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酔狂領主様の怪奇譚  作者: 七色春日
第二章 カマキリの魔剣
15/31

-5-






 玄関口の小階段の隅。


 顎を膝頭にくっつけて折りたたみ、(ちぢ)こまって座っているミスリルの姿はどういうわけか――友達と一緒に川で遊ぶと約束をしたのにすっぽかされてすねている自分、というレイシャットの幼少期の記憶を掘り起こした。


 夕焼けの薄暗がりより深い影が下りている。アーチ状の門扉の影が伸び、前庭を横断してちょうどミスリルに接触しているせいだ。


 近づいても微動だにしていない。やりはしないが押せば転がりそうでもあった。


 芋虫に形容された哀れさであってレイシャットは声をかけあぐねたが、ミスリルが自分よりも年下ということもあってか保護欲にかられて意を決した。


「ミスリル殿」


「……はい」


 応答には間があったものの、しっかり返事が戻ってくる辺りが素直さが現れていた。


 横に腰掛け、言葉を選ぶ。


「私も宮仕えなのだ。逆らうことなどできんが……すまない」


「謝らなくても結構です。慣れてますから」


「な、慣れてるのか」


「はい。男性はそういうものなのでしょう」


 意外に理解があるな――と思ったが涙ぐんでいたので強がっているだけだとわかった。充血した目が痛々しく、レイシャットは自分の立場を忘れ心から同情してしまった。


 こんな純真な娘を悲しませるのは男の風上にもおけぬ、と。


 ミスリルは話し相手が横に座ったので愚痴る機会を得たと思ったのか、語気強く口火を切った。


「アクネロ様はいつもそうなのです。私の心配など毛ほど気にしないのです」


「心配か」


 レイシャットはすぐに自分が受け入れられると盲目的に考えていたことを恥じた。


 女としての作法を学ばねばならないのかもしれない。その前に目の前の娘としっかりと交友を結ばねばならない。難儀な任務になりそうだったが、やると決めた以上は努力するつもりだ。対人関係は重要なものの一つでもある。


 まずは彼女の心配の種を取り除こう。


「私はこれでも足腰はしっかりしているし、家事はこなせ――」


「前もそうでした。怪人と恐れられる方の身体の謎を解いてしまい。腕を折られて血みどろにされてしまいました。勝利したとしても命を削られては意味などないではありませんか」


「む?」


「無謀なのです。わけのわからぬ魔人や怪人に挑むなど。聞けば少尉様もまた腕利きの魔剣遣い。万が一ということもあるということをちっともわかってくださらないのです!」


「むむ?」


「争いを好む殿方の気性は私にはわかりません。危ないことなどしないで欲しいだけです」


 まぶたを赤く()らしたミスリルは頭を膝に押しつけ、顔を埋めた。


 レイシャットは何か自分が途方もない勘違いをしている気がして、質問した。


「ミスリル殿、私が……側女になることを悲しんでいるのではないのか?」


「そんなことは今はどうでもいいです。ただただ心配でたまりません。どうしていいかもわからなくて……」


 どうでもいい、とまでいわれると苦笑してしまうが――生まれた疑問は解消されていないので尋ねた。


「……なぜ、エスニアルと殿下が争うのだ?」


「魔剣の謎を解くために戦うのだと仰られました。また、その魔技を体験してみたいと。アクネロ様は困ったことにそういう怪奇、珍奇なものが大好きなのでございます」






 ★ ☆ ★







 一撃か。


 エスニアルは訓練場を散歩するように軽やかに歩くアクネロに追従しながら考えを巡らせた。


 理解できないことだったのだが、アクネロの剣術は防衛を主体とした王宮剣術とはかけ離れていた。


 今まで訓練で見た足の運びや体の開き方、攻めの定石を鑑みる限りではどちらかというよりも闘術とでもいうべきか、隙があれば剣でも足でも拳でも出せるものがあれば出す。


 外見こそ紳士然として気品があるが、野戦で遣うような実践剣術を用いている。


 その辺りがノルマンダンの忠僕としては気がかりだったが、よくよく考えてみれば領主自らが剣を振るうような事態になれば戦として負けである。


 魔剣を行使する相手として相性はあまり良くはない。『狂い飛び』は相手が剣や槍であって初めて効力を発揮する。(つい)や弓には厳しく、直接素手で殴ってくるような狂気じみた相手は論外だ。


