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酔狂領主様の怪奇譚  作者: 七色春日
第二章 カマキリの魔剣
13/31

-3-



「彼は実際に体調が悪かった。髭は剃り残しが多かったし、官給品の手袋は微妙に色違いだった。片方は濃いグレーで、片方は黒だ。朝から前後不覚だったということになる。俺が兵士達と殴りあっていても、比較的遠くに位置していた。きっと、指名されることを恐れていたのだ。加えて、元来胃腸の調子が悪いのかこっそりと自分専用のフォークとナイフを用いていた。過敏なほど潔癖症な性格だ。日常で生き死が左右される軍人でありがちなことだが、精神に傷を負っているのだろう」


  辺境伯の屋敷に相応しいリビングの調度の一つである安楽椅子にぐらぐらと揺られながら、アクネロは思い返すように独り言を呟いた。


 脚が湾曲して丸くなっている不安定な椅子だが、たまに座ってぐらぐらするのが彼は好きだった。


 傍らの長椅子に座り、中細い毛糸で厳冬に向けた手袋を編んでいたミスリルは不審そうな表情で顔を向けた。


「アクネロ様?」


「我らが仇敵にして教師たる古人の残した魔剣の種類はおよそ二百。黒剣の種類は七つ。それぞれが超魔術的な効用を持つ剣だ。俺も何本か持っているが、正直にいえば戦闘には使いたくない。色気のある肋骨を振り回しているような気分になる代物だ。わざわざ使う奴は気が狂ってるか、そもそも剣術というものに縁がない者だけだ」


 一本足の丸型テーブルに手を伸ばし、水差しを飲む。


「噂の魔剣を見に行くつもりだったが、やはり刀剣などよりも遣う人の方が面白いものだ」


 含み笑いをするアクネロはどことなく上機嫌に見えたので、ミスリルもなんとなく機嫌を良くして編み物を続けようと目を落とした。よくわけのわからないことを喋るのはミスリルにしてみれば慣れたものだった。


 喋るだけならいい。どこかに走っていくこともあるし、変なことまでしようとするのがダメだ。奇行に走らなければ美顔の貴公子なのにもったいない。やはり天は二物を与えないのだ。


 内容の(はし)っこだけ読み取れば――きっと体調の悪かった誰かを助けたか何かなのだろう。善行ならば深く考えなくても素晴らしいことだ。


 夕食は食べ終わったことだし、皿洗いも済ませての二人で過ごすゆったりとした時間は貴重なものだ。


 やらねばならないことを探せばあるがそう急ぐこともない。団欒(だんらん)とは安らぎだ。


「ミスリル」


「はい。カードですか? 今日こそ私が勝って朗読してもらいますからね」


「お前の枕元で古代の逸話(いつわ)を読んでやるのも悪くはないが、客人のようだ。出迎えてくれ」


「はい?」


 すると鐘の音が空中を伝って響いた。


 ミスリルは腰を浮かせた。


 小走りでぱたぱたと廊下に出、玄関ホールへと向かった。


 扉を開けるとふわっと雨の臭いが鼻についた。沈痛な面持ちの赤毛の軍服姿の女がびしょ濡れで佇んでいたので、ミスリルは驚きで口元を手で押えた。


「夜分に恐れ入ります。私は第七機動兵団行動部隊に所属するレイシャット・スコルピアと申します。殿下に拝謁(はいえつ)賜りたく」


「まあ……ひとまずどうぞ中へ」


 壁にかけてあるカーペットを敷き、促して一歩玄関に進ませ、ミスリルは洗面所に向かって走っていく。


 タオルを二枚持って来て一枚を手渡し、もう一枚で背中を中心として後ろ髪や首筋を拭く。


 濡れ(ねずみ)となっていたレイシャットは戸惑っていたものの、為すがままで世話を受けた。


「随分と警備が手薄なのですね」


「森が護ってくれるとアクネロ様はおっしゃってまして……盗賊の類は来たことはないですね」


「ですか」


 腑に落ちぬ、と顔に出ていたがレイシャットは口には出さなかった。何かの隠語だと思ったらしい。


 ミスリルは山茶花(さざんか)を眺めるような気分で彼女を観察した。雨に濡れているにも関わらずへにゃりとせずに尖っている赤毛。栗色の瞳は鮮やかで生命力を感じさせる。


 顔は影を落としているが背筋は針金を通したように真っ直ぐ伸ばした姿勢だ。同性ながらも見惚れるほど佇まいは凛々しい。これならどんな衣装を着ていても身のこなしですぐに軍人とわかってしまうだろう。


