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酔狂領主様の怪奇譚  作者: 七色春日
第四章 妖精さんの磨きの極意
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 ジョームズとパルマは仲良しだ。歳差は二百年ほど離れているが立派な友達だ。


 就業時刻が来る前にドングリカクテルを片手に持ち、ブラドヒート家の軒下のショット・バーで一杯やるのが二人の日課だった。


「あぁー、今日も仕事かよ。やっべえ鬱になりそうだぜ。綺麗なお姉ちゃんと『バッキューン!』して『バキューン!』するだけの仕事とかねえのかよ!」


 ドングリ粉が四、芍薬(しゃくやく)が二、黄連(おうれん)が一、馬の胆汁(たんじる)が一、それと発酵させたブラックベリーエキスを二ほど混ぜ合わせたドングリカクテルを一杯やりながらジョームズはだみ声で嘆き、カクテルグラスを叩きつけるようにカウンターに置いた。


 茶ネズミ毛皮のチョッキを着た彼は体長二十センチほどの妖精であり、針金のような剛毛の髭面ともじゃもじゃの頭髪が特徴の中年男だった。


 今日もありもしない妄想にかられてラリってはくだを巻き、相棒の大人しそうで、気弱な雰囲気を漂わせた青年パルマに絡んでいた。


 ジョームズとパルマは同じ恰好をしていて、チョッキの下には動きやすい青灰色のオーバーオールを着ている。飾り気として胸部にひまわりの花のアップリケがあるが油や塗料でくすんで茶褐色に染まっており、薄汚れていた。


 パルマはカクテルグラスを傾けつつ、ジョームズが病気とは無縁の男であると確信していた。酒をしこたま飲み、勢いで全裸になって腹をぼりぼり掻きながら肥溜めで寝るような妖精が鬱にかかるはずがなかった。


「鬱になっても労災はでないから、気をつけないといけないよジョー」


「マジかよ。やってられねえ。俺の『バキューン!』も鬱になっちまうじゃねえか。最近全然可愛がってやれねえのにこのままじゃ乾燥して干物になっちまうよ。ファッキンマジシャンどもの材料にされちまうよっ!」


 ジョームズが下を向き、嘆きながらふるふると首を横に振った。


 長耳のバーテンダーはグラスをハンカチでゴシゴシと拭きつつ、二人の話に耳を傾けていた。


 ショット・バーの看板はサクランボをくりぬいた赤提灯、主建材は枯れ松の小枝という簡素な立ち飲み屋台ではあるが仕事に疲れた妖精の界隈では有名な憩いの場であり、杖を持つ妖精王の横顔が描かれた錆びクズ銅貨一枚で三杯も飲ませてくれる良心的な店だった。


 パルマはちらり、と腕時計を見た。針の示す数字を見てため息をつく。


「そろそろ仕事だよジョー」


「あー、だりぃな。あのクソッタレ気障パッキン野郎は全然出かけねえし、もう冬だから今日はいいんじゃねーの。こんなファッキンジョブはここと地獄にしか確実にねえだろうが!」


「だめだって。妖精王様にくびり殺されるよ」


「殺される前にあのゲイのカマを掘ってやるよ。俺を舐めてんじゃねえぞっ! 昔はムササビとタイマン張ったことだってあるんだぞっ!」


 暗がりの中で半分輪郭だけになっている床梁(ゆかばり)を挑発し、赤ら顔でジョームズは威勢よく拳を前に突き出した。酒臭い息を吐きながら身振りでシャドーボクシングをやり始めるが、急激に動いたせいで吐き気がこみ上げてきたのか喉元を押さえる。


 パルマはジョームズの肩を優しく叩いた。背中をさすってもやる。


 そして仕事を嫌がるジョームズの上着の裾をぐいぐい引っ張り、なんとか連れて行こうと足を踏ん張る。


 太っちょのパルマは大柄だけあって腕力はあるが、生来の心優しさから強引さはあまりなかった。


 だからどうしても引っ張る力強さも弱く、彼らが仕事場に着く頃にはすっかり虫も鳴かない深夜となる。


 酔っ払いながら千鳥足(ちどりあし)で仕事に(おもむ)く彼らの名は<ブラウニー>。


 小さき者にして隠者であり、靴磨きのプロフェッショナルだ。











 ☆ ★ ☆













 ミスリルは寝ぼけ眼を擦りながらランタンをぶら下げ、夜の廊下を歩いていた。


 寝相が悪いせいで寝癖がつき、海月(くらげ)のように髪房(かみふさ)方々(ほうぼう)に伸び、こっくりこっくりしながら化粧室を目指していた。寝る前にがぶ飲みしたフルーツジュースが原因だ。喉越しがよく清涼で甘さに嫌味がまるでなかった。


