3 静かな茶会
クラトーがその島に赴くのは、十日ぶりだった。荷物を背負って船を下り、不安定な浮き桟橋をスタスタと渡って、狭い小道を上る。
家と、灯台が見えた。クラトーは灯台の方にちらりと目をやる。一雨来そうな曇天のもと、森の陰にたたずむ煉瓦の灯台は、しんと静まり返っている。
「婆さん、荷物だよ」
相変わらず開け放してある家の入り口を入ると、この日はシスターが一人、繕いものをしているだけだった。昼間でも暗い日で、テーブルには一つだけランプが灯してある。
「あら、お久しぶりね」
「今日は静かだな」
荷物を壁際に下ろし、腰を伸ばすクラトーに、顔中をしわだらけにしてシスターは微笑む。
「そうかしら」
ゆっくりと立ち上がって、暖炉の薬缶に手をかけるシスターの丸い背中に、クラトーは声をかけた。
「えーと、次に来るときの荷物のリストは?」
「あら、急いでいるの?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
クラトーは視線をはずし、部屋を見回す。
注意して見ると、戸棚にいくつか並んだ木のカップの一つには、可愛らしい小花模様が彫り込んである。テーブルの隅の椅子には、小鳥の刺繍の入った膝掛けがかけてあった。
「はい、これ。いつもご苦労さま」
我に返ると、目の前に籠が突き出されていた。受け取ると、シスターは微笑んで、またゆっくりとテーブルに戻っていく。
籠の一番上には、ざら紙に書かれた荷物のリスト。その下の布をめくると、コルク栓のしてある広口のガラス瓶。中で澄んだ薄緑色の液体が揺れ、その熱で瓶を曇らせていた。他に、ブリキのカップと、素朴な焼き菓子が二つずつ。
(……お茶してけ、と)
横目でシスターを見ると、もう彼女は繕いものを再開したところだった。
(あの少女について、シスターに聞いてみようか)
一瞬そう思ったクラトーは、しかし結局、
「どうも」
とだけ言ってリストをポケットに突っ込むと、籠を手に外に出た。たぶんかわされるだけだろうと思ったし、少女とほとんど話もしないうちから他者に少女について聞くのも、無粋な気がした。
灯台の階段を登り、踊り場から梯子に手をかける。ぎし、と梯子がきしむと、天井の向こうでわずかに気配が動く。
「……お届け物です」
クラトーは上り口から、頭よりも先に籠を持った手をつき出した。床に置いて、少し向こうへ押しやる。
待っていると、ややして静かに細い手が籠の持ち手を握り、向こうへ消えた。
一呼吸置いてから、クラトーはゆっくりと頭を上に出した。
少女は、初めて会った時と同様に、巨大なレンズの向こう側でこちらを注意深く見つめていた。今日は髪をすべて結い上げていて、少し大人びて見える。髪は、あの飾り気のない棒のようなものを挿してまとめているようだ。
クラトーは上り口にあごを乗せた。
「どうも。首だけ男です」
――静寂。
クラトーは謝りたい気分になった。
目を丸くしていた少女――セシータは、戸惑ったようにうつむいた。そして、目の前に籠があることを思い出したらしい。
急いで中身を取り出そうとして、ぱっと手を引いて自分の耳に触れた。思いの外、瓶が熱かったようだ。
慎重に布で瓶をくるみ、コルク栓を外し、並べたカップに注ぐ。香草の香りが広がり、湯気が灯室の天井に上っていく。目で追うと、ドーム状の天井に小さな窓がいくつか切られていて、四角く灰色の空が見えていた。灯台の熱を逃がすものらしい。
「ここ、冬は暖かくて良さそうだな」
クラトーが言うと、セシータが瓶を置きながらちらりと彼を見た。目元が、少しだけほころんだ。
セシータは立ち上がると、近くにあった小さな木製の踏み台の上に布をひろげ、そこにカップと焼き菓子を一つずつ置いた。そして、それを恐る恐る、クラトーの方へ押しやると、さっと元の位置に戻った。
再び、静寂。
踏み台は、クラトーが手を伸ばしても、あと一息で届かないという位置にある。彼女の警戒線が、ここまでということらしい。
「……あー。ちょっと上るよ」
クラトーは断りを入れてから、梯子を数段上った。足はまだ梯子の上に残したままで、ぐっと上半身を乗り出して踏み台に手をかける。セシータは瞬きもせずに、彼の動きを凝視している。
踏み台を引き寄せたクラトーは、登り口のすぐ右側に腰かけて足を降ろしたまま、壁を背もたれにした。
無造作にカップを手に取り、口をつけて見せると、セシータもゆっくりとカップを包み込むように持った。
ほのかな緊張感をはらんだ、静かな茶会。しんとした灯室に、外からかすかに汽笛の音が響く。
「うまいな、これ」
兵士が焼き菓子を口にしてつぶやいたので、セシータは真っ赤になった。
(シスターがこれを入れてくるなんて……そんなつもりで作ったわけじゃ)
自分の菓子に目をやる。長方形に、少し櫛のような切り込みを入れてあるだけの、特に飾り気のない菓子。
「え? 何? 君が作ったの」
すぐに見抜かれて、どうすればいいのかわからなくなってうつむく。両手で持ったカップから立ち上る湯気を透かして、そっと様子を窺うと、彼は目を細めて笑っていた。
今までは、梯子から首を出したところしか――まさに彼の言うとおり、首だけの状態の彼しか見たことがなかったが、今は膝から上が彼女と同じ空間にある。
立ってはいないが、背が高いのがわかる。濃いオリーブ色の兵士服、鍛えられた身体。まくった腕からのぞく、古い傷。肩にかけたベルトを目で追うと、頭の横に銃口が見えている。
そして、顔。何でも見通しそうな瞳、少し上がり気味の、意志の強そうな眉。鼻筋が通り、口元は……。
「あのさ」
その口が動いて、セシータは思わず背筋を伸ばした。
「灯台の灯を点してるのは、君?」
ここに来てからのことなら話しても構わないだろうと判断したセシータは、うなずく。
「ここに来てからだよな。灯りが入りだした――四年前?」
はっとして、また少し緊張する。彼女の脳裏に、揺れる船内とうねる黒い波が浮かんだ。
ウケなかったらしい。クラトー、残念。
セシータが作った菓子は、北欧のカンパニスという菓子をイメージしてます。カンパ=フィンランド語で『櫛』だそうです。