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週末を迎えると、アクネロは決まってどこかへ肉体を鍛えに赴く。
パーカーを被って街中をランニングしたり、薄汚い服を着て日払いの肉体労働者になったり、ハイキングシューズを履いて登山に行くこともあったが、今日は第七機動兵団ヨークトン支部に足を運んでいた。兵隊の訓練に参加して適度な運動をしようとの算段だ。
草原を滑る北風が草木をはためかせ、アクネロの火照った身体から熱を奪い去っていく。
心地の良い、ありきたりないい方をすれば“いい日”だった。
雲一つなく底が抜けたかのように広がっている青空の下、半身となったアクネロは拳を握り締め、腰を落とした。かかとを浮かせて戦闘態勢を保ち、目の前の兵士の筋肉の動きを観察していた。
お互いがボタンの点いたタートルネックの訓練着だ。麻製で何重にも織り込んだ厚地の長袖長ズボン。色調は地味な緑で飾り気は少なくアクセントは胸ポケットくらい。
固めた拳に薄汚れた布を巻き、相手をどう打ちのめそうかお互いに必死で考えている――はずだ。
じり、とすり足の音が鳴った瞬間。
重心が高速で移動した。腰が急激に反転した。爪先立ちになって身体を捻ったアクネロは相手の肩口目がけて砲弾のような足刀を放った。
相手の兵士はそれを頭を低くして避け、低姿勢のまま一気に懐に入ろうと肉薄した。
抱え込むための手が開かれる。放り投げるか関節を極めるか。
対応も速かった。その動きを予期していたかのようにアクネロの足が落下する。カカトが兵士の後頭部に突き刺さった。
やや強引に振り下ろされるような形となったが兵士はバランスを崩した。足がつんのめり隙が生まれる。アクネロの肘鉄がその横顔を叩いた。
打たれた体が衝撃でぶれ、片膝が黄土につく。
苦痛で形相を歪ませてうめいた。
「う、ぐっ」
「遠慮しなくていいぞ」
「し……してはおりません」
「なら俺をもっとうまく殴れ。憎しみや怒り……そうだな、誰もが普段感じているだろう上流階級への悲憤をぶつけるせっかくの機会だぞ」
冗談めかしていったが、効果は薄かった。
目を逸らして唇を縛って沈黙を保ち、うな垂れる兵士を見てアクネロは微苦笑した。
沿岸都市ヨークトンの郊外にある第七機動兵団の営庭は木柵に囲まれた広大な敷地を有している。
第七機動兵団の業務は街を中心として犯罪を取り締まる地方警吏とは違って遠征警務をこなすことに重点が置かれ、他には道路工事や災害救助なども職務となっている。
ほぼ純粋な兵隊ではあるがため肉体派の官吏が多く、誰もが鍛えられた屈強な筋肉を動かし、等差感覚に離れて組み手に励んでいた。
もっとも立場上は司令官であるアクネロが場違いなことに一緒に訓練しているので、必要以上に気を遣って集中できず、ちらちらと様子を窺う者ばかりだった。
当人はせっかくの運動日で足を運んだものの、組み手の相手も忠誠心と保身が頭の影となってちらつき、強く打つことができないのが不満だった。
障害走や戦技訓練、甲冑を着ての実働訓練などをやっている時は良かったが相手を得ての格闘や剣術訓練になると不満がややこぼれてしまう。
で、あるならば遊び心が必要だ。
「賭けをしようではないかっ! 俺に一撃食らわすことができたなら報奨金を与えるぞ。そうだな、諸君らが受け取っている一か月分の給金を出そう!」
ざわつきが静かに波を打った。
自身の訓練もろすっぽく、半ば物見見物と言わんばかりに囲んでいた数十人の兵士達はそれぞれ顔を見合わせた。
金で主君を傷つけることができるかどうか悩んでいる顔だった。金で動くと思われれば悪印象を与えるかも知れぬ、という打算もまた混じる。
「私がっ!」
「よし」
鋭い声と共に手がスッと伸ばされ、前に出てくる。
跳ねっ返りの新兵かと思いきや――鍛えられた筋肉や刃傷跡は軍隊経験の長さを物語っていた。
