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酔狂領主様の怪奇譚  作者: 七色春日
間章 涙をあさる魔剣
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-2-

 ザイン・ドミックが深く傷ついた顔で来訪してきたので、アクネロは懸念を抱いたが表面上は機嫌良く出迎えた。


 屋敷から西へ馬車で三十分ほどの近さにある都市、ヨークトン市で博物館の館長をしているザインは髭だらけの熊男であり、野卑な容貌に合わせたように服装も野暮ったい。チョッキとブーツも羽毛があしらわれていて、冬の野戦服のように生地は分厚い。人が姿を見れば猟師と思うだろう。


 アクネロと旧知の間柄であって、身分の差も歳差もあるが友人だった。


 お互いに考古学的に貴重な古代人の遺物を研究する立場であったことや、考え方や感性が似通ったこともあった。


 リビングに自ら案内して椅子に腰かけさせると、ザインはどう切り出せばいいか迷っているようでもあった。


 何度もまばたきをし、無意味に鼻をつまんだり髪をかきあげたりした。


 アクネロは促そうともせず、紅茶を口にしたまま切り出してくるのを静かに待った。


「ブラドヒート様」


「ああ」


「ご厚意でお預かりした剣を幾つかだめにしてしまいました」


「……そうか」


「錆びつかせてしまったのです。こちらがだめにしてしまった目録でございます。家財を全てを売り払っても弁償金は必ず払います」


「ビールでも飲ませたか?」


 テーブルに差し出された巻物を見つめたが手には取らなかった。


 これが凶兆か――アクネロはジャケットスーツの襟元をねじり、そのまま手を固定した。手先が震えるのを抑えるためだった。


 金銭の問題ではなかった。貴族の矜持や領主の権威が傷つけられたことも問題ではない。


 家宝をだめにしたのならば先祖に顔向けもできないこともあるが――何よりも血や汗を流して創造された工芸品が無下にされたと思うと悲しかった。


 気は重くなり、胸は押し潰されそうなほど苦しくなってくる。顔を覆って泣いてしまいそうだった。


 目が充血する。アクネロはきつく目を縛った。


 ああ――俺の剣が。なんということだ。


 屋敷で死蔵させては意味がないと思い立ち、民草に希少な宝物を展示して見せようと考えたのは自分の判断であり、そのことに後悔などはないがどうにもこうにも辛い。


「いいえ、手入れを間違ったのでございます。信任する者に任せたところ、愚劣なミスを……許されることではないとわかっております。首を捧げる覚悟で参りました」


「血は流すつもりはないが……残念ではある。謝罪も金もいらんが……事故の内容によっては他の宝物も引き揚げさせてもらうぞ」


「承知しております。信頼を裏切ったことは私も忸怩(じくじ)たる想いです」


 アクネロは目録を手に取って、息を吐くと同時に一気に紐を解いた。


 怖がって、いちいちためらっていたら見ることができない。


 列挙された刀剣に目を通す――だめになったもので特に価値のあって貴重なものは一本。


 それと、考古学的には貴重だが価値は薄いものは四本ほどだめになっていた。


 一本は古代人の超魔術的な処置の施された魔剣――価値は計り知れない。


 残りの四本は未開石器時代の銅や鉄の刀剣――装飾が凝ってはいるが宝剣の意味合いが強い。


 いずれも修復不可か難の文字があった。


「この魔剣『火食い鳥』は少し惜しいが実用されていて朽ちていた……幸い他は惜しいが、俺にとっては惜しいが……大したことはない」


「申し訳ありません」


 椅子から立ち、土下座せんばかりに深々と頭を垂れる。


 アクネロには叱り飛ばす気力はなかった。


 落胆の方が強く、口もうまく動かない。かろうじて出せたのは疑問だけだった。


「なぜ、錆びさせた。俺の剣たちの最後を教えてくれ」


「それが……手入れを行って一週間ほど経った頃でしょうか。乾燥したこの時期だからこそ『火食い鳥』を展示して防火対策を衆知をさせようと思い、鞘から引き抜けば思いがけず錆びだらけのありさまで」


