2-1 異世界トリップ
悪夢のような現実がお姉ちゃんの妄想であれと願って眠りについて、お姉ちゃんが『うっそ~』とか美人にあるまじき腹が立つ変ポーズで笑いながら言ってくれる夢を見た翌朝の、わたしの落胆は酷かった。
朝だ。
ふわりとした柔らかな感触に包まれて、大きな窓から差し込む陽光がきらめき、小鳥のさえずりに耳を和ませる、さわやかな目覚め。・・・であってもよかったはずだ。少なくとも冒頭ぐらいは。
「おはようございます、勇者様。朝食の御用意が出来ておりますので、どうぞご支度を」
この人が一体いつからわたしの側で待機していたんだろうと考えると、窓ガラスを割ってやりたい気分になったわたしの悪夢は続く。
わたしはトリップをしてしまった。
何度もしつこいように確認するが、わたしは、トリップを、してしまったのだ。―――お姉ちゃんの妄想ではなく、わたしの悪夢でもなく、現実として、わたしはわたしの知らない世界に居る。
なんてことだ。
改めて。改めて、認識した自身の現状に、わたしはテーブルの上に並べられた朝食に手をつける気にならなかった。
サラダっぽい葉っぱの皿も、スープっぽい透明な液体も、パンのような茶色い塊もたまごっぽい黄色のぐちゃぐちゃも、現実だと思いたくない。
じっとテーブルを見つめるだけのわたし。―――そんなわたしを、じっとみつめるメイドさん。
気まずいばかりの沈黙が部屋を支配し、胸どころか喉まで一杯になったわたしが諦めて口をつけたスープは表面だけが冷たくて、生ぬるかった。
異世界トリップには幾つものパターンがある。
そう語るお姉ちゃんの話を、もそもそと朝食を食べながら思い出していた。
お姉ちゃんが憧れているのはまず、漫画や小説なんかの“知ってる”世界に行くタイプのトリップ。 好きなキャラとキャッキャうふふな生活をしたり、あの子(♂)とこの子(♂)をくっつけたり、物語の中でお姉ちゃんが嫌だと思った場面を変えたりしたいらしい。因みにこれを“有知トリップ”“原作改変”という。心底どうでもいいし、お姉ちゃんは腐ってる。
で、興味はあるけど現実になるのはちょっと・・・と、大好きだけど妄想だけでお腹いっぱいとあのお姉ちゃんが疲れたように言ったのが、異世界トリップ。
全く知らない世界、誰も知らない国が舞台の、若さナシでは生きられない過酷な現象。つまりは、お姉ちゃんはもう若くないから知らない場所で頑張ってと言われても頑張れるかー!ということらしい。妄想以外で頑張るつもりはないらしい。
この異世界トリップ、バリエーションはとにかく豊富で、お姉ちゃんが語った中でわたしが覚えている分だけでも十以上ある。
まずは王道、世界を救う救世主的な何かパターン。
これをさらに細分化してみると、異世界トリップの概念が産まれた時からおそらく主流だった、勇者様。この仲間に巫女やら女神やら、何とかの乙女がある。
どこかの国で何らかの問題が起きていて、それをぱーっと解決するのが話の基本で、ハッピーエンド以外の結末は存在しない。
同じく根強い人気を博したのが、生贄として竜だか神だか悪魔だかに捧げられるポジションで、それを回避するストーリー。主人公の知恵と勇気と時の運とかが試される。こちらもまた、大抵はめでたしめでたし。
これらに対して最近台頭してきたのが、勘違いモノや傍観モノ、正義ではなく悪の味方なんですよバージョンに、転生なんて事も起きる。
勘違いモノはその名の通り。ある日突然トリップしたら―――あ、間違えましたあなたじゃなかったみたいですでも帰せませんどうしましょう。フザケンナって話だ。
ちょっと違うニュアンスで、やることなす事いい方向に曲解して受け止められ、あれよあれよと言う間にすごい人認定されてしまう運命のいたずらにも程がある話。これは他のルートとも併用できるらしく、出来れば併用したくないわたしの願いはお姉ちゃんに届くだろうか。
で、傍観っていうのは、トリップしたけど、特に何も起きない・起こさないこと。
誰かが迎えに来るわけでなく、国が何らかの脅威にさらされてる風でもない。私は一体何しに来たの?ふつーにパン屋とか喫茶店とかで働いちゃうけど、いい?実はちゃんと勇者とかの役目があるのに何かの偶然が重なってのんびりしちゃうタイプ。
もしくは、ヤベー召喚されたっぽい冗談じゃないあんた等の為に命なんてかけれるか勝手に頑張れ勇者?そんな人知りませんこちとら単なる村人Cですけど何か?
