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ささやきの帰る場所  作者: 遊森謡子
第一章  沈黙の姫
9/11

8 消された存在

 翌日の昼にはどうにか起き出すことができたセシータは、暖炉の前の椅子に座って、シスターが淹れてくれた香草のお茶を飲んでいた。

 

 昨夜はいくつも夢を見たが、黒髪のあの男の訪問こそ、ただの悪夢だと思いたかった。心の隅の方に追いやって、できるだけ考えないようにする。

 どこにも連れて行かれなかったことに、心の底から安堵した。


「昨日、あの兵隊さんが来ましたよ」

 シスターの言葉に、ハッと顔を上げた。

 あわててカップをテーブルに置き、寝室を指さしてシスターを見ると、シスターはうなずいた。

(夢じゃ、なかったのね)

 彼の顔を思い浮かべて、少しぼうっとしていると、シスターが彼女の顔を覗き込んで言った。

「急に顔色がよくなったわね。香草よりいい薬」

 いたたまれなくなったセシータは、思わず立ち上がった。膝かけが足元に落ち、急いで拾い上げて椅子の背にかける。

 シスターに向かって、片手を握ってからパッと開く動作をして「光」を表すと、セシータは返事を待たずに外に出て、灯台に向かった。


 まだ本調子でないためか、灯室まで上りきると息切れがした。木箱に腰かけて息を整え、ふと顔を上げると、床に写生帳が開いたままで置いてあった。片付け忘れていたようだ。

 写生帳を拾い上げ、その頁をじっと見つめた。クラトーが霧笛を吹いている絵は、彼女の小さな胸をほんの少し温かくした。

 次の頁を開く。また、次の頁。そしてもう一枚。


 写生帳を閉じ、胸に抱いた。

 この数年、起こらなかった何かが、起こりそうな予感がしていた。



 沿岸警備隊の砦に、アイザルが荷物を搬入しに来た。

 幌のついた小さなトラックを中庭に停め、次々と荷物を降ろすのを、クラトーが一覧表と照らし合わせる。修道院に運ぶ分もあったが、そちらはほとんどが食品だった。乾燥豆、乾燥果物、酢漬け野菜の瓶詰め……と確認していく。

 あたりに人がいなくなったタイミングで、アイザルは手を動かしながら言った。

「彼女のこと、調べましたよ」


 クラトーはちらりとあたりを見回してから、返事をした。

「ありがとう。どうだった?」

「やっぱり、フォルツの貴族みたいです。外見や年齢が一致する。セシータ・シリン・グラース嬢、五年前に国王陛下の養女になってます」


 国王の養女。立派なお姫様だ。それがなぜ、あのような孤島に。

 クラトーが思いを巡らせた時、アイザルが続けた。


「享年十一歳」


「!?」

 強張ったクラトーの表情に、アイザルの方が驚いたようだった。が、そのまま続ける。

「養女になって一年で、流行り病にかかったとか。進行が早くて、故郷の家族が駆け付ける前に息を引き取ったそうです。感染を防ぐため、死亡後すぐに火葬され、家族は遺骨と形見の品を持って帰って行ったとか」

 つまり、それから四年経っていることになる。


(四年……)

 形見の品、と聞いて、クラトーの脳裏に閃いたのは、セシータが髪に挿していた金属製のペンだった。あれはおそらく、代替品だ。本来の彼女のかんざしは、おそらく遺骨とともに故郷に帰った。遺骨が彼女のものだと家族に思わせるために。


 クラトーが会ったあの少女は、何らかの理由で死んだことにされているのだ。


◇  ◇  ◇


 再び、灯台に明かりが点るようになった。

 クラトーは三日ぶりに、島を訪れた。この地方は曇りの日が多く、島はいつも木々が暗い影を落としていたが、この日は珍しく暖かな日差しが雲間からのぞいていた。

 花房の垂れ下がる木々のアーチにも、いくつも光が差し込んで、足元に揺れる模様を描いていた。クラトーはわざと大きな動作で、小道を進む。気配に敏感なあの少女は、すぐに気がつくだろう。


