1-1、うちのお姉ちゃんと、わたしのトリップ
うちのお姉ちゃんはちょっと変だ。
変・・・というか、世の中には多分、お姉ちゃんを表現するのにもっと適切な表現があると思うのだけれど、女子高生の私にはそれ以上の言葉が見つからない。読み進めていく中で、うちのお姉ちゃんにぴったりの表現を見つけた人がいたら、是非教えてほしいくらいだ。
さて、わたしが何をもって実の姉の異質性を訴えるかというと、それはお姉ちゃんが所謂『腐女子』である事に由来する。
『ああ、なるほど』とご理解ご納得いただけた方、ありがとうございます。そしてご理解いただけなかった方の為に少しの補足を。腐女子とは:最近市民権を得てきた、男性同士の恋愛をこよなく愛する女性の総称。
これだけでも、世間一般から外れていることはわかっていただけると思うのだが、わたしが問題視しているのはそこだけではない。
腐女子だからお姉ちゃんは変なのではなくて、お姉ちゃんが腐女子なのが変なのだ。そこのところ、詳しく説明させていただきたい。
お姉ちゃんは、腐女子な彼女たちの中でも『隠れ腐女子』というやつで、一般人を装って生活しているタイプだ。大学の時も、社会に出てからも、今も、お姉ちゃんの友達でお姉ちゃんが腐女子であることを知っているのは小学校からの友達であるともちゃんぐらい。因みにともちゃんは腐女子を卒業したらしい。卒業できるなんて、どこかのアイドルのようだ。
更に、お姉ちゃんは『夢見乙女』とやらも兼務しているらしく、そういった称号が増える度にわたしは彼女の将来が心配になるわけだが、当時既に立派な成人女性だったお姉ちゃんにとってみれば未成年の妹の心配なんて杞憂に過ぎないだろう。
マンガ・小説・ゲームをこよなく愛し、パソコンなしでは生きていけないと豪語するお姉ちゃんがどこへ行こうとしているのか聞いてみたところ間髪いれず『異世界!』とのたまった、大人になるって何だろうと幼心に頭を抱えた微笑ましいエピソードもある。
話がそれたが、隠れ腐女子兼夢見早乙女であるお姉ちゃんは、それはそれは立派に擬態している。妹の私でも感心するぐらい、お姉ちゃんの外面は完璧だ。
その完璧な外面を可能にしているのが、お姉ちゃんの外見。すらりとした長身で、ヒールをはくと170cmを軽く超える彼女は顔も美人顔で、『モデルさんみたい』とわたしの友達から絶賛されていた。
確かに、お姉ちゃんはキレイ系の顔をしていると思う。身内の欲目を差し引いても。卵型のすっきりとした輪郭は、丸顔のわたしからみても羨ましい限りだ。
けれど、わたしはそれを妬ましいとは思わない。何故って、お姉ちゃんが今のお姉ちゃんになるために多大な努力をしているのを知っているからだ。
高校生の時のおねえちゃんは、背こそ高かったものの、体重は今の倍ぐらいあったんじゃなかろうか。所謂『デブ』だった。ころころ丸くて、髪を伸ばすと顔が丸く見えるからなんて今更な理由で短髪にしていて、それがまるでお相撲さんのように見える程度には太かった。
そんなお姉ちゃんの転機は高校三年生の春。大学入学前の二カ月で死ぬ気ダイエットを決行したお姉ちゃんは見事に大学デビューを果たした。
細くなり、化粧をすることを覚えてからも、お姉ちゃんは努力を怠らなかった。食事セーブに毎日のストレッチ、美肌を保つための高い化粧品代はお姉ちゃんのバイト代から出ていたし、服も同様、サプリメント摂取もあたりまえ。メイク術の研究にも学業以上の熱心さを見せ、社会人になってからは給料の半分をつぎ込んで週一でエステ、月一で皮膚科に通ってアンチエイジングに努めているお姉ちゃんの最近の趣味は『自分』だそうだ。もういっそすごい。
そうやって仕上がった『お姉ちゃん』。湖面を優雅にすべる白鳥のごときお姉ちゃんを尊敬こそすれ、妬む要素はどこにもない。
働いている時のお姉ちゃんは『キャリアウーマン』の見本のような人で、高そうなスーツをパリッと着こなし、メイクはナチュラルに、髪型にも気を抜かず、身につける小物類にも気を使って全身武装している。
お姉ちゃんの職業はファッション雑誌の編集さんで、オシャレな女の人と、オシャレな男の人に囲まれて、でも身内の欲目を差し引いてもお姉ちゃんは一番オシャレで一番美人だった。部下の人からも慕われているようで、尊敬されてもいるみたい。何度か職場に連れて行ってもらったけど、働いているお姉ちゃんはドラマの主人公みたいだった。
ね、お姉ちゃんって、変でしょう?
