第七章「それぞれの絆」
第七章「それぞれの絆」
執務室に戻った後は、とにかく書類と格闘するつもりでいたが、端末を立ち上げると、先ほど打合せに参加していた眼鏡の空軍大将から極秘回線で連絡するように。とメールが入っていた。
背筋が凍るような寒気に襲われ、眠気が吹き飛んだ。
「うっ、さっきの居眠り中に来てたか」
気が進まないが、連絡するしかない。
部屋に設置してある通信機を極秘回線専用モードに設定する。
機械音の案内が流れ、指示された通りに行動する。
指紋確認……OK。網膜チェック……OK。声帯認証……OK。
「キーナ空軍基地、坂本龍大佐と認識。どちらにお繋げしましょう?」
「空軍総司令部、宮野茂空軍大将につないでくれ」
30秒間の呼び出し音後、空軍大将が通信に出た。
「遅かったじゃないか坂本。喋り方はいつもの気楽なやつで良いぞ。で、遅くなった理由だが君のことだ。また居眠りでもしていたのではないか?」
バレていた。何を隠そう、この人がマップス特殊部隊を編成した男で、私の直属の上官だった人だ。パイロット時代の時もサボリを色々と見抜かれていた。
「相変わらず、エスパーのような方ですね。私に監視カメラでもつけているのですか? ……正解です」
滅茶苦茶笑われた。
「おい、どうしてくれる? 笑い過ぎて腹が痛いぞ。ハハハハ」
どうやってこれを止めようか……。
「そこまで面白いこと言いましたか?」
「そりゃぁ、まぁな。さっきの会議のクソ真面目な態度を見て、立派に成長したと思ったら、大して中身は変わってないようだな。疲れたら即居眠りしていた癖もそのままか。書類の山の中でよく眠ってないか? さっきの会議ガチガチに緊張してちびらなかったか?」
「少なくとも今まで漏らしたことは無いですよ! それに書類の中で居眠りもここ数年してないです。宮野大将こそ、会議の時だけは真面目なんですね」
精一杯の皮肉を返す。そう、この人は会議とか公式の場では真面目振るのだが、根本的に破天荒な人なのだ。
ほとんど新兵しか乗っていない実験兵器のマップスを戦場に出したり、私を大佐に推薦したのも彼だ。
「おう、我が輩はいつでも真面目だぜ? お前もあのメンツの中で緊張しないくらいに早く成長して欲しいもんだ。ひよっこ大佐君」
それも見抜いていたのか、段々頭が痛くなってきた。早く本題に入ってもらわなければからかい続けられそうだ。
「で、今回は私をからかうためにわざわざ極秘回線を使えと指示したんですか?」
「久しぶりの二人きりの通信なのにつれないねぇ……まぁ良い。本題に入るか」
最後で宮野大将の声音が変わった。どうやら本気モードのようだ。
「坂本。お前今回の警備体制についてどう思う?」
先程の会議で決定したばかりなのにどうしたと言うのだろう?
「どう思うと言われても、両首脳を狙うテロリストに対しては有効な布陣かと」
「そうだ。恐らく両首脳を狙った攻撃にはこれで良い。ただ、目的が他の物にあったらどうなる?」
どういうことだ? 彼には一体何が見えている? ただ、すぐには思いつかなかったので諦めて聞くことにした。
「どういうことでしょうか?」
「いや、例えばだ。我が輩がテロリストではなく、レトリアの軍人や過激派の政治家だったら会議のタイミングに首都を襲う際、首脳を襲うのは陽動にすると思ったのさ」
首脳襲撃が陽動? そう仮定すると、何か別の目的があることになってしまう。
「となると、別に本命があると言うことですよね? でも一体何が?」
「多分我が輩よりも君の方が詳しい物だよ」
私が宮野大将よりも詳しい物……
「なるほど。菱田重工のマップス関連ですね。それも噂の第三世代がですか?」
「そうだ。敵はヤポネの同盟国が持つ第二世代型マップス強奪作戦を実施してでもマップスを手に入れた。となると、さらに発展した第三世代型はどうやって手に入れる?」
あの時は確か、秘匿されていた各種パーツを生産する工場と、パーツを集めて機体を完成させる組み立て工場、そして更に基地に至るまでの全ルートが漏れていて、組み立てが完了した機体の搬出中に強奪された。と聞いている。
「なるほど。首都に警察や軍の注意を最大まで引き付けられるイベントが首脳襲撃。ということですね。で、その間に首都にある菱田重工の本社と工業地区にある工場で、第三世代型のろ獲、もしくはデータの収集を行うと?」
「そんなところだ。勘の良さはさすがだな。我が輩が鍛えただけはある」
素晴らしい自画自賛っぷりだが、ある意味誘導尋問的にこの答えを導き出したので、否定はせずに皮肉だけ返しておこう。
「その最後の一言は本来私が言うべきことなのでは?」
「なに、君の心境を代弁したまでだ。で、勘の良い君はここでどうするのだ?」
あっさりかわされた。しかもカウンターのおまけつきで。
恐らくこの口振りだと既に答えは持っているのだろう。
こちらが試されている。
