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ささやきの帰る場所  作者: 遊森謡子
第一章  沈黙の姫
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6 灯台の沈黙

 陽が落ちようとしていた。


 セシータは、修道院の裏の草地につないでいたヤギを連れ、家畜小屋へ向かった。

 この島は狭すぎて、牛や馬を飼うのには向いていないが、彼女よりも以前からここに住んでいるヤギが乳を出してくれる。セシータもシスターに教わって、ずいぶん乳絞りが上手くなった。


 故郷は恋しかったけれど、この場所がセシータに与えてくれるものは多かった。小さな世界は濃密で、大事なものを拾い上げやすく、そしてどこかへ流してしまうことなくずっと持っていられる。


 ヤギを小屋の中へ入れてから、灯台の方へと回りこんだ。そろそろ、灯を点す時間だ。

 建物の陰になった場所は苔むしていて、そのささやかな緑がセシータは好きだった。踏まないようにと、下を向いて避けて歩く。

 灯台の前まで来てやっと顔を上げた時、セシータは息を止めた。


 あの男が、修道院の前に立っていた。気配をまったく感じなかった。

 四年ぶりに見た、酷薄な瞳。そげた頬。漆黒の髪。セシータをここに閉じ込めた、この国の宰相。


 灯台の中へ逃げ込もうという考えが頭の隅をかすめ、すぐに自ら打ち消す。灯台には入口が一つしかない……逃げ場がない。

 クラトーが来た時は、怖くなかったのに。

 

 凍りついたように動けないセシータに、彼は優しいと言ってもいい表情で近寄ってきた。

「大きくなりましたね」

 あごを軽く持ち上げられた。冷たい指に、背筋がぞくりとする。

「声を聞かせてはくれないのかな?」

 言われて思わず、唇が震えた。


 この男に「何も話すな」と言われてから、話すのが恐ろしくなった。四年前に会った時は一言二言かわしたが、今ではそれさえもなくなり、声の出し方も、自分の声さえ忘れてしまった。

 この男は、セシータに対して言葉で脅すだけで、具体的な行動には出ていない。それなのに、なぜこんなに恐怖を感じるのか。


 呼吸音さえ聞かれるのが恐ろしくて、はっ、はっ、と小さく短い息を繰り返す。めまいがする。

 ――また、どこかへ連れて行かれるのだろうか。


 そんなセシータの様子に満足したように、宰相は少し口の端を上げると、彼女を置き去りにして修道院の開け放したドアから中に入って行った。


 セシータはその場にしゃがみこんだ。震える息を押さえるように、両手で口をふさぐ。


 宰相はすぐに修道院から出て来て、セシータを一瞥してもう一度凍りつかせると、

「様子を見に来ただけです。このまま元気でお過ごしなさい」

と投げ捨てるように言うと、長いマントの裾を揺らしながら去って行った。


 姿が見えなくなってから、どっと汗が噴き出した。目がかすんだ。


 気がついたら、ベッドの中だった。セシータをのぞきこむシスターも、顔色が白く見える。シスターに微笑みかけ、また目を閉じる。


 短い夢を、いくつも見た。それは幼いころの、両親が誕生日を祝ってくれた時の思い出だったり、姉と庭で花冠を作った時の思い出だったりした。


 幸せな夢がすうっと消え、次に現れるのは、あの夢。自分が自分ではない女性になって、剣をふるったり、馬に乗って街道を駆けていたりする。

 戦場での場面もあって、血が流れるのを目の当たりにすることもあったが、ぼんやりと見えているだけで匂いや感触がないせいか、現実感がなかった。


 ふうっと浮上するような感覚があって、次に見えたのは、警備兵のクラトーの顔だった。少し眩しく感じて目を閉じそうになったが、セシータはこらえて彼の瞳を見つめた。

(あなたはどうして、私に会いに来てくれるの?)

 尋ねたかったが、結局そのまま景色は霞み、セシータはまた夢の中に落ちて行った。


◇  ◇  ◇


 クラトーは、軽く眉をひそめた。

 いつもの航路を巡視船でたどり、岬を回り込んで、あの灯台が見え始めた瞬間のことだ。


「あれ、今日は灯台、明かりが点いてないね」

 今日は、警備隊に出入りの武器商人が同乗していた。デッキの手すりに手をかけて煙草をくゆらせながらつぶやいている。海上にはすでに宵闇の帳が降り始めていて、商人の指に挟まれた煙草の火が、波の動きにあわせて赤く揺れている。

「婆さん、調子でも悪いのかねぇ」

 つぶやいた男は、大して心配している様子もなく、すぐに話題を変えた。

「宰相さんの視察、終わったんですか? 昨日は、船もずいぶん出てたし砦も兵隊さんだらけで、ずいぶんものものしかったけど」

「あ、うん。ついさっき、視察団は出発して行ったよ」

 クラトーは灯台を見つめながら、操船に集中している振りをした。


 砦に戻り、いつものように報告を済ませて食堂で夕食をとる。食堂を出るとき、街の警備から戻った同僚が入ってくるのに行き合った。

「お疲れ。あのさ、灯台の明かり、ついてたか?」

「え? ああ、そういやついてなかったな」

 クラトーはそれを聞くと、身を翻してまっすぐに外へ出た。


 街側ではなく海側に周り、外壁に沿った石の階段を降りていくと、警備隊専用の桟橋に出る。無線機と机と椅子しかない詰め所だけが明るく光っていて、その向こうの海は黒々と暗く凪いでいた。


「あれ、クラトー」

 開けっ放しの詰め所のドアから、年輩の整備士が椅子を傾けながら顔を出した。

「ちょっと出ます」

「え? 予定にないよね」

「灯台、真っ暗でしょ? あそこ、婆さんだけだから、なんかあったのかと思って。様子見てこようかと」

「へえ、年寄りの面倒見いいねぇ、見かけによらず」

「いやあ、ばあちゃんが死んだときのこと、思い出すんですよねぇ……心配だ心配だ」

 クラトーは首を振ってみせると、喫水の浅い小さなボートに乗ろうとした。夜は座礁の危険が高い。


「あ、こっち使えば? 今日点検したばかりだから」

 整備士が一つとなりに舫ってあったボートを指す。大型船と陸地との連絡に使う、やはり小型のボートだった。

「ふーん、今日?」

 相槌代わりに聞き返すと、整備士はニヤリと笑った。

「宰相さんと護衛さんが、急に使いたいって言うから。さっき、帝都に帰る直前にそれでここから出かけてったよ。すぐ戻って来たけど。何か、抜き打ち査察でもやったんじゃないの?」


 クラトーはそれを聞くと、一動作で船に飛び乗って船外機のハンドルを握った。

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