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酔狂領主様の怪奇譚  作者: 七色春日
間章 涙をあさる魔剣
10/31

-5-

 ベッドで横になっていると、不意に鼻にツンとくる臭気を吸い込んだ。


 骨身が凍てつくような朝の寒さが消えている。窓口から差し込んできた陽光に照らされていて暖かった――瞼の裏がやたらと明るい。


 ぱら、と炭化した乾いた草の切れ端が鼻面に当たる。


「ん……」


 コリンナはぼんやりしながら目を開いた。


 寝汗が酷い。衣服を着たまま眠り込んだせいで脱力感が強く、覚醒するまでに時間がかかった。


 そうして気付く――天井が赤と黒と黄に分けられている。


 どうやら、わら(ぶき)屋根に火がついて燃えているようだ。


 パチパチと爆音が奏でられ、火の手は勢いを増して梁材(はりざい)までも舐め尽くそうとしていた。へたって穴が開いて天空が覗けている箇所もある。陽光に照らされていたのではなく、炎にあぶられていたのだ。


 煤煙(ばいえん)によって空気に白いもやが充満し、視界が悪い。


 喉がいがらっぽく、むせて咳き込んだ。


「ごほっ……」


 思考はまだ冷静だった。危機感はあるが落ち着いている。精神が落ち着いたふりをしているのかもしれないが、動くことはできる。


 上半身を起こし、周囲を見回した。木壁までは燃えていない。部屋が狭いためすぐそこに出入り口はある。


 二回ほどジャンプでもしたら簡単に外には出れる。


 外が燃え盛っていたらアウトだが、その場合は裏に回って川を目指せばいい。


「荷物、持ってかないと」


 収納棚から全財産である麻袋を取り出す――現金では銀貨が二枚と銅貨が十枚。重要なのは銀行の割符(わりふ)や預金証明書など。


 できれば衣服や家具も背負って持っていきたいがそう時間がない。何よりも呼吸がしにくく、苦しい。


 失業した上に家まで燃えるのか――コリンナは腕の裾で目頭をぬぐった。不幸というものはどこまで重なれば気が済むのか。


 壁にかけた魔剣『涙刀』が目に入った。いや、今は霊剣『イェルサム』か


「いらないか……」


 背を向けて玄関扉に手をかけた。振り返る。『イェルサム』は何もいわない。


 これのせいで人様の大切なものを壊し、失業させられた。


 だが、あれのおかげでずっと生活できていた。


 感謝の念を思い出した。コリンナは足を戻すことにした。中腰になって布包みに手を伸ばした。


 ――その瞬間。


「えっ?」


 がらら、と梁材が崩壊した。


 太い柱がコリンナの背中に落ちてきて、強制的に押し倒す。


 落ちてきたのは炎のせいもあったが元凶としては家屋自体が安っぽく、設計が雑だったせいもある。


 組み木の配分はばらばらで、木材も粗悪品であったため水分が侵入し腐りかけ、釘での固定具合も最低だった。


「えええ?」


 突然の不幸に驚き、コリンナは身じろぎした。身動きが取れなかった。


 背中が圧迫されてうまく呼吸ができない。手足を踏ん張ろうとしても力が入らない。


 散らばってしまった貨幣を集めようと手が伸ばされた。そんな場合じゃないのに。


 ――嘘。


 これで私、終わり?


 燃え盛る炎の音が激しくなっている。人の悲鳴が他人事のように聞こえた。すぐに外に出れるはずだったのに。


 どうして。 











 ☆ ★ ☆






 視界に飛び込んできた燃える建物はコリンナの住居――胸騒ぎが的中してしまった。


 駆け付けた市の消防隊は近場の用水路を往復し、汲んできた水桶をひっくり返していた。ろくに自分では歩けなかっただろう老婆が担がれて運ばれていく。離れた路地では避難した者が白いシーツに座っていた。


 垂れ流された油樽に引火しているせいで消火はなしのつぶてだ。


 窓から炎が吹き上げられ、コリンナの長屋は火だるまになってしまっている。火の粉が舞いあがり、巨大な炎の塊となって熱波を発散してとても近寄りがたい。


 ――中に居るのならば、もう助かってはいまい。


「……まさか、な」


 顔に黒炭をくっつけた消防隊は仕方なく、近辺の建物を崩す作業に入っていた。


 あまりにも家屋が密集しすぎているせいで防火も難しく、木槌で壁を取り壊して廃材を外へと運んでいた。


 野次馬を退けてアクネロは長屋の前に来ると『火食い鳥』を鞘から引き抜いた。


 錆びだらけの刀身を見つめる。これが最後になるかもしれない。惜しくないといえば嘘になる。いまこそが最後の活躍の場でもある。


「さらば! 我が魔剣『火食い鳥』よ」


 振りかぶり――投擲した。


 ひゅんっと壁に突き刺さる。そこからが始まりだった。操られたかのように炎が吸い込まれていく。空間がうねり、層として歪んで風道ができる。赤い川が流れるように気流が一か所に集結していく。


