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酔狂領主様の怪奇譚  作者: 七色春日
第五章 凍える火酒
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-3-

「むー……」


 上半身を斜めに傾けたミスリルは燃え盛る石窯の口を凝視しながらしかめっ面になった。


 火の調子が悪い気がした。騙し騙しに使用してきたが最近、パンがふっくらとしなくなってきている。


 特に今朝は最悪の出来であって内部が生焼けで外皮がボロボロと剥がれて粉っぽかった。


 手入れをするべきであったがこの石釜の内部を触ることは禁じられている。


 前にもキッチンの掃除の最中にうっかり魔術円を雑巾でゴシゴシと削り取ってしまい、整備するための魔術師を一日三回呼んでしまった記憶が新しい。


 ムラができると機能しなくなるし、水分は大敵であり、僅かにでも場合によっては錆びるそうだ。


 扱いが面倒であったが排煙がほとんど出ないことと、(まき)が不必要ため市民にはなかなか手が出ない高級設備でもある。


 つまるところ、整備するのもお金がかかる。それを主人に伝えるのもなんとなく気が重い。


 白金色の癖っ毛の先を指先で摘んだ。肩に触れるか触れないかのところまで伸ばしてあるが、悩む時に何気なく触れるのがミスリルの癖だった。


 と。


 玄関扉のベルが鳴った。


 ミスリルは足幅は短くパタパタとキッチンから小走りで移動し、廊下からエントランスホールを横切って玄関扉を開いた。


「ハーイ」


「あ、イーリスさん。ちょうどよかった。石窯が調子悪くて」


 頭上で分かれたさらさらの金髪をなびかせ、法衣を着たイーリスは魔術師である。


 若い身空でアクネロに借金を背負い、ちょくちょく屋敷に来ては物品を漁っていくが、嫌みのない人柄のせいかそこまで咎められはしない。


 手を振ったままの態勢で顔を傾ける。


「あたしと石窯の調子が悪いことがどう結び付くのかわからないんだけど」


「火系の魔術得意ですよね?」


「いや、得意だけど……止めて、期待した目で見ないで……わかったからさ。あーあ」


 期待感のある視線に根負けしたイーリスは両肩をだらりと下げて、キッチンへと足を運んだ。


 煤だらけになりながら魔術円を描きなおす作業はけだるい。ジャケットの内側の小瓶から絵筆を取り出し、小皿をパレット代わりにする。


 作業用のエプロンと帽子を身に着けたイーリスは一息つき、果敢にも窯口に頭から飛び込んだ。


 約三十分ほどで火炎陣の構図を描き終えたイーリスは頬を墨で汚しながらも椅子に腰かけた。


 ミスリルから濡れたタオルを受け取り、顔をごしごしとぬぐう。


「応急処置だからね……持続系の魔術陣の溶液は特許だから、あたしはよくわかってないからね」


「あ、イーリスさん。メープルクッキーです」


「あむ、おいしい……あれ、領主様は?」


「今朝方、『女王の蜜を獲りに行く』とか言って、顔に網をつけた養蜂家の恰好でどこかへお出かけしましたよ」


「そうなんだ」


 イーリスはその場面を実際目にしたかのように想像した。


 突発的な行動をとることが多いので、そう不思議でもない。


「危ないことは止めて欲しいものです」


「人件費をケチるから悪いのよ。魔術師教会とか騎士団とか任せればいいのに」


「そうですね」


 二人は女として現実的に物事を考える傾向にあった。


 現在、森にひそむ大蜂を相手にアクネロはそれなりに勇気を奮って戦っていたが、無駄な努力とみなされている。


 どちらかともなく雑談をしかけると、話が意味もなく乗り、目に見えぬ客人や酒妖精の神酒祭についてまでミスリルは語り始めた。


 イーリスは座ったままピンと指を立てる。


「あたし、お酒飲まないから酒妖精についてはまあいいとして、その客人って何?」


「お姿は見えないのですが……部屋で寝泊まりなさっております。アクネロ様がおっしゃるところによれば濁流の精霊さんらしくて」


「濁流の精霊ねえ……そんな精霊いたかしら」


「えっ」


「気になるわね。あたしが調査してあげるわ。レインボルトの眷属には借りがあるし」


 うきうきとした様子でイーリスは椅子から立ちあがった。






 ☆ ★ ☆




「アラン。どうしたんだい?」


 酒妖精ロスは出荷用のワインを選別するのを止め、アランに声をかけた。


 瓶が敷き詰められた木箱から離れ、顔色を覗き込むようにしている。


 童顔で五人の酒妖精の中では一番年齢が若く、心配事や不安があるとすぐに顔に出るくせがあった。


 思案していたアランはハッとして首を横に振った。


 家族のことを考えているなどと言いたくなかったし、故郷を抜け出したクロスを含む他の三人に申し開きはできない。


 ただ五人だけで里を抜けた。


 手元にあった人間の通貨は数枚の銅貨だけで、ネズミと同じような残飯をむさぼる生活をしていた。


 三年ばかりの苦難を乗り越えたからこそ、今がある。


「神酒祭についてさ。腕比べの一大行事だ。何を出すべきかと思って」


 滑車が引かれて搬出用のシャッターが開かれる。外気が工場になだれこんできた。


 山の麓のブドウ畑から材料が続々と入ってきている。断熱材であるオガグズで包んだ氷漬けのブドウ。


 作業員は人間ばかりだが、彼らの雇用主としての責任もある。妖精として気ままに生きることはできなくなったが、後悔は少ない。


「アイスワインじゃダメなのかい?」


「父さんは多分、蜂蜜酒(ミード)でくる。昔からそうだったんだ。ここぞというときは皆が四季のおりおりの果実酒を用意してくる中、自分だけが変わり種で勝負する。汚い野郎さ」