 だが倒すのでないならば――ほんの一撃だけならば簡単に思える。


 一番良いのは鎖帷子(くさりかたびら)を着込んでいる胴体を打つこと。或いは手足を少しだけ傷つける程度か。されど血を流させても面子(めんつ)は潰してはならない。約束を守らせるために接戦を演じるべし。


 結論が出ると人心地(ひとごこち)つけた。それが最良の行動に間違いない。


 エスニアルの自信の根拠は魔剣を使いこなすに至った苦悩の日々だった。我流でしかこの魔剣は使えない。一時的に切磋琢磨して鍛えた剣術を裏切る必要もあった。


 生まれ変わるために必要な試練であり、エスニアルは将校に昇格したとき努力が報われたと信じていた。


「ここらでよいか」


 兵舎は遠くなり、陽が傾き、訓練場から人気がまばらになった。


 夕日の染まった顔のアクネロが鞘走りの金属音を奏で、剣を抜いた。なんの変哲もない片手剣だった。


 官給品の安物だったせいかろくに手入れがされておらず、刃は欠けや潰れが目立った。とても貴族の使う物とは思えない。


 舐められている――微かに苛立ちを覚えながらもエスニアルも黒刃を抜いた。白と黒が薄くも濃くもあり、たっぷりと雨を含んだ黒雲を思わせる刀身が外気を吸い込む。


 光沢は鈍色にして見る者を惑わす――『狂い飛び』の魔剣である。


 両手で持ち、肩の位置にして水平。刃先を突き出すように構えた。


「殿下、手加減はできません」


「ほう? なぜできんのだ?」


「それは」


 僅かばかり――目が下を向いた決定的な隙――疾風が吹き銀線が空中を走った。


 風切り音を察知してエスニアルは上体を後ろに逸らした。軍服の麻布が大きく裂け、繊維が散らばる。


 すぐそこにある瞳孔が開いた碧眼が恐怖を(あお)った。怒りも憎しみもない力強い眼差しで射抜かれて身がすくんだ。


 待ってはくれない。思いきり踏み込んでくる。鷹が獲物に向かうような速さを思わせた。


 剣がくるりと返されて足元へ飛ぶ。


 やりたくないが――決してやりたくはなかったが魔剣で受けざるを得なかった。


 しかし。


「なっ!」


 エスニアルは仰天した。


 アクネロの剣先が地面に突き刺さったのだ。ぶつかり合うと思い込んでいたので意味がわからず、叫んでしまった。


 すぐに強烈な衝撃が側頭部から来た。


 柄を軸にしての飛び蹴りだ。


 ずささ、と砂埃をあげて体が大地を擦りあげながら吹っ飛ぶ。視界に天と地が交互に映った。


 相手の足が視界から消えたことがわかっていながら食らってしまった。


 間合いを取るために勢いを殺さずに地面を転がり、すぐさま手をついて立ち上がったが鈍痛のあまり酷いめまいがする。必死にぼやけた意識をかき集めた。


 耳の辺りがじんじんと熱い。剣を手放さなかったことだけが唯一褒められた点だった。


 アクネロは剣を引き抜き、ぐるぐると円を描いて手首のみで大仰に回した。


「尉官殿はまさかとは思うが、俺の頬をパチンと叩いて済ませよう、などとロマンチックなことを考えているのかな? 貴様の対峙している相手はいやしくもノルマンダンにいる数万の“荒くれ者ども”の頂点なのだが」


「いいえ」


「ならば一人の女の運命がかかっているというのに浅はかなことを考えるのか? ここは一つ面目を保とう、などと慢心に満ちた考えを」


「いいえ」


「失望させてくれるな。その手から貴様の名誉がすり抜けるぞ」


 浮ついていた気持ちが綺麗にぬぐいさられ、エスニアルは魔剣を再び構えた。


 回復を待たれている――手加減されているとわかって顔から火が出そうだった。


 これはやり返さねば気が済みそうにない。思ったよりやる。貴族にしてはやりやがる。いいじゃないか。上等だ。やるしかないんだ。そうだ、本気でやるしか道は開けない。


「……殿下。いざ尋常に」


「勝負といくか」









 ★ ☆ ★









「おおぉ」


 空気を熱しているのかと思うほどの怒気を発散しながらレイシャットは駆けつけたものの、息を呑んだ。


 剣を持つ二人の男が争っていた。どちらも力ではなく速さに重きを置いているタイプだったせいか、自然と演舞まがいなものに変わっていた。体さばきがとにかく速い。踏み込みも戻りも同等速度だ。