「そうですね……まずは菱田重工の方に警戒するよう連絡を入れる。そして、PMCを雇ってもらうよう進言する。次に元特殊部隊にいた松平に、いつでもマップスで出撃出来るように武装とメンテナンスをするように伝える。といったところですかね?」
基本的な模範解答だろう。PMCも使えばある程度の時間稼ぎは出来るはず。
「まぁ60点の及第点だな。普通に考えればその案なのだが、その案だと襲撃があった時は大きな被害を受ける。日曜とはいえ出勤者がいるはずだ。最悪の場合、貴重な技術者から死者が出かねん。戦闘が起きてもPMC含めて民間人から一切の犠牲者が出ない方法を考えろ」
襲撃の際に機体やデータが強奪されず、技術者を始めとする民間人も現場にいなくてよく、敵を撃退する方法か。
頭をフル回転させて、策を考える。すぐ答えが出せず沈黙が10秒ほど間続いてから、宮野大将が口を開いた。
「確認するぞ? 敵の目的は機体とデータの強奪。ついでに技術者を拉致する可能性もあるな? ということはだ。建物を破壊することはまずしない。泥棒が金銀財宝の入った木製の宝箱を、持っている爆弾使ってあける事はないだろ? 空っぽだと分かれば、八つ当たりでぶっ壊す気にもなるかもしれんがな」
宮野大将が軽く笑っている。どうやら自分の例えがうまく言えたことに対して御満悦のようだ。
ただ、おかげで私も何が言いたいか分かった。
「なるほど。会議前に中身を引っ越せ。ってことですか」
「ほほぉ? それで?」
すごく楽しそうに相槌をうってきた。
まったくこの人は本当に良い性格をしている。
「試験用の第三世代型は、来月の資源会議前までにこちらの基地に一機送られてきます。そのタイミングで第三世代型に関する部品とデータをキーナ空軍基地に全て移動させて、首都の方は空にさせます。これなら出勤する人間もいないでしょう」
昔読んだ本にこんな作戦があったな。確か名前は空城の計。それは確か、敵が攻めてきているのに、あえて部隊を展開しないまま城門をあけて、何事も無かったかのように振る舞い、罠があると思わせる計略だ。今回はその名の通り中身が空っぽになっているのだが。
「良いねぇ。素晴らしい案だ。ただ、宝箱も吹っ飛ばされちゃ困るんだよねぇ?」
言いたいことは分かる。設備だって貴重な物だ。破壊されて良いことなど一つもない。もちろん対処方法は考えてある。
「宮野さん。ミミックってご存知ですか?」
言いたいことはきっと伝わっているのだろう。
相づちを打つ声音は相変わらず楽しそうだ。
「真似する。とか擬態。とかその辺の言葉だな。で、それがどうした?」
分かっている癖になぁ……。それがどうしたの? 声が踊っているじゃないか。顔が見られたら確実にニヤニヤしてるぞ。
「昔やったゲームの話ですが、宝箱があって喜んで開けようとすると、実はかなり強いモンスターで、下手をするとゲームオーバーになるようなトラップがあるんですよ。今回はそれを真似します」
「ほぉ? それをどのように真似る?」
さて、ここからは割と無茶な要求だ。心してかかろう。
一つ深呼吸をして気持ちを落ち着ける。
「菱田重工の地上倉庫に、第二世代型マップスに第三世代型の装甲を貼り付けたのと、完全に装甲だけのハリボテを設置します。それも敵から見えやすいように。敵がマップスや車両で襲撃をしかけるなら、偽装マップスで対処出来ます。そして、本社の方は、データ採集のために歩兵が投入されることが想定されるので、施設内に社員の格好をした陸軍部隊に待機してもらい、歩兵を迎撃するのはいかがてしょう?」
拍手の音が聞こえる。どうやら正解のようだ。
「フフ、これはヒント無しでいけたか。まっ、これが何だかんだで普通に警備するより、被害が少なくて済む方法だろ? で、誰が菱田重工と陸軍に今の話を頼むんだ?」
ハハッ、やっぱりそれが一番の問題ですよね?
ただ、ここまでこちらを誘導してきたということならば。
「もちろん、宮野さんですよ?」
通信越しなので、相手には伝わらないだろうが満面の笑みで伝える。
「良い笑顔だねぇ。まっ、愛弟子がここまで頑張ったんだ。ご褒美で菱田重工への通達と陸軍への応援要請は我が輩の方からやっておこう」
って通信越しだから分からないはずなんだが、どうして分かったんだ?
ま……まぁ良いか。それにしても連絡を空軍大将である宮野さんが担当してくれて良かった。組織がでかいだけあって、トップの声が物事を早く進める上で大事なのだ。私がやったら時間がかかりすぎる。
「助かります。というか本当にこっちの様子は見えていませんよね?」
通信越しで吹き出した音が聞こえた。どうやらまた大笑いされている。
「2年前の答えを教えようか。坂本、お前ちょっとカマかけにひっかかりやすいぞ」
いや、あなたが相手じゃなきゃ……ってこれは言い訳か。どうにも苦手意識というか高い壁を感じるというか。自分の師匠に対してはこんなもんだろう? いつか超えられるよう精進しよう。
というかまさか昔からこうやってカマかけされてただけ?
