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酔狂領主様の怪奇譚  作者: 七色春日
第一章 さまよう魔獣
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-4-


 診療所の寝台に仰向けになった十を過ぎたばかりだろう子供は息苦しそうにあえいでいた。腹部にイーリスが手をかざすと、淡い輝きが灯った。


 魔術陣から楕円形の薄膜が飛び、まばゆい光彩が皮膚下に溶け込んでいく。


 目に見えて顔色が良くなった。頬に赤みが差して苦しげな表情が引く。イーリスは口元で何らかの呪文を唱えているようではあったが、小声過ぎてミスリルには聞き取れなかった。


 理由を尋ねると「恥ずかしいから」という返事がはにかみと共に戻ってきた。赤い舌をちろりと出し、幼さが垣間見える。持ち前の凛々しく圧するような空気が崩れていたので打ち解けようとしているようでもあった。


 魔術陣の手袋が装着された右手には精緻(せいち)な模様が描かれている。


 ミスリルが横からじっと見つめていると見えやすいように手の向きを変え、空いた左手で中心を差した。


「すっごく複雑でしょ。あたしも最初はこんなの無理だと思ったものよ。ここが出力調整、ここが相反調整、ここが力の象徴、ここが漏洩防止……要は供給源と発現場所さえあれば魔術は――」


「そっ、そうなんですかぁ……」


 ミスリルにはちんぷんかんぷんのようで頭が追いつかず、どもった声を返した。イーリスは察して謝罪した。


「ああ、ごめん。職業病ね。魔術回路見られると、説明しなきゃいけないかな、って気になるの」


 患者が入れ替わり立ち替わり診療所から現れる。村の人口は百世帯で三百人弱。病にかかっているのは軽度を含めれば五十人はくだらないという話だった。


 イーリス一人で完璧に手に負える数ではないので比較的、日常生活に支障が出ていると明らかな者から治癒していると言う。


 部屋の中心には寝台と診療椅子、脇には症状をメモするための作業机と魔術書の書棚と戸棚、後は壁に吊り下げられた薬品棚があるぐらいの手狭な診療所には金属と薬品が混ざったような鼻につんとくる臭気が漂っていた。


 イーリスは備え付けの木桶で手ぬぐいを洗い、また魔術用の皮手袋を変えた。上半身を裸にした少年の胸を拭いてから再び手をかざす。


 関節の痛みを訴え、どこもかしこも痛みが走るという。


 術を行使し、その痛みを取り去るのは容易ではなかったのか術者であるイーリスも額に汗をかいていた。


 治療が終わると子供は「ありがとうございました」とぎこちなく礼をいって、出て行く。親にそういえと教育された風だった。


 イーリスは笑顔で手を振り、姿が見えなくなると椅子に倒れるように腰掛け、後頭部を背もたれに乗せてだらりとした。


 表情に魔術の成功を喜ぶ色はなかった。


「……血管や肺腑に毒が入ってるみたいなんだ。血液の流れがおかしくなってて、私の魔術だと完全に抜ききれないんだ。治したと思っても、また罹る。呪いみたいな毒だよ。浄化しても浄化してもきりがない」


「厄介なんですね……」


 イーリスの心痛はミスリルにとって我がことのようだった。


 彼女は元来、優しい性根を持っていてお人好しであり、何か手伝えることはないか、せめてタオルをしぼったり水汲みをするべきか、と室内を見回して薬瓶の棚で目を留めた。


「これはなんですか? 薬ですか?」


「魔術瓶かな。簡単に言えばインクだね。魔術陣を描く時の特殊な製法と材料で作ったものが入ってるの。その横の羽ペンで描くんだ。系統や効果は数千種類あるのよ。一般的に陣って言うけど円錐形や長方形やひし形で描く時もあるかな。効果を限定すればするほど苦労するのよねえ。発明と発見が魔術師の歴史ともいえるわ」


