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お姉様の代わりに醜い将軍に嫁げと言われましたが、素敵な旦那様でした

作者: 百鬼清風
掲載日:2026/11/02

「エルヴィール、お姉様の代わりに、あなたが将軍閣下に嫁ぎなさい」


(えっ、何かと思ったら、いきなり結婚!?)


 姉のレースの手袋を洗ったばかりで、まだ手が冷たい。ドレスの陰に隠し、次は何を洗えと言われるのだろうと思っていたのに、まさか結婚だなんて……。


「将軍閣下は、お姉様の婚約者でいらっしゃいますよね?」

「だから、あなたに譲ってあげると言っているのよ」


 姉のオルタンスは、ソファに座ったまま答えた。


 四つ年上の姉は金髪に青い瞳の美人で、両親からとにかく甘やかされている。一方、十九歳の私に回ってくるのは、姉のお下がりと使用人の仕事ばかり。家族が食事を終えたあと、台所で一人で食べる日もあった。


「冗談じゃないわ。あんな醜い男と結婚するくらいなら、一生独身でいたほうがましよ!」


 姉はそう言って、扇でぱたぱたと顔をあおいだ。


 相手は北部辺境軍のグレゴワール将軍。伯爵でもあり、先日の決戦で長年争っていた隣国を破った人だ。姉との縁談は、出征前にまとまっていた。


 将軍は顔に大きな傷を負って帰ってきたらしい。英雄と褒める人もいるのに、姉が王都で聞いてくるのは、顔が怖いという噂ばかりだった。


「閣下には、まだお会いしたこともございません。急に嫁げと言われましても……」

「お前は姉の代わりに嫁げばいい。それくらいしか、この家の役に立たないのだからな」


 父は面倒そうにしているけれど、せめて話くらい聞いてほしい。家の仕事も手伝ってきたのに、役に立たないと言われるのは悔しかった。


「オルタンスにはもっと良いご縁があるわ。わざわざ辺境に送ることはないでしょう」

「ですが、お母様……」

「将軍との縁まで切るわけにはいかん。お前が行けば済む話だ」


 何を言っても駄目だった。三人とも、私の気持ちなど考えずに嫁がせるつもりらしい。


 傷が怖いわけじゃない。知らない相手と結婚し、嫁ぎ先でもこき使われたり、邪魔者扱いされたりするのが怖かった。


(でも、ここにいたってドレスはお下がりだし、家族の食卓に私の席はないんだよね……)


 翌朝には、着替えを詰めた小さなトランクとともに馬車に乗せられていた。見送ってくれたのは使用人だけ。

 家族の姿がない屋敷の窓を見るのも嫌で、膝の上に手を重ねたまま前を向いていた。


◇


 六日かけて辺境の城館に着き、将軍を目の前にした途端、挨拶を忘れてしまった。

 確かに傷はある。左のこめかみから頬にかけて、長い傷跡が残っていた。

 それでも、つい見とれてしまう。


(ちょっと待って。こんなにかっこいい人だなんて聞いてない!)


 黒髪に金褐色の瞳。鼻筋がすっと通り、背が高くて肩幅も広い。少し怖そうではあるけれど、傷があってもきれいな人だ。初対面なのに、つい見つめすぎてしまった。


「姉君ではなく、あなたが来たのか?」


 低い声にはっとした。


(あっ、見とれてる場合じゃない。挨拶、挨拶!)


 慌てて頭を下げた。


「ルノー子爵家の次女、エルヴィールと申します。父からお話は届いておりますでしょうか?」

「ああ。ただ、あなた自身が承知しているかどうかは書かれていなかった」


 縫い直した袖口に目を落とし、何と言えばいいのか迷った。傷の話をするのは気が引けるけれど、事情を隠すわけにはいかない。


「姉はお顔の傷を怖がり、結婚を拒みました。それで、私が代わりに嫁ぐよう命じられたのです」

「あなたも、俺との結婚は望んでいない?」

「まだ、閣下のことを何も存じませんので……」


(今の言い方、ちょっと失礼だったかな……?)