 更に魔剣の特性もあるのか刃がかち合わさることが圧倒的に少ない。エスニアルの魔剣は相手の剣を弄ぶものであって、強引に跳ね除けたり受けたりするものではない。ほとんどの場合、攻撃は仕方なく受け流すだけだ。


 相手の刃にまとわりつき、引き合わせ、ろくに音も立てず――見るも奇怪な剣戟(けんげき)になる。


 だが確実にアクネロの剣を狂わされている、とレイシャットは見立てた。


 誰もがいつしか自分の剣が信じられなくなり、狼狽(ろうばい)し、見当違いのところに打ち放ったりして最後には絡め取られる。


 エスニアルの必殺の戦法は乱れなく進んでいる。


 そのはずだが――どこかアクネロの表情には余裕がある。


 後ろから足音がした。息を切らせたミスリルは胸に手を当て、すぅはぁと呼吸を整えた。


「れ、レイシャットさん。はっ、走るの早いです」


「エスニアル、貴様っ! 自分のやっていることがわかっているのかっ!」


 制止のために怒声を飛ばしたが目線を合わせたまま息を荒げていた。レイシャットの方に振り向きもしない。


 靴底がじりっと砂利地を擦った。相手から決して目を背けずに慎重に足を運ぶ。


 隙を窺いつつ、両者ともに偶然のことながら空気を細く長く吸い込む間が重なった。









 ★ ☆ ★







 集中が頂点に達した瞬間。


 地を滑るようにエスニアルが上体を下げて加速した。


 魔剣は最初こそ上段や中段で操っていたが、それが通じないと理解するとなりふり構わなくなっていた。


 若きにして少尉になることだけあって――決断力がある。憎らしいくらいに。


 左手が視界を防ぐようにかざされている。剣先が弧を描き、雑草を切り裂いて足元から迫ってくる。わき腹を狙った攻撃だが、踏み込みが浅い。威嚇の意味合いの方が大きい。


 アクネロはつられて剣を合わせようとした。やってしまってから自らの反射行動に舌打ちした。軌道は変化せず、鍔迫(つばぜ)り合いなるかと思えば元より寸止めする気だったのか、威力はなかった。


 くるっとエスニアルの手首が返される――腕は伸びきっているというのに剣先がゆらりと胴体へ横滑りした――危ういところで左手で持った隠し短剣で防いだ。


 カキィンと金属音は響いた。エスニアルの顔が驚愕で歪んだ。足腰に体重が移動する。思いっきり後方に飛んだ。


 アクネロは両手持ちに変化した。隠し玉を見せなければさっきので終わりだっただろう。


 エスニアルの焦燥感は顔に表れている。いいたいことは「まさか」「そんなことが」といったところか。恐らくこんな風に防御されたのは初めてだろう。


「『狂い飛び』か……噂を聞いていなければ危ないところだった。剣士にとって己の持つ剣は手足の延長。僅かでも自分の意に沿わぬ動きとなれば必殺の感覚も狂わされるものだ」


「そういいながらも乱れない殿下には感服を通り越して怒りすら沸いてきております」


 正直なところアクネロとしては自身の振るった剣が勝手にぶれるのには驚いたが――前もって知っていたおかげでどうになっただけだ。教えてやるつもりはなかった。情報収集も戦略の一つと割り切った。