いや、今はそんなことは置いておいて、今できる最大限の反撃を繰り出そう。
「宮野さんもさっき私の話を聞いている最中、ずっとニヤニヤしてましたよね?」
「フフ、何のことかな? 我が輩は愛弟子の提言を孫の作文を聞いてやっている時と同じくらい真剣に聞いていたぞ?」
どんな例えだ……ただ、声の方は浮かれている様子だ。
「それはニヤニヤどころじゃ済まないですね。というか相変わらず例えが分かりづらいですよ……。でも、楽しんでいらっしゃるようで何よりです。楽しみ方は少し変わっていると思いますけどね」
「何、君もうちの孫と大して変わらないからな? そんな変な例えでもないさ。それに君をからかうのは頭を使ってなかなか面白いのだよ。張り合いがあって、とても良い」
思いっきりため息をつきたいところだが、ぐっとこらえる。
「やれやれ、こんなのと一緒にされたらお孫さん泣きますよ?」
どっちかっていうと泣きたいのはこっちの方なんだが、こんな冗談を受け入れたらこっちの負けだ。
「大丈夫さ。我が輩の自慢の孫だからな」
宮野さんは言いたい放題言った後、大きく咳払いをして、
「話がそれたが、話したいことは既に全て話した。また何かあったら連絡しろ。内容にもよるが何とかしてやる」
どんなにおちゃらけていても最後にビシッと決めるから憎めない。
これがこの人がここまでの地位に上がった理由の一つなのかもしれない。
「了解です。その際はよろしくお願いします」
「おう! んじゃ通信終了だ。またな」
「失礼します」
向こうの音が完全に聞こえなくなった。どうやら通信が切れたようだ。
師匠との問答が終わり、緊張がとけたからか、また少し眠たくなってきたので、リフレッシュルームに行ってコーヒーを飲みながら談笑でもして眠気を払おうと決意し、部屋を出た。
リフレッシュルームにつくと休憩中のガンドック一同に遭遇した。
敬礼から軽く挨拶をする。
「ガンドックじゃないか。休憩中か?」
こちらに3人が振り返って敬礼を返してから、ガンドック1の犬塚剣が状況の説明をする。
「はっ、今朝の訓練レポートを書き終えて、シミュレーターで戦闘訓練を行った後の休憩であります」
「で、向こうで何か二人が騒いでいたようだが、何をしてるんだ?」
ガンドック3の小山静が少しめんどくさそうな顔をしている。
「何というか、いつもの先輩と高田です」
あぁ、なるほど。いつものね。妙に納得する。
そう、いつも通り、離れた場所でガンドック2の吉川理恵とガンドック4の高井則良が互いに腕を組みながら言い争いをしている。
喧嘩するほど仲が良いとは言うが、ここまでになると漫画とか小説では何か裏がある勢いだな。こう実は好きなんだけど素直になれないといった類いの……いや、どうだろう。
とりあえず、それを置いておいて、普段の疑問をぶつけてみる。
「何というか、お前等は仲が良いのか悪いのかわからんな。戦闘中のチームワークは目を見張る物があるんだが」
そんな私の疑問に、ガンドック5の石山慎治が応えてくれた。
「隊長がまとめあげてくれるおかげです。ただ、あぁ見えて彼らは仲が良いのですよ。今のも姉弟がじゃれあっているようなものです。たまに見ていて羨ましくなることもあります」
そんなもんなのか。今度ちょっと互いの気持ちを確かめてみたいなと思っていたら。横から殺気のようなものを感じた。
殺気の方に視線を変えると、いつも大体半目の小山だが、その半眼に何か激情がこもった視線で石山を睨みつけるようにを見ていた。
ただ、その視線に気付いた石山の方は、極めて冷静な顔をして小山を見つめ返している。
彼ポーカー強そうだな。おっと、思考が変なところに飛んだ。
さすがに睨まれ続けられているのを疑問に思ったのか石山が口を動かした。
ただ発せられたのは言葉の爆弾だ。
「どうした? そんな怖い顔をして。皆、君の表情や声に可愛げが無いと言うが、そんな表情ではかわいい顔が台無しだ」
そんなことを言いながら小山の頭に手をおいて、優しくなで始める。
「え……えっと、ちょ……ちょっとお手洗いにいってきますっ!」
小山は俯いて顔を見せないように部屋を走って出て行ったが、声は上擦っていたし、顔が随分と赤かったな。
……いや、何だこの状況は?
「あー、石山准尉? 今のは何だ?」
私の質問に対して不思議そうな顔をしてこちらを見ている。
「いや、特に何でもないのですが、強いて言うなら客観的事実を述べただけです。それに彼女は頭を撫でると機嫌が良くなる傾向があるので。つい」
つい。じゃない。彼は天然たらしなのだろうか?
犬塚にアイコンタクトをとって、こいつらはいつもこんなんなのか? と確認する。
私の意図を察したのか察してないのかは分からないが、両肩を軽くすくめて、困ったような苦笑いを浮かべている。
仕方ない。今後のことを含めて話が出来たので、耳打ちのために手招きをした。
「まぁ、部隊内のメンバーが引かれ合うのは仕方ないんだが、色々と大変だぞ?」
「分かってはいるんですが、これでまとまっていますし。下手に禁止して目の届かないところで問題起こされても困るので、多目に見てください」
思わずため息を吐いた。これが妻帯者の余裕というやつかな?
