ゴードン、奮戦
「……さて、続いてこちらの映像とお手元の資料をご覧ください」
会議室端、大画面プロジェクターの前に陣取った研究員が淡々と説明を続ける。そこには化学的な成分分析の結果をしめす、3D折れ線グラフが2つ、表示されていた。
「こちらは先のSTORM発生の際に、当日到着したばかりだった学生が変容した
『難破者』が残したと推定される遺灰の分析結果です」
研究員は画面左側の折れ線グラフを、グリーンのレーザー光で指し示した。
「この遺灰の主は、現在仮に『血赤の獅子』あるいは『赤い獅子』と呼称されている未確認の『人間型生物』との交戦に敗れた可能性が高い。若干の目撃証言はそれを裏付けるものでした」
(随分と洒落た仮名をつけたものだ)
ラピスはひそかに苦笑した。彼女にしてみれば問題はその『獅子』とやらが、この島にまだ潜伏している可能性がある事なのだが。
「ガス・クロマトグラフィ分析の結果、この難破者の遺灰からはニホンの『火葬場』で採取した通常の遺灰サンプル、つまりこの右側のデータに較べて、有意に多くのナトリウムが検出されています――炭酸水素ナトリウムと、一部は水酸化ナトリウムとして」
「つまりこう言うことですか? 『難破者』を焼死させ灰に変えたのは、ナトリウムと水の化学反応による爆発だ、と」
医療センターの職員である事を示す、青い十字が刻まれた名札をつけた、眼鏡の女性が、挙手を省いて質問した。無作法に対して小さな抗議の声が上がるが、当人は意に介していない。
「われわれのチームはそう結論しました」
「莫迦な! 前後の論旨からすれば、その『赤い獅子』がナトリウムで『難破者』を燃やしたということになるが、使用した側もただでは済まんはずだ、危険すぎる」
初老の研究員が興奮した様子で立ち上がり、隣に座った同僚によって椅子に引き戻された。
「われわれも当初、そう考えました。では続いて、この映像をご覧ください。偶然にも付近の監視カメラが撮影していたものです。緑地区画の植物にさえぎられて非常に不鮮明でしたが、赤外線レベルでの映像をもとにCG処理で補完し可視光線下のものに近づけた結果がこれです」
プロジェクターに、『赤い獅子』のやや後方からの姿が映し出された。
「細いな。肌色以外は普通の人間のようにも見える」
「周辺の物体との対比から割り出された身長は、約2.8mです。外骨格歩行作業車の半分ほど。しかし、この何者か――『獅子』は非常に強力です」
『獅子』の打ち出したショートパンチがヒトデ形を捉え、その動きを停止させると、小さなどよめきがあちこちから上がった。しかし次の瞬間、頭部からの赤い光点の発生を見るや、それはヒステリックな沈黙に変わる。
「映像とデータから導き出される仮定は、この存在が何らかの方法で体内のナトリウムを単体として分離し、水との反応を停止させた状態で、毛髪の――白色を呈している事から髄質が失われ中空である可能性が高い――内部をガイドチューブとして対象に送り込んでいる、というものですがなぜそんなことが可能なのか……」
なおも興奮気味に話を続ける研究者だったが、ラピスは会議の終了を待たずに、静かに席を立った。『難破者』や『獅子』の能力そのものはともかく、原理やその応用についてはあまり興味が無かったのだが、中座の理由はそれだけではない。部下からの連絡が携帯端末に着信していた。
その緊急性レベルは、コード『赤』。STORM発生による突発事態を示す『紫』に次ぐものだった。
「私だ――何があった」
通話に出たのは偵察戦闘指揮車『ミゼリコルド』の情報オペレーターを兼任する、副官ホートリーだ。
〈会議中に申し訳ありません。隊長〉
「中座してきた。所詮、学者どものサロンだ。私なんぞ員数あわせさ――報告しろ」
〈サン=クロン市の警察無線を傍受しました。市内に上空から怪鳥が侵入、というものです。通過したエリアでは脳血管障害と思われる死亡者が――〉
何かがラピスの頭の中で音を立てて繋がった。ホートリーの言葉が終わるのを待たず、命令を発する。
「すぐそちらへ行く! 外骨格歩行作業車『トロル』の搬出準備を急がせろ。『O-スティンガー』装備で出せ」
〈了解!〉
この総合管理エリアからガードの格納庫までは2km近い距離がある。ラピスはちょうど数m先の駐輪ブロックへと押されてきたスクーターに目を止めた。
「そのスクーター、貸してもらうぞ」
「えっ」
広い額と言い繕うには少々生え際の上がりすぎた、縮れた髪にメタルフレーム眼鏡の研究員を、突き飛ばすようにしてスクーターを奪う。
「勘弁してくれよ! 昼飯を食いっぱぐれるじゃないか!」
「すまん、あとで格納庫まで取りに来てくれ」
抗議の声を背中に、右手首に力を込めアクセルをいっぱいに吹かす。
「あーあ、もう……」
走り去るスクーターと腕時計を交互ににらみながら研究員ユアン・シャオがぼやいたその時だった。
カツン。
防音に配慮した弾性舗装材の上に、なぜか鮮明に響く金属質の足音。
「えっ?」
脇を振り返った目の前に、つい先だって夜の研究棟で目撃した、あの銀色の立像が出現していた。それは鏡のようなV字型の顔を一瞬ユアンの方へ向けると、何の関心もなさそうに再び正面を向き、一歩、二歩と進み――音もなく空中へ舞い上がって、飛び去った。
ぺたりと路面に尻餅をつき、ユアン・シャオは哀れにも失禁していた。
* * * * * * *
サン=クロン市内では、全域の道路に深刻な交通渋滞が発生していた。歩道を横断中の歩行者が耳から血を吹いて倒れ、その傍らでは飛び出んばかりに目を剥いた中年男が、車線を外れた車のハンドルを握ったまま気絶している。
急ブレーキをかけて二次被害を回避した車があさっての方向を向いてそこいら中に停止し、事態を飲み込めない後続車両がひっきりなしにクラクションを鳴らす。
「クソ、なんだこの騒ぎは。まるでニホンのブッキョウの地獄絵図じゃないか」
ゴードンは顔をしかめてホテルの二階の窓から路面を見下ろした。彼自身も先ほどから頭痛と吐気、悪寒に苛まれている。路上の被害状況との間に差がある事を考えると、これは建物の中にいるほうが安全らしい。
バリバリ、と言う金属的な響きが耳を打った。ハトの羽ばたきをさらに大きく鋭くしたような音だ。音のした方向を見上げると、ピンク色の物体が四階分ほど上の空中を通り過ぎた。
(あいつは……!)