 群衆が目を見張って歓声をあげた。


「おおっ」


「な!」


「すげえっ!」


 燃焼という現象そのものを吸引する超魔術の魔剣は途中で力尽き、砕け散った。


 超魔術の奇跡が終焉を迎え、あるべき自然現象へと回帰した。


 一説では物質や大気の酸素を吸い込んでいるとされるが――その驚異の性能のせいで呼吸困難になり昏倒する人間が後を絶たず、古代文明においても早急に使用不能になったいわくがある魔剣だった。


 物事において過剰なほど劇的な効果を発揮するものは常に問題があり、副作用が存在するものだ。


 ゆえに『火食い鳥』は正真正銘、魔剣にカテゴライズされていた。


「俺も手伝うか」


 火の勢いは弱まりってくすぶるのみになったが、アクネロは用水路に向かうと、バケツリレーに参加した。












「お前は下がっていろ」


「いえ、私も……」


 ミスリルは引き下がらなかった。


 ついてきて欲しくなかったが、強情にも追いすがってくる。


 避難した者たちの中ではコリンナの姿は見えなかった。すなわち、無残な亡骸を見せることにもなりかねない。


 杞憂であればいい――そうでないのなら、そうでないのなら。


 勇気を搾り出し、アクネロは半壊した部屋の焼け跡に足を踏み入れると漆黒に染まった建材が転がる周囲を見回した。


 材木の燃えかすが幾重にも重なり、地面は(すす)で汚れて黒ずんでしまっている。


 黒焦げになったクローゼットを踏み越えれば、視界に異常な点が入った。


「むっ」


「み、見つけましたか?」


 白い球体がベッド付近にあった。まるで(かいこ)のさなぎのようになっている。あまりにも場にそぐわない代物だ。


 恐る恐る近づき、そっと手で触れるとざらりとした感触。指ついた粉っぽい粒をぺろりと舐めてみると、塩辛い。


「まさか」


 かき分けると、黒革の衣服が出てきた。


 更にめくると腕らしきところがあった。手を伸ばして掴み取り、引っ張り出す。


 どさどさ、と塩が落ちてコリンナの顔が出てくる。背中を抱えて支える。


 目を閉じているが血色はそう悪くない。呼吸もしている。怪我らしきところを探したが、それもない。


「こ、コリンナさん!」


「おい、大丈夫か?」


 意識があったのかコリンナは目を小さく開いた。悶えながらうめく。


「う、ううう……ピザになった気分でした」


「塩が断熱材代わりになったのか。まったく信じられんな。蒸されたくせにどうして生きてるんだ?」


「どうしてといわれましても……私のような雑草は踏まれても踏まれても、生きてるものですから」


「いや、物理的になんだが……呼吸もよくできたな」


「根が貧乏なので……空気も少しずつ使ったんだと」


 わけのわからないことを口走るコリンナの足元には柄だけがあった。刀身は消失し、ひしゃげて溶解してしまっている。


 そっちに興味がいったアクネロはコリンナを息を切らして駆けつけてきたザインにぽいっと渡した。


「おっと」


「あわっ、館長」


「うむ。大事なさそうでよかったな。ブラドヒート様に感謝するように。大事な宝物まで使ってお前を救ったのだぞ」


「え、そ、そうなんですか……こ、こんな私のために……?」


 コリンナはアクネロの背中を熱情のこもった視線を送ったがアクネロはそれどころではなく、寂しくなった柄を労わるように両手で持っていた。


『イェルサム』よ――お前も『火食い鳥』と共に最期まで主人に尽くしたのか。


 魔剣たちの献身的な自己犠牲にアクネロは涙ぐんだ。


 どうにもこうにも、涙が止まらなかった。


 これだから考古学者は止められない。このように美しい品物がこの世界にはまだまだ眠っている。一刻も早く探し出して保護してやらなければいけない気になる。


 価値を知り、意味を理解し、遣い方を考える者が真なる所有主となるはずとの固い信念があった。


「アクネロ様、そんなにコリンナちゃんを心配してたんですね」


 勘違いし、もらい泣きしたミスリルはハンカチを片手に目下をぬぐった。


 他の二人も慈悲深さに感動していたが、アクネロは青空を仰いでまだ見ぬ愛しい遺産たちへの想いを募らせていた。











 ☆ ★ ☆







「本当に良かったのですか? 可愛らしいコリンナちゃんをメイドにしなくて」


「勝負に勝っただけで俺は満足だ。それに」


 道行く馬車の荷台に寝っ転がり。


 二本の柄をもてあそびつつ、アクネロは続けた。