 口にしてから不安になった。


 けれどグレゴワールは怒らず、椅子を勧め、自分も向かいに座ってくれた。おかげで少し落ち着いて話せそうだった。


「ならば、今すぐ決める必要はない。断っても構わない。姉君との婚約は、先方の申し出どおり解消する」

「私までお断りしても、よろしいのですか?」

「嫁ぐのはあなただ。俺は子爵の返事ではなく、あなたの返事を聞きたい」


 膝の上の手を見つめたまま、すぐには返事ができなかった。


(私がどうしたいか、ちゃんと聞いてくれるんだ……)


 家では一度も尋ねられたことがなく、すぐに答えられない。それでも急かさずに待ってくれるのがありがたかった。


「……実家には戻れないと思います」

「それなら別の住まいを用意しよう。結婚しなければ追い出す、という話ではない」


(え、結婚を断っても、住むところまで用意してくれるの?)


 戸惑う私を急かさず、彼はまず旅の疲れを取るよう勧めてくれた。


 その日は温かい鶏肉のシチューとクロワッサンを食べ、用意された部屋で眠った。翌日もその次の日も、使用人が私を花嫁と呼ぶたびに、彼はまだ決まっていないと訂正してくれた。


(ほんとに待ってくれてる。私が自分で返事するまで)


 到着から三日たち、今度は私から彼に会いに行った。


「閣下の妻になりとうございます。ここで、あなたのことを知っていきたいのです」


 彼は大きく息を吐き、初めて笑顔を見せた。


 笑ってくれたのがうれしくて、もう一度あの顔を見たくなる。真面目に結婚の返事をしたばかりなのに、そんなことを考えるのは恥ずかしい。


 姉との婚約が解消されたのを確かめ、その日の午後、城館の礼拝堂で結婚した。姉の代わりに来た私が、自分で選んだ人に、自分の名前で誓った。


◇


 結婚した夜、寝室の前で思わず足が止まった。


「俺の部屋は向かいだ。何かあれば呼んでくれ」


 グレゴワールが開けてくれた扉から、寝室をのぞいた。


 大きなベッドには新しいシーツが掛かり、暖炉には火が入っていた。厚いカーテンもあって暖かそうだ。


(これ、ぜんぶ私のために用意してくれたんだ……)


 ありがたいけれど、一人で使うのだと思うと少し寂しい。


(結婚できてうれしかったの、私だけ……?)


「……私では、お気に召しませんでしたか?」


 思い切って尋ねると、彼は驚いた顔をした。


「何故そうなる?」

「寝室を別にされると伺いましたので」

「知り合って、まだ三日だ。あなたが嫌がることを、夫だからといって強いるつもりはない」


 そうだったのか。気遣いを取り違えてしまった。


 頭を下げて部屋を見ると、枕元には水差しまで用意されていた。夜中に喉が渇いても台所に行かずに済む。こういう心遣いは、やっぱりうれしい。


「お心遣い、ありがとうございます」

「寒くはないか?」

「ええ」

「夕食は足りたか? 遠慮して残したのなら、何か持ってこさせるぞ」

「十分いただきましたわ。リンゴのパイまで」

「そうか。寝具はどうだ? 柔らかすぎるなら替えられる」


(ベッドの柔らかさまで? うーん、まだ触ってもないしなあ)


 何もかも気にしてくれるものだから、なんだかおかしくなって笑ってしまった。私が困らないように、ずっと考えてくれていたんだ。


「閣下……いえ、旦那様。何もかもご心配なさらなくても、大丈夫ですわ」


 初めて旦那様と呼ぶと、彼は何か言いかけて黙った。


(さっきまであんなに話してくれたのに。いきなり旦那様って呼んだの、なれなれしかった?)


