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酔狂領主様の怪奇譚  作者: 七色春日
間章 涙をあさる魔剣
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-1-

 一つの国としても申し分ない面積を持つ『黒衣の大森林』は一部の開拓地や自然公園を除いて、ほとんどが自然のままの原生林だ。


 開墾(かいこん)の手が追いつかないのもあったが、神々が住まう触れられざる土地として人々に恐れられている側面が強かった。


 外側にはマタギが狩るような野生動物が棲んでいるが、ひとたび奥地に足を踏み入れれば幻獣や魔獣といった恐るべき生命体に出くわしたり、強運があれば神霊に出会うこともしばしばあった。


 足を運ぶのは命知らずの冒険者や物好きな数奇人(すきびと)ばかりであり。


 大半は怪異に震え上がって逃げ帰るか、そのまま帰らぬ人になる。


 肌をくすぐるような風が吹き、黄色くなった(おうぎ)の葉が風に巻かれてひらひらと舞った。


 銀杏(いちょう)の樹木の下、黒を基調としたワンピースドレスに真っ白なエプロン――メイド服姿のミスリルは腰を曲げて枝葉からこぼれ落ちた実を集めていた。


 ヘタを摘まんでぶら下げてみると、表面はピンク色でやや白みがかっている。


 見るからに果実らしくおいしそうな色合いだったが、天干しすると薄茶色の豆粒になる。


 殻を割るのが一苦労だが滋養はつき、噛めばほのかな甘みも出てくる。


 春まで保存も効くし、越冬の友の一つとする腹積もりだった。


「うーん」


 ミスリルは樹陰を見やった。


 背負い(かご)にそこそこ銀杏の実が溜まっている。ついつい持ってきたが、自宅から――ブラドヒート邸からそれほど離れていないこともあって、欲張る必要もない気がしていた。


 ほんの百歩も歩けば既に周囲は一面に緑豊かな木立。


 鼻に吸い込んだ濃密な生命力が香しい。つる草や小花がまき散らす匂いは青々として清涼感にあふれていて。


 目を閉じれば全身が冷たい雨水で洗い流されているような身持ちになる。


 ふっ、と。


 数拍の間だが意識を手放したせいか――突如として現れたように――太枝(ふとえだ)に一羽の黒鳥が留まっているのにミスリルは気付いた。


 (くちばし)は灰色でつやつやとした羽毛は黒。目玉は丸い黒瞳。流線形の体に欠けや汚れはなく凛々しい。


 前方向に三つ分かれた鳥足はなぜだか本数が一本多かった。前足が二本あって後足が一本ある。


 通常の鳥ならば二本で体を支えるのに一本多い。


 変異種だ。


「拾うな」


 重く低い声を発した。


 壮年の男のような声だった。調子は干からびた感じだったが、人語を操っている。


 立ったままミスリルは目をぱちくりさせた。幻獣の一種だと理解が追いつくと、なんとなくバツが悪くなった。


 現在の場所は紛れもなく主人であるアクネロの領地ではあったが、人間の理屈が通じる相手ではないことも知っている。ともすればいうとおりにするか逆らうかしかないが、せっせと集めた銀杏の実をみすみす捨てるのはどうにも惜しく、逆らうのもやはり不気味だ。


 害意がないようにも思える。会話ができるなら交渉すべきではないかと。


 ミスリルは意を決し、胸元に手を当てて一歩前に出た。


 あくまで相手を刺激しないように控えめに。


「どなたかご存知はありませんが、私は朝から頑張って実を集めました。ほんの片手一杯ほど持ち帰ることをお許しくださいませんか?」

 

