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酔狂領主様の怪奇譚  作者: 七色春日
第五章 凍える火酒
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-2-

 ヨークトン市の郊外に目的地はあった。


 土砂道の側道にこの先、酒蔵『キングペット』と書かれた看板が刺さっていた。


 遠くに見えるカマボコ型の工場から煙が立ち昇っている。敷地の横に細川が流れ、水車がくるくると回転していた。


「立派ですね」


 手綱を操るミスリルは感想を漏らした。


 酒妖精が酒蔵所を市内で経営していると聞いた時は耳を疑ったが、聞いたことのある名前が出てきて二つ驚いた。


 常飲している蒸留酒の銘柄も扱っていて、正規の流通に乗って世界各地に幅広く販売している。


 小さな検問があり、市からの視察状を見せると係り員は恐縮して馬留め小屋に案内した。


「アクネロ様はどこでも行けるからいいですよね」


「どこでもは行けんぞ。昔、友人と歓楽街に繰り出そうとしたら記者に新聞記事を書かれそうになった」


「単にいやらしいところに行こうとした悪いんですよ」


「違う。怖くなるほど足の綺麗な女がいるって言うから見に行っただけだ。確かに彼女は足は綺麗だったし、台座に乗って服を脱ぎ始めたが、他の客とは違って俺は口笛を吹かなかった。貞節と道徳を省みて我慢した。だから俺は何もやましいことなどない」


「結局行ってるんですか! アウト! アウトです!」


 馬小屋から降りて二人が会話していると、事務所に続く正面扉が開いて慌ただしく中年の男が小走りで向かってきた。


 でっぷり肥え太って頭ははげていたが、人の良さそうな笑みを浮かべてもみ手をし始める。


 アクネロは体を開いて足を向けた。


「ようこそいらっしゃいました領主様。いやぁ、こうして拝謁の機会を頂けるのなんて……望外の幸運というものです。申し付けてくださればこちらからお迎えにあがりましたのに」


「突然の訪問ですまなかった。かねてから酒造りというものに興味があってな。酒妖精が経営しているという話も聞いた」


「よくぞご存知で! 私は共同経営者のラムスと申します。よろしければ施設についてご案内させて頂きたく思います。我々は自然環境に対して真摯に取り組んでおりまして……」