「あの……」


「あ、はい。お伝えして参ります」






 ☆ ★ ☆





 アクネロは椅子に座って緊張しているレイシャットでどうからかって遊ぼうか思案したが、冗談とはいえ非道な考えを呈示すれば自刃しかねない危うい気配もちらついていたので口を閉じ、ぴたりと視線を固定したまま頬杖をついていた。


 その沈黙が怖くなってレイシャットは唇を震わせ、額に汗の玉を浮かべている。歯の根をかき鳴らしかねないほど肩を微動させてもいる。


 ミスリルは経験上、アクネロが怒っているのではなく単純に考え込んでいることを見抜いていたので哀れと思ってか、そっと後ろから口を出した。


「大事になってらっしゃるではありませんか。酔狂で人を不幸にするのはいかがなものかと」


 アクネロは緩慢な動作で首を後ろに向けてミスリルの顔を一瞥し、戻した。


 カカトを浮かべ、音もなくすとんと絨毯に落とす。何かの決断をするかのようであった。


「レイシャット・スコルピアよ」


「は、はい」


「袖章からして、お前の所属は行動部隊の兵卒に相違ないか?」


「はい」


「女であれば経理や騎兵、或いは総務や奏楽になるものだが……随分と(しと)やかなようだな」


「警務が男性社会なのは十二分に知っておりますが、捕縛術や対人戦闘の腕には自信があってのことでございます」


 皮肉を受けたもののレイシャットは実直に反応した。


 アクネロは彼女の性格が見かけ通りであることを推察し、優しく頷いた。


「……実を言うとあの後、君の上官たる尉官殿に許して欲しいと頼まれてな。調理に忙しく動転しており、思い出せないことも無理もない。俺もここ最近は式典や年次行事に参加していなかった」


「殿下。今回のこととあの男は関係なきことです」


 強い口調だったので、アクネロは相手にわかるように首を傾げて見せた。


 レイシャットは失態を察知して顎を引いて絨毯に視線を向けた。


「エスニアル少尉は魔剣を操る所持者であり、剣士であれば崇敬すべき人物だと思うが」


「お言葉ですが彼は卑怯者でございます。ここぞというとき、昇格試験の折りにも魔剣を用い、数多の実戦でもその摩訶不思議なその武器に頼りきり、腕を磨かぬ男です」


「魔剣は卑怯か」


「私は卑怯だと思っております。彼の者の魔剣は『狂い飛び』。相手の太刀筋を狂わせ、自らの剣を思いもよらぬ方にふわりと飛ばす魔性の剣。手も身体も動かぬのに剣だけが飛ぶのです」


「ほう」


「野心家で出世のためならば他人を押し退けてでも前に出る性質もございます。正直なところ、恥ずかしながら私はいびられておりました。無遠慮に睨まれ、些事なことに因縁をつけられ、功を立てる機会も奪われることばかり。叶うならば」


 レイシャットの怒りを帯びた口調が止まった。


 (のり)()いた襟元を引っ張ってただし、ためらいながら居住まいを直して足をぴったりとたたみ、正面を向く。


「第一情報兵団。その中の作戦部に移りたく思っております。強がり続けておりましたが女であることの悲哀は味わうに飽きてしまいました」


諜報(ちょうほう)ならば確かに男勝りの女も受け入れられよう。その望みは理に適っている。女といえど立身出世の道を開かれた者も多い」


「殿下も賛意してくださいますか」


 言外に人事に口添えしてくれ、との願いごと。


 謝罪に来たものの、心の(うち)を明かしたことによって沈殿(ちんでん)していた思いの丈をぶちまけてしまったようだった。


 アクネロは小さく目を細めた。レイシャットを配置換えするくらいは簡単だ。だが勤まるかどうかはまったくの別問題だ。


 諜報に携わる人間は目端が利かなければならない。視野を広く持ち、落ち着きがあり、忍耐力を必要とする。つまりは有能であれば良く、性差は関係ない組織というだけだ。


 実直で感情の発露しやすいレイシャットがフォローしてくれる味方のいない敵地や調査地でまごついている姿が容易に想像できてしまった。気の毒だが、適正があるように見えない。