傍観をやるのはある意味勇者になるよりツワモノと、キワモノのお姉ちゃんは言った。
そして悪の味方の代表格、いらっしゃいませ、魔王様―――そんな冗談みたいなお迎えが来たら追い返したい。宗教の勧誘なら、間に合ってます!!
生まれ変わりって信じる?死んだと思ったら生きていて、なぜか赤ん坊でした。しかも結構いい所の娘か息子。前世の記憶のあるわたしは、体は子供頭脳は大人――――それって得してない?人生二回とか、かなりお得。って思った当時のわたしは馬鹿だ。今だからわかる。大馬鹿だ。
『知らない』と認識できる思考があって、『知らない』場所に立つ事はこんなにも怖くて心細いのに。
ここまでを思い浮かべて、わたしはおそらく『勇者』ルートに乗ったのだろうと結論付ける。周りがわたしをそう呼ぶのだから、おそらくではなく確実だろうが。
朝食後、ぽつんと部屋に残されたわたしは改めて自覚した自身の状況に深いため息をついた。
「『勇者』とか・・・・・最悪」
思い至った結論は、正直、もっとも回避したいパターンだった。出来たら魔王の立場で呼んで欲しかった。そうすれば世界の一つや二つ、国の十でも二十でも迅速に滅ぼしてお役御免を狙うのに。
「なんでよりにもよって、こんな面倒なものに当たるかなぁ」
お姉ちゃんの話を思い出す。
『勇者』ルート。
それは、思い出したくても思い出しきれない程複雑に枝分かれしたストーリーの代名詞。
「勇者・・・まず、ここはお城みたいだから、わたしが乗ったのは『王族』ルートで、この世界は剣があるから『修行』コマンドが発動するでしょう?」
ぶつぶつと、記憶の底から攫うようにして思い出す、お姉ちゃんの言葉もとい妄想。駄々漏れにも程がある独り事でさえ、今のわたしにとっては貴重な情報なのでそれも思い起こそうと試みる。
昨日視界の端々におさめた人達は皆一様に腰に剣を携えていた。今わたしの部屋の前に立っている人も、甲冑プラス剣という見事なコスプレっぷりでお姉ちゃんが見たらフォルダに納まりきれないぐらい写真をとりそ・・・うなのは、今は置いておこう。
気を取り直して。
「でも『勇者』ってことは、独特の技?みたいなものがある可能性が高いし、一番可能性が高いのは魔法だろうけど・・・」
お姉ちゃんだったら大喜びで呪文とか唱えそう。あの年で低年齢向けの美少女戦士番組とか見てる人だし。エンディングダンスは完全にマスターしたよって、誇らしげに言っちゃう人だし。
「・・・お姉ちゃん」
いいって言ってるのに歌って踊り始めたお姉ちゃん。お姉ちゃんは運動神経が良いし歌もうまいから、その歌と踊りを知らないわたしでもつい見入ってしまう出来だった。お姉ちゃんの格好がスウェット眼鏡ノーメイクだったのはいただけないが。
踊りの最後に決めポーズらしき体制で静止し、ウインクまでつけたお姉ちゃんに本当は馬鹿なんじゃないだろうかこの人と我に返ってげんなりした。
そんな馬鹿な日々が、今は恋しい。恋しすぎて、泣きそうだった。
「・・・・・・お姉ちゃん」
ぐっと、下唇をかみしめる。息も止めて、体中に力を入れて、涙をこらえた。
泣いたらきっと、わたしはきっと、この悪夢に呑みこまれてしまう。そんな気がしたから。