格で、思春期の青少年の行動にも理解があるのだが、さすがにこれを知られるわけにはいかないだろう。
千尋は小さく息を吸い込むと、昨日まで空いていた二段ベッドの下段を見つめた。全裸男は今、首から下にシーツをかけられ、やや青い顔をして眠っている。呼吸は浅くて速く、あまり良い状態でないことがうかがわれた。
顔面にきつく食い込んでいた仮面は、接合部のビスの脇にあるボタンを押すことであっさりと外れた。その銀色の物体はいま彼の右肩のそばに置かれている。仮面の下から現れた顔は、入寮初日に並木道で目が合ったあの日本人学生に違いない。
「三週間前のSTORMの時ね、この人が私を助けてくれたの」
「はあ? 意味が解らないんだけど」
ビアンカたちは、千尋が一度左腕を失った経緯を『STORMで制御を失ったバスの暴走事故』と理解している。まともに考えれば、無防備に寝ているこの青年が単身なにかを為せるような事態ではない。
「チヒロヲ助ケタノ、ガードジャナイノカ?」
「負傷した私を医療センターへ運んだのは……ガードのはずよ」
千尋は皮肉な思いにとらわれた。彼女が医療センターへ運ばれたのもガードの――20㎜機関砲弾によるものだったからだ。
(彼女たちには、本当のことを話すべきなんだろうか?)
踏み切れない迷いがあった。医療センターのミルトン局長は、STORMの正体を余人に漏らすことを言外に禁じていたようだったからだ。
腕を修復してもらったことには恩義を感じている。医療と児童福祉に燃やす彼の情熱も、本物に見えた。彼の懇願を無視することは正しくないのではないか。そんな迷いだった。
「チヒロ! あなたもっと何か隠してるでしょ?」
不意にビアンカが目の前すれすれに顔を近づけ、千尋の目をのぞき込んだ。
ドクン。
千尋の心臓が大きく跳ねあがる。
「私たちは友達よね? ねえ、私は『隠し事はいけない』とか、そんな常識レベルの話をしてるんじゃないのよ。女子寮に裸の男を引き込んで、それを私たちに手伝わせて、『この人に助けられた』っていうんなら、いくら私がおっちょこちょいで莫迦でも、到底まともな話じゃすまない事情があることくらい分かるわ……だから話して。あなたを身構えさせてるモノを、私たちにもぶん殴らせなさいよ」
「うっ……」
痛撃だった。千尋の目に思わず涙があふれる。何でこの子はこんなに直截なのだ。何でこの子はこんなに鋭いのだ。なんで――
「アー、ビアンカ、チヒロ泣カセターヨ!」
ラエマの無邪気な言葉がとどめになり、千尋は決壊した。とめどもなく涙が流れ、嗚咽が止まらない。
彼女たちを守ろうと決めたはずだったのに。手に届く範囲だけでも守ろうと決めたはずだったのに。
(私はもう少しで、またこの子たちに対して裏切りを積み重ねるところだった!)
ごめんなさい。ごめんなさい。
「チヒロ……」
「ごめん、ごめんねビアンカ。ありがとうビアンカ。ちゃんと話すわ――」
呼吸を整え、涙と鼻水でどろどろになった顔をハンカチで拭う。千尋はゆっくりと、つっかえつっかえしながらこの島とSTORMについて知ったこと――知ってしまったことを語った。
話が進むにつれて、二人の顔色が悪くなっていく。ラエマが口元を押さえて部屋を飛び出した。
「話せっていったのは私だけど、正直に言って後悔してる。でもありがとう、チヒロ」
ビアンカがこれも目元に涙を浮かべて、千尋の手を握った。
「今の話が本当なら、私たちはなにか、とてつもなく邪悪なことに巻き込まれてるってことよね」
「ビアンカもそう思う?」
「思う」
ビアンカはそこでふと言葉を切り、ベッドの上に視線を投げかけた。
「じゃあ、この人は多分……」
その時、男の唇が開き、かすかな声が漏れた。
(都……メイリン……)
千尋とビアンカが思わず顔を見合わせる。
「……喋った」
「もしかしたら、もうすぐ意識を取り戻すのかも?」
「ほんとに!?」
期待を込めてベッドの上に乗り出し、千尋は男の顔を真上からのぞき込む。
ほぼ同時に、男の目が開いた。まだ霞がかかったような焦点の合わない様子だったが、頭を傾けて部屋の様子を見ると、何か納得したように顔をほころばせ、次の瞬間――千尋をぐいと抱き寄せ唇を重ねた。
「――!!!!」
突然のことに目を白黒させ抱擁から逃れようともがく千尋の後ろから、追い討ちのように声が響く。
「ウワォゥ! チヒロ、ヤッパリ運命ノデアイカー!?」
ラエマだ。いわく言い難い場所から帰ってきたものらしい。
(何よこれ! もう! めちゃくちゃだわ!)