 先導するが傍らに控える距離を心得たラムスは饒舌な男で、腰を低くしながらも声を張り上げることを忘れなかった。


 商人というものの厚かましさを知っていたアクネロはラムスが酒師とは思えなかった。


 寡黙に複雑な工程を黙々とこなす職人ではない――ないが、滑らかに回る舌があれば商才はある。


「この時間は圧搾(あっさく)所にいます。すぐに呼んでまいります」


「ありがたいが、仕事の邪魔はしたくない」


「いいえ、もう終業時間でございます。おぉい、皆! 今日の仕事は終わりだ! 作業を止めよ!」


 事務所に入るところでラムスは両手を唇の横に当てて叫んだ。書類作業をしていた事務員たちがギョッとして動きを止めた。


 期待感をふくませているものの怪訝な顔でラムスの様子を窺っているので、終業時間でないことはわかった。


「いや、しかし」


「問題はありません。申し訳ありませんが、応接間にてお待ちいただけますでしょうか」


 押し切られ、アクネロは窮屈な応接間に閉じ込められた。調度品は中流以上のものだったが、密談向けなのか窓は狭く解放感はない。


 どれくらい時間がかかるかわからなかったので、ミスリルを横のソファーに座らせた。


「なんだか、ここは寒いですね」


 自分を抱くように両手に肩を回す。室内にいるが、外の気温とそう変わらない。


「山脈から吹き下ろしの風が吹く。標高も少しばかりあるのだろう」


 頬杖を突いて応えた。


 待つ時間はそれほどでもなかった。


 事務員の女が扉を開けるとグラスワインを二杯ほど持って来た。手馴れた動作で手に取りやすい位置にことりと置く。


「お気に召せばよろしいのですが」


 淡黄色の液体――白ワインだ。


 アクネロは片手でグラスを摘まむと、液体をガラスの中で軽く振って旋回させた。


 よくある仕草であるが、気取っているわけでもなく混ぜることで香りをグラスの内部に充満させるためだ。


 口に近づけると芳醇な甘い臭いが鼻に忍び込んできた。舌先がしびれるほど酸味があるくせに、濃厚な果実のコクがある。


 それでいて、後に引かない爽やかさがあった。すっきりとしている。それほど、アルコールの酩酊感も感じなかった。


「おいしい」


「貴腐ワインか? いや、少し違うか……かなり濃厚だが」


 貴腐ワインとは病原菌に感染させたブドウの実を用いたワインのことだ。


 病魔に感染したブドウから水分が蒸発し、乾燥させた干しブドウのように糖度を高くなる。


 甘くフルーティでねばりけのある味わいになるが、当然ことのながら通常とは違って手間がかかるため、高級品である。


「ボクのワインは領主様の口に合いましたか?」


 小人が扉の下から歩いてきた。


 スーツに整髪料をふりかけた髪型。四角メガネをかけて髭もなく、洗練されたスマートな足取りを身に備えている。


 立ち止まると、ビジネスマンのように胸に手を持ってきて礼をした。


 立ち振る舞いには妖精らしさはどこにもなかったが、その小人が噂の酒師であるとアクネロは確信した。


 語る口裏には自信が溢れていたから。


「アランと申します。領主様にお目にかかれて光栄でございます」


「酒妖精か?」


「ご明察の通りです。他にも仲間五人がおります。集落から出奔いたしましたが、人の世を害するためではありません。腕試しとでも言えばよろしいでしょうか」


「酒造りの腕を試すには――」


 アクネロは首をぐるりと動かして敷地や工場を見渡すふりをした。


「広い場所だな」


 軽いジャブに応じるように肩を揺すってアランは笑うふりをした。


「ご冗談を。森に比べればシャンパンのグラスに浮かんだ(サワー)のように小さなものです。よろしければ工場の見学をなさいますか?」


「ああ、しかし、なぜ集落から出て行ったのか知りたい」


「……些末なことですよ。身内の恥など耳心地のよいことではありません。ですが、この酒房『キングペット』が生まれた理由でもあります。案内しながら話しましょう」


 事務室から施設に移動する前にマスクとスリッパが用意された。殺菌用のアルコールスプレーをふりかけられ、頭髪を綿帽子で隠した。


 工場内に入ると半円形の建屋のため、天井は遠かった。


 現在では作業員がいないため運転はしていないため、騒音が聞こえることはなかった。


 大まかな説明ではブドウなどの材料を集め、圧搾機にかけて液体状にし、巨大な発酵槽を板べら混ぜ、樽に詰め込めこんで熟成させ、ろ過し、製品となる。


 生産しているのは麦酒、米酒、芋酒、ブドウ酒――その他、果実酒などだった。


 果実の臭いとカビの湿ったような臭いが混じっている。生々しい香りは強く、ミスリルはくらくらとしていた。


「ボクは酒妖精としての生き方は嫌いではありませんでした。森の恵みを活用し、美味な酒を造り、仲間の妖精や幻獣、精霊や修験者、或いは旅人に呑ませる。そうすることで、たまにお返しをもらい、またそれで酒を造る……いい生き方です。水馬(ケルピー)にエビで酒を造れと言われた時も楽しかったですよ。捨てガラの処理には悩みましたが」


