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酔狂領主様の怪奇譚  作者: 七色春日
第五章 凍える火酒
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-1-


 ノルマンダン地方の領主アクネロ・ブラドヒートは屋敷の螺旋階段を降りる途中で足を止めた。


 手すりに手を乗せたまま怪訝な顔つきで目を凝らす。


 玄関扉に薄煙が昇っていたからだ。大きさは子供ほどか。


 驚くべきことに見た目は気体のはずが空中で固化し、ぴたりと動きを止めた。


 形なき姿に見えたが四肢らしきものがある。


 向こう側が透けている半透明の存在はふわふわと浮遊している。


 奇妙な存在だったが、アクネロは対応の仕方を考えるように沈黙した後、顎を引いた。


「これはこれは」


 襟元をただし、背筋を伸ばしたアクネロは一階の玄関扉までつかつかと歩いた。


 表情からはきれいに畏怖は消え失せた。薄い微笑を浮かべて親しみやすさだけを残している。


 辿りつくと、折り目正しく腰を曲げ、うやうやしく礼をする。


「どちらの方でしょうか……ほう、時季を間違えてしまいましたか。いえ、そのような気遣いは無用というもの。この屋敷にいらしたまつわる方々は等しく歓待致しましょう」


 アクネロは取り繕うための品の良い微笑みを思案顔にかえ、、たった今思いついたように拳をポンと手の平に落とした。


「でしたら、こういたしましょう。私は末席ながら研究者としての素性もございます。幾つかのささいな研究に協力して頂けるのであれば、私もまた貴方様の手助けを致しましょう」


 半歩ほど後ろに下がり、アクネロは大広間へと促した。


 煙は足音を立てずにスーッと移動する。その後ろにつきながらアクネロはもう一度、丁寧に襟元を正した。


 興奮が外側に出ないように、浮足立っているのがばれないように、遊び心が気付かれないように。









 ☆ ★ ☆











 季節は秋から冬へと移り変わろうとしてた。


 鈍色の分厚い雲が東の方から物言わず、押し寄せてきている。


 ノルマンダン地方の三割を占め、更に広がる『黒衣の大森林』の南方にある高木帯に足を踏み入れたミスリルは上空の雪雲を不安そうに眺めた。


 もう数時間ほど雪が降ってくるかもしれない。


 身を引き裂くような寒気が空気に混じっている。


 寒波は勢力を徐々に増している。吐息が白くなる。本格的な冬の到来まであと一歩。


 微風は樹木の盾のおかげで防げているが、いつまで続くか。


 冬用の生地の厚いメイド服の下に衣服を重ね着し、靴底には足布のほかにおがくずまで入れている。首元にマフラーを巻いて防備しているが寒さは露出した顔をぴりぴりと痛ませる。