 少し卑怯な気がするが。


 汗を吸い込んだ金髪がへばりついてくる。邪魔っけだったので後頭部に向けて振った。汗がアクネロの額からしたたり、首筋へと流れて顎先で雫となった。


 両者ともに疲弊(ひへい)し、汗にまみれてシャツは皮膚にべったりとはりつき、喉が痛いほど乾いてしまっている。


 アクネロは向けられているまだらの黒刃を凝視した。


 先端に――びっちりと砂粒のようなものがくっついて汚れている。


「かわしたと思えば飛んでくる刃というのは身の毛のよだつほど恐ろしいものだ。目測が信じられなくなり、誤るようになる。身が強張って調子も崩れる」


「笑っていらっしゃる方が恐れているというとは皮肉でございますか」


 アクネロは唇を舐めた。


 手に持つ剣が重くなっていた。神経と肉体が磨り減り、手足が乳酸漬けになってろくにいうことを聞かなくなってきている。


 わかっていたことだが、毎日訓練している兵士には体力負けする。意地が強がらせる。はったりと身につけている技術だけが強みだ。


 一撃を食らったらこの生死を懸けた遊びは終わりだ。それはつまらなすぎるし、それにしてもまだ少し早い。そう、まだ早すぎる。


 もう少し引き伸ばさなければ――会話するか。


「いいや……かなりぎりぎりだ。偶然、まだ食らっていないだけだ。その魔剣はどのような発想によって生まれたものだ?」


「行商人から買い取ったものでございます」


「馬鹿を申せ。自作か特注であろうが。そんな魔剣など歴史上に存在せん。そもそも魔剣というのは古代人が遊びで作った代物だ」


「いまここにありますともっ!」


 エスニアルは意を決して疾駆した。一息つこうと思ったのが間違いだった。左斜めに走り出し、捨て身かと他者が見紛うほどの勢いで回り込んでくる。アクネロも体の向きを変えて対応しようとするがやや出遅れた。


 魔剣での突き――狙いは出迎えて弾こうとする剣を絡めとり、打ち捨てて飛ばし、待望の一撃を食らわせる。そんな意図が読み取れる。


 実際のところその手はうまくいった。


 アクネロの持った剣は見事に魔剣に吸い寄せられ、斜め上に身体が開き突っ張った体勢へと変化した。間髪を容れず打ち下ろしの肘が短剣を持っている方の手首も叩いてくる。避けきれずに柄に当たった。鈍い衝撃で指が緩み、短剣が落下する。


「ごめんっ!」


 倒れこむように曲げた肘を突き出してくる。アクネロの身体のどこかに当たれば良い――体当たりであっても一撃は一撃と考えたゆえだった。


 接近してくるエスニアルは決死の形相だった。


 このままではしてやられる、アクネロは苦渋の決断をしなければならなかった。


 やったことは異常ともいえることだった。一気に両足から力を抜いて前へ投げ出すことにした。いちかばちか、一瞬だけ無防備になることを選択した。


 そのまま後ろに倒れていく。相手が迫るのを知っておりながらも体から力を抜ききったのだ。


 その常軌を逸した大胆さは功を奏し――空振りしたエスニアルは踏鞴(たたら)を踏んで均衡を御するために足を横側へ急いで運んだ。


 すかさず、エスニアルのわき腹を足刀が襲った。


 背が地につくかつかないかの瞬間の刹那の蹴りだった。上体を思いっきりねじっての攻撃にエスニアルは肺の中の空気を残らず吐き出すはめに陥った。


 背中が地面にぶつかったときはその衝撃さえ利用して立ち上がり、魔剣にくっついた剣もすぐに回収し、追撃の横薙ぎを放った。


 風を切って肩を狙ったそれは魔剣で受け止められた。エスニアルもとっさの防御だった。


 魔剣の剣先にぴしりとひびが入り、破片が欠けた。


 エスニアルは剣を下から上へ跳ね上げた。アクネロも距離を取って飛び、剣先を斜め下に置く。


 片手で魔剣を指差し、宣言した。



「魔剣の正体、それすなわち――『磁界の魔剣』なり」



 見破りを告げられてもエスニアルは動じなかった。


 剣を構えたまま眉一つ動かすことはなかった。看破されたことを知っていながらも攻撃してきたのだ。


 アクネロは内心でこれといって驚きがないことにちょっぴり悔しがりながらも、息を整える。


「磁鉄を用いて先端の裏に取り付け、相手の剣を狂わせ、身につけたる金属へ向かって『飛ばす』。しかしながら磁鉄とは熱に弱く、もろいものよ。剣にすることなどまさに異端の発想だ。通常の鉄よりも硬きにして割れやすく、外れないように穴にはめ込む――恐らく強烈な粘着剤であろうが――扱いには一際、苦労しただろう。そんな気味の悪い色なのは継ぎ目を誤魔化すためか?」