髪も兵卒に強制される兵隊刈りではなく整髪剤が用いられ、後頭部でまとめて伸ばしている。
それは将校であることを示し、特例としては女のみが許される。
顔つきからして年齢は二十代前半なので恐らく尉官、とアクネロは読んだ。
顎先がしゅっとした細眉の精悍な顔つきをした男だった。肌は健康的に焼かれ、長身痩躯で鋭い目をして猛禽を思わせる。筋肉のつき方もいい。過剰なほど膨らんでもいないし、引き締まっている。
「名は?」
「エスニアル・ハートピオン。階級は少尉です」
「貴公は俺の顔面を変形させたくてたまらない、という顔をしているな」
「殿下のお顔は大層に端整でいらっしゃる。嫉妬を抱かぬ方がおかしいでしょう。率直に申しましてその傲慢で高貴な鼻をぶん殴って折り曲げたくなります」
「素晴らしい。実に率直な男だ。さぞかし同僚が這いつくばるのが気に食わなかったと見える」
アクネロが半身となって構えを取ると、エスニアルは両手を上げた。
頭よりも上であって、胴ががら空きになる構えである。
膝が曲がり、やり過ぎだと心配になるほど爪先立ちになっている。
先手を誘っているのか――或いは蹴りか――わかりやすいほどだった。地面の短草が剥げているせいで足首の動きがよく見える。
動くとすれば足から。攻撃も足だ。殴ると言いながらも足技で責める気だ。
偏屈な男だ。対峙してアクネロは思った。
こういった男は特別なことが好きだ。物事を迂回したがるタイプであって、それが最短の道だと信じきってしまう。
噂の魔剣遣いの名前もそうだ、確か――
思考の空隙を狙ってかムチがしなるように横蹴りが飛んできた。とっさに足を上げて胴を防御したが骨が軋んだ。角材で殴られたかと錯覚した。神経が麻痺して反応が遅れる。
次弾はフェイントが織り交ぜられていた。蹴りを見せかけての位置移動。横を取ろうとしての足運び。
アクネロは迅速に追いかけた。それが相手の虚を突き、踏み込んで拳骨を下からすくいあげるように顎先へと振るうと、かするだけでかわされた。
エスニアルは倒れこみながら立てた足先を飛ばしてきた。
さすがに無茶な攻撃だったが、死角からの一撃だった。
威力こそ大したことはなかったが頬肉をえぐられて引っ張られる。顔の形が歪んだ。
しかし無理な体勢から復帰しようとするエスニアルの腹部に肘を叩き込んだ。もんどり打って倒れる。それでも距離を取るためにゴロゴロと地を転がり、すぐさま上体を屈めながら手をつき、腹部を押えながら顔が向けられる。苦悶に染まりながらも戦意は衰えていない。
「ま、まだまだです」
「いや、一撃を当ったぞ。尉官殿の勝利だ」
赤くなっているだろう頬を触った。指に血がべっとりとついている。皮膚を裂くほどのキレはあった。
予想よりも動きが早かった。それに落ち着いた雰囲気の男だが、意外に無茶もする。
「む……しかし」
「そろそろ昼時か。食事にしよう。食えるか?」
「く、食えますとも」
エスニアルは腹部、胃袋の辺りをしきりに撫でつつ立ち上がり、ぐらつく足を叱咤する。
アクネロは喝采したくなる気持ちを抑え、はらはらして木陰に隠れていた第七機動兵団の師団長に顔を向けた
目線を向けただけで、乙女のごとく遠くで男達の戦いを見守っていた小太りの師団長はどっすんどっすんと大地に地響きを立てて大股で寄ってくる。
師団長は五十を越えた中年だったが身体は肥え太り、顔の肉に圧迫されて目は細く小さくなっていた。更にその目はきらきらとしていたので、アクネロは天を仰ぎたい衝動を堪える必要があった。
「で、殿下。い、今すぐ治癒魔術師に」
「大事無い。いつも悪いがここで食事を馳走になってもよいか?」
「勿論ですぅ」
師団長は小商人のように腰を低くしてへコヘコと上体を上げ下げした。
アクネロは柵にかけられたタオルを手に取り、顔を拭きながら兵舎へと吸い込まれていく兵士達を見つめた。