 おいしいから悪い。おいしいことは罪なのだ――悪徳の悦びには勝てないのだ。


 そんなとりとめのないことを思い、背徳者ミスリルは薄笑いしながら一階廊下を前進している。よだれを垂らしてのだらしない顔だった。


 薄緑色の遮光カーテンや乳白色の壁は暗闇に塗り潰されて色を失い、風に吹かれて木材が軋む音を不気味に立てたが、彼女は飲んだジュースの味を反芻(はんすう)していたのでへっちゃらだ。


 玄関ホールを横切り、談話室の近くにある青タイルの敷かれた化粧室に辿り着く。スリッパに履き替え、足元から浮き上がってくる冷気にひんやりと背筋をなでられる。尿意が加速して身震いした。


 ――コトをすませ。


 手ぬぐいで手を擦り合わせながら自室に戻ろうとすると。玄関口の方から微かに明かりが見えた。炎のように強いものではなく柔らかい放射光だ。かがり火のようでもある。


 靴棚の近くで小さな影が躍っていた。


 ネズミかな、とミスリルは最初に考えた。しかしそうなると光源が謎だ。


 胸に緊張が走った。ひょいっと廊下から中央階段の段裏に横っ飛びし、身を隠しつつも恐る恐る顔を半分だけ現して覗き見る。


「……まあ」


 ――なんということか。


 二匹の小柄の妖精が身丈ほどあるブラシを持ってせっせと靴磨きに励んでいた。


 頭がもじゃもじゃで手足が短いががっしりしている短躯の妖精は刷毛(はけ)に汚れ落としのクリームを塗りたくり、ごっしごっしと靴裏を磨いている。


 ちょっぴり太めで愛嬌のある方はナプキンに艶出し用の保護油を吹き付け、仕上げを担当しているようだった。


 片靴を二人で運び、厚紙を敷物にして作業をこなしている。


 照明用となっている台座――光るサフランの花に照らされ、どちらもニコニコして鼻歌を歌っていた。耳を澄ませば会話も聞こえてくる。


「なんてことだよ。これは底革が剥がれて来てるよジョー……今日もラブ・リペアリングが必要になっちゃうんじゃない?」


「ぉおいぇーいぃ……ひとまず愛のカサブタを取り出すんだよパルマ。丁寧にゆっくり、そう、あくまで優しく天使の翼のように慰撫(いぶ)してあげるんだ」


「オーケー。天使が嫉妬しちゃうくらい優しくするよ。あぁ、たまらない。このちぎれた革の薄片はまるで涙じゃないか」


 靴の中に上半身を入れ、パルマは大袈裟に首を横に振って嘆いた。そして両膝をつけて両手を組み、殉教者を想うように祈りを捧げ出した。


 ジョームズは手を止めて両肩を(すく)めた。人差し指を立てて上体を傾け、たしなめる。


「パルマ。お祈り大事だけど朝が来ちゃうぞ。ゼンマイのように心を丸くするだ。お別れは出会いの延長線にある素敵なセレモニーさ。大切な思い出をしっかり心の宝石箱にしまいこんじゃえばいいのさ」


「ごめんよジョー。僕の繊細で敏感な部分がわがままをいっちゃって。夜鳴きするカラスみたいに恥知らずになっちゃったよ」


「気にしなくていいさ。俺もこの靴底を固めると型蝋を見ると思わず一晩中キスをしたくなってしまう。なんて愛しい俺の熱い塊ちゃん。んー、ぶっちゅ!」


「もう、ジョーは情熱家なんだから。僕ほどじゃないけど」


「おやおや、俺も負けないぞ」


 ――ミスリルは二人の様子を覗き見ながら銀瞳をきらきらと輝かせていた。


 妖精だ。ブラウニーだ。可愛い者達だ。


 素敵なものを見てしまった。もっと近くによってじっくりと眺めたい。でも、彼らにしてみたら大きな自分は怖がらせてはしまわないだろうか。そうだ。そんな真似をしてはいけない。きっと恥ずかしがり屋さんだ。あんなに楽しくやっているのだから邪魔をしてはいけない。気づかれないうちに去ってあげなければ。


 ミスリルは足音を立てないように忍び足で自室に戻ることにした。


 うきうきとしてしまい、この晩は眠れそうにない。


















 ジョームズとパルマは仕事を終え、邸宅の壁板と壁板の間にある薄暗く狭い更衣室に入った。


 壁面に木目模様のロッカー棚が設置され、真ん中には簡素な長方形の腰掛椅子があり、身だしなみチェックのためのドレッサーがある程度の部屋だ。肝心の仕事用具は臭いがあるため靴箱の羽目板の内部に隠してある。手入れをするときは別とするが持ってきやしない。


 漂っている雰囲気は重苦しい。お互いに喋らずに無言で着替えようとしている。


 彼らの普段着は先端に球体がついた派手目なとんがり帽子を除けば地味なポロシャツと半ズボンだ。今のファンシーなオーバーオールはあくまで仕事着であり、日常的に着ているわけではない。