 彼が口元に手を当てるので、こちらまでそわそわしてしまう。


「あなたは、そうやって笑うのだな」

「おかしゅうございました?」

「いや。……もっと見ていたかった」


(もっと見てたかったって……私が笑ってるとこを?)


 うれしいのに照れてしまい、かえって笑えなくなった。


 頬が熱くなって部屋に入ったけれど、もう少し話していたい。せめて明日の約束だけでもと思い、扉から顔を出した。


「明日の朝も、ご一緒に食事をしてくださいますか?」

「もちろんだ。待っている」


 扉を閉め、そっとベッドに腰を下ろした。


(わ、ふかふか! 柔らかすぎるかはわかんないけど、これはぐっすり眠れそう)


◇


 結婚して三週間。今では朝食の時間が待ち遠しい。


 丸パンとオムレツ、ハムが並ぶ食卓で、旦那様が紅茶を注いでくれる。給仕の人もいるのに、自分で注ぎたいらしい。うれしいので、今では遠慮なく甘えている。


「今日は遅くなる。夕食は先に取ってくれ」

「では、お帰りになりましたらお話を聞かせてくださいませ」

「眠くなったら先に休むのだぞ」

「お約束はできませんわ」


 そう答えると、困ったような、それでも少しうれしそうな顔で笑ってくれる。


 帰りが遅くても、私の部屋に明かりがついていれば立ち寄ってくれる。軍務の話ができない日には、馬が飼い葉をひっくり返したことなどを聞かせてくれる。そんな時間が好きだ。


 ただ、夫のいない昼間は何をしたらいいのか分からなかった。


 ある朝、忙しそうな侍女を手伝い、廊下でシーツを畳んでいると、戻ってきたグレゴワールに止められた。


「それは任せておけばいい。あなたは休んでいてくれ」

「ですが、これくらいでしたら」

「家でもしていたのか?」


 家族の洗濯や繕い物をしていたし、姉がお客様を招く日にはその手伝いに追われ、食事は後回しだった。うなずいて、そんな話をした。


 彼は話を聞きながら、シーツを持つ私の手を見ていた。


「ここでは、食事のために働く必要はない」


(休んでいいのはうれしいけど、じっとしてるのも落ち着かないな。私だって、ちょっとは役に立ちたいし)


「私にも、何かできることがあればと思うのです」

「……あなたがしたいことか?」

「はい。まずは、この土地のことを知りとうございます。何も知らないまま奥様と呼ばれるのは、少し恥ずかしくて」


 それなら、と夫が領都の市場に誘ってくれた。


 街では誰もが夫に親しげに話しかけてくる。パン屋の主人も「また買いに来てくださいよ」と笑っていた。


(へえ、旦那様ってここのパン屋さんによく来るのかな?)


 夫はパン屋の主人に腰の具合を尋ねていた。前に話したことを覚えていてもらえたら、きっとうれしいだろうな。


 煮崩れしにくいリンゴを一袋買った。明日は夫とリンゴのパイを食べたい。蜂蜜の店では味の違いをあれこれ尋ねてしまい、待たせた夫に謝った。


「急いで帰る用事もない。気になるなら聞けばいい」


 安心した。


(じゃあ、もう一軒。旦那様と一緒にのぞいていきたいな)


 ところが、広場の近くで母親に抱かれた子供が、夫を見て泣き出した。

 子供は夫の顔の傷を指さしている。グレゴワールが何も言わずに少し離れると、母親は慌てて頭を下げた。


「申し訳ございません、将軍閣下。この子の父親を助けてくださった方ですのに……」

「幼い子だ。気にしなくていい」

「夫は毎晩、閣下のおかげで帰れたのだと申しております」


 夫は子供を叱らず、母親にその父親の体調を尋ね、無理をさせないよう伝えていた。家で私を気遣うときと同じ話し方だ。


 母子に手を振ってから、夫を見上げた。


(こうやって、いつもみんなのこと気にかけてるんだなあ)


 そんな人が私の旦那様だと思うと、誰かに自慢したくなる。


 帰り道、初めて自分から夫の腕を取ってみた。

 夫がぴたりと足を止め、私も立ち止まった。


(思いきって腕を取ってみたけど……まだ早かった?)


