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酔狂領主様の怪奇譚  作者: 七色春日
第四章 妖精さんの磨きの極意
26/31

-4-

 ノックをし、声を張り上げたが反応がなかった。


 恐る恐る慎重な手つきで更衣室の戸を開くと、着替え終わったシルキーは腰掛け椅子に身を投げ出し、空気の抜けた風船のようにしおれている。漁港に並べられた魚に似た目をしていた。


 現在では男女同室の更衣室となってしまっているので、シルキーはパルマとジョームズの後に着替えてもらっていた。途中で入ってしまう事故を防ぐためでもある。


 着替え終わったらショット・バーで一杯かけつけてから仕事に取り掛かるのが通例だったのだが、いつまで経っても彼女が来なかったのでパルマは心配になった戻ってきたのだ。


「シルキー?」


「……ああ、ごめんね。今、行くから!」


 ばっと上半身を起こし、顔を向けて元気良く声を出した。


 いいながらもシルキーは立ち上がる素振りを見せなかった。頭と身体がうまく連結していないように見えた。空元気に過ぎない。無理をしている。


 声や表情の明るさとは裏腹に、セクハラで傷ついたシルキーの心の闇が触手を伸ばし、身体をがんじがらめにしているのだろう。


 パルマは喉を詰まらせ、顔を逸らした。そして居たたまれなくなり、つい計画の一端をぽつぽつと口にした。少しでも慰めてやりたかった。


「シルキー……その、今日、もう少しだけ我慢してくれれば、なんとかなるかもしれない」


「……うん、もう少し……もう少しだね……」


 オウム返しでシルキーは呟いた。


 虚ろな目は何も見ちゃいなかった。声に出してみただけといったありさまだ。


 オーバーオールの肩紐を指先でねじり、パルマはこれから自分がやることは間違いではないと確信した。ずっと不安で心が揺れていたが、シルキーのためならば辛い決断も致し方ない。ジョームズに制裁を加えなければ。


 パルマはキリッといい顔を作り、シルキーににじり寄った。


 傍に寄って優しい微笑を浮かべる。親身さをアピールする機会でもあった。


 外見状はカッコいい顔だったが、シルキーにとってはそうではなかったようで「え?」といいながら尻を持ち上げてパルマから距離を取ろうとしていた。


 見ようによってはかなり気色悪いが、パルマには自覚などない。決め顔を作った際、鏡で見た己をイケメンだと思う心理が働いていた。


「マイスイート……僕の輝く甘いひまわりちゃん。すぐに僕という太陽にアップシフトできるさ」


 ――決まった。


 パルマは自画自賛した。


 ありったけの勇気を(ふる)い、最大級の口説き文句を放ったのだ。


 全く意味がわからなかったシルキーの顔には困惑が広がっていたが、元気付けてくれようとしているとは理解できたのか「あ、ありがと」とどもりながらかすれた返事をして頷いた。


「ふぉおおおおお……!」


 それを恋の承諾と勘違いしたパルマの瞳の奥に熱く焦がれる情熱の炎が灯った。妄想が思考を塗りつぶす。蝶々(ちょうちょ)が飛び交う花畑でデートをし、お互いに照れながらキスをした。万人に祝福される派手な挙式をし、可愛い子供たちに囲まれて白い家に住んでいる。


「はううっ」


 パルマのラリッた顔を見て、シルキーはズレ落ちそうになったヘヤバンドを両手で抱え、怯えた。高速で部屋の隅っこに移動し、更に距離を取ろうとする。


 パルマは小躍りし、全身の脂肪をぶるぶると揺らし、危険な感じになっていた。









 ☆ ★ ☆













「おっーと、ここで! 手がミステェエエイク!」


「きゃー!」


 シルキーが飛び上がると二人が乗っかっている足元の革靴が震動し、下敷きとなっている厚紙がカサカサと擦れる音を立てた。


 ジョームズがよろけた振りをしてシルキーの胸にタッチしたせいだった。胸の下部だったためオーバーオールの硬い厚生地で覆われていたので感触はそれほどなかった。ジョームズは舌を出してコツンと自らの頭を叩く振りをする。