「命の恩人というのはちと反則技が過ぎる。そんなことで女を手に入れたとしても、面白味がない」


「機会を逃すのはお上手とはいえませんよ」


「そうだな。だが、たまには三枚目になるのもいいものだ」


 コリンナをメイドにしたとしても、本当にメイド仕事がしたいわけでもないだろう。


 好きなことに携われる機会が残っているのなら、そうしてやるべきだとの判断だった。


 どう転ぶかわからないが今はそれがいい。


 我が子のように思える美術品を預けているザインもまたやはり慈悲深く道理を弁えた男だとわかった。


 そのことだけでも収穫であり、よい確認作業だった。


「アクネロ様はいつでも二枚目ですよ。少なくとも、私にとっては」


「クワァーッ」


「ほら、この子もそうだといってます」


 ミスリルの肩に乗った黒鳥が鳴く。意味はわかっていないだろう。真逆の方向を見ていた。


「雄鳥にそういわれてもな……むっ」


『黒衣の大森林』を抜ける曲がりくねった森道の路上。


 両脇に緑がひしめく涼やかな道に立ち塞がる影がぽつんと一つ。


 三本足の黒鳥が佇み、存在感を放っている。


 何もかもが終わったと思っていたが、結末をすくい取りに来た幻獣からは感情の色は見えない。


「クワァーッ」


「クロちゃん」 


 本能を訴えるものあったのか、身を固くしていたミスリルは肩に乗せたクロが飛び立とうしたところで、慌てて制止した。腕の中に持ってきて抱きしめる。


 アクネロは馬車からひらりと降りて対峙した。


「……我が領域だぞ」


「もういいだろう。役目を果たせ」


 人語を操った幻獣はアクネロを見向きもしなかった。


 まったく意に介しておらず、黒鳥同士だけが視線を絡ませている。


 剣呑な雰囲気を恐れたミスリルが一瞬だけ手を緩ませたその隙にクロは離れた。


「あ」


 羽ばたいた。


 優雅とはいえず、力なく中空を飛行する。


 空を駆ける姿は長引くことはなかった。森から現れたカラスが一羽、ほぼ直線的な動きでクロに突進し、その翼を傷つけた。


 どこからかまた一羽、現れて攻撃する。


 どこからかまた一羽、現れて攻撃する。


 めっぽうに打たれ、墜落した。落ちた先に無数のカラスが集結した。それは黒い塊となった。


 けたたましい羽音と鳴き声が響く。


 鈍く光る(くちばし)がクロの羽毛を掴んだ。肉をついばんだ。骨を噛み捨てた。血が飛び散って内臓が引き出される。


 どの黒鳥もためらいはなく、我先にと仕留めた獲物を食いあさる。


 食い尽くすまでは時間にして数分だった。


 最期は骨一つも残されていなかった。惨劇を彩る血痕だけが砂土に残っている。


 群れを統率していた幻獣が最期を確認すると頭を振り、飛び立った。


 遠い赤銅の空に溶け込んでいく。西の夕焼けを目指しているようだった。山間に吸い込まれて消えてしまった。


 茫然としていたミスリルは崩れ落ちるように両膝をついた。今しがた起こったことを疑っている目だった。


 両手をつき、ざらついた砂利の感触を確かめると理解がきてしまった。


「あぁ……どうして」


「共食いだ……群れの維持のために弱った仲間を食糧とすることもある……彼は役目を果たした。それだけなのだ」


 ふっ、と思い至る。


 霊剣『イェルサム』はもしや――こうした性質があったのではないか。


 滅びゆくものを集団から弾き出す性質があったのではないか。


 全ての使用者を護るために同族を殺す魔剣『涙刀』となったのではないか。


 ミスリルはあふれ出た熱い涙をぬぐいもしなかった。嘆き、感情のまま訴える。


「私は、私は……悲しいですアクネロ様。こんなのはあんまりではないですか」


「ミスリル。彼は終わったのだ。何もかもが終わるものだ。俺の魔剣もそうだった。いずれは俺自身もお前もそうだ」


「あまりにも残酷です」


「いや……幸せなことだ。長く苦しい旅路を終えることができたのだから。生まれることと同じく幸せなのことではないか」


「私にはまだわかりません。わかりたくないのかもしれません」


「だから、拾うことを止められたのかもしれない」


「拾ったことを後悔などしてません。この手を離してしまったことだけが後悔なのです」












間章

『涙をあさる魔剣』

終了

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