「忠告はした」


 にべもない。


 黒鳥は羽ばたき、飛び立った。


 まぶしい木漏れ日の中に溶け込むと、姿はもう見えない。


 ミスリルはあっけを取られて消えた方を見つめた。


 ふつふつと理不尽への怒りを覚える。片手一杯も許さないとは心の狭い幻獣だ。きっと意地悪な妖獣に違いない。


 両手に腰を当てて肩を尖らせたものの、忠告を振り切れるほどミスリルの神経は強くはなかった。警告ではなく忠告ならば助言であるかもしれないと思ったこともある。


 結局は籠を逆さにし、ざぁぁと銀杏の実を地面にぶちまけた。苦労を思い出せば泣きそうになったが、こらえる。


 嘆息して空っぽの籠を背負う。この軽さが悲しい。


 どこからか――やかましく鳴く鳥の声が聞こえた。


「……あの鳥さんでしょうか」


 家に戻ろうと歩み始めると、声は次第に近くなった。


 付近では紅葉が色褪せていた。茶や黄、赤や紫といった色取り取りの落ち葉が積もった先にぽつんと黒鳥の姿があった。


 あの鳥とは違って足は二本。今度は普通の鳥だ。


 それは地面に倒れ伏し、もがいているようだった。


 翼が傷つき、腹の肉がえぐれて虫食いのような欠けがあった。苦しみ、悲しげに鳴いている。己の不遇を嘆いているようでもあった。


「可哀相……」


 哀れさを想い。


 涙ぐんだミスリルはそろりと両手を差し伸べ、拾った。






 





 

