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酔狂領主様の怪奇譚  作者: 七色春日
間章 涙をあさる魔剣
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-4-


 博物館『ヴンダーカンマー』の館長室。


 油絵や水彩画の絵画が壁にひしめき、デスクの後ろには書棚が設置され、シンプルな青絨毯が床に敷かれているだけの部屋。


 コリンナは一歩前に進み、辞表を提出するとザイン館長の前で頭を深く下げた。


「今までありがとうございました」


「……ブラドヒート様から赦しが出たのなら、辞めずともよいぞ」


 顔半分を占めている茶色の顎髭をいじり、ザインは苦々しい声で慰留した。


 コリンナは内心むせび泣いてしまいそうなほど嬉しかったが、甘えられなかった。


『ヴンダーカンマー』は慈善事業でやっているのではなく、客観視すれば無能になってしまった自分は役立たないとの冷静な判断があった。


 ありがとうございます――でも、これ以上は人の良い館長にご迷惑はかけれません。


「いいえ、事情により美術品のお手入れができなくなってしまったのです」


「行く当てはあるのか?」


「領主様に雇ってもらえそうです」


「なっ……そうか。あの方は行動こそ奇異に見えるところもあるが、名だたる貴族の中では誰よりも邪悪を憎む公平な御方だ。真面目にしていれば報いもあろう」


「はい。頑張ります」


 コリンナは部屋から退出し、まとめた荷物を詰め込んだボストンバッグを持って従業員用の裏口から出て行った。


 勤め先だった白亜の建物には未練は強かった。自然と立ちすくんで眺めてしまう。後ろ髪ひかれる思いではある。


 美々(びび)しい宝物はどれも精緻な造形をしていて、じっくり見て触れば感嘆とさせる。恐る恐る、ためらいながらも手を伸ばすまでが好きだった。


 仕事ではあったが、苦労して手入れした美術品を観客に見てもらうのは喜びであり、誇りだった。


 知識だって蓄えることもできた。見聞は広がって実り豊かな日々だった。賢くなった気がして嬉しかった。


 ――終わっちゃった。終わっちゃったよ。


 結末はあっさりとしていた。


 微かに目が潤んだが、涙は出ない。


 地に足がついていないような心地で帰路につければ、なんの変哲もない鶏肉屋の古ぼけた看板や廃墟の前の曲がり角一つとっても惜しく思えてしまう。


 貧民地区に戻れば今まで気にしていなかった世捨て人然とした物乞いや造物主を崇める教会が運営する孤児院を住居としているだろうストリートチルドレンの姿も気になる。


 コリンナの最終手段は炊き出しに並ぶことだったが、物質的に恵まれた人としての生活は捨てたくない。


 善意で配給される食糧に手を出すのはすっからかんになったときだけだと決めていた。


「頑張らなきゃ」


 草煙草(くさたばこ)を吸って虚ろな目で路上に座り込む老人から目を反らし、頬を叩いて自らを発奮する。ああなってはいけない。


 コリンナは長屋に戻った。部屋の隅の用具入れから白紙を取り出し、テーブルに広げて座る。


 履歴書を書く文化はノルマンダンにも普及している。


 これといった杓子定規(しゃくしじょうぎ)な様式はなく出自と家族構成、それと職務経歴を勤務先に提出するだけのシンプルなものだが。


「あ、スペルミス……紙がもったいないけど、書き直さなきゃ……」


 どこか、ぼんやりしているせいもあってかペンが上手に動かなかった。


 インクをつけすぎたり、ペン先を強く押しつけすぎて紙に穴を空けてしまったりする。


「あー……」


 ――雇ってくれるっていってたし、手ぶらでもいいかな?