三週間前に洋上で遭遇したあの飛行体だ。少し形状が変化しているが、明らかに同一のものに違いない。そう思えた。
「うえっぷ」
吐気がひどくなり昏倒しかける。これは何だ? あの飛行物体が原因なのか? 何も分からない。
混乱した頭を抱えながら、ゴードンはもう一度路上を見回した。ひどい状況だ。気がつけば先ほどあれだけうるさく鳴り響いていたクラクションの音が途絶えている。遠くではまだ鳴らしているようだが、窓の下からは聞こえない。不気味なほど静かだ。
眩暈を感じて窓から離れ、寝乱れたベッドに頭を突っ込んで数秒間目を閉じた。足元に底の見えない奈落が口をあけている。そんなイメージが感じられる。恐怖と不安。
(これは何だ? ……これは俺のじゃない。外から来たものだ。これは何だ)
と、そのとき外で悲鳴が上がった。幼い女の子のものだ。ぎょっとして窓に駆け寄り、もう一度路面を見下ろすと、髪をサイドテールに結った8歳くらいの少女が、路上に倒れた若い女にすがって何事か叫んでいた。
その数m手前に、奇妙なものがいる。たった今目が覚めたかのように頭を左右に振りながら立ち上がったのは、カエルのような骨格に変形した頭部を持つ、横幅の広い体形をした人間だった。いや、人間だったものと言うべきか。肌は鬱血したように紫色に変色し、側頭部からは後方へ短い角らしきものが突き出している。
それが明らかに邪悪な意図を持って少女の方向へ踏み出した瞬間。ゴードンは窓を乗り越え、通りの上に張り出した、傾斜した屋根の上に飛び降りていた。
「クソったれがぁああああ!」
わめきながら駆けだす。入国の際にM1911を持ち込めなかったのが悔やまれた。
(畜生、こいつはどうやら『STORM』と何か関係があるぞ!)
屋根から路上に飛び降り、足首を痛めて悲鳴をあげた。それでもカエル頭の注意を引こうと必死で声をあげ、走る。
「この野郎! こっちを見ろ、こっちだ! 俺が相手してやる!」
何かに蹴つまづいて転びかけるが、それが制帽をかぶった警官である事に気がついて、ゴードンは快哉を叫んだ。耳から血を流して倒れているのはともかく、腰に拳銃を吊っているではないか。
「SIGか! 9mmじゃ心細いが、無いよりはましだな!」
即座にホルスターからかっさらい、薬室に初弾がある事を確認する。どすどすとこちらへ向ってくる怪物に利き足を引いたスタンスで相対し、三発立て続けに撃ち込んだ。
喉元と額にそれぞれ一発。三発目はぶれて外れたが、怪物は崩れるように動きを止めた。
「仕留めたぞ……」
こちらも気が抜けてがっくりとへたり込む。息が弾んで汗が噴き出した。
(さて、どうするか)
火のついたように泣き続ける少女に歩み寄り、抱き上げてあやしながら、ゴードンは状況がどんどん救い難くなってきたのを感じていた。
* * * * * * *
ゲートへ向うガードの車列を崇はちょうど講義棟から津田沼邸への移動の途中で目撃していた。ミゼリコルドとキャリア三台、それにカッツバルガー一台。
かりそめに級友となった少年たちに付き合いの悪さを冷やかされながら、食堂へ向う人波から抜け出したところだ。
「ガードがゲートから出る? 一体何が起きてるって言うんだ」
ISLEからの外出は学生、職員を問わず制限されている。各国の機密にかかわるような研究に携る可能性がある、とされているからだ。気になるが、今は動けない。目的を果たすまでは学生というカバーを失うわけにはいかない。
ガードの車両が走って行く先、サン=クロン市の方角へ視線を向けると、街の上空に何か飛び回るものがある。距離がひらいているため判然としないが、かなりの速度で動く、ピンク色をした飛行物体。
「あれは……?」
いぶかしむ崇の頭の中に、不意に何者かの声が響き渡った。
〈――サン=クロンへ行け〉
(何だ!?)
突然の事に反応しかねていた崇を続いて襲ったものは、『STORM』のもたらすものに酷似した、不安感と恐怖、脳を貫くあの衝撃だった。




