4 埋もれた光
四年前のあの日、セシータは無口な兵士にこの島の小さな礼拝堂に連れて来られ、シスターに引き渡された。戸惑いながらもここでの暮らしを始めた彼女に、灯台がまだ機能することをシスターが教えてくれた。
一人で灯台の階段を上り、外の回廊に立つ。海風が吹きあげて来て、セシータの髪を揺らす。
西の海をしばらく眺めてから、北側へと回った。黒い森の合間にうねる丘。家畜の群れがゆっくりと移動している。海へと向かう灰色の川が、時折ちらちらと光る。
この丘や森の向こうが、属国エクザック。セシータの故郷フォルツは、さらにその向こうだった。遠い祖国は、ここからは見えない。
胸が苦しくなって、セシータは回廊の手すりにすがってうつむいた。遠い地面に目がくらみ――
――白昼夢を見た。
薄暗い石造りの城、大きな広間。
絨毯の上に膝をついて荒い息をついているのは、自分。
目の前に、ほどけた長い髪が垂れて揺れているが、その色は白金ではなく、黒に近い深い緑だ。
剣を杖の代わりにして立ち上がろうとするが、身体が言うことを聞かない。視界がぶれ、剣に刻まれた紋章がかすむ。どこか、怪我をしている……。
誰かがそばにいるのを感じて、顔を上げた。
そこに、あの痩せた黒髪の男が――
――すぐ近くを海鳥が羽ばたきながら飛び去って、セシータは我に返った。あえぎながら後ずさると、灯室の玻璃板にもたれてしゃがみこむ。
シュリーレンの宰相に会った時、どこかで会ったことがあると感じた。それは夢で、だっただろうか。
あの男が「話すな」と言う理由と言えば、セシータにはそれしか思い浮かばなかった。でも、あれは夢。夢のはずなのに……。
だが、ここに至ってはそれもどうでも良かった。今、セシータにできることなどないのだから。
息を整えてから振り返ると、灯室の中に不思議な形容のレンズが見えた。
(この灯台に灯りを点したら……光は、フォルツに届くのかしら……)
思い出から浮上すると、クラトーがこちらをじっと見ていた。セシータが逸らした視線の先に、置きっぱなしにしていた写生帳がある。見るともなしに見ていると、彼が言った。
「……ペン?」
クラトーに向き直ると、彼は自分の頭をちょいちょいと指さしていた。
何のことを言っているのか気づき、急に胸の中で熱いものがふくらんだ。セシータは自分の頭に手をやり、それを引き抜いた。髪が肩から背中をすべり落ちる。
クラトーが手をぴくりと動かした。わざわざ抜かなくても、と思ったのだろう。
手にのせて彼に見せたのは、ニードル状の金属ペンだった。
奪われたかんざしの代わりにと、きれいに磨いて髪に挿していたそれに、目の前の男性が目を止めたのだ。
かんざしのことを伝えるつもりはなかったが、ペンを見せたのは秘密を一つ打ち明けるような気持ちだった。嬉しかったのだ。
「古いものだな」
つぶやくクラトーに、セシータは彼の背後を指さして見せた。彼が指の動きを追って、振り向く。
「……がらくた?」
彼の後ろには、古い木箱、折れた船のオール、小さな黒板、救命ブイなど、雑多なものが積まれていた。この灯台に残されていた物だ。
「この中にそれがあったってこと?」
うなずくと、クラトーは「ふーん」と後ろに手を伸ばして、
「何だこりゃ……」
とラッパ状のものを手にとって、穴を覗いている。セシータは両方のこぶしをつなげ、口元にあてて見せた。彼が手にしているのは『霧笛』だ。
「吹くのコレ」
クラトーが息を吹き込むと、ボォッ、という音が響く。霧の中、灯台の光が届かない時に、船を導くために吹くものだった。昔、ここで使われていたのだろう。
セシータは、そんな兵士の動きをひとつひとつ、見つめていた。
もう一度「ふーん」と言って霧笛を元の場所に戻したクラトーは、セシータに向き直った。
「あのさ。君は、自分の意志でここに住んでるの?」
また、緊張感が戻ってきてしまった。セシータは彼と目を合わせられなくなり、うつむく。
「いや……街に出たりしないのかと思って」
言われ、急いで首を横に振った。
出歩いたりしたら、きっと何か恐ろしいことがある。あの男に、また別の場所に閉じ込められるかもしれない。今度は、たった一人で。
「じゃあ、手紙書いたりは? 誰かに届けるなら、俺が」
――もう、やめて。
セシータは飲みかけのカップを置いて、ぱっと立ち上がった。レンズを回り込み、クラトーから身を隠すようにする。
シュリーレンの王城にいたころは、検閲が入るとはいえ故郷と手紙のやり取りをしていたが、ここに来てからはそれもなくなった。家族は不審に思っているだろうか。それとも、不審に思われないように誰かがセシータの代わりに手紙を書いているか……ありそうなことに思えた。
もしそんな偽の手紙があるとして、今、自分が故郷に手紙を書いたら、内容に齟齬をきたさないとは言えない。今の自分の境遇を家族が知ったら、どうなるのだろうか。
そこまで行かずとも、手紙を出したことがあの男に知れたら。
セシータは自分の身体を抱くようにしてうずくまり。膝に顔を伏せた。
「ごめん。悪かったよ。ちょっと気になっただけだ。嫌ならもう聞かない」
ことん、とカップを置く音がして、はっと顔を上げる。帰るのだろうか。
そっとレンズの影から顔を出すと、クラトーはまた首から上だけを上り口から出して、こちらを見ていた。
「そろそろ帰るよ。また来るからな」
言われて、思わずうなずいた。また来て欲しい、という気持ちを込めて。
兵士は少し笑って、ちょっと手を上げると、上り口から姿を消した。
少し時間を置いてから、セシータは急いで梯子を下り、灯室のすぐ下の踊り場から外の回廊に出た。
クラトーの後ろ姿が、木立の間にちらちらと動いて、すぐに見えなくなった。
――彼の話を聞いてみたいのに、結局質問ができないままだった。
でも、これでいいのかもしれない、とセシータは思う。あまり親しくなると、いつかの侍女たちのように、もう会えなくなるかもしれないのだから。
その日も、セシータは灯台に灯を点した。
光が、どこかに届くように。
ずっと昔にファッション雑誌で、色鉛筆をかんざし代わりにしてるパリジェンヌの写真を見ました。あれ可愛かったなぁ。