「へえ」


 内容は半分も理解できなかったが、内容物を眺めると明るい色をした赤や黄、緑や青といった色彩豊かでどろりとした粘液が収まっていた。


 まるで(にじ)(しずく)を詰め込んだみたいだ、とミスリルは感慨深く見つめる。


 遠く向こうの太陽は傾き――はめ込み窓から茜色の淡い陽射しが入ってきている。


 空気中を漂う埃が切り抜かれたかのように映し出され、夕暮れの食事の支度のためか入ってくる患者の足が途絶えた。


 動けない者のところは既に訪れたとの話で、イーリスは椅子の上で足をたたんであぐらをかいた。


「用途によってばらつきがあるんだけど死ぬほど集中して描かないと効果は発揮されないし、変な風に発現しちゃうし、爆発する時もあるから神経使うのよ」


「こっ、怖いですね」


「特にあたしみたいな医療系が専門の魔術師は責任重大。人の生死に直で関わるからね。逆に言えば」


 そこまで朗らかだったイーリスは一瞬だけ真顔になった。


「他のどの系統の魔術師よりも人の生き死を自在に操れる立場なんだ」


「……えっと」


 発せられた凄味に。


 ミスリルは硬直して脂汗を額に浮かべた。


 靴の中の親指の付け根がこそばゆくなって、体中の産毛が見えざる手に撫でられたような心地になった。


「あはは、笑って笑って。そんなにあたしも深く考えてないし、先人の医療法を真似てるだけで、大したことなんてしたことないから」


「あ、ははは」


 反応せねば、と思ってミスリルは頬をひくひくと引きつらせて笑った。


 イーリスは手を伸ばして水差しを口に含んだ。口紅を塗っているためかストローでちゅーちゅー飲む。


「領主様との生活ってどんな感じ? 愛人生活って大変?」


「何かとてつもない勘違いをされていらっしゃるようですが……愛人ではありません」


「でも、そういうもんじゃないの?」


「……そういうものかもしれませんが、アクネロ様は紳士であらせられまして……いや、紳士なのでしょうか」


「あたしに聞かれても」


 高笑いをしながら回転椅子に座り、くるくる回っているアクネロの狂態を想像してミスリルはこめかみに指を押し当てて頭を沈ませた。


 理解不能の言動も多ければ突発的にどこかに駆けて行くこともある。


 色事については完全なる悪ふざけで辱められることはあったが、本格的に迫られた経験はミスリルにはなかった。


 沈黙を手前勝手に想像してか、イーリスは水差を作業机に戻した。


「まあ、どんなことをされてもご主人様の悪口なんて言えないもんね。男前なことだけが救いね」


「あはは……」


 笑って誤魔化すと、イーリスは遠い目で窓辺の向こうを見つめた。


「黒衣の大森林に住む偏狂領主様。振る舞いはおかしく道化のよう。されど真実をもてあそび、難敵を喜び、魔性を(とりこ)にする……ってあたしの師匠がいってたわ。だからこそこの村をどうにかしてくれると思ってたんだけどね。ていうか魔術師にとっては妖魔みたいな扱いだったわ」


 聞いたら朗らかに笑うだろう、ミスリルは自分のその考えに自信を持った。


「アクネロ様のお考えは私にはまだわかりませんが……」


 ミスリルはどう答えれば良いかわからず、口をつぐむ。


 イーリスの探るような目を光らせていたが、駆け引きや交渉術などが不得手なミスリルがそれに気づくことはなかった。


「領主様の好きなものとかわかる? 普段って何してる?」


「う、うーん……どこに出歩いているかわからないことも多いですが狩猟に出かけたり、たまに兵士さんの訓練に参加して身体も鍛えてらっしゃいます」


「趣味とかは?」


「あっ、魔導具とか……ちょっとした文化財や美術品を集める趣味もございます。考古学の博士号を持ってらっしゃいまして、そのせいか普通は誰も知らないような変なことも知ってます。普段は読書をなさってますが、家事を手伝ってくださったりもします」