 たっぷりと時間をかけて五枚ほどだめにした頃、コリンナは両手で失敗した履歴書を摘まみ上げ、恨めしく睨んだ。


 段々と面倒になってきた。考えてみれば次の職はお偉いさんの愛人兼雑用だ。この身一つでよいのではないか。


 先輩も優しそうだったし、常に明るくて影がなかった。幸いにして職場環境は辛くなさそうだ。


 性的なアレはうまくできるか心配だが先輩に指南してもらおう。やってみれば案外慣れるかもしれないし、ビギナーだといえばいい。


 コリンナは雑草のように図太いところがあったので、楽観的に考えをまとめた。


「明日、朝に身支度して……銭湯に行って小奇麗にして……昼過ぎくらいにでも行けばいいかな」


 椅子から立ち上がりふらふらと歩き、こてんとベッドに倒れた。


 靴を脱ぎ、もぞもぞと動き革ジャケットとポニーテールを結んでいるリボンを床に投げ捨てる。


 ここ数日、眠れぬ夜を過ごしたせいで疲れていた。


 目を閉じるとすぐに睡魔が訪れた。コリンナは意識を手放した。













 ☆ ★ ☆








「アクネロ様、御用聞きの方に足置き椅子を注文しておきましたよ」


「む……ああ、別にどちらでもよかったのだが」


 朝食の席。


 キッチンと直結した業者用の勝手口から戻ってきたミスリルは開口一番、強めの口調で言い放った。


 がらんとした大食堂の横長テーブルに座ってパンを齧っていたアクネロは振り向き、返答し終えると野菜スープを口にする。


 続いてベーコンにフォークで突き刺そうとしたところで――テーブルの上をとことこ歩いていた黒鳥が嘴でさらった。


「ぬぅ」


「あぁ、だめですよクロちゃん」


 ミスリルは小走りで捕えに行く。


 胸に抱え、叱るというよりも慈しむように怒ったふりをする。


「名付けてしまったのか……(クロウ)からか?」


「ええ、この子、翼が曲がってしまってて……傷は治ってきたんですがうまく遠くへは飛べません」


 俯き加減の沈痛な口ぶりでぎゅっと抱きしめる。


「森に返さず、ペットにしたいのか」


「はい」


 ためらったが、アクネロはフォークを回転させて顎を下げた。


「まあ……屋敷の掃除をするのはお前であるし、物さえ傷つけなければよい」


「あ、ありがとうございます! よかったですねー……」


 ペットか――猟犬を飼った記憶がアクネロにもあったが、鳥は初めてだった。


 鳥かごを作るか購入する必要もありそうだ。ずっと野放しにしておくのはまずい。日曜大工をする口実ができて、そこはかとなく頬が緩んだ。


 と。呼び鈴が鳴った。


 ミスリルがすかさず玄関に向かっていく。


 アクネロはパンを齧り、朝食を続けていると足音がして戸口から大柄の熊男がのそりと顔を出す。後ろからミスリルが追いすがっている。止めはしたが勢いで押し切られたのだろう。


「ブラドヒート様。朝早く失礼します」


「ザインか。どうした? また心配事か?」


 行いこそ不作法であったが、アクネロは指摘するつもりはなかった。友人であれば気安さといったものだとも思う。


「一晩ほど悩みましたが、やはりコリンナはうちで案内人(ツアーガイド)として雇いなおそうかと思うのです。勤勉であり、生活のためといって貴族の妾となるのは少々哀れに思います。もう一度だけ、話をさせて頂けませんでしょうか?」


「事情はわかった。だが、それはできん」


 スプーンを口に咥え、アクネロは()ね付けた。


 ザインは力を落としたが、返事だけは口にした。


「……そうですか。真に失礼致しました。そこまで気に入ってらっしゃるのならば……」


「いや、まだ来ておらんしな」


「むっ」


「解雇したのか? お前はなんと酷い男なんだ。信じられん。あんないたいけな少女を路頭に迷わすとはこの冷血漢め。そのくせ、後で惜しいからと手のひらを返すとは……自分勝手も(はなは)だしい」