肩に手をおきながらとりあえず適当な応援の声をかけておく。
「まぁ、何だ。苦労しそうだな」
「苦労というよりも、もどかしい感じが続くだけですけどね」
「それだけで、済むと良いな。上手く立ち回れよ」
冗談じゃなく、もどかしさだけで済むなら良い。下手にこじれないように頑張って貰おう。
石山が何の話か分からないようで、首を捻ってこっちを見ている。
「まぁ、何だ。君もあまり人を刺激しすぎないことだな」
「はぁ、了解しました」
腑に落ちないような困り顔で、気の抜けた返事をされた。
ガンドック小隊の人間関係が私の中で更新された。もどかしくも微笑ましい話が終わっても、ガンドック2とガンドック4の言い争いは未だに続いていた。
「で、そろそろ言い合っているあの2人は止めないのか?」
犬塚の代わりに石山が答えた。
「そろそろ終わる頃かと。二人揃ってシミュレータールームに行くんじゃないでしょうか」
マップスの訓練や模擬戦が出来るシミュレータールームに?
さっきまでそこにいたとは言っていたがどういうことだろう。
「模擬戦後シミュレータールームで訓練をしていたのですが、撃墜数の勝負を始めだしたのです。現在の結果は引き分けなんですよ。決着をつけてやる! と息巻いていたのですが、一旦落ち着けさせるために隊長が休憩に無理矢理引き摺り出したんです。それで、そろそろ提示した勝負を再開する時間になるのですよ」
あー、それでか。普通の喧嘩とは違ってマップス関連の言葉が出ているのは。
「ただいま。何だ、まだやってるんだ」
大分落ち着いたのか小山が戻ってきた。赤かった顔色は元に戻ってはいるが、声音はいつもよりほんの少し柔らかかったし、微妙に口が緩んでいる。
なるほど、確かに機嫌が良さそうだ。ただ、君が惚れた相手はどうやら恋愛という戦いおいては、戦場の時ほど勘が良くないようだよ。
「何かボクに憐れみの目が向けられている気がするのですが、気のせいですよね大佐? 何か一時期、隊長が見せたような目です」
ちらっと犬塚を見るとそっぽを向かれた。
なるほど、全く同じことを考えて表情に出してしまった時期があるみたいだ。
それにしても小山は意外と勘が良いな。何とかごまかせるか?
「気のせいだ。君も周りに振り回されて大変そうだと思っただけだよ」
先ほどの目が高井と吉川の言い合いが原因だと勘違いしてくれたようで、あぁ。といって納得してくれた。嘘でごまかす時には真実を混ぜると効果的だ。
しかしこの先、あの二人より君をもっと振り回す奴が目の前にいるのだが、分かっているのだろうか?
そして、チームの予想通り、大いに白熱した2人は時間だからシミュレーションルームに行くと宣言し、リフレッシュルームを出て行った。
「で、君達も行くのかね?」
「放っておいたら、いつまででも続くので」
犬塚が良い笑顔で返してくれた。どうやら今のチームが本当に好きらしい。完全に部下たちをまとめられている訳では無いけれど、良い隊長だ。
彼ならこの複雑な人間関係も何とか出来るだろう。応援の言葉とともに送り出そう。
「行ってこい。がんばれよ隊長」
「イエッサー」
3人は敬礼をして部屋を出て行った。
さて、どっちが勝つのかな? 今度結果でも教えてもらおう。
今のお喋りが丁度良い息抜きになったようで眠気もなくなった。
執務室に戻って、気合いを入れ直してデスクワークにあたる。
何とか本日の分の書類仕事を片付けて、模擬戦のデータを松平に送信する。
訓練や模擬戦のデータから新しいアイデアが沸くそうで、わざわざ国と菱田重工間で特別協定を結んで、データのやりとりが行われているのだ。
これも立派な仕事の一つである。
仕事が終わり、時計を見ると18時を過ぎていた。
お腹も空いてきたので私は執務室を出て食堂に向かっていた。
すると、また廊下で田口軍曹に遭遇した。が、行ったり来たりしてその場をうろうろしている。何か様子がおかしい。
「田口軍曹、どうした?」
びくっと肩が震えてこちらに振り向いた。いつも以上に反応が大きかったが、何よりもいつもと違ったのは背中に何かを隠すような動きをしたことだ。
しかもそれなりに大きな物らしく手は後ろに回したままだ。
「何を隠している?」
額に汗が滲んでいるのが目に見えるほど焦っている。
宮野大将の真似でカマをかけてみるか。
「恋をした女性へのプレゼントかな?」
田口軍曹の顔色が一瞬で紅潮すると、一転して青ざめた。忙しいやつだな。
分かりやすすぎて思わずくすっと笑ってしまう。
「大佐殿はエスパーですか?」
私が宮野大将にした反応と全く同じだったので、吹き出してしまった。
「確かに私のガラでは無いですが、そこまで笑わなくとも……」
かなり落ち込んでいるようだ。がっくりと身体全体でうなだれてしまった。
しまったな。今の笑いで誤解を与えてしまった。早くこの勘違いを払拭せねば。宮野大将とのカマかけについてのやりとりを簡単に説明する。
「なるほど。そんなことがあったのですか。さすが空軍大将殿ですね」
どうやら誤解はとけたらしい。
ただ残念ながら、どうやら宮野大将の悪戯好きが私にも受け継がれているようだ。ちらっと見えた手紙に相手の名前がかいてあったのだ。それを見てまた悪戯心がくすぐられてしまった。