 ポロシャツの胸ボタンを止めていた手が止まり、ジョームズは立ったままロッカーにがつんと額をぶつけた。


 そのまま動かず――ぶるぶると唇を震わしていた。


「俺は完全に精神異常者だ。なんだよ愛のカサブタって。ライフルで頭を消し飛ばしたい気分だ……死ねばいいのか! あ! 死ねばいいのかっ!? 俺が死ねば神は満足するのか!?」


「落ち着こうよジョー……まだ勤務時間だから妖精五箇条を忘れちゃだめだよ」


「あ!? あんなもん牛のクソにも劣るゴミみたいなもんだろうがっ! クソの方が厩肥(きゅうひ)になるだけマシだよ!」


 パルマは同意しようとしたが、そうしてしまうと存在理由が崩れてしまう気がしてできなかった。


 壁にかけられたコルク製ボードには年度のカレンダーが張ってあり、並んだ数字の下部には小さく妖精五箇条が書かれている。




 1 妖精は常に明るくなければならない


 2 妖精は常に笑顔を忘れてはならない


 3 妖精は常にロマンチストでなければならない


 4 妖精は常に愛嬌を振りまかなければならない


 5 妖精は常に愛のために尽くすべし





「どんな拷問だよっ! 俺は来世はクソになるよっ! クソになった方がいいに決まってる! いますぐ殺してくれよっ!」


 ジョームズの嘆きが終わるのをパルマは腰掛椅子に座って静かに待った。


 使い古したごわごわのタオルで汗を拭いてカレンダーの五箇条を見つめながら。


 ――愚痴らなければ生きていけないのだ。


 もう何百年も靴磨きばかりやっている。熟練の職人にはなったが純粋な笑顔を浮かべてられたのは最初の十年だけだった。後はずっと作り笑いだ。酒を飲んで思考を麻痺させてから仕事に赴かないとやってられなかった。


 素面であんな台詞など吐けない。長年積み重ねた良識という(くさび)が心に打ち込まれてしまっているのだ。たまに気恥ずかしく死んでしまいそうになるのはパルマも同じだった。


 不意にカレンダーの一週間後が赤い丸で囲ってあることに気づいた。また見回り日か何かだろう。たまに上司が自分たちのサービスを検査しにくる。自分たちブルーカラーの現場の妖精と違ってホワイトカラーであり事務方の妖精の指示は酷い。酷すぎる。


 もっと愛らしくに、もっと繊細に、もっとしなを作って……苦労などわかりもしないくせに大上段にいわれた言葉の数々を思い出し、パルマは鬱になりそうだった。


 叫び疲れたジョームズは壁に倒れ掛かってずるずると崩れ落ちた。


 両足を投げ出して地べたに直接尻を下ろし、虚ろな目で腰掛け椅子に座っているパルマをじっと凝視した。


 ジョームズの瞳には希望の灯りなどなかった。深い悲しみと諦めだけがあった。


「正社員ならまだいいよ。昇給するし積み立てた退職金だってある。俺はもう三百年も派遣社員やっちまってる。この仕事に慣れちまって他の職場に行くのが怖いんだ……怖いんだよパルマ」


「ジョー……」


「上司もたまにしか視察にこねえ。お役所仕事みたいなもんさ。手を抜いたってバレやしねえ。報告書だって十年ごとにローテーションしてる。自分でも気づかない内にクズになっちまったのさ。パルマ、お前はまだ二百歳だ。やり直しが利く。こんな仕事辞めちまいな。公務員だって目指せる。手軽なことに仕事は綺麗なお花の前で飛ぶだけでいいんだ。ずっと油まみれで手がかさつく肉体労働者なんてごめんだろ?」


 僕はジョーが好きなんだ。一緒にやってて楽しんだよ。確かに有給はないし、サービス残業をすることもある。だけど、そんなのは大した問題じゃないんだ。


 パルマはいいたかったが、いわなかった。ただ小さく頷いてわかった振りをした。


 ジョームズの思いやりを無駄にしたくなかったからだ。この説法は数え切れないほど聞いている。ジョームズもパルマを気に入っていたから、本気で出て行って欲しいわけじゃなかった。


「まあ、こうしていても仕方ねえ。さっさと住処の穴倉に戻るとすっか。最近ペットのモグラがでかくなってきたんだ。俺を食おうとするところが可愛くてよ」


 照れ臭そうにしながら疲れた顔で微笑むジョームズは立ち上がって背を向け、手を横に突き出して上へ振った。


 あんなことをいったが、パルマは靴磨きでジョームズが手を抜いたところなんて一度も見たこともなかった。貧乏だとしてもこうして定年まで二人で仕事がずっとできればいい。


 せめてジョームズが引退するまで……そう願わずにはいられなかった。


 パルマは肉でたるんだ頬を更にたるませ、ぎこちなく笑い、狭苦しい派遣寮に戻ることにした。






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