「原因は?」


「不明です。およそ手入れをした者がミスをしたとしか思えず」


「本人はどういっている?」


「認めていませんが、私の見立てでは黒かと」


「白かもしれない。調査しに行こう。原因ははっきりさせるべきだ」


「……あの」

 

 話し合っていた二人は同時に声の方に振り向いた。


 ミスリルは声をかけたことを過ちだと悟ったのか、口ごもる。普段は友人同士もっと陽気に談笑していることが常だったので、ぴりぴりと緊迫した空気は馴染みがなかった。


「ああ、タルトか……置いてくれ」


 ミスリルは円状の焼き菓子を切り分け、皿に盛り付けて配った。


 蒸した(くり)の甘い芳香がふわりと浮かぶ。季節感のある甘味だ。


 両者ともフォークを持とうとはしなかったが、目の置き場にはなった。


 ミスリルはこっそりとタルトをワイン棚に乗って剥製の真似事でもしている黒鳥の下を運んだ。


 眠っているように物静かだったが、匂いにつられてついばみ始める。


「調査に行かねばな……」


「ご足労に感謝します」


「ああ、行こう」


「はい」


「行こう」


「はい」


 言葉とは裏腹にアクネロの足腰はぴくりともせず止まったままだった。矢のように飛び出していくのが恒例だったが、動けなかった。


 侍立しているミスリルは旅支度を命令されるのを待っていたが、小首をかしげる。


「向かわれますか?」


「向かうとも……」


 ハンカチを手に持って目元をぬぐった。それを持つ手は不安定で、足首は震えて頼りない。






 ☆ ★ ☆





 コリンナ・フラットは最後の晩餐(ばんさん)を味わっていた。


 最初は肉汁したたるステーキを食べようと思ったが、内臓がぶちまけられたときのことを考えてフルーツにしておいた。


 花も恥じらう乙女であったため、死後も美しい姿でいたいという奇妙な感情があった。


 フルーツを食べたところで臓物臭が消えるわけではなく、死刑にされるときも銃殺刑か絞首刑なのだが、その辺りは考えは及ばない。


 がたのきた集合住宅、木造平屋建て一室にて。


 カーテンを閉め切り、薄暗い部屋でコリンナはアケビという楕円形の球体を手に取っていた。表皮はサツマイモ色であり、黒粒の種と透明な果肉をスプーンですくい、じゅるじゅる食べていた。


 選んだ理由は単に一番安くて大きかったからだ。


 貧民街で生まれ育ちが悪かったため貧乏性が抜けきらず、生命が風前の灯火にも関わらず浪費をためらってしまった。


 安い命だと自嘲したが、生命の危機は皮肉ってもどうにもならない。


「殺される……殺されちゃうよ……」


 食べ終わってスプーンを置くとやるべきことがなくなった。


 自らの細肩を抱きしめ、恐怖を思い出して震える。


 よりにもよって有力貴族の宝物をだめにしてしまった。聞けば美術品の粋美(すいび)を愛するあまり、適齢期でも関わらず独身の酔狂者。間違いなく逆鱗に触れている。


 ザイン館長には自分は犯人じゃないと反射的に否定したが心当たりはあった。犯人ではないが原因は作ってしまったとの自覚はある。


 壁にかけられ、布で何重にも包まれた相棒を憎悪を込めて睨みつける。


 古代文明が創造した魔剣『涙刀(るいとう)


 これを手に入れてから人生は変わった。


 チビで慌てんぼうでウェイトレスすら勤まらなかった自分に生活の糧をくれた。


 そして今は絶望を与えてくれている。ありがたかった反面、今は可愛さ余って憎さ百倍だ。


 前に失業して無一文になってやけっぱちになり、命を懸けて立ち入り禁止の迷宮に飛び込んで魔剣『涙刀』を持ち帰った。


 偶然、落とし穴に転落した先に転がっていた物を持ち帰ったらたまたまそうだっただけで、時間にして三十分の大冒険だったが結果は最良だった。売春宿に行く一歩手前だった自分を救うための神の施しだとコリンナは信じているし、安月給から些少だが教会にも寄進を続けている。