突然の憤怒に駆られて力を振り絞り、寝起き男の妙に力強い抱擁から逃れる。そのまま右手を大きく振りかぶり――
パァン!
『リラダン長屋』14号室に、鋭く乾いた音が響いた。
* * * * * * *
金属製の重厚なケージが並ぶ倉庫か体育館のようなその空間には、獣めいた匂いと汚物の悪臭が充満していた。空調設備はあるのだが、そもそも臭気の源がここには多すぎるのだ。
「まったく、ぞっとせんよな」
ヴィエニャフスキは飼料カートを押しながらぼやいた。このセクションへ入れるのは、ISLEでも一定以上の機密事項にアクセス権を持つ人員に限られる。結果、研究員としては古参の彼が、手ずからこうして餌を運ばなければならない。
医療センター地下に存在するここは、『難破者』たちの集合病棟だった。そういえば聞こえはいいが、実際には猛獣の檻を並べたサーカスのテントに等しい。ここに収容されているのは主に、知性のほとんどを失った獣同然の『難破者』だった。
「俺もお前らも、まあよくよく貧乏籤を引いたもんだな」
ケージにつけられた小さな跳ね上げ式の戸を開け、それぞれの個体ごとに指定された食事を押し込む。元が人間とはいえ、彼らの口の構造はほとんど共通性を持たず、てんでばらばらだ。
もっと凶暴で危険な個体や、知性を残し重要なサンプルとして扱われる個体は、別棟のさらに厳重な封じ込めが施された施設に収容されている。ヴィエニャフスキはしばらく前にSTORMで失った部下の代わりに、この『動物園』の管理まで抱え込まされていた。
左右のケージを確認しながら進む、その足がふと止まる。
(なんだこりゃ――こんなところにこんな大きなケージがあったか? それに毎日来ているはずなのに、俺はこいつに見覚えがないぞ?)
ヴィニャエフスキは困惑した。見ればケージはずいぶんと古く、あちこちに浮き出た錆や底部にこびりついた排泄物を見れば、到底昨日や今日に運び込まれたものでないことがわかる。
中にいたのは、スモウの力士のように肥え膨れ上がった、巨大な生き物だった。頭部の半分を昆虫めいた複眼が占め、天井の照明を反射して虹色に輝いている。頭部のすぐ下、まともな人間でいえば肩のあたりからは、長く細い肌色の腕六本が下方へと延び、頭部の中央から垂れさがった、液体を吸い込むタイプの口器と対照をなしていた。
特徴的なのは、その体の後ろ半分だった。何か脂肪質のブヨブヨとした灰白色の塊が全体を覆い、半透明な組織の中に血管が走っている。表面には深い皺が入り組んで走り、エメンタール・チーズのような穴、もしくは窪みが散在している。一言で言えば、それは巨大な脳に似ていた。
(知らんぞ、こんな奴は……いったいいつ、どこから来たんだ?)
慌ててケージの前面をなめるように見まわし、搬入日時と人間だったころの身分を示すIDを確認しようとする。目の高さよりやや上にそれは細いワイヤーで括り付けられ、カビの生えたビニールのカードケースに収められた紙片にはおおよそ三年前の日付が記載されていた。
「ずいぶん前だな……で、お前一体何を食うんだ?」
言いながら、自分の順応ぶりに苦笑いをこらえられない。この異形たちに餌を運んで与える日課が、いつの間にかごく当たり前の仕事になりつつある。おまけにどうやら、彼らへの愛着すら湧いている気がする。
カートの隅におかれたスープのようなものの入った蓋付きの皿に、なぜか自然に目が行った。
ああ、これなのか。よしよし、いまそっちへ入れてやるからな。
もしも今このとき、ヴィニャエフスキの精神活動を誰かが克明に監視していたならば、間違いなく警告を発していただろう。皿をケージに押し込んで戸を閉めた瞬間、彼の認識と記憶から、そのケージと住人の情報はぽっかりと穴が開いたように消え失せていた。
IDラベルに記された、『Makoto Kurakawa:JAPAN』の文字も。
ヴィニャエフスキがカートとともに立ち去ると、そのハエに似た頭を持つ醜悪な『難破者』は長く深いため息をつき、体のどこかを震わせて、一言「タ……カ……シ……」と呟いた。
体の後ろ半部、肥大した脂肪組織のようなものの上に、紫色の電光が生まれ、チリチリと音を立てて這いまわる。
「今日……ハ 疲レタ……」
忘れかけた人間の言葉を、必死に音声にしようとしたような、くぐもった声が響く。それを聞くのはただ、『動物園』にひしめく『難破者』たちだけだった。
今日も二回更新できました。明日もお楽しみに。