「相手はそうだな。食堂のおばちゃんの一人娘で名前は佳奈だったか。夜の食堂にバイトで入ってきている子だよな? 絶世の美女とは言えないが、綺麗な長い黒髪で、清楚な印象がある真面目な良い子だ。あの垢抜けて無い感じに惚れ込んだのか?」
また軍曹の顔が赤くなった。反応がとても早くてわかりやすい。
「なぜ分かったのですか? 今のもカマかけというやつですか?」
思わずひるんでしまうほど声が大きかった。少し静かにと伝えるとシュンとしてしまったので、ネタばらしをする。
「いや、今のは違う。その手紙の宛名が見えたのでな。というか、プレゼントに花束と手紙とは。いや、メッセージカードというのかな。なかなか良い趣味をしているではないか」
田口軍曹がクワッと顔をこちらに向けて、大きく目を見開いてこちらをジッと見つめてくる。困った……正直顔が近い。しかも体格が良いのですごい迫力だ。
「あー……素敵な贈り物だと思うぞ? 君のような者が贈るというのもギャップがあって良いと思う」
軍曹がこちらの手をとって握ってきた。ゴツゴツした男らしい手だ。指の皮は堅く、マメのようなタコが何個か出来ている。数年に渡る訓練の積み重ねの結果だろうか。何故か私は手の分析をしている。その理由は、この光景が周りから見ると相当不思議な光景に見えてしまうと思ったからだろう。
体格の大きな男性がバラの花束を持ちながら、普通の体格をしている男性の手を取っていて、その両者の距離がとても近い。見られたら何か酷い勘違いされそうだ。
「ほ……本当にそう思われますか?! 花束とメッセージカードで喜ばれますか?!」
とても興奮した声だ。緊張のあまり声が震えているし、とても大きくなっている。どうやって彼を落ちつかせよう。何か近い話題をふって気を散らしてみるか。
「ところでだ軍曹。どうしてまたプレゼントを?」
私の疑問で手を離して、身体の距離もあけてくれた。どうやら周りの誤解を受ける危険からは助かったようだ。
「実は、今日が誕生日だと聞いているのでお祝いを。と思いまして」
なるほど。意外とがんばっているじゃないか軍曹。しかし、この緊張ぶりでちゃんと渡せるのか?
「なるほど。それはまた素晴らしい話だ。君の恋が成就することを祈っているよ」
何とかその場から逃げだそうとするが、軍曹に呼び止められる。
「大佐殿、折り入って頼みがあります」
何かいやな予感がするなぁ……。
「プレゼントを渡すときに、その……人払いをして欲しいのですが……」
消え入りそうな声で頼んできた。予想は出来ていたが、意外とこういうところでは気が弱いようだ。鬼軍曹の意外な一面を見た気がする。
軍曹には日頃新人の教育で世話になっているので、協力は喜んで乗ってあげるとしよう。今日の模擬戦で正規パイロットに勝てるような新人を育成してくれたボーナスだ。
「人払いか。どうせならそうだな。彼女を呼び出して、二人きりにさせようか?」
軍曹に彼女と二人きりになれるチャンスを作る提案をする。
「大佐殿……あなたが私達の上官で本当に、本当に良かった! 私はなんと幸せな男なのでしょうか!」
……あのぉ田口さん、涙が流れているように見えるのは気のせいでしょうか? そこまで緊張していたんですか。そんなあなたに協力出来て私はとても嬉しいです。予想外の展開に私の思考が少しおかしくなりそうだ。
何故か声まで出にくくなっている気がする。
「と……とりあえず、行こうか軍曹」
精一杯の笑顔を作って食堂に向かうよう促す。
「了解です。大佐殿」
花束片手に敬礼というのも不思議な光景だ。
軍曹の名誉のために周りに人がいなくて本当に良かった。
とりあえず、急遽作戦を考えることになり、歩きながら作戦概要を軍曹に伝えていった。
「では軍曹。作戦コード:ドリーム・シアター開始だ」
少し外連味が聞いた名前をつけて軍曹の恥ずかしさをごまかすのと、やる気を引き出す。
大層な名前をつけているが実際大した作戦ではない。
佐官は食事を部屋まで運んでもらえるサービスがあるのだが、そのサービスをおばちゃんの娘である佳奈に頼むのだ。
ただ、今から頼んでもすぐ仕事に戻ってしまうので、それではあまり意味がない。仕事が終わるか終わらないかのギリギリの時間に配達するようにお願いし、配達が終わったら仕事を上がるようにおばちゃんから言ってもらう算段だ。
これならゆっくりと軍曹が彼女と話す時間が設けられる。
まぁ、うまくやれば食事くらいには一緒にいけるんじゃないかな?
確か8時半頃に食堂が閉まるので、その時間から食堂のスタッフは食事をとるはずだから望みはあるだろう。
さっきの挙動不審っぷりを考慮すると多分起こりえないイベントなんだろうと思ってしまうのが残念な話だ。
ちなみに、この作戦の最大の問題は何かというと……
私の夕食がとても遅くなると言うことだ。
しかし、これも軍曹のため。空腹の1時間や2時間くらいは我慢しよう。
そういえば、執務室の机の中にチョコレートぐらい入っていたと思うからそれを食べてしのぐか。
そんな風に自分の空腹をしのぐためにどうすれば良いか考えていたら、軍曹がいったん花束を置きに部屋に戻った。そういえば、この作戦では彼も空腹に耐えるのだ。ただ、緊張で食事どころでは無いようなので大丈夫だろう。
さてと、まずは敵情視察か。マップスをはじめとする兵器による戦争でも、恋愛という名の戦争でも、まずは彼我の情報収集が第一だ。
確か意外と人気があったような気がするが、さて、どうなることやら?