「お嫌でしたか?」

「……いや。続けてくれ」

「歩くことでしょうか。それとも、腕を?」

「両方だ」


 夫は耳まで赤くなっていた。


(腕を組んだだけで、そんなに照れちゃうんだ……)


 こちらも恥ずかしいけれど、離したくない。


◇


 数日後の冷たい雨の夜、談話室で向かい合って座る夫の様子が気になった。

 暖炉のそばで、夫は時折左の頬を押さえている。夕食のときから口数も少なく、心配だった。


「傷が痛むのですか?」

「冷えると少しな。医者にも診せている。それほど心配することはない」


 そう言われても気になり、そばに行くと、夫は傷のない側をこちらに向けた。


「怖いなら、右側に座るといい」

「今さらですわ。毎朝、向かい合ってお顔を拝見しておりますのに」

「……そうだったな」


 怖がっていないと伝えたくて、夫の左隣に座った。

 しばらく黙って雨音を聞いていると、夫が傷の話を始めた。


「最後の戦いで斬られた。倒れた兵を助け起こしたところを狙われたんだ。俺は帰ってこられたが、あの戦いでは大勢死んだ」


 そう言って、夫は黙った。


(こういうとき、なんて言ったらいいんだろう……)


 勝利を喜んでも、立派な傷だと褒めても、夫のつらさは軽くならない気がした。


「皆は武勇の証だと言う。だが、鏡を見ると、助けられなかった部下のことも思い出す。……誇らしいばかりではない」

「……お話しくださって、ありがとうございます」


 夫の手に、そっと自分の手を重ねた。

 慰める言葉は見つからない。


(私の前では隠さなくていいんだよ、その傷)


「お顔に触れてもよろしいですか?」


 うなずいてくれたので、痛くしないよう、傷の端にほんの少しだけ指を添えた。

 夫は私を見つめたままだ。


「このお顔が好きです。傷を隠していただく必要もございません」

「同情なら、無理に……」

「同情で、毎朝お会いするのを楽しみにしたりしませんわ」


 口にしてから、急に恥ずかしくなった。


(恥ずかしいけど……言わなきゃ伝わらないよね)


 毎朝会えるのがどれほど楽しみなのか、ちゃんと知ってほしかった。


「私の話を聞いてくださるところも、お疲れなのに会いに来てくださるところも好きです。お姉様が嫌がった理由が、今では分かりません。こんなに素敵な旦那様なのに」


 夫が私の背中に手を添え、初めて抱き寄せてくれた。ためらいがちなところもいとおしい。離れたくなくて、彼の服をつかんだ。


「あなたに触れたいと、ずっと思っていた」

「仰ってくだされば、よろしかったのに」

「困らせたくなかった。だが、あなたが笑うたびに、もっとそばにいてほしくなる」


 夫は少し腕を緩め、私の顔を見た。


「愛している、エルヴィール」

「私も、お慕いしております」


 こんなに近くで見つめられるのは、まだ慣れない。


(でも、あとちょっとだけ。こうしてぎゅってされてたいな)


 目を閉じると、夫の唇が触れ、すぐに離れた。もう一度、とお願いしたくなる。目を開けても、夫はまだ私を見つめていた。


 だから二度目は、私から口づけた。


◇


 翌週、王都から使者が訪れた。


「国王陛下は、グレゴワール・ド・ヴァレンヌ伯爵を公爵に叙するとお決めになりました」


 使者と夫を見比べた。


(えっ、公爵!? 今は伯爵だよね。侯爵は飛ばしちゃうの?)