『涙刀』は魔剣制作史の初期のタイプであって、後期の戦闘に用いるような物騒な代物ではなく“手入れのための魔剣”だった。


 不可思議なことに『涙刀』を手入れした後、その布で食器を磨くと水に濡れたような光沢が出た。磨いて少しでも高く質屋に売ろうとしていた矢先の発見だった。


 コリンナは自分がついている思った。


 やはり陶器や漆器でも同じ結果であって、これは商売にできると考え、営業だけすれば楽に日銭を稼げるようになった。


 評判が広がり、注文が入って来るようにはなったが持ち前の意思の薄弱さと商売下手が顔を出し、客層もしぼれずに大量の皿を銅貨一枚で磨くはめになったこともあった。


 帳簿を間違って税務署に厳しく指導されたり、高価な金細工のアクセサリの磨きに失敗して破損して弁償したり、と自営業を感じていたところザイン館長に勧誘された。


 定期収入で営業をしなくていい個室での簡単な作業は魅力的だった。自営業は不安定さがあり、コリンナには才覚はなかった。


 安穏とした日常を送り――いつも通り『涙刀』を使って美術品の剣を手入れしてこのありさまだ。


「うぅ……私、助かるかなぁ」


 ――領主様に『涙刀』を奉上(ほうじょう)すれば赦しが得られるだろうか?


 希望はそれだけだ。これこそがコリンナの唯一の財産であったが背に腹には変えられない。


「怖いよぉ……怒られるの怖いよぉ……」


 コリンナは頭を押さえてうずくまった。


 既に二十歳を迎えたが近隣住人には「おちびちゃん」扱いされているし、本人もそれくらいの精神年齢だった。








 ☆ ★ ☆






 冷やりとした硬質な石床は踏みしめ、ミスリルは静寂に満ちた館内を見まわした。


 観覧客の姿はちらほらあるが、いずれも小声で談笑しているだけで気にならない。きっと、荘厳な空気がそうさせるのだろう。


 されども巨大な石柱が連なるように屋根を支え、入りやすい開放的な空間を彩っている。


 看板には『ヴンダーカンマー』と金色の鋳造(ちゅうぞう)文字があった。


 他国の美術品や異民族の民芸品、歴史学的な文献や資料、といった文化財を展示していると案内図にあったがミスリルの興味は古めかしく朽ち果てた歴史が感じられる書簡や壁画ではなく――きらびやかな王冠や錫杖、装身具や衣装といったものに向かう。


 主人であるアクネロは関係者以外立ち入り禁止の倉庫室に入って行ってしまった。


 同行しようとしたがザイン館長に止められた。仕方なく、扉の前で立っていたらみっともない泣き声が響いてきた。


 これは流石に聞いてはならないと飛び出して見学することにしたのだ。


「そんなに高価だったのでしょうか……」


「クァーッ」


 相槌を打ったのか、肩に乗せた黒鳥が鳴いた。


 鼻面を指で撫でてやると頭を丸め、つぶらな目がつむられる。可愛らしい仕草だ。


 屋敷の中にいるときは聞き分けが良くなったが、外出すると寂しいのかくっついてきた。


 肩に飛び乗られたときは驚いたが、なんとなく魔女にでもなった気がして――ミスリルはファッション感覚で受け入れた。


「いい子にしてるんですよー」


 くすぐる指を離す。


 狭いトンネルを潜り抜ける度に展示物の年代やテーマが変わっているようで、パターンとして中央に目玉品が展示され、両脇のガラスケースなどに細やかな代物が配置されている。