それだけの努力をして、仕事があって、認められて、完璧なのに――――――――腐女子やっているのだ。とどまるところを知らない妄想、腐と夢をライフスタイルの一部とし食事や睡眠と同じだとはばかりながらも豪語するあの勢いはどこから来るんだろう。
なんで?って、思っちゃうよね。何で、普通に、格好いいOLで終わらないんだろう、って。
お姉ちゃんの独り暮らしのアパートには他人に見せてはいけない、主に紙類が山のようにある。押し入れに収まりきれないそれを、友達が遊びに来たときなんかどうしているのだろうかといつも疑問に思うが、きっとうまく隠しているのだろう。そういうところ、ぬかりないのだ、あの人は。
けれど、わたしにはよくわからないが、あーゆー世界には越えてはいけない一線的なものがあって、どの道踏み込んでしまったんなら一緒だろうが、お姉ちゃんはその線の手前で踏みとどまっているようだ。
一度だけ、お姉ちゃんに言った事がある。
「お姉ちゃんって、見た目と中身のギャップありすぎだよね。それ、ナニ狙ってんの?」
たまの連休で帰省すると、お姉ちゃんはスウェットに前髪ポンパ崩れのだらしない格好でBLマンガに囲まれてゴロゴロする。流石に居間で男の人同士があられもない姿で絡み合う強烈な絵の数々を広げるわけにはいかないお父さんに卒倒される、というまともなことを言いながら、やっている事はお父さんが卒倒しそうな自堕落生活。
そんなお姉ちゃんは無作為に選んだマンガをぱらぱらとめくりながら、答えてくれた。
「これはー、平穏に生きるための知恵ですよ、なえちゃん」
「平穏?」
お姉ちゃんが見ているマンガの挿絵から目を逸らしながら聞き返す。ちなみに『なえちゃん』はお姉ちゃんがわたしを呼ぶ時の愛称で、本名は『さなえ』だ。
ちょっと視線を巡らせばそこここにBL的なアレこれがあるお姉ちゃんの部屋は一般人のわたしからすればデンジャラスすぎるゾーンだが、この部屋にはこたつもあるしクーラーもあるしテレビだってあるので入り浸ってしまうのだ。
「そ。あたしは高校卒業間近に悟ったのです。世の中っていうのは、本当の性癖と趣味は隠して生きていくのが自分にも周りにも良いってことを・・・もうちょっと言えば、別にさ、わざわざ言う事でもなくない?『あたしBL大好きなんだ―好きなCPは色々ありすぎて語りきれないけどちょっと前はオヤジ受けでもっと前はヘタレ攻め今はそうだなぁリーマン物ならたいてい好物。君は誘い受けタイプだね』とか。失敗しちゃった自己紹介の最たるものだよね」
「ああ、そりゃ大失敗だ」
別にそこまで突っ込んだ事を言わなくていいんじゃないだろうかと思ったが、わたしに腐女子的自己紹介のノウハウなんてわかるはずもなく、きっと相手のタイプ?まで指摘するのが彼女たちの流儀なのだろうと余計な言葉はいわないでおいた。
「ねー。そんでね、言うもんでもないなーと思ってたのが、言わなくなっていったら今度は言えなくなっちゃって、なんか隠れ的なあたしになってしまった、というわけよ。今では勇気がいるわーこのカミングアウトには。ま、そうしなくていいように見た目完璧に取り繕ってんだけど。突き詰めたらオシャレ女子キャラもコスプレみたいで楽しいんだよねー」
言って、うへっと奇妙な笑い声を上げたお姉ちゃんはもうイロイロ駄目だやっぱり変な人だと思ったのが高校一年生の冬。
そんな変なお姉ちゃんが恋しいと思ってしまった、高校二年生の夏。
「お、お姉ちゃぁん・・・・」
石造りの壁に囲まれた薄暗い部屋の、冷たい床の上。
「おお・・・・・・・・」
「降臨なされた」
「いらされたぞ、」
「女神」
「予言の」
「勇者よ」
黒づくめの変な服を着た集団に囲まれて、この非日常を打ち破る非常識の象徴としてお姉ちゃんを求めたわたしの思考回路に異常なし。