 シルキーは悲しそうに胸元を隠して遠ざかる。しばらくは不用意に寄って来なくなるだろう。


 ジョームズはチラッとパルマの様子を窺うと、彼はどこ吹く風で玄関の暗がりのあちこちに目を向けていた。何かを気にしているような変な所作(しょさ)だった。仕事に身が入っていない。


 ――おいおい、しっかりしろよ。


 ジョームズは内心で叱咤(しった)した。


 声をかけてやりたいが、そうすることはできない。


 喉から手が出そうなほどもどかしいが、これは試練なのだ。パルマが男として成長できるかどうかの瀬戸際だ。ぐっと堪える。


 ブラシの()を持ち、靴紐の穴部分を丁寧に磨きながらジョームズは憂いた。


 親友のパルマにこんな邪悪な振る舞いを見せるのは心苦しかった。嫌な奴の演技なんてやりたくなかった。でも、心を鬼にしてやらなければならなかった。


 ――もう明日には俺はいないんだよ、パルマ。


 転職するんだ。公務員のために綺麗なお花を見つけてくる泥臭い下請けの仕事だけど、正社員になるんだよ。やっと掴んだチャンスなんだ。


 ずっといえなかったことだった。パルマを見捨てていくと誤解されるのが怖かった。カレンダーの赤い丸をふったのはサインのつもりだった。もしも、尋ねられれば白状してしまったかもしれない。そうはならなかったのは天の采配だ。五十年も二人だけでやってきて、急に新人が来るなんておかしいに決まっていたが、交代要員のシルキーもそのことを口に出したりしなかったこともあって助かった。


 派遣寮の部屋を片付けておいたのは出て行くからだ。鈍感なパルマには察知されなかった。結局最後までバレないままだ。うまくいい出せない。


 お別れをいいたくなかった。


 いつも喉につっかえ、言葉は形にならない。


 パルマがこれから相棒とするシルキーに一目惚れしたのはすぐにわかった。素直に応援してやりたかった。できなかった。


 ジョームズには懸念があったのだ。パルマは不細工だしかなりデブってる。思い込みも激しいし、きょどってよくわからないことも口走る。髪型も芋っぽいしスキンケアもできてないニキビ面だ。ださい柄物のシャツばかり着て美的センスだって皆無だ。更にいえば貧乏だ。このままじゃ将来性だってない。


 ひいき目で見ても女に好かれる要素はゼロに等しい。悲しいほど手札がない。救いようがない。だけど、だけど、だけど。








 だけど、いい奴だ。





 

 そうだ。パルマは優しくていい奴だ。長く付き合えばわかる。他のことはちょっとしたハンデでしかない。だが、シルキーはわかってくれるだろうか。時間をかけてくれるだろうか。良い娘ってのは早く売れちまう。パルマがうまくいく可能性は低い。それが現実だ。


 ――男を磨くんだパルマ。


 身も心も削って男らしく成長するんだ。俺を殴り飛ばしてシルキーに頼りがいのあるところ見せるんだ。


 演技をしろとパルマにいえば同意しないだろう。奴は優しすぎる。そんな姑息(こそく)な真似はだめだと怒るだろう。


 ジョームズは悲嘆に暮れながら祈った。早く殴り飛ばしてくれ、と。シルキーに「お前のおっぱい何ミリ?」と淫猥(いんわい)な質問をしながら祈り続けた。紛れもなく友情の祈りだった。