 ☆ ★ ☆






 朝霜が降りた。


 大樹の葉先から水滴が落下し、ぽちゃんとクチナシの白い花にぶつかった。


 衝撃で五つの花弁がぐらぐらと揺れる。周囲には他の花はない。大抵は葉が黄色になっているか、なりを潜めている。


 前庭は以前として手入れされていない。雑然と植物が生を謳歌し、人が足の踏み場を探すのは難しい。


 その中でも、季節には合わない一輪の狂い咲きは目についた。


 アクネロは読んでいた古書を閉じてサイドテーブルに置いた。


 片目を閉じて足を組みなおす。眉間を寄せ、頬をさらりと親指で撫でつけた。


「……凶兆か」


 普段と空気がどこか違っている。


 しかるべきところにあったはずの物の配置が間違っているような感覚だった。


 心がざわめき、落ち着かないものになる。


 調度品はどれも埃を被っているわけでもないし、何かを失っているわけでもない。差し当たっての困りごともない。


「あわわっ!」


 振り返れば背後でミスリルがうずくまり、悲鳴を上げながらも手をばたつかせて黒々としたカラスと戯れている。


 三日ほど前に拾ってきた傷ついたこの黒鳥はそれなりに快復したようだった。


 立派な大きさの鳥ではあるが老年に達している。顔は傷痕だらけで、毛並みは乱れて、爪も何本か無くなってしまっている。


 折れ曲がった翼に添え木をし、腹部の怪我も消毒して包帯を巻いたが気に入らないのかしきりに(くちばし)で突き、剥がそうとする。


「目玉を突かれるなよ。気をつけて扱え」


「あ、はい。でもこの子……おとなしいですよ。エサも遠慮してるのかあんまり食べないしいい子です」


 寿命が近いからだ――この場で口にしていいことではなく、アクネロは頷いて見せた。


 ミスリルは嬉しそうに世話を焼いている。


 たまにエプロンの裾をかじりつかれ、ごわごわにされてしまっているが特段気にした様子はない。


「それに綺麗好きなんですよ。水洗いも嫌がらないし」


「気に入ったか」


「はい。飼うことをお許しくださって感謝しています」


「獣の一匹や二匹は構わんが、引き連れてくるなよ。動物園はさすがに困るぞ」


「だ、大丈夫ですよ……この子だって怪我が治ったら森に返すつもりです……あっ」


「あ?」


「その、そういえば……今更思い出したんですが、獣といえば幻獣の類を見ました」


「どんなだ?」


「その、この鳥さんに足を一本増やして……猛々しい雰囲気をまとっている感じです」


「カラスの王か。珍しいものを見たではないか」


「それがその、銀杏の実を拾っていたら「拾うな」っていってきたんです。「忠告はした」とも。本当に意地悪さんでした」


「拾うな……? ああ」


 なんたることか――理解すると気が遠くなった。


 傷ついたカラスを拾うなという意味だ。銀杏は食べるが大量には食べない。ならば欲張ることはない。


 過剰に摂取すれば中毒を起こしてしまう恐れもあることくらいは彼らも経験から知っている。


 包帯を変な風に巻いたカラスはひょこひょこ歩いて首を回している。元気そうではある。最初に石鹸で洗い流して清潔にしたし、怪我も消毒もした。


 伝染病を持ってきてとして人に移るだろうか。呼吸を意識して額に手を当てたが自分の身体に変調はない。


 幻獣というモノはいつも言葉が足りないのだ――アクネロは恨めしく思った。


 階層が高いところに存在するせいで、一で十を説明した気になっている。未来を先読みしたことくらいは人に教えるべきだ。


 十中八九、災厄を遠ざけるための助言だったのだろう。


「アクネロ様……何かまずいことでも?」


 ミスリルも遅まきながら察知したのか、声が心配げだった。


「いや……そのカラスを……」


 放り出せ――そういえればどんなに簡単か。


 ミスリルの邪気のない顔を見ていると、とてもそんな無慈悲なことはいえない。


 視線が当てもなくさまよった。暖炉のぱちぱちと弾ける焚き木で止まる。


 鳥が一羽、屋敷に来たところで大事になるものだろうか。いちいち人外の言に翻弄(ほんろう)されてたまるものか。


 階位が高い幻獣とも限らず、悪戯の可能性も捨てきれない。


「なるべく……神経を使って扱え。自分は決して怪我をしないように。気分が悪くなったら必ず俺に告げるように。遵守しろ」


「はい。うーん、よく見ると可愛い」


 丸い頭を撫でながらミスリルはにこにこしていた。黒鳥も人懐っこいタイプなのか、逃げずにそのまま撫でられている。


 野生種にあるまじき珍しい従順ぶりだ。


「ミスリルよ。本当に元気か? 嘘偽りなくか? 薬ならあるぞ」


「ええ、元気いっぱいですよ。うふふ……今日はアクネロ様は随分とお優しいですね」


 はにかんで笑顔を見せる。


 ――本人に自覚がないだけかもしれないか。


 アクネロは椅子から腰を浮かせてミスリルににじり寄り、頭の天辺からつま先まで見つめる。


 彼女は驚いたのか立ち上がって何事かと両手を組んで下腹に置く。


 肌の血行は悪くないし、目も充血していない。正常だ。


「どれ、ちょっと口を開け。喉を見る」


「はい」


「腕を出せ。脈を確かめる」


「はい」


「後ろを向け。尻に異常があるかもしれん」


「はい。あ、うぅ……んっ……って、違う! これは絶対違いますよ!」


 自然な動作でスカートがぴらっとめくられ、下着越しに尻を撫でられて喘いだミスリルはすぐさま身を翻して、赤ら顔で叫んだ。


 アクネロは左右に首を振った。どうして信じられない、と嘆く風だった。


「違わない。完璧に医学的に証明された診断法だ。確かに不思議に思えるかもしれないが」


「私の目を見て、きちんとそういえますか」


 ぐっと顔を近づける。にらめっこが始まった。


 ミスリルは両眉を吊り上げたままで怒り顔、アクネロは情けなくひくひくと口元を痙攣させていた。


 決着がつくのも早かった。敗北者は両手を浅く広げる。


「む……ごめん」


「アクネロ様がいやらしいのは承知してますが、ずるいのはいけません。ほら、鳥さんも笑ってますよ」


 グァーグァーとカラスは鳴いていた。ばさばさと片翼を広げてからかっているようでもある。


 アクネロは力なく椅子に座りこんだ。


 顎を撫でてカラスに構いにいったミスリルの背中を眺める。幸いにして異常はない。


 今のところは。



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