 長い戦を終わらせた功績が認められ、王宮で正式に爵位を賜るそうだ。


「では、私も公爵夫人に?」


 使者が帰ってから尋ねると、夫は当然だとうなずいた。


 伯爵夫人にやっと慣れたところなのに。少し前まで、朝食に何を食べたいか聞かれるだけで困っていたのだ。


(私に公爵夫人なんてできるのかなあ……)


「そんな大役が、私に務まりましょうか?」

「俺は将軍であることに変わりはない。あなたも、今までどおりでいい」

「ですが、作法なども……」

「分からなければ一緒に習おう。俺だって、公爵になるのは初めてだ」


 夫だって、公爵になるのは初めてなんだ。一緒に覚えてくれるなら心強い。思わず笑ってしまった。


(よし、私も練習がんばろ!)


 灰青色の瞳に合わせて青いドレスを選んだ。栗色の髪も結ってもらうと、いつもよりきれいに見える。お下がりばかりで気づかなかったけれど、私にも似合う色があったんだ。


(旦那様も、似合ってるって思ってくれるかな)


 六日かけて王都に到着し、その二日後に王宮に行くことになった。


 大勢の貴族が見守る中、夫は国王陛下から公爵位を賜った。北部を守った功績を褒められる夫が誇らしく、私まで背筋が伸びた。


 そんなことを考えていると、私も夫の隣に呼ばれた。


「夫人ともども、末長く国の支えとなってくれ」

「ありがたきお言葉にございます」


 夫に合わせてお辞儀をした。


(裾、踏まなかった! ああ、練習しといてよかった……)


 祝宴では、公爵夫人と呼ばれてもすぐに自分のことだと気づけず、返事が遅れてばかりいた。

 そのとき、聞き覚えのある声がした。


「……あれが、エルヴィール?」


 母だ。姉も父も一緒だ。

 姉は私のドレスをじろじろ眺めてから、グレゴワールににっこり笑いかけた。こちらが挨拶しようとしても、見向きもしない。


(……見たくなかったな。お姉様が旦那様にあんな顔して笑うとこ)


◇


「グレゴワール様。ずっとお会いしたかったのです」


 姉は甘ったるい声で近づいてきた。

 あんなに怖がっていた傷も、相手が公爵になれば気にならないらしい。


(ちょっと、お姉様。それ、いくらなんでも都合よすぎない?)


「ルノー子爵家のオルタンスですわ。本来は、私があなたの花嫁になるはずでしたの」

「存じている。何か御用かな?」

「ええ。妹がお世話になりました。もう私が参りましたから、ご安心くださいませ」


 姉が私の前に出ようとしても、夫はずっと私の手を握っていてくれた。


「何を安心しろと?」

「エルヴィールは私の代わりを務めただけですわ。改めて、私を妻にお迎えいただけませんか?」

「お姉様。旦那様の妻は私です。留守番をしていたわけではございません」


 夫の前でそんなことを言われて、黙っていられるわけがなかった。

 そこでやっと、姉が私を見た。


「あなたが公爵夫人だなんて、身の程知らずにもほどがあるわ! 今まで私のお下がりばかり着ていたくせに」

「好きで着ていたのではありませんわ」

「エルヴィール、お姉様に向かって何ですか!」


 今度は母に叱られた。


(え、なんで私が怒られるの?)


 姉の言うことには賛成するくせに、私が嫌だと言えば叱る。


(今回ばっかりは、おとなしく言うことなんて聞かないからね)