 アランは先導しながら語った。石造りの床をまたぐ足幅は狭かったためアクネロやミスリル、ラムスは非常にゆっくりと進んだ。


 ピアノの鍵盤のような板切れに材料が乗せられ、ローラーによってブドウ粒が破砕される。


 装置は幾つかの段になっていて、上から下に落ちていく。


 最後は完全に濃縮されて発酵槽に流れ込む。かき棒や灰汁取りの用具が壁に並びかけられている。


 壁には円状に木造りの輪が重なっていた。軸棒の回転力で機械を動かす仕組みだ。外の水車の動力に頼っている。


「幸福もありました。酒妖精というだけでどのような方にも好かれます。我々の酒を提供せずとも我々が傍にいるというだけで、酒の味がよくなるという俗説もあったのです」


 ラムスが嫌な顔をしていた。


 そんな俗説は有利に働く。否定して欲しくないようだ。 


「酒妖精の妖酒には致命的な欠陥がありました。個体差によって味にばらつきがあり、好みもまた千差万別だったのです」


「森にはそれぞれの工房があろう」


「ええ、個人主義ですからね。その度しがたいほど職人気質が災いしているのです。飲み手が求めるのは味の均一化、すなわち安定した美味なのです。辛かったり、甘かったり、材料がちょくちょく変わる酒など、安心して飲めません。職人という言葉に甘えて、飲み手にわがままを押し付けるなどありえてはいけないのです」


「論理的だ」


「妖精とは自堕落で怠惰な種。自分勝手なのです。そういったしがらみにボクは耐えきれませんでした。故郷を脱することは自己の可能性の追求でもあったのです」


「なるほど」


「人里での酒造りは困難を極めました。材料の安定供給、生産の画一化、貯蔵技術の向上、衛生面の厳格化、販路の開拓……課題は様々ありました。成功への道のりは長く険しかった。森抜けをした仲間と励まし合い、人間たちと話し合い、ようやく今日まで来たのです」