 決してちょっと楽しくなっていたりはしない。断じて。


「十二ミリかなぁ~。うぅん、スモールCカップと見たね。おぉんおぉん、牛乳をぶっかけて顔を挟みたいよぉ~ん」


「やめてくださいっ! お願いしますぅっ!」


 両手を挙げて腰だけを前後に振り、ジョームズは演技した。地金(じがね)を出しているわけではない。


 こんなことはしたくない。こんなことは……少し気持ちいいかも。


 肝心のパルマは何かを見つけたかのようにサフラン台座の放射光が届かない暗がりに進んでいっている。


 立ち止まり、ひょいひょいっと手招きをし始めている。


 ジョームズは不審に思って声をかける。今日この日こそ決めて欲しかったのに何をやっているのか。


「ぉぉい! パルマ!」


「……ジョー……君のご乱行もこれで終わりだよ」


 パルマが顔だけが向いた。


 余裕たっぷりの不敵な表情だった。腕組までしている。


 殴りかかってくることを期待していたが――何かしらの策でもあるのだろうか――そう思ったのも束の間、闇の中から何かがぬらりと現れた。


 色濃い漆黒の体表にはガラスがひび割れたような線が走っていた。きめ細かい板状の鱗が無数に集まっている。白く太い蛇腹が見えた。細長い三角形の顔からはY字型の舌がしゅるしゅる出ている。鼻をふさぎたくなる獣臭さがぷんと漂う。


 ジョームズは圧倒され、動けなくなった。


 パルマはとんでもないモノを呼び寄せたことだけはわかった。


 しゃんしゃんしゃん……と乾いた音が鳴っていた。


 尾先の球体が重なってできた串団子(くしだんご)のような脱皮殻がゆらゆらしている。


 威嚇ためなのか、狂気のためなのか、判別がつかない。冷酷な顔つきをし、半開きになった口はどこか笑っているようにも見えた。


 ――ガラガラヘビだ。


 それも自分達を一気に飲み込めるサイズの。


「さぁ、がっちゃんっ! ジョーをこらしめてやってくれ!」


「任せろ」


 応答し、使徒はかま首をもたげると迅速に顔が伸びる。


 目にも留まらぬ速さでジョームズを捕えに――いかなかった。


「え」


「え」


「きゃあああああああああああ!」


 使徒が向かった先はなぜかシルキーだった。


 その身体を縛り付けるようにしゅるしゅると巻きついていく。身体をねじって逃れようとしたが力の差がありすぎた。


 頭上でパカッと口が開く。シルキーを飲み込むつもりのようだった。


 パルマは慌てて制止の声をかけた。


「がっちゃん! どうして?!」


 使徒はぎょろりと黒目を向けた。


「その男は一ヶ月は風呂に入っていない。生理的に巻きつきたくない。食中毒の危険もある」


「ジョー! どうして風呂に入らないのさっ!」


「冬だしいいかな、って思って」


 ジョームズは不衛生だった。肥溜めで寝ても平気な妖精だったのでそういったところは無頓着だ。


「汚ねえよ! って違う! がっちゃん、シルキーを放してやって!」


「それはできん相談だ」


「えっ……? しょ、召還者の僕の命令が聞けないっていうのかい!」


 パルマはわなわなと青白くなった唇を震わせた。計画と違うようだ。


 使徒はどこ吹く風で落ち着いた声音のまま返答する。


「命令なら聞いている。お前は踊りながら強く祈ったはずだ。『シルキーを舐めたい、吸いつきたい、食べちゃいたい』と、お前の大きさでは(かな)わぬ望み。私が叶えてやろう」