苦しい訓練が終了したことの喜びが溢れ、和気藹々としている。
移動の最中。アクネロの真横で師団長はいかに自分が高等な教育を受け、子爵家の次男に生まれて爵位こそ恵まれなかったが駐屯地の運営の機微にとてつもなく神経を使い、兵站では細やかな指示を与えていることと、昨今の政治情勢への決して不満と捉えられない程度の意見と自らの控えめな上昇志向を語って聞かせた。
アクネロは持ち前の品のよい爽やかな顔で師団長の矜持を傷つけない程度の肯定を示し、たまに軽めに否定し、その際には必ず疑問を投げかけ多く語らせて場を取り繕った。
さながら長方形の穴あき箱といった兵舎は三階建ての石造りの建物であって、大部分は兵士の宿舎に場所を取られている。通用口の手前の水場で身体や足を洗い、中へと吸い込まれていく兵達の後に従ってアクネロも足を踏み入れた。
一階の大食堂は調理場から配給用の窓口を通し、流れるように皿を受け取って整列された長方形のテーブルに座るという方式を採用している。
ぽっかり開いた口から調理人達が忙しなく動き回っている姿が見える。
「と、特等席をご用意致します」
今思いついたのか、命じられてもいない義務を思い出したのか、師団長が慌しく走り去っていった。
自分の執務室にある巨大な黒壇の机でも持ってきかない勢いだったが、社交的な付き合いから解放されてアクネロはほっと一息つき。
忠誠心がみなぎる彼を待たず、端に積まれたトレイを一つ手に取って長蛇の列に並ぶことにした。
前に居た兵士はぎょっとして背後を振り返った。誰も自分で並ぶとは思っていなかったようだった。
「お譲り致します」
「私も」
「いえ、先頭へ」
「ここに来ることはあまりなかったが、教えておこう。俺を空気のように思え。気遣いは結構」
無茶な――無理だ。
この場のほぼ全ての人間が同じ思考に統一された。
指先一つで自分の首を空の向こうへと連れて行く男をどうやって空気のように思えることか。ならば「それらしく」して欲しいと思うのが人情であった。
アクネロの恰好からして訓練着であるので、うっかり「おう。元気か」等と声をかけて背中を叩いてしまいそうなのが兵達にとって恐怖だった。その無礼によって人生の行き先が暗雲へと向かうこともある。
アクネロが何もせずとも、他の偉い方々がその振る舞いを見てどう思うかが問題だ。
どこで波風が立つかわからないのだ。誰しも累が及ぶことは避けたい。
出世が望める可能性もあるが、下手に下っ端が媚びへつらえば上役の不興を買うこともある。つまるところアクネロは爆発物と同義なのだ。うまく利用できる者しか扱えない。
できるならば王冠を被ってマントを装着してもらいたい、そうであるならば「この人物は迂闊に近寄ってはならぬ」とわかりやすい目印になる――兵士にとっての平時の思いであり、正常な住み分けというものだった。
そんな思いを知ってか知らずかアクネロは毒気もなく微笑した。兵達も引きつった笑みを返す。
「殿下、面白がってらっしゃいますね」
「おお、尉官殿……何を言うか。その、俺は心優しい気さくな領主として触れ合いを大事にしたいだけだ。なればこそ、同じ服を着、同じ物を食うのだ。人情味のある振る舞いだろう?」
憮然として愛想一つなく、エスニアルは答えた。
「そのようなことは誰も望んではおりません。人の立場というものは変わらぬものです。見せかけることはできますが、社会が定める身分の垣根は飛べません」
「ふむ……まあ、誰も本当に稽古をつけてくれなかったものでな。次からは一人寂しく飾りつけばかりが豪華絢爛な個室で食べるさ」
「師団長が一緒にお食べになるでしょう」
「嬉しくて涙が出そうではないか。喜びのあまり両膝を折り曲げ、両手を地面についてしまいそうだ」
「誰でも“上”に行きたいと考えるものですよ」