「女神さまにワインは奉上したことがない。怖いかい?」


「彼女の嗜好はわからないんだ。人の目に良い悪いがあるように、舌にも合う合わないがある」


「加糖を蜂蜜にしよう」


 提案にアランは目を伏せた。


 発酵させる前のブドウ果汁にはちみつを加えれば風味がつきすぎてしまう。


 糖が分解されてアルコール度数はあがる。品質の補填にもなる。


 しかし。


「だめだ。香りが壊れるし……土壇場でそんな真似はできない」


「森暮らしに戻るよりマシだろ? なぁに、数滴くわえて女神さま好みの味に仕立てるだけさ」


「ロス。小細工はしたくないんだ。そんなことで勝ったって何も嬉しくない。ボクたちはボクたちの酒に誇りを持つべきだ」


「わかったよ……ただ、全部おじゃんになっちまうんじゃないかと思ってさ」


「かもな。だが、誠実であるべきだ。その結果なら、どんなことでも受け入れるべきだ」


 アランは拳を握りしめて覚悟していたが。誰もが覚悟しているというわけでもなかった。


 ロスの他に三人の妖精は棚の奥で会話する二人の様子を見ていた。


 三人は示し合わせたように頷き合った。共同経営者たるラムスは腕組みしながら三人の頷きに応じた。






 ☆ ★ ☆





 アクネロは倒木に腰を落とすと、傍らに転がった一メートル近い岩石のような蜂の巣を眺めた。


 わざわざ魔剣コレクションの一部である『煙剣』を持って来たが、近づくのが怖くて遠距離から弓で落としてしまった。


 巣を落とされた小魚サイズの大蜂は激怒したが、使い手に煙をまとわす『煙剣』でもくもくといぶすと、数時間後には諦めて撤収した。


 あっけのない最後だったが目的は達した。


 思ったよりも蜂の数が少ない気もしたし、蜂たちの諦めも早い。


 農夫のようなだぶだぶの服を着たアクネロは水筒を口にした。重ね着をしているので太った中年男のように遠目からは見える。


「うおおっ! でっけっ!」


 蜜を採取しようとしているバッカッカが同サイズの幼虫と喧嘩していた。


 がちがちとした牙を両手で掴んでしのいでいる。やられそうだが、アクネロは疲れていたので放っておくことにした。


「おや、誰かいるな」


「そうみたいね」


 男女二人組がしげみをかき分けて現れた。若い男女で皮の手袋と鎧を身に着けている。


 関節を金属の部分で覆い、年季の入った汚れ具合。厚い紐結びの長靴も擦り切れて色を失っている。


 どちらも日焼けしていて、目の輝きは強い。アクネロを養蜂家とでも思っているのか興味深げに近寄ってくる。


「おっさん。凄いな。大蜂の巣を落とすなんて。普通死ぬぜ」


「そうたいしたことではなかったぞ」


「一応、あたしたちが朝に挑んだんだ。おかげで酷い目あったけど」


 言葉を交わし続けると、二人の男女は雇われの傭兵と自己紹介した。礼儀正しくはなかったが、二人とも人好きする顔立ちをしている。


 冒険者と言えば聞こえがよく、狩猟者と言えば所帯じみている。


 大蜂の退治を建設会社から委託され、開発地区の巣を破壊するのが主目的としていた。


 どうりで蜂が少ないはずだ。先任者が倒していたのだ。


 巣を落とした手柄が欲しい旨を遠回りに伝えられ、アクネロは快諾した。


 男の冒険者はスキットルをひねりながら倒木に腰掛けた。


「海の向こうでよ。火山が爆発したせいで難民が増えてるらしいぜ。島民が着の身着のままで救助を求めている。仮設住宅がばかばか立てられて街が広がったせいで牧草地も足りなくなってきた。ここら一帯に果樹園を造りたいってさ」


「気の毒な話だな……」


「ああ、だが、どこにでもある話だ」


 ん、と渡されたスキットルを受け取った。アクネロは面体を外して金髪をさらけ出した。


 瓶口を口に入れると、濃い麦の渋い味がした。


「『黒衣の大森林』もその内、ただの森林になるかもな。向こう側の領主も開発してるって話だぜ」


「知っている。森は神秘にして資源の宝庫だしな」


「そうなれば、中に居る化け物の戦う時代が来るかもしれねえ」


 ぱしんっと開いた手に拳をぶつけた。意気軒昂な男は闘争心で顔を歪めていた。


 アクネロはスキットルを渡し返した。


「幸運を祈ろう」


「お兄さん。よく見たら若いね。同業?」


 女が声をかけてきた。筋肉質ながらも童顔で、アクネロをうかがった。


「蜂はまだいるかもしれん。この剣を貸してやろう。剣身から目暗まし煙が出る。主に逃走に用いる剣だ」


「え、どうも」


「未来を切り開くには少々の煙たいこともせねばな」


 鞘に差した魔剣を女の傭兵に渡すと、大きな蜂の巣と格闘しているバッカッカも採取を終えたようでガラス瓶に蓋をしているようだった。


 肩に乗せると、芝地を踏みつけながら森深くを目指した。




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