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実況者さんの恋シリーズ

負けるな実況者

作者: 星椋歩

まず前作「がんばれ実況者」をお読みいただくと、本作をよりお楽しみいただけるのではないかと思います。

昨日、私は全てに絶望した。


もう動画は作らない、ゲームもしない。そう決めた。


~~


隣の部屋に住む女は、ゲームをやりながら一人で喋り、それらを録画、動画サイトに投稿することを趣味としている。僕はその事を知って以来、こまめに動画サイトをチェックしては彼女の動画たちに励ましのコメントを残していた。

自分でもどうしてこんな事をやっているのか、さっぱり判らない。全く知らない赤の他人のものであれば、僕はこんな動画など無視していたはずなのだ。

彼女の喋りはお世辞にも上手いとは言えない。突然騒ぎ出したかと思えば数十秒も無言になったり、滑舌が悪く聞きにくかったりと、聞いていて非常に疲れる。話の内容も全く脈絡がなく、プレイしているゲームの実況が唐突に世間話、身の回りの出来事、視聴者への問いかけなどに変わり、目まぐるい事この上ない。

そして、僕の気に入らない事がもうひとつ。


「あたし、女子高生だからちょっと話したりするの下手ですけど、ほんとすいませ~ん!」


彼女は自分の話下手を若さゆえに許されるチャームポイントだと思っている節がある。これは視聴者を楽しませようとする実況者の態度としては非常にいただけないのだ。


……彼女が、本当は若くもないくせに年齢を十七歳と偽っている事は、この際目をつぶる。


彼女が女子高生だと主張するのだから、それは動画内では真実なのだ。

ただし! 視聴者に自分の実況技術の無さを押し付け我慢させる免罪符としてその設定を悪用するのだとしたら、僕はそれを指摘せざるを得ないだろう。

そう、年齢詐称が問題なんじゃない。彼女の視聴者に対する不誠実な態度が問題なのだ。ずっと我慢して観てきたけれど、彼女の態度が改まる気配はない。

やはり言っておいた方がいいだろう。次の動画でも同じだったら、僕はコメントで彼女を諭さねばならない。そんな事を考えながら、僕は彼女が最新動画を投稿するのを待った。


~~


昨日知った。知ってしまった。私が人気者でも何でもなかった、って事。

動画に現れるたくさんの同じコメント。私はエールだと思っていた。


「BBA」


偶然観た、違う女性の上げた実況動画。子持ちの中年女性だというその人の動画にも同じコメントが散見されたのに気付き、私はその意味を調べることにした。


「ビューティフル・バトル・エンジェル」


これが私に名づけられた称号、BBA。ある人がそう書き込んでくれたのだ。だから私はそれを信じて、BBAと呼ばれる事に誇りを感じ、自分の事を自らBBAと名乗ってさえいた。その日、その言葉の意味を調べるまでは。


「………!」


本当の意味を知った時、私は倒れそうになった。いえ、腰が砕けへたり込んで動けなくなってしまったので、一緒かもしれない。

ババア。そういう意味だった。

私は泣いた。悔しくて、自分が情けなくて、泣いて泣いて泣きまくった。

十七歳の女子高生は本当は若さを失って一人で縮こまる臆病な女。もうとっくの昔にばれていたのだ。それを知らなかったのは私だけだったのだ。

何がモニタの中は自分の世界よ! 何が「美しき戦闘天使」よ! 一人ではしゃいじゃって、バカみたい! ほんとに、ほんとに……バカじゃないの……私……。


~~


「おかしいな、こんなに間を開ける事なかったよな」


彼女が作成してきた過去の動画の投稿日をチェックする。彼女は前回の投稿以来、もう長い間新しい動画を投稿していない。


「彼女、何かあった……ってことはないか?」


壁の向こうからはしばらく実況を吹き込む声が聞こえてこない。僕は少し心配になった。


「病気かな……うーん」


そう考えながら、台所に積まれた数枚の小皿を見つめる。これらは彼女が料理のおすそ分けとして持って来てくれたものだ。何だかよく判らないけど、「作り過ぎた」とかでたまに持って来てくれていた。


「ちゃんと返さないとな。そうだ、返すついでにちょっと様子でも伺ってみるか」


~~


部屋に引きこもってもう三日。会社には病気だと言ってある。電話したときは上司に怒鳴られるかと思ったけれど、上司は怒りも悲しみもしなかった。


「ふーん、あっそ」


言われたのはそれだけ。

私は会社にとってそれだけの存在なのだ。自分が仕事で役に立っていると思った事はないけれど、私がまるでいなくてもいいかのような扱いを受けた事で、私は自分の胸の傷がさらに深くえぐられたような気持ちになった。