「しかし、あ奴は俺の口にスプーンを運ぼうとするのだ。子沢山でなければ兵卒にしているぞ」
硬い石を思わせるエスニアルの口がやや浮いた。強面ながらも僅かな変化であったが苦笑しているようだった。
その場面を想像して笑いがこみ上げてきたようだった。周囲で聞き耳を立てていた兵士も含み笑いをこぼしていた。
「――じゃないっ!」
緩んだ空気が切り裂かれる。
がしゃんっ、と食器が床にぶちまけられた音が響いた。
何事かと視線が集まる。給仕をしていた女のコックが怒髪天をつき、三角巾を掴んで目の前の兵士の胸倉を掴んでいるようだった。
短髪の燃え上がるような赤毛の女だった。吊り気味の目と耳元の横髪が両脇に一房ずつ、曲がった蔓草のように伸びているのが特徴的だ。
騒然とした空気の中、コックが身を乗り出し、尚も口上を続けている。
剣幕でまさに鬼の形相と言えた。
「貴様が当番だった! どうして私が変わってやらなければならないのだっ!」
アクネロは面白そうにその場に近づこうとしたが――ふとエスニアルがきつく目を閉じていることに気づいた。見るに耐えない、という風に沈黙を守っている。気持ちはわからないわけではないが腕組までして指をとんとんと叩いている。
奇妙に思えたがアクネロは歩みを止めず、何事かと近づきながらひらひらと手を振る。
「どうしたのかな?」
「何だ貴様っ! 引っ込んでいろっ! 新兵の分際で私に意見するつもりかっ!?」
周囲の内、誰かが「馬鹿っ」と短く呟いた。
誰もがおののいて閉口したせいか、しーんっと沈黙が場に落ちる。
アクネロは実年齢にして二十歳であって歳だけでみれば新兵と見紛ってもおかしくはない。
空気がおかしくなっていることを変に思ったコックは不思議そうに周りを見渡し、掴んでいた兵の胸倉から手を離し、アクネロを睨みつける。
「こいつは具合が悪いからという理由で調理当番をサボった。病気が食べ物に移ってはいけないからと。だが、この通りぴんぴんして訓練にも出てるなどおかしいだろう。女っていう理由だけで私に押し付けた。厨房に立てなどと差別的な発想だろう」
「待ってくれ。違う。せめて訓練だけはと」
「口ではなんとでも言える。私だって」
「まあまあまあ、落ち着こう。過ぎてしまったことは仕方がない。ひとまず、新兵の俺が配給作業を代わろうではないか。そのエプロンと帽子を貸してもらえるかな?」
「ふん。殊勝な心がけだ」
アクネロが勝手口から調理場に入ると、コックは乱暴な手つきでエプロンと三角巾を突き出してきた。
丁重に受け取って腰紐を結び、頭髪を隠す。水桶で手を洗い、パンッと両手を打ち鳴らした。
「よぉーし、頑張るぞ! さあ、兵士の皆さん、並んでくださいな」
この世の終わりのような顔をした兵士がアクネロの目の前で硬直していたが――当人はせっせとシチューとチキンの香草煮を盛り付け、笑顔を一緒に差し出した。
繰り返し。繰り返し。
★ ☆ ★
「わかっているな」
青白くなった唇が乾いてかさついている。手の平や脇の下にびっしょりと汗をかいていた。
胸に冷たいものが下りてきていて、呼吸を強く意識した。油断すれば過呼吸になってしまいかねない。
堅苦しい軍服のスカーフが息苦しいほど首に巻きついている。鎧戸がからからと風に吹かれて揺れている音が妙に気になった。夕立の雨がしとしとと降り注ごうとしていた。
ひっそりとした薄暗い部屋だった。
師団長室は王国国旗とノルマンダン地方国旗が立てかけられ、片隅には観葉植物があり、天井近くの壁には額縁に入った功績賞状で埋め尽くされている。
昼夜の狭間にある時間帯のせいか光源は壁の突き出し燭台と机の上の細工物のランプのみだ。
空気を重くするためにわざと火を点けないのではないかとレイシャットは勘ぐった。
師団長はこういう演出が好きなのだ。自分がどれだけ威厳があるか配下に示すのが一種の趣味となっている。