「ぐっ」


 早口で責められ、ザインはたじろいで後ろに下がった。


 アクネロは目を小さくして面白そうに頬杖をついた。


「そうだな……俺もコリンナの下へ(おもむ)くとしよう。俺の屋敷のメイドになるか、お前の博物館の案内人になるか、一勝負打とうではないか」


「お人が悪い」


「お前が今までコリンナをどのように扱っていたか俺にはわからん。だからこそ、この勝負で真価が問われるのだ」


 アクネロは立ち上がり、襟を正した。


 涼しげな顔をにやりと意地悪なものに変える。


「コリンナがお前を選ばなかったのなら、俺はお前に預けた宝物は全て返却してもらう」


「……試されますか」


「試すとも。莫大な財宝を無償で貸与しているのだ。これくらいの覚悟はしているだろう?」


「しておりますが……ブラドヒート様の美貌に彼女が魅了されていたのなら敗北は必至というものです」


「ザインよ。俺が本当にこの顔だけであらゆる女をいいなりにできたのなら、既にこの部屋は満員になっているぞ」


 不敵な表情でアクネロは自らの頬をぺちんと叩いた。


 昨日のやり取りを根に持っていたのか、待機していたミスリルはこれみよがしに食堂と廊下の敷居をまたいで出る。


 そして(へり)を掴んでこっそりと顔だけ覗かせる。


 アクネロがそれに気づいてなんともいえない視線を送ると、ミスリルはぷいっと顔を逸らした。












 ☆ ★ ☆








 陽が昇れば温度は高くなっていく。


 運河の流れゆく先、三角州となっているヨークトン湾の海面は目立った白波はなく静かだった。


 気圧の変化によって陸から海へ向かっていた陸風が、海から陸へ向かう海風に移り変わる。


 風が切り替わるその隙間の時間帯、凪となってほぼ無風状態となる。


 ノミやシラミだらけのボロ布を身にまとい、座り込んで乞食をしていた白髪の老人は特に世の中を憎んでいたわけではなかった。


 気が向けば日払いの仕事もするし、道端の馬糞を拾い集めて肥料業者や農家に売ったりしながら生計を立てていたし、炊き出しに通うことで日々の糧も摂れていた。


 自由気ままに生きたかったから、こうしてうらぶれているだけだ。


 残り少ない命であったため努力するつもりもなく、怒りや悲しみという感情からも遠ざかっていた。


 枯れ腐る身体は欲望は表に出すほどの気力もない。


 草煙草を吸って壁にもたれ、他の人間の喜怒哀楽を眺めるだけでそれなりに満足だった。


 この日は発火具に付随する松脂を切らしてしまったため、近くの長屋の油樽に手を伸ばした。


 ほんの人差し指ですくい取っただけで量だったので、罪悪感はない。


 火を点け、顎をもにゅもにゅと動かして肺の中に煙を入れながら老人は眠るように目を閉じた。


 快楽に命じられるまま生きるのが好きだった。眠気があれば決して逆らったりはしない。


 一陣の海風に吹かれ、口から落ちた草煙草の火種は黄土に転がっていく。そのまま黒いシミとなった油の道に到達する。老人がこぼした後だった。


 冬の空気は水分が少なく、乾燥している。










 ☆ ★ ☆








「霊剣『イェルサム』ですか」


「ああ、知っているか?」


 あぐらをかき、向かい合ってアクネロとザインは馬車の荷台で談笑していた。


 今回の件をすり合わせれば、新しい発見もあるかもしれないとの考えだったが、めぼしい成果はなかった。


「霊剣と名のついた魔剣ならば幾つか知っていますが……正直な話、鞘から引き抜くのも恐ろしいですね」


「初期型の魔剣は確かに純粋な呪物ではある。手足が生えたり、血を吸ったり、夜中に叫んだりする奇怪なものばかりだからな……試行錯誤の段階だったのだろうが」


 そんなところが可愛いらしいのだが――続けようとした言葉は飲み込んだ。


 きっとザインはわかってくれるだろうが、口にするのは気恥ずかしい。十代の小娘のように物を見て可愛らしいというのはとても。


「その『火食い鳥』も不幸な魔剣でした。中期に造られ人の役に立つはずが、戦争によって闘争のために使われることもありましたから」


「そうだな……これは溶かしてただの剣に戻すことにする。鞘と装飾だけでも残ればよい。元より……老いた剣だ」


 すぐ横に置き、包んだ『火食い鳥』を見やる。


 無念と思い、悲しむのも終わりだ。新しい形にすべきだった。


「コリンナは勉強熱心でした。古物を扱うということは、その歴史を知るということでもあります。手入れだけするのではなく、片付けや館内の清掃、時として経理も手伝ってくれました。いずれ、そのような霊剣を使わずとも一人前の古物商になれたでしょう」


 一時的にしろ手放したことを悔いているのかザインは今、思い出したかのように呟いた。


 失って初めてありがたみがわかる。そういうものなのだ――アクネロは慰めは口にしなかった。口にしなくても、ザインはもうわかっている。


「アクネロ様」


 御者台で馬を操るミスリルが精彩を失った声で名を呼んだ。


「どうした?」


「いえ、煙が……」


「なんだと……?」


 身を乗り出せば、建物の屋根を越えた先に黒煙がもうもうと立ち昇っていた。


 方角は行先であり――胸騒ぎを覚え、アクネロは飛び出した。





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