「そういう意味じゃねえよ! 物理的に食おうと思ったわけじゃねえよっ! ってあああぁ!」


 かぷっと使徒はシルキーの頭に食いつき、ごっくんごっくんと嚥下(えんか)していく。


 豪快な食べっぷりだった。


 パルマは絶望のために両膝をついた。


 ジョームズは傍観していたが、決断は早かった。足元に転がっているブラシの柄に手を伸ばし、力強く掴んだ。


 そうして、蛇の頭をぶっ叩くために地を蹴って飛翔した。












 ☆ ★ ☆














「そのとき、空中を踊る怪人パンプキンは湖竜(こりゅう)の弱点に気づいた。竜鱗は滑らかで強固だ。弾丸も剣も通らない。魔力によって凝固した角質が硬いのは理解できたが、その不可思議な滑らかさは謎だった。しかし、相棒のブラッドに朝食の席で馬鹿にされたてかり気味の唇がヒントとなった。それは水溶性の特殊油だった。分泌物を周囲に浮かび漂わせ、絶対の防御としていたのだ。怪人パンプキンは古代魔術によって火をかけると湖面は瞬く間に燃え広がった。水中にもぐったところで待ち構えていた相棒の魔銃が湖竜の片目を打ち抜いた。巨躯が揺れ、怪人パンプキンは……む?」


 ミスリルが目を閉じて可愛らしく寝息を立てていたので、同様に寝包(ねくる)まっていたアクネロは本を読むのを止めた。 


 ややめくれ気味だった毛布を肩の高さまで引っ張り、かけ直してやる。むずがるような「んん」という声を出した。


 肩に指先が触れると、頬が赤くなった気がした。


 顔の前で手を振ってみたが反応はない。本当に寝ているのか。悪戯をしようかと一瞬だけ考えたが、寝ているなら起こすのも忍びなくて取りやめた。


 ベッドから這い出、灯りを消そうと思ったが――サイドテーブルの行灯(あんどん)に手が伸びた。


 昼間の礼儀知らずの存在を思い出したからだった。


 ひきだしから護身用の装飾銃を手に取った。安全装置を外し、銃身をカチッとスライドさせ、威力調整弁を操作する。


 銃を屋敷の中で使うのはゾッとする話だ。風穴が空いても積雪で業者は来ないし、美観も損ねる。


 寝巻きだったので置き場所がなく抜き身のまま握り締める。


「……まったく。面倒な」


 アクネロは扉に向けて歩いていき、背後を振り返り、自室にミスリル以外の気配がないのを探ると寒々しい廊下に出た。 


  










 ☆ ★ ☆









「ぐあぁぁぁぁぁぁあああっ!」


 ジョームズのブラシのT型部分が使徒の片目に食い込んだ。


 目玉が破れ、血が飛び散り、巨体は跳ね飛ばんばかりにのた打ち回った。とぐろを巻いたり、びたんびたんと身体を絨毯にぶつけたりしながら逃れられない激痛を遠ざけようとしている。


 突き刺さったままの薄汚れた柄を伝って血が流れ、ぼたぼたと落ちていく。


 使徒の血の臭気を鼻腔に吸い込み、パルマは膝をついたまま呆然としていた。動けなかった。いや、意気地がなかったせいで立ち向かえなかっただけだ。罪もないシルキーがあんな目に遭ったのに動けないでいる。


 身軽に空中でひらりと回転し、ジョームズはカーペットに着地すると意気揚々と使途を指差した。


「女の子っていうのはよ。『バキューン!』するためにいるんだぜ。決して胃袋に収めるためじゃない」


 最低な決め台詞を口走るとともに鼻下を親指でぬぐった。


 パルマは床に手をつき、ふらふらと起き上がるとジョームズの側に駆け寄った。


「ジョー! ごめんよ、僕は――」


「何もいうんじゃねえ。俺の方が『バキューン!』がでかいから嫉妬してたんだろ? わかるよ」


「わかってねえよっ! って……」


 ニヒルに笑いかけてくるジョームズの顔は全てを許すと物語っていた。実に晴れ晴れとした微笑だった。


 パルマは口をつぐみ、自分の浅はかさを後悔した。


 友情を疑ったことを謝罪したかった。だが、今はそんな場合じゃない。やるべきことは他にある。


「ジョー」


「わかってるさ。俺の妖精人生で初めてだ。こんな馬鹿でかい『バキューン』と出会うのは……黒々としてて、曲がってて、脂臭くて、カリ首がいやらしい形をしている。かなりやばい。お子様には見せられねえ」