 どれも腰高でやや低く、見下ろすように観覧する仕組みとなっていた。


 子供なら見やすい――実際、十歳以下は無料だった。


 要所に給水できる休憩所も設置され、分かれ道には外棟まで歩くが喫煙所もあった。運営側のゆったりとして欲しい心遣いだ。


 博物館というと堅苦しい場所を連想していたミスリルは吹き抜けの天井を見上げた。


 壁にできた解放窓が通気性も高めてある。風が強く入ってこないように交互に間柱が並び、防風の役目を果たしている。


「メイドよ」


「はい?」


「これはなんという品か説明してくれまいか」


 つば広で丸くふくらんだ山高帽(やまたかぼう)を被り、白いジャケットを着こなした老紳士がガラスケースの中の全身甲冑を見ながら尋ねてきた。


 ミスリルはびっくりして口を半開きにしたが、確かにこの姿では案内人に見えなくもない。


 カラスも乗せているし悪目立ちもしている。そう思うと急に恥ずかしくなった。


 居心地悪くしていると、老紳士は無知を恥じていると思ったか気の毒そうな顔つきになった。


「わからんか」


「こ、古代文明後期の対光術用の黄金甲冑です」


「む」


 小さな闖入者が横から声をかけてきた。


 茶色のポニーテールを垂らしたあどけない顔をした少女だった。


 小鹿のように頼りない体躯を誤魔化すためか、大人ぶって着ているだろう黒革のジャケットは角があって刺々しい。灰色のスラックスもアイロンはかけてあるが膝元にツギがあった。


 赤ネクタイはうまく締められていないのかだらしなく緩んでいる。干からびた皮靴もぶかぶかだ。


 全体的に疲れているようにも見える。


「表面に金をコーティングしてありますが、非常に薄い鉄板なので重量はそれほどでもありません。あくまで神々が多様する光術から身を護るために造られました」


「メッキか」


「金は反射率が非常に高い性質がございますので、波長が高い熱光線だったとしても弾けました」


「銀ではだめだったのか?」


「金の方が熱伝導率が低いこともあったそうです。予算の問題からか古代人は途中で軽金を用いることにしたのですが、それらは大量生産品であってこのように展示するには相応しくないとの事情がございます」


「なるほど」


 老紳士は顎を引いた。


 ポニーテールの少女はミスリルに笑いかけた。ミスリルも感謝を込めて会釈した。


 その後、老紳士の案内役をこなすことになった少女は追従しながら説明を繰り返し、尋ねられたことは必ず返答した。


 ミスリルは持ち前の心配性が刺激され、遠巻きに様子を見守っていたが無事終了すると他人事ながらホッとした。


 押し付けたような形になったのが申し訳なく、少女が歩いて来ると改めてお礼をいった。


「ありがとうございます」


「クワーッ」


「うわ、びっくりした……気にしないで。私、ここの職員なの……ああ、胸章忘れちゃった……」


 カラスに驚き、胸元のポケット辺りを見て大きく両肩を落とす。


 少女はコリンナと名乗った。


 舌ったらずな声音であり、ミスリルは自分よりも三つくらい下の女の子だと思って「ちゃん」付けで呼ぶことにした。


「コリンナちゃんは立派ですね。その歳でお仕事してるなんて」


「あ、あはは……」


 頬がひくついていたが、コリンナは髪を結んだ青色のリボンをいじって自制した。


「お姉さんがお礼にお昼ご飯でも奢ってあげますよ」


「え、えっと……その、私、ちょっと用事が」


「そうだ。俺と会う用事がある」


 切り込んできた声を受けて二人が振り返ると、アクネロが腕組みして佇んでいた。


 アクネロは小瓶を手に取り、腫れぼったい目元に目薬をさした。こぼれた液体をハンカチで丁寧にふき取る。


「俺は辺境伯アクネロ・ブラドヒートだ。この博物館のスポンサーでもある。お前がコリンナ・フラットで相違ないな」


「は、はははははい!」


「ならば、わかってるな」


「わかってますぅうううううう!」


「どうしてくれようか」


 ミスリルはアクネロが怒りで我を失っているかと思ったが、いじめがいのある小娘を発見して喜んでいるようでもあった。


 ああ――きっとこの人が(くだん)の剣を破壊した人だ。


 ミスリルは気付いてしまった。


 経験上、こうなったときは相当な意地悪をされる。客人の顔面に熱湯の紅茶をぶちまけ、下着越しに尻を叩かれた記憶を思い出した。恥ずかしいやら悔しいやらの苦い経験だ。


 ミスリルは前に出て、小さくだがアクネロに両掌(りょうてのひら)を見せて制止する。


「あの、アクネロ様、あまりご無体なことは」


「心配するなミスリル。俺は権力者だ。なんでも揉み消せる」


「ひ、ひぃぃいい!」


 威圧が暴風のように吹き荒れた。


 コリンナはぺたんと尻もちをついて動かなくなった。







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