食堂につくと、さすが夕食時とあって大変混雑していた。
佐官用の特別ルートを使って(ただ単にスタッフ用の入り口なのだが)中に入り込み、おばちゃんに声をかけた。
「おーい、おばちゃん。ちょっとこっち来て」
後ろから声がかけられて食堂のおばちゃんが振り返ってこちらを確認する。
そして、手を振りながらこっちにやってきた。
「あれま? もっちゃん何でそんなところから来てるの?」
「いや、すごい混雑ぶりだね。仕事が忙しくてね。ちょっと気分転換がてら配達サービスを頼みに来たのだが、真面目に列に並ぶと恐ろしく時間がかかりそうだったので。つい裏から」
我ながらヒドイ言い訳だ。
ただ、さすがおばちゃん。特につっこまれずに了承してくれた。
「電話で良いじゃないかい? まぁいいわ。大体何時くらいだい?」
よし、これで第一段階クリア。
「そうだな。8時半あたりで頼めるか?」
「またギリギリだねぇ……まぁ、もっちゃんの頼みなら仕方ないわね」
そして次がまた難関だ。最大限の演技をしなくてはならない。
「ありがとう。助かるよ、おばちゃん。って、おっとしまった。もう一つ頼みがあるのだが、配達の方は佳奈さんに頼めるかな? 確か今日は彼女の誕生日と聞いたのでな。普段多くの隊員が世話になっているお礼として、ちょっとした贈り物があったのだが、忘れてきてしまった」
「さすが、もっちゃん良い所あるわねぇ。分かった。その時間に佳奈をそっちに送るわ。プレゼントのことは内緒にしておいてあげる。それと、これは私の誕生日も期待していいのかしら? ちなみに私のは来月の4月2日よ」
おばちゃんが嬉しそうに了解してくれた。何とか第二段階もクリアした。
ただ、どうやら来月の出費がこれで確定したらしい。さすがおばちゃんやるな!
さて、後はどれだけ彼女が人気かを探るだけだが、スタッフ専用休憩室の机の上を見ると結構な数のプレゼントが置いてあった。
箱の数からすると、プレゼントの数は15程度か。
包装で包まれていて中身はよく分からないが、大きさからするとそこまで大きくは無い。女の子に受ける小物とかアクセサリーとかそういう類いの物だろうか?
田口軍曹が用意しているような花束と手紙は……どうやらないようだな。
良かったな田口軍曹。君のそのチョイスはやはり間違っていなかったかも知れない。
敵情視察も出来たのでおばちゃんにもう一度礼を言ってから食堂を出た。
「さて、私もでまかせとはいえプレゼントを贈ると言ってしまったな。何を贈ろうか」
歩きながら何が良いかを考える。少なくとも軍曹のプレゼントのインパクトを潰してはならないし、彼をアシスト出来るような物が良いだろう。
娘の佳奈の事は実はあまりよく知らないのだが、おばちゃんは酒飲みだと聞いたことがある。惚気話で旦那と良く飲み比べをしたと語っていたことがあった。
なら、娘の方もある程度は飲めるだろう。メンデル遺伝の法則から考えると両親ともにお酒が飲める体質であるならば、子供は最低でも75%の確率でアルコールの代謝が出来る。
そう考えると、ワインならば家族で楽しめるし、うまくいけば田口軍曹も誘われるかもしれない。我ながらなかなか良い選択だ。
「よし。ちょっと、ワインでも買ってくるか」
田口軍曹に8時30分くらいに執務室から食堂の間の廊下で待機するよう伝えて、車でワインを買いに急いで町へ向かった。
ただ、店について気付いた事だが、私はあまりワインに詳しくなかった。
しまった。この私としたことが……。
どういった物が良いのか悩んでいても仕方ないので、ダメ元でソムリエに誕生日に家族で楽しめるワインは無いか? と注文したら、あっという間にワインを選んで出してくれた。意外と言ってみる物だ。
ワインを買って基地に戻ると時間は既に8時をまわっていて、私もいつ佳奈さんが来ても良いように部屋で仕事をしている振りをしながら待機を始める。
さて、田口軍曹は気が気じゃ無いだろうなぁ。様子を見てみたいが離れる訳にはいかないので、想像してニヤニヤすることくらいしか出来ない。
そして、約束の時間がやってくる。
部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「坂本さん夕食をお持ちしました」
確かに佳奈さんの声のようだ。
「どうぞ、入ってくれ」
「失礼します」
軽く頭を下げて佳奈さんが部屋に入ってくる。
食堂での仕事なので三角巾を頭につけてエプロンもしている。
後ろから見える長い綺麗な黒髪のお下げが白い布に栄えてより黒く綺麗に見える。
なるほど、清楚なイメージの子にこの衣装はなかなか似合うものだ。
何というか空気が柔らかく感じる。田口軍曹もこれにやられたのだろうか?