 ジョームズの比喩は流石のパルマもどうかと思ったが、口に出したりはしなかった。薄々、思っていたこともであった。


 使徒は痛みの荒波が止み始めたのか、唸りながら憎悪の形相を作って二人の方に首を向けた。


「うぐぐっ……おのれぇ、この薄汚らしい『バキューン!』どもがぁ……生きて帰れると思うなよぉ!」


 見下ろしてくる使徒から発散している尋常ではない殺気にパルマは失禁しかけたが、勇気を奮い起こして拳を握る。


 使徒の膨らんだ腹にはシルキーがいる。妖精はちっとやそっとでは死なない。助けることはできるはずだ。


 間に合うはずだ。急げば。


「シルキーを返せ!」


 返答は素早い攻撃で返ってきた。


 低頭し、身をくねらせた使徒は尾先を二人に向けて放つ。しなやかなムチのような体躯は予備動作がほとんどなく、風切り音と共に横薙ぎの一撃が迫り来る。


「いよっさ!」


「うわっ」


 ジョームズはジャンプしてかわしたがパルマは鈍重であったため、まともに食らってしまった。


 バシッと肩と左腕をしたたか打たれ、弾かれた丸い玉と同じく転がり、そびえる靴箱にぶつかって止まる。


 手足や背中がしびれる。神経の感覚が途切れ、呼吸が止まった。体がバラバラになってしまったかのようだ。


「ううぅ」


「パルマ! お前は武器を持ってきてくれ、台所に銀のナイフがあるはずだっ! ここは俺が引き受ける」


「で、でも……」


 ぐらつく頭を抱え、一人だけ逃げるみたいに思えてパルマはためらっているとジョームズが親指を立てた。


 焦燥を押し隠し、目に力が込められている。


「信じてくれパルマ。俺を信頼してくれ」


「あ……あ、ああっ!」


 信じなかったからこんなことになった。今度こそ信じるべきだ。


 パルマは頷いた。ジョームズならなんとかしてくれると思った。五十年も一緒にやってきた頼りがいのある上司なのだから。


 背中を見せて玄関ホールを駆けていこうとすると、使徒がその背を睨む。


「逃がさんぞ……むっ!」


「タイマンといこうや」


 動こうとしたその身体はつっかえた。ジョームズは蛇の尾を踏みしめ、くいくいっと指で挑発した。









 機敏な動きでジョームズは使途の噛みつきや尾の振り払いを()けていた。


 飛び跳ねるような動きは攻撃よりも守備に徹しており、玄関の地形を巧みに使うものだった。


 階段の高低を利用して跳躍したり、手すりを支える丸棒を盾にしたり、絨毯の中にもぐりこんで姿を隠したり。


 巻きつかれればひとたまりもなく絞め殺されてしまう――今、なんとかなっているのはシルキーを飲み込んでいるせいで使徒も動きが遅くなっている側面もあるのだろう。


 焦ってはいけない。焦っては……。


「おのれ、うっとうしい奴めっ!」


 ――まずいな。


 ジョームズは舌打ちした。逃げ続けるのも限界がある。


 パルマはまだ戻ってきていない。武器を手に入れたとしても、戦える自信もなかった。ましてや勝つ自信は乏しい。


 最悪の場合を考えた。自分も食べれば流石にパルマまでも食べないだろう。二人も食えば満腹になるはずだ。


 友達くらいは助けたかった。だができるならシルキーも助けたい。天秤にかけるのは最後に取っておこう。弱音なんて吐いてたらできることもできなくなってしまう。


 アルコールに溺れてだらだらした生活がアダとなってきている。息切れしてきたし、体力も尽きてきた。足腰の動きが鈍くなってきている。


 負けられない。ここで負けたら何もかも失ってしまう。


「はぁっ、はぁっ……っと」