 それでも――人は変わる。当人が希望するならば可能性に懸けていい。機会というものは平等に与えるべきものだ。


 そんなことよりも。


「ところで……質問をしたいのだが尉官殿の魔剣の(さや)は常に汚れていなかったか?」


「は、はい。不精な男でしたから」


 人生で一番といっていいほど熱を込めた話題が逸らされ、レイシャットはやや前のめりになってずれた。


 アクネロはいつもの調子で質問を重ねる。


「神経質に誰にも触れさせぬように木箱に保管し、布で包んで石床やベッドの下などに置いていなかったか?」


「え、あ、手入れも自ら行っているでしたがあまり詳しくは」


「行軍の際、腰にかけるときにはやや不恰好になっていたのではないかな?」


「殿下はどなたからか、お聞きになっていらっしゃったのですか」


 ぱちくりと目を丸くするレイシャットから顔を背け、アクネロは宙に視線を浮かべた。


「であれば、あの中上段の構えは癖か……ただの偏屈者かと思ってしまったが違うのか」


 今度は質問ではなくただの呟きだった。


 相手をしてもらえなかったレイシャットは焦れたものの、口答えなどできるはずもなく沈黙を保った。


 足を組み、顎を手の平で包みつつ、しばらく考えた末にアクネロは椅子から立ち上がった。


 期待と不安でレイシャットはびくりと震えたが、期待していたような声はかからなかった。


「もう夜遅い。今日は泊まっていくがいい。我が屋敷には温泉が出ているぞ」


「え、は、はい。謹んで」







 ★ ☆ ★








 薄手の寝巻き姿のミスリルは樫材で作られた扉の前で深呼吸した。


 胸に片手を当て、すーはーと意識して呼吸をする。その際、脇に抱えた枕がずり落ちそうになったので抱えなおした。


 遠慮がちなノックを数回ほど試みて、控えめに呼びかけると入室が促された。


「入って来い」


「は、はい! アクネロ様……あっ」


「どうした」


「いえ、変わった健康法ですね」


 寝巻き姿でありながら、床に頭頂部をつけ、腕組してあぐらをかき、首の力だけで全身を支えて逆さになっていたアクネロはひらりと反転し、着地した。


 軽口を叩いたミスリルにすたすたと近づき、額に手刀に叩き込んだ。


 ぽこんと快音がして涙目になる。


「いっ……た」


「魔剣遣いをどう倒そうか考えていたところだ。想像を巡らせていた」


「魔剣遣いですか……先ほどの話に出ていた少尉さんですか?」


「そうだ。恐らく戦うことになるだろう。暗中なれど勝利の道筋を探らねばならん」


 腕組をしてやや下を向く。水気を残した金髪が一房揺れる。


 ぱらりとなびき、悩める表情の陰影を鮮やかに彩る。ミスリルは薄桃色に頬を染めて胸を高鳴らせ、呼吸を乱した。


 触れたいという愛しさもあったが――どこか羨ましいとさえ思ってしまう。散髪を手伝った際に金髪を厚紙にしまって机の中にしまっているのはミスリルの最高秘密の一つだった。


「ど、どうして戦いになるのですか? 兵士であればアクネロ様に絶対服従ではありませんか。主君に刃を向けるはずがありません」


「ミスリルよ。世の中には金と権力という神通力が通じぬこともあるものだ。それは俺にとって良いごら……いや、人間の妙を垣間見ることになるのだ」


「娯楽ですか」


 いいかけ、これはまずいとした語を抜粋し――がくっとミスリルは両肩を落とした。


 自然と生暖かいため息を吐き、うな垂れる。


 主人が良からぬことを企んでいることは確定したのだが、できれば穏便に済んで欲しいと願わずにはいられない。


 いつもいつも、全く人のことなど気にせず、自分がやりたいことしかやらない。貴族としては正しいがそれにしても単なる我欲とも思えないせいで方向性が見えない。


「さて、こんな夜遅くなぜ俺の寝室に来た。枕まで抱えて珍しい」


 うっ、とミスリルは怯むとごほごほと空咳した。


 胸元に抱えた綿のたっぷり詰め込まれた枕を心細さのせいか、気まずさのせいか更に引き寄せる。花柄の模様が散りばめられたリネンの淑やかなもの。


「今日はその、怖い夢を見まして」


「お前はまだ一眠りもしておらんではないか」


「昼間つい、うたた寝をしているときです」


「堂々と怠けていたと従者に告げられたのは俺の人生で初めてだ」


「うくっ」


 気づいてくれてもいいじゃないか、ミスリルは恨みがましく思った。


 アクネロは自分勝手ではあったが、気づいてくれてもいい。


 アクネロが()き立てた人差し指をミスリルの額に向けた。指に視線が集まって目玉が中央に寄る。


 灰白色の瞳は童女のように純真できょとんとしていた。


「お前の心胆(しんたん)は手に取るようにわかるぞ。しかし今日は一緒に寝てやろう。そうして一晩中、罪もない俺を背を見張るがいい。お前の頭の中ではきっと俺は息を荒げた餓えたケダモノで、客人にして妙齢の女の首筋に噛み付いているのだろう。酷い邪推というものだ」


