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ささやきの帰る場所  作者: 遊森謡子
第一章  沈黙の姫
2/11

1 灯台

 シュリーレン帝国の、西の海に広がる岩礁地帯に、小さな島がある。

 こんもりと木に覆われてはいるが、周囲はぐるりと断崖絶壁になっており、上陸できるのはたった一か所、崖にうがたれた急な小道のある場所のみ。

 そして上陸したところで、ものの二時間も歩けば一周できてしまう、誰も寄り付かないような島だった。


 クラトーは操舵室のすぐ外で、船べりにもたれていた。船が、島のすぐ近くを通過する。

「灯台がある……」

 船底がきしむ音を聞きながらつぶやくと、舵輪を回す手を止めて兵士がひげ面を上げた。

「ああ、あの島か。そろそろ灯が入る時間だな」

「使われてるのか? あの灯台」

「使われてるどころか、人が住んでる」

 クラトーが軽く目を見開くと、兵士は笑って言った。

「灯台の足元に、小さな修道院があるんだ。世俗から離れるには格好の島ってことだろ。修道女の婆さんが住んでるから、時々物資を運んでやるんだ」

「じゃあ、その婆さんが灯台守をやってるってことか」

「まあ、そうだろうな。四年くらい前から、急に灯が入るようになったんだ。夕方からしばらくの間だけな。でも助かるよ、あれを目印にできるようになって以来、座礁する船が減った」

 船から吐き出される蒸気が、すでに後方になった灯台の方へ流れていく。

「年寄りだけの島だから、お前もこれから哨戒任務の時は、たまに様子を見に寄ってやってくれ」

 兵士は壁に貼られた紙を指でなぞって、何か確認してから、

「さてと、哨戒航路はこんなもんだ。次からは操舵を頼む。…停戦協定さえ守られてれば、毎日変わりばえのない仕事だ」

「了解」

 クラトーは、肩ベルトをかけ直した。背中で愛用の銃剣が、乾いた音をたてる。

 十六の時に故郷を離れてから五年、手に馴染んだ武器だった。沿岸警備隊からも武器の支給はあったが、これを手放す気はない。

 だんだん遠くなる島を振り返ると、ぽうっと温かな灯が浮かび上がった。灰色の空と海の風景の、そこだけが色づいたように見えた。


 沿岸警備の仕事にクラトーが雇われてから、数日。

 クラトーは、巡視船をゆっくりと島に寄せた。浮き桟橋に飛び移り、杭に船をもやう。

 急こう配の小道を上り、藪の隙間を抜けて平らな場所へ出ると、そこは木と蔦と花のトンネル。上から黄色い花の房がいくつも垂れ下がり、歩くクラトーの頭をかすめる。

 緩やかな坂を登り、腐った倒木を乗り越えたところで、空間が開けた。


 一軒の家があった。小さな菜園と背の低い果樹に囲まれた、木造の家。入口のドアには、小さな色硝子がはまっている。

 軒下の、雨水を溜める樽の向こうをのぞくと、古ぼけた井戸。奥には小さな家畜小屋があり、その手前で茶色のむくむくとした鳥が二羽、地面をつついている。

 家のすぐ後ろには、巨大な煙突のように、レンガ造りの灯台が空に伸びていた。昼間なので、灯りは入っていない。


 ドアは開け放たれ、なみなみと水の満たされたブリキの桶で抑えられていた。桶の中には、つやつやした丸い葉をもつ白い花が浮かんでいる。

 クラトーは、開け放ったままの戸口に立って呼ばわった。

「お届けものですよ」

 中をのぞくと、三人の老婆が、一斉に振り向いた。

「あらあら、新しい兵隊さん?」

 テーブルで手回しミシンを回していた老婆が、手を止める。

「ようこそいらっしゃい」

 スプーンを磨いていた老婆が、ところどころ抜けた歯を見せて笑う。

「荷物を持ってきてくれたの?」

 草の蔓のようなものを編んでいた老婆が、こちらを振り向く。


(……全員、同じ顔に見えるんだが)

 三人の区別がつかないまま、クラトーは中に入ると、背中の荷物を下ろした。板張りの床が、ゴトンと音を立てる。

 すぐそばに大きな暖炉があり、中に渡された棒から大きな鉄鍋が下がって、クツクツと音を立てていた。

「重かったでしょ、ご苦労さま」

「今お茶を淹れるわね」

「甘いものは好きかしら?」

 服装までみな同じ、黒一色の修道服に白の被り物では区別のつけようがない。クラトーは識別を早々にあきらめた。

 そこは板張りの壁の広い居間になっていて、奥の方だけ白い漆喰壁になっており、壁のくぼみに小さな祭壇がしつらえられていた。ささやかな礼拝堂か。


 クラトーは立ったまま、にっと口角を上げてあいさつした。

「おかまいなく。俺はクラトー、湾岸警備の仕事に雇われた。シュリーレンの生まれじゃないんで、この辺のことにはあまり詳しくないから、婆さんたち色々教えてくれよな」

「まあ、こんなお婆が役に立つかしら」

「ここで暮らし始めてずいぶん経つからねぇ」

「この島のことなら、誰よりも詳しいけどねぇ」

 三人が声をそろえて笑う。

「灯台の管理もやってるんだろう。大変だな」

 クラトーが言うと、三人の笑顔が深くなった。

「……私たちが灯を点してるんじゃないの」

「あんな高いところには、もう登れないからね」

「灯を点しているのは、森の精霊シルヴァンよ」

 クラトーは苦笑した。


(あいにくと、俺はおとぎ話は信じない性でね)

 クラトーは船に戻らず、森の中に潜んでいた。木々の隙間から、小屋と灯台が見えている。

(気になることは確かめておかないと。これも仕事だ)

 空の灰色がだんだん濃くなり、夕暮れが近いことをうかがわせる。森の中は暗くなるのも早い。

 ねぐらに帰る鳥の鳴き声、遠くでかすかに船の汽笛の音。小屋の煙突からは、うっすらと煙が立ち上っている。


 その時、灯台の玻璃板はりはん――灯室のガラスに、人影が映った。

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