 湯焚きや調理やアイロンがけ――などという家事をやるのだが、詳しい内容はアクネロの名誉に接触すると考えてミスリルは黙っておいた。


 もっと使用人を雇うことはミスリルも提案したし、屋敷に訪れる“偉い人”も控えめながら進言するが、アクネロはいつも薄く笑って流していた。


 焦れてきたのかイーリスは眉根を寄せて八の字にした。


「ふーん……ぶっちゃけうまく取り入る方法ないかな?」


「大丈夫ですよイーリスさん。きっと本音で話せばわかってくださるかと思います。このような人々の苦しみをわからぬ人ではありません。それだけは間違いありません」


 確実性がなくいかにも軽い――とでもイーリスは思ったのか口元を歪めてふっと小さく笑った。


 羽根ペンを片手に持って、ちょいちょいとミスリルを手招きした。


「あのさ、肌に張りと艶が出て、くびれがきゅっとして、胸も大きくなってお尻が上に向く魔術かけて欲しくない?」


「いくら払えばいいんですか?」








 ★ ☆ ★






 山脈に太陽が沈み、アクネロが村に戻るとささやかな宴が催されていた。


 広場に石で囲いが作られ、台座に鉄串が並べられ豚肉や秋の山菜が銀皿に盛り付けられている。


 ぐつぐつと沸騰した土鍋が羊骨の香ばしい匂いを振りまき、彩を添える果物は山盛りになって塔となっている。


 民家と民家をロープで繋ぎその間に吊られたランプの孔には黄褐色のガラスがはめこまれ、じわりとした陰影が(かす)かな雰囲気を醸し出していた。


 小走りでアクネロに寄ってくる人影は給仕のエプロンを欠かさないものの、村娘のように地味で生活臭がある服装に変わっていた。


 茶の厚生地は勿論のこと、シャツの襟袖やスカートの裾に羽毛があしらわれている。


「アクネロ様。おかえりなさい」


「なんだその顔は」


 顔の頬から(ひたい)にかけて太い筆の線が走り、鼻面までもが赤色の丸が描かれ、我こそは土着の民と訴えかけているような奇妙な面相だった。


 眉毛や目下に容赦なくどぎつい原色が塗られ、あどけなさの残った美貌は無残にも立ち消えている。


「魔術陣です。水で簡単に洗い流せるから安心ですよ。この服はメイド服に溶液がついちゃったから着替えたんです」


「いや、そんなことくらいはわかる。俺が聞きたいのはどうしてそんなものを顔面に描いたかということだ」


「えへへ。明日になったら凄いですよ」


「今、この時の方がすごいと思うぞ……もっと凄くなったら俺には耐えられんかもしれん」


「ああん……でも、うぅ……困りますっ! 非常に困りますっ!」


 ミスリルは身体をくねらせ、手足をばたばたさせて空走りを始めた。自らの従者は一体どこへ向かおうとしているのかアクネロには判然としなかったが、十五という多感な年頃であることも考慮して無言の行に入ることにした。ならば間違うこともあるものだし、失敗することもある。ただただ見守ってやらねばならない、と。


 主人の心遣いを知ってか知らずか、ミスリルは内面世界で何かしらの決着をつけたようだった。


「まだダメですからねっ! いいですかっ! 段階というものを心得てくださいねっ!」


「ああ、順序は大事だな」


「……何してるんですか?」


 指を突き合わせ、嬉恥(うれしは)ずかしの奇妙なくねくね踊りをしているミスリルの横からイーリスが頭を傾げながら踏み込んでくる。


 腰に手を当てつつ、表情には呆れが広がっている。


「お前がうちのメイドに混乱の魔術をかけたのか? 完全に頭がおかしくなってるではないか」


「え、そうなんですか?」


 ぱちくりと目をしばたたかせていわれたもので、イーリスは憮然として否定する。


「違います。そのような用途ではないと先刻、説明しましたが……不備がございましたなら消させて頂きますが」


「あ、ああ。だ、ダメです。アクネロ様、健康促進の魔術なのです。ちょっとはしゃいでしまっただけです」


 二人を交互に見比べ、アクネロは短く息を吐いた。


「少々休ませてもらう。ミスリル、お前が俺の代理として出席せよ。決して食べ過ぎず、慎ましく歓待を受けよ」


 自らの艶のある漆黒のマントを脱ぎ、ミスリルの背後に回ってその細肩に紐を結んだ。ミスリルに多少は威厳が備えるためだったが魔術陣と相まって奇怪さが増した結果となった。遠巻きに様子を窺っていた村人が一歩後ろに引いている。


「は、はい」


「召し上がらないのですか?」


「いらん」


 集まっている人垣をかきわけるようにアクネロは進んだ。途中で村長と一言二言話をし、その家の寝所へ案内されていく。玄関の扉が閉まりきると、イーリスは上唇を舐めるとミスリルに目線を送った。


「あたしたちが食べるような粗末な物など食えないってこと?」


「そ、そんなことはありません」


 弱々しい声での否定は効果は薄そうだった。


 瞳には確実に怒りがほとばしっていた。病身の身体を押して用意した村人達を思っているに間違いはない。


 ミスリルはどこに助けを求めればいいかわからず、おろおろとしてアクネロの消えた向こうを見据えた。







 一眠りするためにベッドのヘッドボードに置かれた灯明皿の火を吹き消そうとすると、物音がしてアクネロは扉の向こうを凝視した。


 胸の内に隠してある装飾銃を握り締め、自分が緊張していることに気づいた。


 宵が更け、風がそよともしないせいか落ち着かない気持ちになっている。


 嫌な想像を打ち消し、むっくりと上半身を起こした。


「誰だ」


「あたしです」


「ドケイン君か」


 浅く呼吸した。アクネロは膝を曲げて足裏をベッドにつけ、張り出た膝の上に肘を置き頬杖をついた。


 入室したイーリスは微笑していたが、目は笑っていなかった。


 豹が樹木の下でどんぐりを拾っている猿の首を噛み付く前にするような目つきだとアクネロはぼんやりと思った。その比喩が正しいにしろ間違いにしろ獰猛な獣が間近に迫って来ているような錯覚に陥った。


