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スカイランデブー 11:42

 垂れこめた雲の下を、一機のヘリが飛んでいた。


 座席を取りはらわれてがらんとしたキャビンの中で、不破崇(ふわ・たかし)は自分が軽く震えているのを自覚していた。

 航空機に押し込められて夜の海の上を飛ぶのは苦手だ。この三年間に送ってきた生活を考えればもとより拒みようもないのだが、何度繰り返しても気持ちのいいものではない。特にこんな星も見えぬ曇り空の下では、なおさらだ。

 操縦席を別にすれば、このキャビンには高度や速度を示す計器類は何もない。スライドドアの外に広がる闇。そのただなかに白く浮かび、窓の向こうを矢継ぎ早に飛び過ぎるちぎれ雲だけが、彼の乗ったヘリの速度を示す手掛かりだった。


 綿のような雲――


 そう頭の中で言葉にしたものの、崇はその形容の陳腐さに思わず苦笑いした。とにかく、あと数分後には降下しなければならないのだ。いや、むしろ早くこの狭苦しいキャビンから出て、自分の皮膚に風を感じながら――落ちたい。


(矛盾してるな、つくづく)

 ため息交じりに胸の内でつぶやく。だがそもそも、箱に詰められ手も足も出ないままで海に落ちるのと、自発的に機体からとびだして降下するのとでは全く違う。


 機内は比較的静かだった。ローターブレードがたてるはずの爆音は聞こえない。このヘリの回転翼は翼端を回転方向に対して後退させたデザインになっていて、その形状が衝撃波の発生を最小限に抑えているのだ。大まかに言えば超音速ジェット戦闘機の後退翼と同じ原理だ。

 

 アグスタ・ウェストランド社製、シーリンクス軍用ヘリコプター。いかなるルートから入手したものか、民間機然とした白とブルーのカラーリングを施されたそれは、対潜ソナーやシー・スクア対艦ミサイルを取り外された、不格好な姿で夜の北海上空を飛んでいるのだった。


〈フーバー、前方の海面に艦船がいる。たぶんイギリス海軍の27型フリゲートだ〉

 操縦席から、ゴードンが無線通話装置のヘッドホン越しに報せてきた。彼はこの短い空の旅の間ずっと、崇を『フーバー』と呼んだ。不破(ふわ)という姓が発音しにくいらしい。

 

「27型――アッシュダウン級か、懐かしい。イギリス海軍なら問題ないな」

〈まあそうだな、言ってみればお友達さ。よし、あと3kmで『ISLE(アイル)』への降下予定ポイントだ。ウィングの準備はいいか?〉

「最終チェックがこれからだが、今のところ問題ない。いつでも出られるよ……ちょいと心臓がサルサを踊ってるけどな」

〈昔の学友に会いに行くんだろ。そりゃあドキドキもするさ〉


 ――そんな平和な、いいものじゃないはずだ。そんなことになるわけがない。


 崇は目を閉じてかぶりを振った。そして再び目を見開くと、背中に装着した硬式個人用降下翼システムの最終チェックを行った。

 ハーネスは胸の前でしっかりとロックされている。折りたたんだ状態から展開するための、アクチュエーター系統もオールグリーン。

「よし、最終チェック完了。ドアを開けてくれ!」

 操縦席コンソールからの操作で、スライドドアのロックが解除された。滑り止めパターンの打ち出された鋼板の床を踏みしめ、命綱を確認しつつハッチの開閉レバーに手をかける。

 キャビンに吹き込む風。床にへばりついていた何かの梱包シートが捲れ上がり、ヘルメットを被っていてなお、耳元に轟々と大気がざわめく。


 命綱をシャックルから外し、空中に踏み出そうとした一瞬。リンクスの機体が突風にあおられたかのようにぐらりと傾いた。

「おおっ!?」

 バランスを失いかけ、とっさにたたらを踏んで機内に戻る。軽いパニックを起こしつつ機外を肩越しに振り返った崇の目に、異様なものが映っていた。

 新生児の皮膚を連想させる生々しいピンク色。鳥そのもののような風切羽を並べた、差し渡し6mほどの巨大な翼が見える。それが、開いたドアの向こう十数mほどの位置に滞空していた。


 操縦席からもそれは見えているらしく、ヘッドホンからはゴードンの悲鳴と息をのむ音が聞こえた。

〈な……何だ、こいつはッ!〉

 幸いにして、彼は滞空時間2,000時間を超えるベテランのヘリパイロットだった。かろうじてリンクスは『それ』との衝突を免れ、両者は一瞬のうちに恐るべき相対速度で遠ざかっていく。


 その一瞬、崇は見た――『それ』のつるりとした体には明確な頭部が存在したが、そのナイフで切り裂いたように細く開かれたまぶたの奥では、不気味なほど親近感を覚えるとび色の瞳がきらめいていた。そして、その瞳は歯列をむき出した口元とともに確かに笑顔と呼べる表情を作って見せたのだ。


〈危なく衝突するところだったぞ! 何だったんだ、今のは〉

「……『学友』さ」

 皮肉めいたつぶやきを漏らすとともに、自分が呼吸を忘れていたことに気づく。数秒後、ゴードンの不審そうな詰問を置き去りに、崇は開いたドアの先に続く虚空へと身を躍らせた。

〈『学友』? どういうことだ?〉

「ここまで世話になった。行ってくる」


「おい、フーバー!?」

 ゴードンはしばらくの間ヘッドホンに耳を澄ましたが、崇との通信回線は今や不自然なノイズで満たされ、返事が返ってくる様子はなかった。

「まさか、あれがそうなのか……?」



 この闇の向こう、北フランスの沿岸から2kmの海上に浮かぶ、半人工島がある。

 それは2020年代に入って以降、混迷を極める一方の先進諸国が共同計画のもと巨費を投じて北仏の海岸に建設したものだ。その面積の約半分を占めるのが『ISLE(アイル)』すなわち『科学研究及び教育のための国際協力機関(International institution for science laboratory and education)』の教育・研究施設群だった。

 計画加盟外諸国からも広く優秀な人材を集め、人類の進歩を担うべく活動を続ける、英知の砦だ。


 だがその眩いばかりに掲げられた理念とは裏腹にささやかれる不吉な噂を、ヘリ操縦士ゴードン・ハスケルは重苦しく思いかえしていた。


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