 アクネロは深呼吸した。


 エスニアルの手持つ薄気味悪い魔剣の一部は形を崩して欠けてしまっている。


 恐らくは保存のために鞘の内側も磁気を帯びているだろう。なるべく刀身を合わせないようにする剣技や、ここぞというときに使うのも納得がいく。


「もう一度聞こう。どのような発想から生まれたものだ」


 ゆっくり、硬いものを咀嚼(そしゃく)するようにエスニアルはぽつぽつと語る。


 もう既に手品の種は見破られ、白状するしかないとでも思ったか。


 淡々と、事実のみを告げるような口調だった。


「私の父は馬具職人でした。腕は良かったですが酒に弱く、また愛想もなかったせいで仕事にあぶれ、自堕落であって女房が蒸発しても我が身を顧みることもなき人でした。しかしながら人と同じだけの欲があり、どうにか窮状を克服できないものかと空になった酒瓶の底を睨みながら考え続けておりました。

 梅雨の季節のことでしたか、父は作業場で一心不乱に物造りに励むことがあったのです。殿下も知っておりますでしょうが、雨が降れば土はぬかるのです。ぬかれば滑るもの。そうして足を滑らせ落馬で死ぬ者は多くおります。父は(あぶみ)に磁鉄を埋め込み、滑らぬように工夫を凝らしたのでございます。

 砂鉄などの問題もありましたが、足先に(びょう)を打って鋼板を取り付けたる作業靴を持つ人夫頭や目が痛くなるほど光沢した長靴を持つ騎兵の間では少しばかりの評判になりました。効力はさほどなくとも、意趣(いしゅ)たる形の良さが受けたのでございましょう。人と違うということはすなわち小粋と思う方々も多いものです。しかし」


 エスニアルは構えた剣を下ろさなかった。


 正眼に構え、闘志をみなぎらせたままだった。


 陽は暮れた。人影は漆黒に塗り潰されようとしており、足音のない宵闇が世界を包み込もうとしている。


 空を猛禽類が鳴いていた。旋回して山へと戻っていく。


 アクネロは清聴することにした。取り巻いている女二人もじっと聞き耳を立てていることを確認しながら。


「気前の良い、悪しきいい様をすれば愚かな父は組合にて同業者へ工夫をやすやすと教えてしまったのでございます。目の前にある日銭は見えたとしても、将来への展望は見えなかったのです。そうして、磁鉄の流行は一時的なもので草葉の露の如く消え失せたのでございます。

 父に少しの知恵と野心があったのならば故買屋で粗悪品の酒を買い、その酒にあたって無様に死ぬこともなかったでしょう。私はこんな死に様は決してせぬと誓いました。

 どうか、どうか、殿下にお聞きしたく思います。男たるものが野心を抱き、他人を押し退け、富と名誉を求めて何が悪いのでございましょうか。他者に気を遣い、遠慮し、地に落ちた燕麦(えんばく)の粉を使ったパン一つ食べるのにためらう日々で生涯を過ごせなどと誰が言えるのでしょうか」


「理ありと認めよう」


 ごほっ、とエスニアルは咳込んだ。


 咳払いで目の潤みを誤魔化そうとしていた。その目論見(もくろみ)は成功しなかった。とめどなく涙は溢れていた。


 悲壮だとしても、気炎は立ち昇る。闘争心が奮起されていた。


「私の最初の魔剣はペンキの刷毛(はけ)にて漆黒の塗料をかけただけのお粗末なものでした。とにもかくにも目立たねば、前に出ねば、手柄を立てねばと浅ましく思い立って魔剣などとうそぶき、実態は情けなきことに己を大きく見せるだけの蟷螂(とうろう)(かま)でございます。

 しかしながら魔剣はもはや我が魂の姿でございます。折れたにせよ、砕けたにせよ、見破られたにせよ(むくろ)になるまでは遣います。たとえ外道の剣、卑怯の剣と罵られたとしても自らの心の従い、身命を懸けさせていただきます」