 気位が高そうなことは何気なくわかっていたが――まさか曲りなりでも領主と名のついた自分にこのような目つきを見せるとは思わなかった。


 怖いものなどないのかもしれない。或いはそれを好ましいと思う者だと判じているのかもしれない。


 彼女のネグリジェは肩から紐で吊るされた透過性のある薄布であって、腰の区切りがなく太ももまで輪状に広がっている。胸元ははだけていないが透明のため下半身も含めてあらわになっているようなものだった。


 白く弾力のありそうな、血管が浮き出た細腕がすっと伸びてアクネロの頬に向かう。


 イーリスの体重でベッドがぎしりと軋んだ音を立てた。


 ベッドにイーリスの両膝が乗り、目線を合わせたまま距離が近づくとアクネロは口を開いた。


「色か」


「まだどの男にも染められていない色です」


「なぜだ」


「村長の娘ですから。私が魔術師になるためのお金も父が捻出してくれました。この貧しき村の富があたしに投資されていたのです。であれば身を投げ出すのも必定でございます」


「仮に楽しんだ後で俺が反故(ほご)にしたらどうする? 夜の口約束など無意味だぞ」


「可愛らしい従者の方を術殺します。水につけたとしても顔が焼け、二目と見れないでしょう。あの魔術陣は水で落とすことなど不可能。私しか知らぬ生薬を十は使い、混成し、練り作りあげたものです」


「なるほど、どうして欲しい?」


 勝った、というふうにイーリスは歓喜を全身で表し、腕をアクネロの首筋に伸ばした。


 肺でじっくりと温められた吐息が重なった。陶然(とうぜん)とした翠瞳は水で濡れたように挑戦的に輝いている。


 生めかしくきめ細かい肌を持った肢体からは芳しい色気が立っていた。


 輪郭がはっきりとしたくびれや豊満な乳房が作るYの字形はちょっとした見物であって、男を釘付けにする迫力を誇示おり、呼吸によって微かに上下する動きは顔を埋めたくなる衝動を呼び起こす。


「我が結社の者は当てになりません。王都の方を。事象を操る超越者たる真に魔術師である方々を」


「つまらんな」


 吐き捨てられると同時にガシッとイーリスの顔面は鷲掴みされ、五指に力を込められた。


 いきなりのことで面をくらったイーリスは悲鳴を上げながらアクネロの腕に爪を立てた。皮膚が破れて血が滲む。


 それでも腕の力は緩まず、鋼鉄のようだった。


 そこでイーリスは初めて愚かさに気づいた。机に座っているような貴族とは違って筋肉に張りがあると。


「あの魔術陣では顔など焼けん。睡魔の精霊のシンボルが描かれていた。あれは今頃のほほんと寝ているだろう」


「ぐっ、あ……」


「魔術師は本当に魔術ばかりに頼る。どうしてか。便利だからいけないのか。極めれば力を持つ者となるからか。誰でも、なんでもできると過信している。恐ろしい病気を治し、不落の敵を倒し、全てを救えると思う。その隔たった考えこそ恐ろしいものだ」


「あ、く……はな……せっ……!」


「しかしお前の村を救おうという気持ちは必死の姿は感心しよう。疫病(えきびょう)は既に解決する道筋はついた。魔獣はまだわからんが想像はつく。馬鹿な真似をせず、俺に任せておけ」


「はえ」


 パッと手が離されるとイーリスはぽかんとしながら脱力した。ぱちぱちと目がしばたたいた。


 と。


 警鐘の音が鳴り響いた。カーンカーンと間断がなく警報を示す激しい打ち鳴らしだった。イーリスは緊張のために顔を強張らせた。


 その反応を見てアクネロは頷いた。


 ぐるりと頭を捻って関節をほぐすと、イーリスの唇にそっと指を当てた。横顔がこっちに向いた。


「おでましか。では、謎を解きに行こうではないか。暗闇が怖ければ手を繋いであげよう」






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