 毛皮の手袋をごしごしとこすり合わせ、暖を取る。


「寒いなー……でも、時季を外すと取れないし」


 アイスピックを樹木に突き刺すと樹液がどばどばと溢れ出てくる。


 今日のミスリルの仕事はメープルウォーターの採取だった。


 サトウカエデの木から取れる樹液は液体だ。夜間にサトウカエデが地中の水分を吸い込んで貯め込み、気温の変化により加圧状態になることで採取が簡単になる。


 この液体を精製することで、甘い甘い極上のメープルシロップが完成する。


 開けた穴にストローを詰め込み、水っぽい樹液が出口からつま先に置かれた木製の小樽にぽたぽたと落ちていく。


 琥珀色で蜂蜜にも似た甘さはすっきりとして濃厚な味わいを持ち、パンやクッキーに挟むと絶品の品物だ。


 苔むした黒い森は薄っすらと霜が降りている。草木を踏むとパリパリと渇いた音がした。


 樹肌から流出する期間は短い。十日もあればいい方だ。


 うっかり集め損ねれば来年まで自家製メープルシロップを作ることはできない。


 穴を開けては樹液を集め、うつむきながら一息つく。


 トンカチとアイスピックの採取はミスリルの細腕では長続きしないものだった。


 メープルウォーターが集まった木桶を集積させる作業もある。


 甘い物は大好きであるし、無料であるためミスリルは労苦を惜しまなかったが、疲労はする。


「おい、姉ちゃん」


「はい」


 どこからともなく聞こえてきた声に顔をもちあげ、反射的に返事をした。


 視線を元に戻すと小人がいた。


 赤白帽子に髭をはやし、鼻と耳が尖っている。人相は中年男だ。顔はしわだらけで、目には年月の疲労がある。


 パレットの上の絵の具を適当にぶっかけたようなダボダボの一張羅を身に纏い、首元には派手なフリルが巻かれていて道化のようだった。


「わーっ」


「わーっ、じゃねーよ。マジふっざっけんなよ。てめぇのアイスピックが俺の頭蓋骨を貫いてるのが見えねえのか?」


 小人の額に命中しているのはミスリルのアイスピックで、見事に眉間を突き刺さっていた。


 なぜだかわからないが、手元を誤ってしまったようだ。


 セミの標本のように木に串刺しになっている。構図的には刺殺が完遂された格好になっている。


「ほんとですね。なんで生きてるんですか?」


「疑問を先に持ち上げるんじゃねーよ。問題は今まさに飛ぼうとしている俺の命だろ。普通は謝罪が先だろ?」


「ああ、すいませんっ! 今すぐトドメを刺して楽にしますからっ!」


「止めろっ! お前マジ怖いんだけど! 止めろ。トンカチを振り上げるな!」


 小人は「止めろ」を通算で十回ほど繰り返した。


 動揺しているのか慌て、話を聞かないミスリルがトンカチを持つ手をぶるぶると震わせ、踏みとどまるまで。


「すいません……私、動転しちゃって」


「わかった。わかったから……まずこれを抜こうな」


 ミスリルを御すように冷や汗を流す小人は両手を突き出す。


 んっ、と小さな声があがる。勢いをつけてアイスピックの針がすぽんと抜けると、小人は針を蹴飛ばして小枝に向かってジャンプし、仁王立ちする。


 脳天を貫かれたにしてはダメージはなさそうだった。


「俺は酒妖精のバッカッカだ。そのシロップを慰謝料としておいて……おい、おいっ! 帰るなっ!」


「すいません。領主様に『最近の妖精は頭おかしいから相手にするな』と仰せつかっていまして」


 木桶を手に抱えて歩いていこうとしたミスリルは律儀に振り返り、困り顔でぺこりと腰を曲げて謝った。


 酒妖精バッカッカはとんがり帽子を握ってくしゃくしゃな悲しそうにつぶやく。


「お前いちいち酷いよ。アクネロもアレだけどお前も大概だな」


「領主様のお知り合いですか?」


 厄介なのに絡まれちゃったかな、と思いながらミスリルは両手をヘその位置に持っていき立ち止まった。


「ああ、利き酒してもらおうと思ってたんだ……神酒祭(しんしゅさい)の時期だからさ」


 興味に引かれたミスリルはおずおずと訪ねた。


「神酒祭ってなんですか?」


「森の女神様に酒を奉納するんだよ。まずい酒を飲ませると夏や冬が長くなったり、秋や春が短くなったりして、季節が荒れるんだ」


「へえー……面白いですね」


 酒妖精の造る酒――どんなものか興味があった。ミスリルはたまにだがこっそり飲酒することがある。


 主に暖を取るためであり、まれにヤケ酒の類であるのだが口にする。あまりおいしいと感じるものに出会ったことはない。


「いいよ。試作品でよければ一杯やってみろや。ここにある」


 くぃっと顎でしゃくった。


 示された先には大木の空洞。年月によって自然に裂けた穴のようでもあった。


 ミスリルは頭三つ分高かったが、よじ登って中身を覗き込むと黄金色に輝く液体がたっぷりと溜まっていた。


 濃厚な果物の香りが充満していて、鼻腔を通り抜けて脳みそを蕩かす。


 どこか、不思議と、なぜか――本能的に――危険な気がした。


「手の平ですくってみろ」


 木にしがみついたまま掌でひとすくいし、こくりと飲み下した。


 恐ろしい甘味が舌の上を蹂躙した。すぐに飲み下してしまった。喉の奥に消えてもその余韻が口内で漂っている。


 それなのにすっきりとした後味で、胃の腑に到達すると目が一気に冴え渡った。


 おいしい――今なら、吸い込む息すら綿菓子のように口当たりが滑らかに感じる。


「うまいだろ。たまに人間が盗みやがるけど、アクネロは更にタチがわりぃ。飲んだ後、味の評価のメモを残していくんだ。コクが足りねえ、甘すぎる、フルーティにしろ、なんてな。そんなこんなでツテができちまったさ」


 過去の領主の蛮行をしみじみと振り返ってバッカッカは腕組した。


 ミスリルは幹から降りてパンパンと袖やスカートを払いながら苦笑いした。乾いた笑みを浮かべることしかできない。


「あはは……でも、これは溺れそうな味ですね」


「確かに飲みすぎると廃人になっちまうけどな」


「え」


 聞いてない――背中に怖気が走った。


 バッカッカは目を細めた。自らも耳かきの先端ほどのサイズの小瓶でいっぱいやった。


 唇の端からこぼれた液体を腕の裾でぬぐいながら酔う。


「だからこそ、うまいんだ。酒はよ」







「酒妖精は通説では保管庫の酒樽を盗み取る害のある妖精とされるが、実際は酒樽内で蒸発した分だけを盗む。普段は森の奥深くにある隠れ里に住んでいて、たまに旅人に木の洞を熟成した酒を提供している者もいる」


「はい」


「彼らの一大行事として、年に一度の神酒祭は酒妖精の中で筆頭を決める戦いの場でもある。四季の女神が飲む杯に選ばれればこの上ない名誉だ」


 うんちくを語るアクネロが居間の椅子に腰掛けながら、気のない声音でしめくくった。傍らに立つミスリルは拝聴しながらもよくわかっていない顔だった。アクネロにしてもミスリルに理解を期待したりはしない。