 むき出しの鋭利な牙が眼前に肉薄してきたので、ジョームズは後方に向かって飛び、かわした。


 とんっ、背中が壁についた。


 中央階段の段裏の暗い空間には遮蔽物は何もなかった。


 左右に視線を飛ばす。ここは狭すぎる。懸命に逃げていたせいで位置を気にしていなかった。


 これが狙いか。


 追い詰められてしまった。誘導されたのだ。


「クックック……観念しろ」


「くそっ、てめえ、こんなことしていいと思ってるのか?」


「自然界は弱肉強食よ。冬眠しているところだったのでな。栄養はいくらあってもいい」


「他のメシでなんとかなんねーのかよ」


「私は活餌(いきえ)しか食わん」


「いい趣味だこって……うぐっ!」


 不規則にステップを踏んでかく乱をもくろんでいたジョームズは異物を踏みしめ、足元を見た。突起物を踏んでいた。地面に沈み込む。これはスイッチだ。


 薄い暗闇から何かが襲いかかってきた。


 バネ仕掛けの板罠――気づいた時は遅かった――発動した罠はパッチンと木板と四角形の鉄棒でジョームズの上半身を挟み込んだ。


 これはネズミ取りだ。


 迂闊にも気づかなかった。こんなものがあるなんて。


「うぐえっ!」


 強制的に倒される。馬鹿ネズミしかかからないような罠を踏みつけてしまった。平常時なら絶対にかかるはずないのに。


 使徒はその様子を見て哄笑(こうしょう)した。


「クッ……クッハハハハハッ! ま、間抜けすぎるぞ貴様、人間の罠になどかかるとは」


「うぅうううう……! は、外れねえ!」


「ふん、お前の健闘をたたえ、食してやろうではないか」


「え、そんな、別にいいって……うあぁぁぁぁぁぁああああああああああっ!」


 








 ☆ ★ ☆










 キッチンから食器が落ちる金属音が響いた。がさごそと物を探る音もしている。


 廊下からアクネロは足を踏み入れた。部屋の中には窓辺から差し込んできた柔らかい月明かりしかない。暗がりに行灯の炎を向け、ゆっくり視線を這わせる。


 小柄な孤影が一つ。


 調理机の上だ。保存用の肉を貪る太った妖精が大口を広げていた。両手一杯に切り取った肉片を持ち、かぶりつこうとしているところだった。


 むしゃむしゃと頬張り、唸る。


「おいしい。うん。まったりとして……この塩っけのある肉汁がたまらない」


「おい……」


「え? うわっ!」


 アクネロは足音を殺してパルマに近づき、首根っこを掴む。だらりと両手両足が地面に向かい、肉が小さな手から落ちる。


 ――褒美は渡したはずだが、あれだけでは不服か。


 それにしても盗み食いとは許し難い。


「貴様、俺の屋敷で何をしてる……?」


「あっ、あはは……あぁっ!」


 パルマは愛想笑いを浮かべたが、何事かを思い出してハッとすると手から逃れようとじたばたとし始めた。


 すかさずアクネロは静かに銃口を向けた。黒光りするそれを見てパルマも動きを止めた。


「大人しくしろ」


「はっ、はははい……あ、あの、すいません。で、でも友達が危ないんです! 放してください!」


「そのわりには夜食をゆったり食べていたではないか?」


「そ、それはつい。ほ、ほら、妖精って気まぐれじゃないですか?」


「そうだな。もっともこの世で信用してはならない種族だ」


「そうですね」


 パルマが臆面(おくめん)もなく首肯(しゅこう)したので、アクネロは肩をすくめた。こんな者のために夜中に徘徊するはめに陥ったのかと思うと情けない。眠る時間を削っているというのに。