 四人の足は地下の貯蔵倉庫に向かっていた。


 樽が壁際にある棚にぎっしりと詰め込まれ、四方を覆っていた。人の肩の高さくらいにある樽の一つに蛇口がついている。


 アランは身軽に三角飛びすると、蛇口に飛び乗った。


「失敬、グラスがそちらにございます」


 大樽と大樽の境目に食器棚があった。


 アクネロはグラスを二つ取り、蛇口から流れる白いワインを受けとめた。きゅっと栓が締められる。


「ビジネスの成功は文化の発展と同義です。賢明な領主様にはご理解頂けるでしょう」


「妖精が世俗にまみれることに不都合はないのか?」


 グラスの酒を口にして、尋ねる。アランは肩をすくめた。


「ありません。古びた過去を捨て、新たな未来を築くために尽力しております」


「素晴らしい。神酒祭の筆頭を獲らんとするだけのことはある」


「ありがとうございます。しかし、それは我々にとって単なるワンステップにすぎません。つまらないことですよ」


「黙って聞いてりゃあ……好き放題言いやがって」


 アクネロの胸襟に隠れていたバッカッカは鬼の形相で現れた。半身だけを覗かせながら、こめかみに青筋を浮かべている。


 むっ、としたアランは顔をしかめた。


「領主様。汚物を持ち込んでは困ります」


「お、汚物ぅ!? てめえ! 若造が調子に乗ってんじゃねえよ!」


 すたっ、とバッカッカは床面に立った。涼しい顔のアランと対峙するように指をさした。


「大声を上げないで頂きたい。見苦しい。そうやって相手を威圧して萎縮させ、言うことを聞かせるのが貴方のけがらわしい手段なのはわかっていますが」


「俺がてめえに酒造りを教えてやったんだぞ!」


「感謝していますよ族長殿。それで、何の御用ですか?」


「人間の里にいつまでいるつもりだ? 俺たちには境界線があるはずだ。お前の酒は人間にとって毒になる」


「酒とは害にして薬。我々の妖酒を秘することになんの意味がありましょうか」


「俺たちは小さい。俺たちだけでやっていくべきだ。大きなことに手を出しても、痛い目に遭うだけだ」


「貴方にボクの酒が理解できますか? できないでしょう。古臭いだけの酒師風情が」


「氷漬けのブドウを早晩に摘んで造った酒だ。氷は不純物を外に押し出すからな」


 返答にアランは頬をひくひくと波打たせた。


 僅かに顎が跳ね、腕組みをすることで平静を取り戻そうとした。


「なるほど、脳みそまでは腐っていないようだ」


「神酒祭は一週間後だ。決着をつけてやる。身の程も知ってもらうぞ」


「望むところです。ボクが族長になった暁には酒妖精は『キングペット』で働いて頂きます。万民の幸せのために」


「俺が買ったらお前らはもう一度、樽磨きだ。妖精が人間の金に目をくらませるなんて、あっちゃならねえことだ」


 口論が終わると、アランはくるりと背を向けた。


 握り締めた拳を見せないように胸に持っていく。


 身体が震えから感情的になっているのがわかったが、すぐに波が引くように止まった。


「失礼、領主様……お見苦しいところをお見せしました。場を離れることをお許しくださいませ」


「許そう」


「ラムス。後は任せたよ」


「ええ……わかりました」


 アランは背を向けたまま退散した。怒鳴り散らかしたバッカッカにしても顔をうつむかせたまま床を見ているだけだった。


 妖精二人の関係は根深いものがある。


 アクネロは白ワインのグラスの底を眺めた。


 澄み切っているがアルコール度数の高いアイスワイン。


 美味のために多くの房を選別し、糖度を高める。


 何かを失ってからこそ得られる味ともいえる。





 ☆ ★ ☆




 屋敷に戻るとアクネロは椅子に身体を預けた。


 馬車に揺られながら土産のアイスワインを口にしていたせいか、ひどく酔いが回っていた。


 飲み慣れないミスリルに至っては既に就寝している。


 テーブルにどっかり座ったバッカッカはアランの酒をまずそうにしながらも胃の腑に収めていた。


 外窓は白いもやがこびりついている。暖炉の炎がちらちらと燃え盛り、部屋の空気を暖めている。


「妖精の酒はどのような弊害がある?」


「元々、人間に飲ませるときは怪我人や病人だけだった。霊気の混ざった酒を常飲すればするほど舌の根が求めるようになる。俺たちがいると影響を受けるのさ。アランは否定したがな」


 アクネロはグラスをテーブルに置いた。腹の中が重い。意識にもやがかかっている。


 こみかみをもみ、椅子の背にもたれる。


「薬を飲ませ続けるようなものか……『キングペット』の酒は割高な高級品ばかりだったことが救いか」


「わざとそうしてるんだよ。品薄じゃなきゃ、悪い噂が広まっちまう。俺たちが全員集合したら嫌でも生産率は上がっちまうだろうな」


「人々が酒に溺れる未来か。俺が酒税を課して憎まれ役を負うはめになるな」


「楽しい未来じゃねえか」


 だが明るくはない未来だ――アクネロは無意識にせよ、白ワインに目が行ってしまうのがわかった。


 妖酒を喉が求める。あながち嘘ではなさそうだ。


 目を閉じた。バッカッカとの付き合いは長い。どちらが真実を言っているかはわかる。


「それで……策はあるのか?」


「ベストを尽くすために必要なことがある。材料が欲しい。俺たちは組むべきだ」


「俺がアランを説得するという選択肢もある」


「俺が神酒祭で負けたらそうすればいい」


「……お前とアランの関係は? 師弟か?」


「父親と息子さ。ありがちな話だ。息子に素直になれない父親と、そんな父親を嫌悪する息子ってことさ」


 何も気にしていない様子を装って、バッカッカはツマミの乾燥豆をばりばりとかじった。


「俺は族長だからな。同族の手前もある。勝手を許すわけにはいかねえんだ」


「勝算はあるんだろうな」


「正直、あいつの酒はうめえ。素材はもちろん、道具は最新的で製法に無駄はない。樽までこだわっている。この辺じゃ見ねえ木材で熟成させてる。まともにやっても勝てないかもしれない」


 アクネロは物憂うように両手を組んだ。


 さしあたって、勝利のための材料が何なのかは明日聞けばいい。


 今はただ眠気を優先しよう。妖魔の酒にせよ、心地よい酩酊を提供してくれることだけは確かなことだ。






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