 修道院のドアをくぐると、二人のシスターが彼を迎えた。

「そろそろ来てくれると思っていたわ」

 いそいそと荷物を受け取り、彼に菓子の入ったかごを押しつけて、外へ追い立てる。

 クラトーは複雑な気持ちで、灯台の階段を上った。アイザルにはここに住む少女のことは話していないが、事によっては話さなくてはならなくなるかもしれない。



 灯室に明るい光が差し込み、木箱に腰かけたセシータの背を温めていた。

 さっきまで読んでいた本は、今は閉じられて膝の上にある。少しでも勉強になることをしておきたいという気持ちから、彼女は本をよく読んだ。いつか故郷に帰ることができたその時に、周りに迷惑をかけたくないからだ。

 梯子のきしみが耳に入り、セシータは上り口から顔を出したクラトーを見た。気配はとうに察していた。


「よう。熱出してたんだって? 具合はどう?」

 彼が尋ねてくる。セシータは大丈夫、と言うようにぎこちなくうなずいた。

 そして、片手を上げた。クラトーを指さし、その指をすっと自分の方へ引き寄せる。そして、胸の前で何かを大事に抱きしめるような仕草をしてみせた。

 三日前に来てくれたことが嬉しかったと、礼の気持ちを表したかったのだ。

 クラトーはしばらく考えて、

「どういたしまして」

と返事をした。

 ――伝わった。

 自然と頬がほころんで、セシータは自分が久しぶりに微笑んだことに気がついた。


 クラトーの右手が上がり、持ったかごをこちらに差し出した。セシータは立ち上がり、おそるおそる近づくと、彼の手から直接、かごを受け取った。

 何だか、自分が動物の仔になって、彼に懐きつつあるような心持ちがした。


 差し向かいで黙って温かい茶を飲み、カップが空になったころ、クラトーが口を開いた。

「いつも俺ばっかり、君に質問してるよな。たまには、俺の話でもしようか」

 心臓が一つ、大きく鼓動した。聞いてみたかった、彼の話だ。

 セシータはカップを置くと、揃えた膝に両手を重ねる。


 クラトーは、セシータから視線を逸らすとレンズの方を見た。

「俺は、今はシュリーレンで沿岸警備兵をやってるけど、もとは違う国の生まれだ。ちょっと故郷にいづらくなったんで、十六の時に家を出てきた。……別に、何か犯罪を犯して逃げ回ってるんじゃないよ」

 セシータを見て、少し口角を上げる。セシータは小さくうなずいて、続きを待った。


「俺の家は、結構歴史のある旧家だったんだけど、祖父の代で大罪人を出して、取り潰しにあった」

 さらり、と彼が言った。後から重さを増す言葉。


 クラトーは、肩にひっかけたままだった銃を、銃床を下にして降ろした。銃口の下あたりに手をやり、取りつけられていた銃剣を外している。

「その時に、領地も大幅に縮小されたし家紋も変わっちまったけど、別の名前で細々と血をつないできただけ、まあ良かったのかもしれないな」

 外した短剣の柄に巻いてあった布を、くるくると外す。

「でも、俺の一族は、その時の罪は冤罪だと思っているんだ。いつかその罪が晴れたら、かつての家紋を復活させたいと願って、一族以外の誰にも見せることなく密かに身につけている」

 クラトーは布を取り去った後の短剣を、刃の方を持ってセシータの前にぐっと突き出した。

「……こんな風に」


 見ていいのかと迷う間もなく、短剣の柄に刻まれたその紋章が目に飛び込んできた。

 一本の槍と何かの葉、そして文字を図案化した紋章。

 それは、セシータが写生帳に描いた人物の服にあったものと全く同じだった。


 驚きのあまり、セシータは思わずそれに手を伸ばした。

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