「ありがとう。そこの机に置いておいてくれ」
「分かりました」
端末や書類の載っていない客用の机の上に食事を置いてもらう。
一通り置いてもらったらおばちゃんへの宣言通りプレゼントを渡さなければ。
「佳奈君。君のおかげで隊員達の士気は非常に高く保たれている。これは私からのほんの気持ちだ。是非お母様と一緒に楽しんで欲しい。誕生日おめでとう」
ほんの少しの笑顔で、出来るだけ真面目な顔で手渡す。笑顔を見せるのは次の田口軍曹の仕事だ。
「ありがとうございます! 私もお母さんもワインは好きなので嬉しいです」
ふぅ、とりあえずは及第点のようだ。さて、舞台は整えたぞ田口軍曹。
後は君が主役だ。
佳奈さんが部屋から出て行くのを見送って行動に移る。
さて、では尾行開始だ。自分で言うのも何なのだが趣味が悪い。宮野大将が聞いたら大爆笑されそうだ。
こっそり後ろをついていくと田口軍曹が花束を持って現れた。
「こ、ここ、こんばんは! 佳奈さん」
あちゃー……緊張しすぎて舌が回ってないぞ軍曹。
「こんばんは、田口さん。そういえば今夜は食堂に来なかったですね。身体の調子でも悪いんですか?」
おぉ、ちゃんと名前を覚えてもらっているし、食堂に来ているかどうかまでチェックしてもらっている上、身体の心配までしてくれている。なかなか良い子じゃないか。しかも脈もありそうだ。
「え、えぇ。実は候補生達の仕事が残っていまして、食事はまだなのですよ」
田口軍曹は早口で言い切ってから大きく息を吸い込んだ。
どうやら決意を決めて、ここで渡すつもりのようだ。
「あの佳奈さん。誕生日おめでとうございます。つまらないものかもしれませんが、これをどうぞ」
おっと……満面の笑みじゃ無くとても固まっている顔だ……。
ただ、その顔と花束のギャップが面白かったのか佳奈はクスクスと笑い始めた。笑い方も意外と上品だな。おばちゃんの娘とは思えない。……これはおばちゃんに失礼か。
「何というか済みません。やっぱり変ですよね。この私が花束って」
軍曹が見るからにしょんぼりしている。あきらめるな軍曹!
「いえ、今年もらったプレゼントの中では一番嬉しいかな? 小物やアクセサリーも嫌いじゃ無いですけど、お花が大好きなんですよ私。お部屋に飾りますね」
おぉ! よかったな軍曹!
気付いたら拳を握ってガッツポーズをとっていた。落ち着け私よ。
「確か、お食事はまだなんですよね? みんなと一緒で良ければ今から食事はいかがですか? ワインもありますし」
田口軍曹が眼をぱちくりさせている。何が起きているか多分脳が処理しきれていない状態だ。
「えっと? 私と佳奈さんが食事ですか?」
「はい。あ、まだお仕事が残ってますか?」
「いえ、大丈夫です。是非ご一緒させてください!」
やたら大きな声で良い返事をした。おめでとう軍曹!
心の中で拍手を送っていたら、軍曹がこちらに気付いたようで頭を軽く下げてきた。
む、尾行がバレてしまった。こんだけ上手く行ったんだ。感謝されど文句は言われないだろう。
この時はまだ佳奈さんの「みんな」という言葉の意味がご両親のことだと私は思っていた。
無事に作戦が成功したと思い、私も執務室に戻り遅い夕食をとることにした。
机の上の料理を見ると、どうやら焼き魚定食のようだ。若い連中にあまり人気が無いのか少し余りやすいようで、最後に頼むと大体これになっている。焼き魚も美味しいと思うのだが。
今日は時間が遅く、お腹が空いていることもあり、いつも以上においしく感じられる。空腹だけでなく、田口軍曹の幸福っぷりを分けてもらえたのが良い調味料だったのではないだろうか。
食事が済んだので食堂に食器を返すついでに軽く様子を見てくるとしようと考えた。
しかし、食堂には私の想像していた楽しそうな光景とは全く別の楽しい光景がひろがっていた。
「何だこの人数は?」
そう、田口軍曹が佳奈さんとおばちゃんやシェフのおっさんと仲良くやっているかと思いきや、物凄い人数が食堂に集まっている。
目測ざっと30人。一体何があったと言うのだ? 食器を返却口にあるシンクに置いて、近くの人に声をかけた。
「おい、君。これは何の騒ぎだ?」
「お? なんだ? って坂本大佐!? 失礼しました。大佐もおばちゃんに呼ばれて来たのですか?」
一体何の話だ? あらゆる想定が頭の中で浮かんでは消え浮かんでは消えた。私が考え込んでいると逆に不思議そうな顔をしてきた。
「あれ? 坂本大佐も佳奈さんの誕生日祝いに来いと言われたのでは?」
背中に冷や汗を感じる……しまった。そういうことか。
作戦のためとは言え、仕事で忙しいと伝えたからこの情報は手に入らなかったのか。
「実は先程まで仕事をしていたのでな。なるほど、実にめでたい話だ」
「おつかれさまです坂本大佐。このままご一緒にいかがですか?」
「いや、少し疲れているのでな。失礼させていただくよ」
まずいな。私の作戦ミスだ。田口軍曹に謝らなければ。
人混みの中から田口軍曹を探すために周りを回ってみると、田口軍曹のトレードマークであるショートモヒカンが発見出来た。
肩をトントンと軽く叩き、こちらに気付かせて耳打ちをした。
「すまないな。私の作戦ミスだ。まさかこんなことになるとは想定していなかった」
私の謝罪に対して田口軍曹は首を横に振ってくれた。
「いえ、どうかお気になさらないで下さい。当初の目的は達成出来ましたし、ここに着くまでの間は実に夢のようでした。作戦名通りのドリーム・シアターです。これで大佐殿を非難してしまっては、何か罰か当たりそうですよ」
田口軍曹は満面の笑みで答えてくれた。どうやら、本当に満足しているらしい。
辺りをもう一度見渡す。佳奈さんの近くにいる男達は口々に口説き文句を言っているようだ。それに対して佳奈さんはニコニコと当たり障りの無いお礼で返している。
私は再度軍曹に視線を戻し肩に手をおいた。
「田口軍曹。君の戦場は数多くの強敵が待ちかまえているようだ。負けるなよ」
「了解しました。私は誰にも負けません」
それで良い。がんばれ田口軍曹。今日はとりあえず、みんなで楽しんで来いと伝えて食堂を後にした。
一応今夜は多忙という設定なのだ。作戦がバレてしまっては田口軍曹に甚大な被害が出る。
参加出来ないのは残念だが、彼の名誉のためだ。仕方ないだろ?