「申し訳ありません。失礼いたします」


電話を切った後、私はまた泣いた。私の居場所は、もうどこにもない。そんな絶望感が心の中を支配して、私は全ての気力を失った。


~~


隣の部屋のベルを鳴らす。


ぴんぽーん。


「………………」


誰も出ないな。うーむ。いないのかな。


~~


……ベルが鳴ってる。誰かしら。

……ああ、そうだ。新しいゲーム、買ったんだっけ。お届け物に違いない。

ゲームなんてやめてしまった私にはもう必要ないものだけれど、受け取らないと何度も来るだろう。仕方ない。私はのそのそと立ち上がって少しだけ髪を整えると、玄関の扉のカギを開けた。


~~


がちゃがちゃ。


もう帰ろうかと思っていたその時、ドアのカギが開く音がした。


「なんだ、いるのか」


ゆっくりと扉が開く。ほんの少しだけ開いて、彼女が顔だけこちらに出した。


「はい……あ……どうも……」


髪もボサボサで目の下にクマができて、何だかいつもより老け込んでいるように見える。これで女子高生と名乗るのはやっぱり無理があるな、僕は心の中でそう思った。


「こんにちは。あの、これ、お皿ためちゃってすみませんでした。なかなかお返しできなかったんですけど……」


~~


「……まとめて持ってきました。いただいたおかず、すごくおいしかったです」


そう言って彼は笑った。この人は私の隣の部屋に住んでいる。出勤の時にたまに顔を合わせてあいさつを交わすくらいの仲だったけれど、ある時からたまにお料理をおすそ分けしてあげていた。


「……ああ……わざわざ、どうもありがとうございます……」


泣き腫らした私の顔を見られた。少し恥ずかしい。


「どこか具合でも悪いんですか?」


彼は私の様子を見て心配してくれたようだ。でも、本当の事なんて言えるわけない。こんなネクラな女が一人でゲーム動画を作っていて、しかも真相を知ってショックで寝込んでいたなんて、絶対知られたくない。


「ええ……まあ……」


~~


何だか彼女はあいまいな返事を繰り返す。


「薬とかあります? 持ってきましょうか?」


そう訊いても。


「あの……いえ、大丈夫ですから……」


普段からか細い彼女の声がますます消え入りそうな声になる。どう考えても大丈夫じゃない。


「おかずを作ってくれたお礼もしたいし、僕にできる事があったら何でも言って下さい」


とりあえず彼女が病気だということは分かった。彼女の病気が治るまで動画の投稿はないだろう。まあ動画なんてどうでもいいけど、病人には早く治ってもらわないと。


「……はい。ありがとうございます」


彼女は相変わらずの蚊の鳴くような声でそう答えた。


~~


「……はい。ありがとうございます」


私は彼の優しい言葉が嬉しくて、危うく泣き出してしまうところだった。ただの同情だって事は判っているけれど、こんなありきたりな言葉でも渇き切った私の心に清らかな水のように沁み込んでくる。

ああ……弱いな、私。やっぱり私はゲームのヒロインでも天使でもない。ただの孤独な女。


~~


何だか死にそうな顔をしてるけど、BBA弾幕を屁とも思わない彼女だ。きっと芯は強いんだろう。そうでなきゃ、あんなに長い間女子高生を演じて動画を投稿し続けられるわけがない。


「あたし、女子高生BBAよっ!」


僕は彼女の自虐ギャグを思い出して、ちょっと吹き出しそうになった。


~~


彼が、私を見て微笑んだ。

その優しい笑顔を見て、私は心の中を全て見透かされたような、そんな気がした。

やっぱり無理しても駄目なのね。動画で演じた女子高生もすぐにばれてしまうような私の稚拙な演技など、面と向かっていれば尚更ばれないわけがない。

私、いつからこんなに自分を偽るようになったんだろう。もうずいぶん本当の自分を直視できなかった気がするけれど、すべてに自信がなかった私は、どこかで変わりたかったのだ。いえ、変わったふりを続けたかった。それがあの実況。私がようやく見つけた心のオアシス、ついこの間までは。


そこまで考えて、私はまた泣きそうになった。


~~


おっといけない。本人の前で笑うのは失礼だ。僕は慌ててその微妙なニヤケ顔を引っ込めた。彼女は怪訝そうな顔をして、それからくしゃみをしそうな顔で少し下を向いた。

やっぱり風邪か何かかな。


「あの、それじゃ。お休みのところすみませんでした。何かあったら言って下さい。電話番号お渡ししておきますので」


僕は手早く自分の番号をメモすると、それを彼女に渡した。彼女は軽くお辞儀をして受け取る。そのまま自分の部屋に戻ろうとすると、タンタンと階段を駆け上る音がして、運送屋がこちらに近寄ってきた。彼は僕たちのすぐそばで立ち止まると、彼女の部屋の表札を見て言った。