 ため息をつき銃を下ろす、目の高さまでパルマを持ち上げる。


「それで、友達が危ないとはどういうことだ」


「その、幻神エレキオール様の使徒を召還しまして……ガラガラヘビなんですが、暴走してしまって」


「自分よりも高位の者を操れるわけないだろう。いってはなんだがお前は相当下位だ」


「それもそうですね」


 パルマは「えへへ」と頭をかきながら大きく頷く。アクネロはだるくなっていた。


 高位の者は隷属できない。利用するには取引を持ちかける必要があるのだが、それをしたとも思えない。そういった基本的なことすら忘れているだろう。


 ガラガラヘビ――亜寒帯と温帯の中間地点に存在するノルマンダン地方にそんな生物はいないので、異空間を通って召還されたことは間違いない。


 ――昼間、感じた気配はそういうことか。


 やがて、パルマはめそめそと泣きはじめた。


 自分のやったことを後悔しているのか、力なくぽつぽつと語った。


「シルキーが……僕の恋人が食べられてしまったんです」


「ふむ」


 シルキーがパルマの恋人という事実はこの世にはなかったが、アクネロは多少は同情したのか仕方なさそうに両目を閉じ、何度か顎を上下させた。


「わかった」











 ☆ ★ ☆











 パルマが玄関ホールに戻ると地面に横たわったジョームズは使途に食われかけていた。


 正確には下半身が食いつかれているが、上半身は板罠が邪魔になって食べられていない。一見するとジョームズが頭部のようでもある。


 使徒も一度食いついたものを放さない習性でもあるのか、必死に飲み込もうと汗をかきながら頑張っているがスピードは遅かった。


 しゃっくりをするように徐々に飲み込もうとしている。


「ジョー!」


「ぱ、パルマか……」


 息も絶え絶え、青白い顔をしたジョームズの目玉が向く。


「お、俺の『バキューン!』がこいつに食いつかれて……なんだか、ぬるぬるしてて……あったかくって……ちょっと気持ちいいかも? あ、あ、あ、で、出そう」


「おいっ!」


 パルマは突っ込むと、ジョームズは諦めたように微笑した。


「ははは……悪い。俺がこうしている間に、逃げてくれ。もう少しでイケそうだし」


「どっちの意味だよっ! わっかんねぇよっ! とにかくジョー、大丈夫だよ。人間が助けてくれるって」


「なんだって?」


 そういった背後からぬらりとアクネロが現れ――彼らの数倍はある大きさの男の手が伸ばされ、使途の頭部を捉えた。


 使徒の口を圧迫して開かせ、ジョームズは解放されたがそのまま地面に頭から激突した。拍子に板罠のスプリングが弾けてジョームズから外れる。


「いってぇえ!」


 ジョームズは悶絶してのたうちまわった。助けるにしても一歩間違えば頚骨が折れて死んでいたかもしれない。雑な救助だった。


「こいつがシルキーか? 妖精も同性愛になるんだな……うーむ、論文に書いて発表すべきか」


「違げぇーよっ! その飲み込んでいる腹の中だよっ!」


 パルマが指摘すると、アクネロはガラガラヘビに見据える。外見は黒蛇でしかない。


 ぺったんぺったんと尾先をアクネロの胸部にぶつけるが、当然効果はない。


 力では勝てないと悟った使徒は叫んだ。


「貴様っ! 私を誰だと思っている?! エレキオール様の第七十八番目の愛玩動物(ペット)だぞ!」


「えらいかそうでないかわからんな……もう眠いし……考えたくもない」


「放せ! 無礼者め! 傷つければ神罰がくだると知れ!」


「ほれ」


 ぽいっと黒粒を使徒の口の中に放り込んだ。


 使徒は痙攣した。ぶるぶるっ、と微動して瞳孔が一気に縮まる。


 王都から送られてきた催吐薬(さいとやく)だった。


 腹を裂いて殺せば確かにエレキオールに喧嘩を売ることになるかもしれないが、吐き出させるだけならそうならないと判じた結果だった。


 アクネロは一歩後ろに引いて使徒の口を地面に向けさせた。


「うげえええええええええええ!」