「そのような心配は……少ししか、いえ、ほんのちょっぴりだけです」


 目を伏せ、顔を背ける。


 アクネロは瞑目(めいもく)した。扉の前の飾り燭台の火を吹き消し、薄暗くなった部屋で寝台へ向かい、手招きする。


 続く足取りはおずおずと。


 三人はゆうに眠れる大き目のベッドが軋む音を立て、二人して毛布に包まるとミスリルも足を伸ばして身を潜め、アクネロのふくらはぎを蹴った。


 家具と窓枠が輪郭だけとなってミスリルの視界に映りこむ。窓辺から月明かりが差し込んでこなければ闇に染まっていただろう。森の葉がたなびくさらさらとした音が耳に入り、恐怖心がくすぐられる。まだ闇を完全に克服できる精神年齢ではなかった。


 そっと後ろから肩に手を伸ばした。


 硬質な筋肉としなやかな肉体のラインにミスリルは心の中でほう、とため息をつく。ほのかなぬくもりはずっと触れていたくなる。


「後ろから肩に抱きついてくるのはいいが、喉は絞めるなよ」


(やま)しきことがなければ恐れることもないでしょう」


「……一年前が懐かしい。お前はめそめそと泣き、常に何かに怯えて俺の顔色を窺い、何をしても謝罪を先に口に出した」


「我が身がどうなるか不安で仕方なかったからです。今も、少しだけ……心細いです」


 ミスリルはアクネロの肩を指先でそっとこすった。衣越しに感触が伝わるか伝わらないかわからないくらいの弱々しさで。


 銀瞳は水分を帯びて潤み、はらはらと揺れ動いていた。


 振り返らなくても気配で察したのかアクネロは若干の硬さと慈悲をおり混ぜた声音を出した。


「お前の母親は……俺の母にも等しき世話係りだった。過分に心労をかけてしまった借りがある。お前の面倒を見るのは当然だ。俺が生きている限りは身の振り方を心配することはない。むしろ今まで見つけてやれず、すまなかった」


「お母様の話は止めてください。今が幸せならば私は気にしませんし、アクネロ様が謝ることなど一つもありません」


 即答で忌避するようにぎゅっと肩を掴む力が増加した。


 母の記憶はそれほど素晴らしくなどなかった。思い出すのもためらわれる。ミスリルはそれらを頭の奥にしまいこみ、額をアクネロの首筋に擦り付けた。少しだけ安心できた。


「不安がなんであれ、お前のしたいようにすればいい。献身には報いがあるものだ」


「でしたらその……屋敷に来たばかりの頃のように――よしよしと頭を撫でてくださったなら、今日は良く眠れる気がします」


 つい、期待を込めて口が滑った。いってからあまりに子供っぽすぎると赤面する。訂正しようとしたがアクネロはすぐに体勢を変えた。


 顔同士が向き合う。ミスリルはその近さにどぎまぎとした。


 緊張と何かしらの期待で体温は上昇し、内股になって身をよじる。


 のろのろと手が伸ばされる。どういうわけか頭をすり抜けていく。


 その際「んんっ」と思わず悩ましげな色っぽい声を出してしまった。


 そして――ミスリルは「むっ」とした。


 不満そうに唇を突き出し、瞳から熱情が蒸発して冷静なものに取り変わった。


「アクネロ様……私のかけがえのないご主人様」


「なんだ?」


「それは頭ではなく尻です」


「おおっ! そうか」


 アクネロは今初めて気づいた、と言わんばかりに大げさに身を引いた。


 バッと両手を投げ出して破顔する。注意が嬉しいのか誤魔化すためか両方か。


 やたらと執拗(しつよう)に尻を撫で回されたミスリルは気分を害したふりをしてアクネロに背を向け、眠ることにした。


 怒っていないのか、怒ったのかは定かではない。







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