「お前の魔剣は断じて卑怯者の剣ではない。創意工夫の結果であり恥じることなど無用」


「殿下の言葉は何よりの栄達でございます。一撃をもって報いましょう」


「もうわかっているだろうが、続ければお前の生命は無きものとなるだろう。なぜ、そうまでこだわるか? 俺がレイシャットを奪うことがそんなに憎いか?」


「私はひたむきな者を好んでおります。殿下にとっては野花なれど、私にとっては愛せど手に届かぬ崖上の花。ならば誰にも手に触れさせたくないと思うのは無理からぬことでございましょう」


「いったな」


「いいましたとも……あっ」


 アクネロは剣を柄に収め、口の端が破れたかと思うほど歪んだ大笑を浮かべていた。


 過ちを悟ったエスニアルは身震いした。背中に氷を突っ込まれたような反応だった。


 横からの舐めるような視線に彼は気づき、毛穴から汗が噴き出している。頭部からサーっと血の気が失せていく。


 そうして、見物人がいることを初めて認識した。理解の中に入れたといってもいい。


 劣勢であって戦いに集中していたこともあり、意識の外に置いてしまっていた人物だ。


 彼は頭に両手を乗せ、両膝をついた。とてもじゃないが、右方向に立っているだろう赤毛の女の顔を見れなかった。闘争心はどこかへ雲散霧消(うさんむしょう)してしまった。


 堅物の男はうっかり愛の告白をしてしまったことを全身全霊で後悔していた。


 エスニアルにとって、つい先ほどまで行っていた死闘の緊張よりもはるかに重いものに思えた。


「ノルマンダンの男は戦となれば勇壮だが、どうにも内気(シャイ)でいかん」

 

 アクネロが追い打ちをかけた。


 エスニアルは死に体となっていた。生気という生気は黄昏の彼方へ飛んでいった。


 アクネロはもう一人の堅物女に顔を向けた。


「レイシャット・スコルピアよ。お前の誤解を解き放ってやったぞ。何か、いうことくらいあろうが」


「はい、殿下。少々の衝撃を受けましたが、今までの理不尽を思うと怒りこそわき上がれ、恋情には遠きものでございます」


 エスニアルは顔を両手で覆った。


 彼は今日から無神論者に変身することを心に誓っているようでもあった。


 神などこの世にいるはずがないと。人の形をした悪魔だけがいるのだと。


「しかしなレイシャット。この男は命を懸けて主君たる俺に刃向かったのだ。そうできる男を生涯で見つけるのは難しいものだぞ。顔もそう悪いわけではないし、身体も鍛えてるし、将校でもある」


「殿下には及びません」


「まあまあまあ……俺は別だ。外に置いておけ。それに俺はお前を囲うおうとするような好色漢であって、爵位や領地こそあるものの長きの良人とするには向かぬ男だぞ」


「なるほど、まあ」


 レイシャットは意味ありげにちらりとエスニアルを見た後、とつとつとフォローを入れるアクネロを目で責めてくる。


 頼むぞ――アクネロは静かに祈った――ここまでやったのに。


「多少は可愛や、と思う気持ちもなきにしもあらずです」


「だろう」


 落ち着きを取り戻し、アクネロは胸に片手を当てた。


 スカートの裾を持ち上げたミスリルがその側に駆け寄って、安堵を混ぜ合わせた小言を呟きながら顔や身体についた泥を手ぬぐいで甲斐甲斐しくぬぐい始めた。


「わかりました。殿下のお顔を立て、一ヶ月ほどこの男に猶予を与えましょう。今のところ、地面を見たまま動かず成り行きを見守るような意気地なしには興味がわきません。伝えたいことがあるのならば真っ直ぐ前を見るべきでしょう」


 エスニアルがびくっと動いて顔を怖々と上げた。


 レイシャットと目線が合い、同時に顔を逸らした。ミスリルはそんな初心な二人を見て「まあっ」と黄色い声をあげた。


「さて……尉官殿。この勝負であるが貴殿の勝利だ。誇るがよい」


「し、しかし、殿下。私は一撃を当てておりません……誓約を違えるのはあるまじきこと」


 どこまでも唐変木(とうへんぼく)なエスニアルの言葉にアクネロは呆れ、顔を右手で覆った。


 指の隙間からエスニアルの間抜けに思えるほどの真剣な表情を覗き見て、微苦笑する。


「お前の一撃は見事に意中の人の心を打ったではないか」








第二章

『カマキリの魔剣』 終了

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