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酔狂領主様の怪奇譚  作者: 七色春日
第五章 凍える火酒
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-5-




「基金なんて作る必要あるの?」


 黒髪の艶めかしいヨークトン市長。セレスティアは執務机に座りながら長髪を優雅になびかせた。


 自信に染まった冷血に瞳はきりりと尖っている。


 机の上に乗った書面に目を落とすことはなく、立ったままのアクネロを見抜き、真意を見定めようとしていた。


「幻想種を愛する同好の士は多い。それに、我らの古いなじみが滅んでいくというのも悲しいものだ。原生林としての幾つかの区画についての保護を申請したい。無論、許されればの話だが」


「いいわよ。でも、どちらにせよ、自分の土地でしょ?」


「俺の土地であるが、いつまでも俺の土地というわけでもない。市民権を与えた幻想種と人間の団体に基金を運営させたい」


「市に動物園でも作るつもり?」


「それもいいな。人里に動物園でも作ってみるか……あるいは森深くに俺の宝を迷宮に埋め、人間に害意のある幻想種を幽閉して守らせてみるか。人々にわかりやすい恐れも与えねばな」


 その軽はずみなアイディアによって後年のヨークトン市は未曽有の危機に包まれるが、まだ彼らは知らない。


「ところで、この手みやげのワインって大丈夫なの?」


 セレスティアは白ワインを手酌で注いだ。


 透明な液体が半分ほど入ったグラスを傾けてくんくんと臭いを嗅いだ後、口に運ぶ。


「飲める。妖魔の酒とての純度を下げる製法を見つけた」


「あ、すごくおいしい……流石は巷に名高い酒妖精の酒ね。へえ、何それ?」


「あまりおいしく作らないことだ」


「……」


 市長室の空気は悪くなったが、アクネロは気にせずに机の上の空きグラスを手に持ち、セレスティアのグラスにぶつけて乾杯するまねをした。


 あまりに距離の近さにセレスティアは唇を開いて「いっ」と前歯を重ねた。


「セレスティア。君の力が必要なんだ。頼んだよ。俺たちの友達を護りたいんだ」


「べ、別に……いいけど、難民の流入がいつまでも続くわけないし……焼き畑農業は山火事になるかもだし……ていうか、火山が落ち着いたら戻るかもしれないし」


「ああ、細かいことは頼んだぞ」


 そわそわしながら内またになり、顔をそむけたセレスティアが承諾すると、その隙にアクネロは肩を叩いて流れるような足取りで退出した。


 期待で潤んだ顔を再び正面に向けるが、そこには誰もいない。


「逃げたわね」









 ☆ ★ ☆






「結局、族長さんはどなたになったんです?」


 ぱから、ぱから、とひづめの音を鳴らしながら馬車が往来を進む。馬の鼻息が白くかすむ。温度が急激に下がっている。町を歩く人々は厚い毛皮のマフラーと耳当てを備えて身を縮ませている。


 車輪が石畳をからからと踏みながら回り、幌付きの屋根に座り込んだミスリルは手持ち無沙汰のなのか質問した。


 アクネロが珍しく御者台に座って手綱を取り、運転している。


「アランだ。酒を造ったのはアランだからな」


「そうなんですか……『キングペット』のアイスワインはとってもおいしかったですから、なくならくてよかったです」


「今思えば……味の良し悪しだけでは済まない問題だった。そもそも、本当に女神さまとやらがいたのかも疑わしい」


「え?」


「先代の酒妖精の族長が神木の洞に入り、女神の飲んだ杯を確かめる。だが、実のところは暗闇で彼が飲んでいたのかもしれない」


「ええ?」


「歳を取れば保守的になるものだ。生命の終わりを感じて和を尊び、事を荒立てぬようにする。種族に縛られたバッカッカもそれがわかっていて、あえて息子の酒を自分のものと偽って奉上したのだ」


「そんな、でも、神聖な儀式だって」


「実在する女神をだしにした神聖な儀式を権力争いにものだねにする方が間違っている。それがわからないほど酒妖精も馬鹿ではない。妖精とは人を欺くのが好きだろうしな」


「……おいしいワインは飲めました」


「その点はよかった」


 しばらくして街を抜けると牧草地に出た。


 羊とその群れを率いる羊飼いの姿が見えた。絨毯のような雪雲を見つけて羊飼いは小屋へ誘導している。


 石造りの道は終わり、黄色のあぜ道となると、小石で馬車は揺れた。


 ミスリルは御者台に座るアクネロの後ろに近づいた。


「アクネロ様、メープルクッキーはいかがですか?」


「甘いものは好きではないのだが……せっかくだ。貰うよ」


「はい。って……あれ……あれ? ない? すいません。確かに巾着袋に入れたはずなのですが……」


 ごそごそとメイド服のポケットに手を突っ込み、あわただしく身をひるがえして旅支度の袋をさぐったが、目的のものは見つからなかった。


 しばらくしてアクネロは呆れたように言った。


「食べてしまったのだろう」


「封もきちんとしましたし、穴も空いてないし、絶対におかしいです!」


 ぷりぷりと怒り、いきり立つミスリル。


 顔や声の調子からして嘘は言っていないのだろう。見えざる盗人に盗られてしまったか。


「かの者が実在するとして……ずいぶんと悪口を言ってしまったからな。神罰が当たったか。ミスリル、妖精の族長に興味はあるか?」


「ありません! お嫁さんになるのが私の夢ですから」


「望まずとも、そのようなたわいもない夢ならいずれかなうだろう」


「どんな物事も、望まなければかないません。胸に秘めるだけでは親子の和解もなかったはずです」


「違いない」


 雪雲から白い粒が襲来した。


 吹雪いてくる。骨身を凍らすような寒風に乗って流れてくる。


 前を向きなおしたアクネロは腕を影にして視界を護った。世界が白く染まった。視界が真っ白な闇にぬりつぶされた。


 頬を裂くような冷たさ。


 後ろで身体を寒さで震わせ、ぴたりとしがみついてくる誰か。


 もたらされるぬくもりは突然だったが、そう悪くない。


 


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