それがわかっていても、レイシャットは両手を後ろ腰に当てて直立不動の体勢のまま身動きできない。
机に座った師団長は暗い表情のまま重々しく口を開いては閉じ、苦いものを吐き出そうとするように続ける。
「知らなかった、では済まんのだ。ワシは心の臓が止まる思いだったぞ」
「はい」
自分はどうなるんだろうか――想像が及ぶ範囲では、貴族を傷つければ死罪となる。侮辱を与えた場合は強制労働刑となる。今回の場合は給仕を代わらせたのであって、どちらにも当てはまらないような気がするが、誰の目で見てもまずいことであることは確かだった。
指揮権と総括権を持つ主君である。王都にいる国王を除けば絶対なる者であることは間違いない。
師団長はめまいか頭痛でもこらえるかのように両目の間を摘んで揉み解した。
「やはり、解雇でしょうか」
「……で、済めば良いのだが」
師団長は羽ペンを握り締め、思わせぶりに目の前の始末書に何か書こうとしたが、散々迷った挙句にペンを放り投げるだけだった。
自分でも何かしらの処分を取らねばならないと考えているが、どの程度なのか推し量っているようだった。
相手が何か言ってくる前に先手を取って軽い処罰で済ませるのは罰の受け流し方としては悪くはない。
だが、どこまで背負えばいいか、そもそも背負う必要があるのか、退役後の貴族院選挙に打って出るときに悪影響は出ないものか――気を揉んでいる師団長の心の動きがレイシャットには簡単にわかった。
「私が直接、謝罪しに参ります。これでも国家に奉職していた者です。いかなる罰であれど私が受けるべきだと」
「う……む……」
師団長は目の前の人物がどこまで裁かれるかで自分の行き先も決めようとしている。
そう理解しているレイシャットであったが、元より迂闊であったのは自分であったので責められなかった。
しかしながら――擦り傷を負い、訓練着を身にまとい、列に並んでいる辺境伯などこの世にいないで欲しかった。
不幸に遭ったにせよ、納得にいく不幸ではない。いや、わけもわからぬところから訪れるのが不幸であるとするならば仕方なしとすべきか。
大本たる自分に仕事を押しつけた男を恨むべきではあったが、衆目が集まっている場で弾劾したことはレイシャットも少しばかり悔いていた。
どのような軟弱者であっても自らの非を糾弾されればプライドが傷つき、眠れぬ夜になるだろう。
そういったこともあって領主たるアクネロが見かねて口を出したことかもしれない、との憶測もある。
これは感情的になった結果、招いたことだ――分析が終わるとレイシャットは自省した。
師団長に一礼して退室すると扉の横で壁を背にしている礼装用の軍服の男――エスニアルが腕組しながら物言わずに一瞥してくる。
腰には真っ黒な鞘を差している。最大限の自己主張をしていた。
レイシャットは極力気にしないように歩き出そうとしたが、背中に声を浴びせられた。
「俺が代わりに行こう」
「貴方には関係ない」
「俺は貴様の上官だ。お前の不始末は俺の不始末でもある」
「それ以前に同期だ。その腰のもののおかげで出世したくせに」
「……俺の魔剣は任務を確実にこなすために使うもの。恥じることは一つもない」
「そう思ってればいい」
レイシャットは振り払うように小走りで出口へ向かった。
どうせこれを口実に更なる出世を望んでいるだけだ。うまくカタをつければさぞかし上役達の覚えもよくなるだろう。そういえば領主にもひっついて何かしら話していた。
何よりも、あの時、教えてくれればこんなことにならなかった――勝手ながらも恨めしい。助けてくれなかったことが悲しい。野心家の踏み台にされるのが悔しい。
ことごとく、力を見せる機会を奪われ、最後には突き落とされたのかもしれない。
目が潤む。腹の底から押し上げてきた感情が爆発しそうだったが、責務を全て放り出せるほどレイシャットは自棄になれなかった。