 客人であり、テーブルに立ったバッカッカがおもむろに小瓶を差し出してきた。彼にとっては自分の背丈ほどある。


 アクネロは両指で摘まんだ。


 じろじろの内部の黄金色の液体を見つめる。ちゃぷちゃぷと揺らし、コルク蓋を指でさすった。


 すっ、テーブルに置き戻す。


「試飲はできん」


「ざっけんな。俺が五十年かけて熟成させた極上物だぞ」


「アクネロ様、クッキーはいかがですか? 今朝取れたメープルシロップを煮詰めて挟んでみました」


「クッキーもいらん。二人で食っていいぞ」


 アクネロは頬杖をつきながら窓の方に視線をやった。ミスリルは許しが出たので丸椅子に腰かけてクッキーをぱくつこうとしたが、手をパチンとやって紅茶を用意しにぱたぱたとキッチンに向かう。


 バッカッカは皿の上のクッキーを親の仇のようにがしがしと噛んだ。


 自分の胴体ほどあるそれは相当な量であったので、一枚であっても容易には食せない。


「てめえ、酒が好きじゃねえのかよ」


「好きだが、人嫌いの酒師がわざわざ持って来た酒など残り物の濁り酒と相場が決まっている」


「違う。これは一等の上澄みだ」


「ならば相応の理由があるということだ。なぜだ?」


「いや、それは……」


 冷ややかな質問にもごもごと口をうごかし、バッカッカは髭を摘まんで引っ張った。


 含むものがあったのか、目を合わそうとしない。


「うまい、という口上が欲しかったのか。酒職人としての腕前が衰えたのか。人の口にヒントを求めるなど情けない。さては部族長の地位からこき下ろされたか?」


「こき下ろされてねえよ」


「では、こき下ろされそうなのか」


「チッ……」


 黙認するように腕組みした。


 バッカッカは長命な妖精種族の中で族長を三十年以上続けてきた。


 それは三十年以上の神酒祭で選ばれてきたということでもある。名誉の職を独占し、気難しい妖精職人に幅を利かせてきた。


 アクネロは両目を閉じ、背もたれに体重を預けた。


 数分の間、考慮のための沈黙を与えるためだった。


 返答がなかったため、先ほどの威圧的な口調からうってかわり、説き伏せるために柔らかい口調と言葉を選んだ。


「後進に道を譲る。或いは認めるということは族長としての義務だ。義務を果たすがいい」


「わかってる。だが、破っちゃならねえルールがあるはずだ。あいつは森の中の物を使わねえんだ! 汚ねえ野郎だ!」


「そんなルールなどない」


「酒妖精でもねえ、てめえになぜわかる?」


「バッカッカ、お前がかつてに俺に言っていたことだ。女神さまは何もおっしゃらないと。優れた神酒だけをこっそりと飲むだけだと。ならばこそルールなど口にしたことはないはず」


「いや、だが、ずっと続いてきた伝統で……」


「その胸に大事にしまった伝統よりも優れていると思ったから怯えているのだろう。お前の行動は既に相手を認めてしまっているぞ」


 ミスリルが沸かした紅茶を持って来ると、二人の間にある微妙な空気を察知してぎこちなくカップを配った。


 香り立つ赤茶色のカップにアクネロは指を絡ませる。


 眼前に持ってきて、頭を傾けた。


「しかし、妖精にして酒師の名人に屈辱を与えるほどの腕前には興味がある。久方ぶりに森に入るか」


「では旅支度をしましょうか」


「その前にミスリル。今日は先客が来ている。客間を整えておいてくれ」


「お客様ですか?」


「ああ、彼はとても神経質だ。二階の東側の一番奥の部屋にいるが、机の上に載っている五枚の小皿には決して手を出してはいかんぞ」


「え、はい……なぜですか?」


「死ぬからだ」


 こともなげに言い放ち、紅茶を口にした。


 ミスリルの顔色はじわじわと青くなり、最後におののくように顎先が跳ねる。


「……わかりました。よろしければ失礼のないように、お客様の素性をお聞きしたいのですが」


「幾つかの質問を試みてみたが、濁流の精霊の一種だということしかわからなかった。前の海神レインボルトの残り香につられてきたらしい」


「人間じゃないんですか」


「何か不都合でもあるか?」


「いいえ……ありませんとも。何も!」


 ミスリルはスカートの両端を持ち上げると、癖のある跳ねた銀髪を振り乱し、肩をいからせて二階へと向かった。


 リネン室の扉が乱暴に閉じる音がした。アクネロは一気に紅茶を飲み干すと席を立つ。


 バッカッカはアクネロのスーツの襟元に向かってジャンプし、三角飛びで肩へと着地した。


「奴を殺すにしても、森に居ねえぞ」


「殺さんわ……なぜ俺がそこまでお前の味方をしなければならん。待て。森にいないのか? 崇め奉る神木群を酒蔵してるはずだろう。そうしなければ霊気が集まらないはずだ」


「状況が変わったんだよ。伝統は哀れにも踏みつけられたのさ」








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