佐官用の個室に戻る中、作戦終了の合図を自分のために出す。
「作戦コード:ドリーム・シアター。ミッションコンプリート」
それが何だかおかしくて、にやついた顔で頭をかきながら帰っていた。部屋につくまで誰ともすれ違わなくて本当に良かったと思う。
この時は、にやけた顔をいつもの真面目な顔にするのが、簡単に出来そうになかったのだ。
個室に戻って時計を確認すると既に9時を過ぎていた。
少し遅いと思ったが、とある人物にテレビ電話をかける。
数秒の呼び出しの後に着信が取られたようだ。柔らかく澄んだ声が聞こえる。
「龍ちゃん、今日も1日おつかさま。晩御飯はしっかり食べた?」
ショートカットの黒い髪で、毛先が少し跳ねている。にこやかな顔の女性がモニターに現れる。
パイロット時代にオペレーターとして共に戦った戦友であり、今は大切な恋人である澄川早苗だ。
ゴースト部隊が解散する際に、バラバラに別れるのなら気持ちを伝えておこうと決意し、告白したら上手くいってしまった。ただ、その話はまた今度だ。
自分も同じチームから恋人を作ってしまったという理由で、今日も他人にあまり強く注意が出来なかった。まだまだ上官として未熟だ。
ただそんな自己嫌悪のような感情も、1日の終わりに彼女の声が聞こえて、顔が見られただけでホッと出来る。
「あぁ、大丈夫。君も変わりないか?」
「うん、元気だよ。さっきまで仕事してたの? 何か声が堅いよ?」
彼女は耳が良いからか、小さい頃から声の調子や音にとても敏感だそうだ。
その特性を活かして、今では中央司令部の情報解析班についている。
その彼女から、声の調子と表情から相手の感情を読み取れる技術を学んだおかげで、彼女にはまだ遠く及ばないが、私にも少し真似が出来るようにはなった。
「さっきまで、とある作戦指揮をとっていたからな」
真面目な顔をしながら答えた。とても大事な作戦には違いない。
「へー、でも何か随分楽しそうな作戦だったみたいだね。どんなことしたの?」
さすがだ。顔は真面目でも、やはり声で面白いことだったと分かるか。
先程起こった田口軍曹の一連の話を伝える。
花束とメッセージカードを持ってウロウロしていたこと、その緊張ぶり、協力を申し出たら涙を流したこと、うまくいったと思ったら落とし穴があったこと。
それに丁寧に「うん」「おー」「それでそれで?」と相槌を打ってくれる。話していてとても楽しい。
「とまぁ、そんなことをしてたんだ」
「田口さんがんばったね。まだ分からないけど、脈はあるかもね。龍ちゃんもおつかれさま」
「ありがとう。サナの方は今日どうだった?」
「えへへ、どうだと思う?」
ちょっと声音は高め、抑揚もあり。ちょっとした笑いも含まれているとすると。
「どうやら良い一日だったみたいだね?」
「うん、正解。特に大きな事故も事件もなくて、おいしいご飯も食べれて、今は龍ちゃんとお話しできてる。とても良い日だよ」
最後の一言に少し気恥ずかしくてなって、ほほをかく。顔はきっと赤くなっているだろう。
「あはは、照れてるー」
テレビ電話が当たり前になっているが、こういう表情まで分かるので良かったり悪かったりだ。
とりとめの無い話をしながら時間が過ぎていく。
どちらかが一方的におしゃべりをすることは無く、楽しい言葉のキャッチボールが続く。
楽しい時はお互いに適当な話のネタで小さく盛り上がって、どちらかが悲しい時はただ聞いてあげて、困ったときはお互いに妥協策を考えて、心が疲れたときは甘えあって、身体が疲れていたら互いの健康を気遣って早めに話を終える。
そんなバランスのとれた絶妙なコミュニケーション。
今日は二人とも楽しい時だったので、長いおしゃべり続いた。気付いたら10時30分だ。
次の日に響いてはお互いのためにならない。名残惜しいがそろそろ切り時だ。
「そろそろ終わろうか。そうだ。来月くらいに仕事で首都のミヤトに仕事で行く機会があるかもしれないから、そのときにご飯でも食べに行こう」
「やったー。楽しみにしてるね。早めに日時を教えてね? 予定がんばってあけちゃうからさ」
「んじゃ、おやすみ。サナ」
「おやすみ龍ちゃん」
モニターと音声が切れた。仕事に私情を挟むのは良くないが、これは早く宮野大将に仕事をしてもらわなければな。
電話が終わった後は、風呂を沸かして、ゆっくりと一日の疲れをとって、ベッドに飛び込んだ。
長い一日が今日も終わる。