「うぎゃああああああああああ!」


「うぎゃああああああああああ!」


 吐しゃ物を思いっきり頭から被せられたジョームズと彼を助け起こそうとしていたパルマは同時に悲鳴をあげた。


 どろどろとした粘液と一緒にシルキーもぼとりと出てくる。


 吐き終った使徒はぐったりとしていたが、アクネロはスタスタと玄関に向かって扉を開け、容赦なく雪原に向かって放り投げた。


 ぴゅーんんっと放物線を描いて飛んでいき、真っ暗な闇に消えて失せる。


 シルキーはまぶたを閉じていて死んでいるかのようだった。


 ぺしぺしと戻ってきたアクネロがその頬を指先で叩く。


「うっ、ううん」


「生きてるか?」


「あ……」


 彼女は目覚めた。


「良かった。本当に良かったよシルキー! まいすぃーとぶらうぃにぃー!」


 粘液を腕でこそぎ落としていたパルマは喜びの余り、シルキーを抱きしめようと両手を開いて走り出した。


 が。


「ごぶっ!」


 シルキーの裏拳がパルマの頬を痛打した。


 彼女は見向きもしなかったが高速の一発だった。パルマは壁にぶつかって跳ね返されたような動きでもんどり打った。


「アクネロ・ブラドヒート様ですねっ! 私はシルキー! ずっと貴方様にお会いしたいと思ってました!」


「む?」


「この飲酒して仕事するようなクソみたいな奴らは近々クビになるそうですっ! これからは私が貴方様の靴磨きっ! 誠心誠意奉仕させて頂きます!」


「……そ、そうか?」


「あぁん、お噂通りのエルフ族も真っ青の美顔の貴公子様。ほんとぉー、どんなことでもぉ……なんなりとお申しつけてくださいませぇ!」


 ぺこりっ、とシルキーはお辞儀すると小さな身体をもじもじとくねらせる。頬を真っ赤に染めて両手で押える。


 アクネロは息を呑んで両手を交差させた。まさか自分の膝丈もない妖精にまで好かれるとは思わなかったようだった。


 尻餅をついていたパルマは呆然とするしかなかった。


「えええっ!? ぼ、僕がクビ……?」


「パ、パルマ……その、お、俺は別のところに就職するんだが」


「ええええええっ!? それはないんじゃない!? ちょ、まっ、待って! シルキー! 僕は命がけで君を助けたんだよっ!」


「はんっ。嘘つきなさい。食われても聞こえてたわよ。そこのむさ苦しいセクハラゴミ親父はかろうじて戦ってたけど、あんた逃げたじゃない。ゴミに劣る存在よ」


 シルキーは人が変わったかのように(あざけ)った。


 冷たい眼差しをぶつけられてパルマは身を震わせた。恥辱もあったが微かな悦びがあった。なんとなく気持ち良かったようだ。


「ぐふ、冷たい顔もいい……って、逃げてないよっ! 助けを呼んだじゃないかっ!」


「うっさい死ね。ていうか、あんたが残ったとしても明日から私は上司だから。勤務中はずっとロッカーの中に入ってなさいよ」


「うえええ! それはないよっ!」


 パルマの肩を慰めるようにジョームズは叩いた。


 黄ばんだ歯を見せてぎこちなく笑った。


「耐えることも修行だ。男を磨け。この際、こき使われてスリムになったらどうだ」


「ジョー……僕は心を見てもらいたいんだよ。外見を見てもらいたいんじゃない。それに僕は太ってるんじゃなくて、単に包容力に優れてるだけさ」


 パルマの目はすっきりとして(よど)みはなかった。


 あまりのすがすがしさにジョームズは気後れして二の句を告げられなかった。シルキーに一目惚れしたくせに自分は外見ではなく心を見てもらいたいようだ。


 その精神は限りなく研磨(けんま)されているようにも見え、鉄壁を思わせた。懲りずにシルキーに話しかけようとのそのそと近づき、またしたたか殴れた。アクネロはたじろいで逃げ出そうとしている。


 結局のところ。


 なんでも磨けば良くなるというわけではない。





第四章

『妖精さんの磨きの極意』

終了

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