「オルタンスなら、どなたの前にお出ししても恥ずかしくありません。公爵閣下のお隣には、この子こそふさわしいと存じます」

「俺との結婚を拒んだのは、その娘御のほうだったはずだ」


 グレゴワールが母の言葉を遮って姉を見ると、姉は慌てて扇を畳んだ。


「お傷が怖かっただけですわ。本当はお慕いしておりましたの。エルヴィールでは、ご不便もございましょう?」

「何もない」

「ですが、この子は人前に出すには地味で……」

「妻を貶める話は、もう聞きたくない」


 夫の声が低くなり、近くで話していた人たちまでこちらを振り向いた。

 つないでいた夫の手を、ぎゅっと握り返した。


「俺が結婚したのはエルヴィールだ。代用品を迎えたのではない。妻を替えるつもりもない」


 姉は唇をかむと、今度は私の顔に詰め寄った。


「あなたから辞退なさい。公爵夫人は本来、私だったのよ!」

「お断りいたします」

「何ですって?」

「お姉様のドレスを直すのも、お客様のために働くのも、ずっと嫌でした。ですが、旦那様との結婚は自分で選びましたの。お姉様にはお譲りしません」


 自分でも驚くほど、はっきり言えた。

 夫とずっと一緒にいたい。毎朝お顔を見るのが楽しみになるほど好きなのだ。


(お姉様がなんて言っても、これだけは譲れないよ)


「旦那様と幸せに暮らしております。どうか、邪魔をなさらないでくださいませ」

「妹のくせに、生意気よ!」


 姉が怒鳴ると、少し離れたところで聞いていた父までやって来た。


「エルヴィール、姉に恥をかかせるな。家のために身を引きなさい」

「嫌です!」

「誰が結婚を決めてやったと思っている! 私が決めた婚姻だ。こちらの都合で替えたところで、何がおかしい?」

「私だって物ではございません。旦那様も、お父様のご都合で妻を選び直す方ではありませんわ」


 父は顔を真っ赤にして、右手を振り上げた。

 殴られると思って身をすくめた。でも、痛みは来ない。グレゴワールが私の前に立ち、父の腕をつかんでいた。


「妻に触れるな!」


 父は腕を振りほどこうとしてもできず、痛いと騒いでいた。私は夫の後ろから一歩出て、父を見た。


「その手で殴っても、お返事は変わりません」


 周りがざわつき、母は父に呼びかけていた。姉も青い顔で黙っている。

 そこに、国王陛下が人垣を分けてやって来た。


「何の騒ぎだ」


◇


 国王陛下の姿を見た途端、父の声は小さくなった。


「陛下、お騒がせして申し訳ございません。娘が親に逆らいまして、少々言い聞かせておりました」

「言い聞かせるために手を上げたのか?」


 父は先ほどの勢いを失い、答えに詰まった。

 グレゴワールが父を近衛兵に引き渡して戻ってきたので、私もまた隣に並んだ。


「陛下。この者たちは、私の妻を長女と替えるよう求めております。長女が婚約を拒んだためにエルヴィールを送り出し、今度は公爵夫人の地位が欲しいと申すのです。実家では使用人同然に扱われていたとも、妻から聞いております」

「そのような言い方はおやめください。娘たちに最善の道を……」

「妻を殴ろうとし、蔑み、夫まで譲れと命じる。それが親のすることか?」


 夫は父をじっと見ている。あれでは言い逃れもできないだろう。


「夫人。そなたも、そうした扱いを受けてきたのか?」


(よし。今度は私の番だ)


 一礼して顔を上げた。大勢の前で国王に話すのは緊張する。


(自分のことだもん。ちゃんと自分の言葉で話したい)


「はい、陛下。姉には新しいドレスが与えられ、私には古着しかございませんでした。洗濯や繕い物を命じられ、家族と食事をさせてもらえない日もありました」

「我慢を教えていただけだ。娘をどう育てるかは親の自由でございましょう」


 父が口を挟んでも、国王陛下は私に続きを話すよう促してくれた。


「結婚も、すぐには承知できませんでした。お会いしたこともない方でしたから。断ってもよいと仰ってくださったのは、実の両親ではなく、旦那様です。そのうえで、この方の妻になると自分で決めました」