「あ、ここですね。配達物お持ちしました。ハンコお願いします」


「あ……はい」


彼女はなぜかすでに手に持っていたハンコを押すと、小包を受け取った。小包というよりは封筒のような感じだ。それを見て、僕は思わず口走ってしまう。


「ああ……次の実況用ゲーム……あっと、いえ……」


~~


「えっ?」


彼が何かを言いかけて慌てて口をつぐんだ。

彼、ゲームって言った気がする。この小包のラベルを見たのかしら。

好きなのかな、ゲーム。私はこんなものもういらないし、彼にあげてしまおうか。でも彼、ゲーム機本体持ってるかなあ。


「あの……これ……ゲームなんですけど、私、間違えて買ってしまって……その……私はこういうものやらないので……もしよかったら差し上げます……けど」


~~


「はぁ……そうですか……」


なぜか唐突にゲームを僕にくれると言う。どういう意味だろう。間違えて買ったとか言ってたけど、ゲーム好きの彼女が間違えて買ったりするだろうか。いや、次回プレイするゲームの予定を変更したのか? それとも……。

はっ、もしかして彼女、僕が壁越しに彼女の実況を聞いてるの知ってるんじゃないか? それで、僕を巻き込んで僕にもゲームをやらせようと……いや、病気の彼女の代わりに実況すらやらせようとか……待て待て、そんなバカな!

僕はこのゲームを受け取るべきかどうか、悩みに悩んだ。


~~


「ゲームですか。興味はあるんですけどね。どんなゲームなんでしょう」

「さぁ……私は、よく判らなくて」

「ネットを探せばどんなゲームか紹介している人がいるかもしれませんね」

「え、ええ……そうかもしれません」

「まあ、そういうの、僕は見る方が楽しかったりしますけどね。はは。やる方は、どうも」

「……ゲーム、お嫌いですか?」

「嫌いじゃないですけど、下手なので。うまい人のプレイを見る方が面白いですよね」

「……そうですね」

「あ、いや。でも、一生懸命プレイしてる人は応援してあげたいというか」

「………?」

「ええと、とにかくですね、僕はゲームの動画は好きです。はい」

「……はぁ、そうですか。それで、あの、このゲーム……」

「あ……そうでしたね。いや、なんか申し訳ないので……ね」

「……わかりました」

「間違えたとしても、おやりになったらどうです? 気晴らしになるかもしれませんし」

「いえ、ゲーム機の本体を……その……持っていないので」

「へ? 壊れたんですか?」

「えっ?」

「………………」

「……あの、持っていなくて」

「そ、そうですよね! 何で勘違いしちゃったんだろな! じゃあ、失礼します!」

「ありがとうございました」


~~


彼女にどう接したらいいのか、よく判らない。

彼女はゲーム本体を持っていないとか言っていた。これは、僕に本当の事を知られたくないという思いの表れなのか、はたまた僕を試したのか……。


「………………」


僕は目の前にあるゲーム本体を無言のまま見つめた。彼女のゲーム実況動画を観ていて、なぜか欲しくなり買ってしまったもの。下手くそな彼女のプレイに少しいらついた僕は、本当にそのゲームが難しいのか自分で確かめたくなったのだ。

僕は無言でゲームをやっているから、向こうに聞こえるはずはないと思う、けど……。


ぷるるる


その時、僕の携帯が鳴った。


~~


さっき彼が来てくれてとても嬉しかった。

初めは誰かと話すのは嫌だと思っていたけれど、彼が部屋に戻った後、私はとても気が楽になっていることに気付いた。

こんな私でも、少しでも気にしてくれる人がいるのはとても幸せな事だと思う。そういえば、私の動画も、今考えるとほとんどは私に対する悪口だったけれど、それでも純粋にアドバイスをしてくれるコメントもあったっけ。

……迷惑かも知れないけど、少しだけご好意に甘えさせてもらおうか。私はとりあえずお礼を言うために彼に電話をかけた。


~~


「もしもし」

「あ、私です。先程はありがとうございました」

「え? いや、僕は何もしてませんよ。お皿を届けただけで」

「いえ、それでも気を使っていただいて」

「まあ、お大事にしてください。僕もできる事があればしますので」

「………?」

「お隣さん同士だし、料理もいただいたことですし」

「………………」

「早く治るといいですね。僕も次を楽しみに待って……いや、ええと、料理のことですけど」

「……はい」

「わざわざ電話もらって、どうも」

「……あの、では、失礼します」


~~


電話での会話の最中、彼女は彼の声が壁越しに聞こえてくるのに気付いた。彼は全く普段通りにしゃべっていたのに、その声は筒抜けだったのだ。それを知った時、彼女の顔は真っ赤になった。

そう、この時、彼女は悟ったのだ。彼は全てを知っている。


「……ううっ」


彼の優しさにも気付いた彼女は、恥ずかしさとはまた別の理由でさらに赤くなった。

彼らはハッピーエンドになってほしいなと。

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