 母はまだ不満らしい。


「陛下、長女にふさわしい夫を与えたいだけでございます」

「エルヴィールに公爵夫人は務まりませんわ。私なら、閣下のお役に立てます!」


 姉の言い分も聞いたうえで、国王陛下は父に尋ねた。


「ルノー子爵。これが、そなたの家の考えか。最後に言いたいことはあるか?」

「娘は父親に従うべきでございます。エルヴィールさえ承知すれば、何の問題も……」


 父が答えると、国王陛下は冷たく言い放った。


「父親なら、王宮で公爵夫人を殴ってよいと言うのか?」


 父は黙り込み、周囲の人たちも声を出さなかった。


「そなたは娘の婚姻を家の利益のために利用し、王宮で公爵夫人を殴ろうとした。私が公爵夫妻として迎えた二人に、離縁まで命じるとは。弁明を求めても、なお娘の意思を踏みにじる。そなたに領民を預かる貴族の資格はない」


 父は慌ててひざをついたが、今さら許してもらえなかった。


「ルノー子爵から爵位を剥奪し、領地を没収する。そなたと妻には王都からの退去を命じる。長女ともども、この場から連れ出せ!」


 母が悲鳴を上げた。姉も近衛兵に連れ出されそうになり、父にすがりついた。


「お父様、何とかして! こんなことになったら、私まで貴族でなくなるではありませんか!」


 けれど、父も国王陛下に許しを請うばかりだ。


 公爵夫人になろうとして、姉は貴族令嬢の身分まで失った。姉は広間から連れ出され、両親も近衛兵に促されて後を追った。


◇


 私たちは辺境に帰る馬車に乗っていた。

 わずか数日で、ルノー家の一件は王都中に知れ渡ったらしい。姉の縁談までなくなったと聞いた。


「ルノー家の三人は昨日、王都を去った。姉君との縁談は、侯爵家の跡取りも伯爵家の次男も断るそうだ。両家の当主から直接聞いた」


 出発前、グレゴワールがそう教えてくれた。


 どちらも姉が熱心に狙っていた相手だ。もっといい人がいるかもと、なかなか一人に決めなかったのを覚えている。

 両親は爵位と領地の収入を失い、姉にドレスや宝石を買ってやるのも難しくなるだろう。姉は公爵夫人になれず、望んでいた縁談も失った。


 馬車の窓から遠ざかる王都を眺めた。あと六日で城館に帰れる。行きは不安だったのに、今は帰るのが待ち遠しい。


「旦那様、あのときはありがとうございました」

「妻を守るのは当然だ。礼など要らない」


 そう言った夫は、私の顔をのぞき込んだ。


「ただ、あのような場で家族と争うのは、つらかっただろう」

「ええ、腹は立ちましたわ。でも、帰る場所がございますもの。もう平気です」


 夫の隣に座り直したところで馬車が揺れ、肩が触れた。そのまま寄りかからせてもらう。


「城館に戻ったら、また市場に参りましょう。旦那様とご一緒に」

「あなたは、ほかに望みはないのか? 王都にはもっと店もあるし、欲しいものがあるなら……」

「それがよろしいのです。お分かりになりませんか?」


 夫は少し考えてから、照れくさそうに笑った。


「俺も、あなたと帰りたかった」


 たくましい腕で抱き寄せてもらい、夫の頬に口づけた。


「愛しております。私の、世界で一番素敵な旦那様」


 今度は夫も、ためらわずに口づけてくれる。


(うれしいな。あの城館に、この人と一緒に帰れるんだ)


 そう思うと、六日の旅まで楽しみになってきた。


完。

お読み下さりありがとうございます。

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「結婚式の花嫁を妹に替えるそうなので、私は帰ります」公開中!

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― 新着の感想 ―
国王陛下の推挙にケチ付けるとは……成敗っ! 星5つです。
これ話をよく見たら『親が勝手にそもそも妹を先に嫁がせてた』のであって、姉が断ったのが先ではないですよね
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