メアリーの恋3
夜の濃さが深まる時刻、ダニエルはクラブの個室で、ウィスキーを嗜めていた。
急いで飲むのではなく、ゆっくりと舌で味を噛みしめるように、コップに口をつけていく。
顔は赤くなってはおらず、ダニエルは酒に強かった。
「ー失礼いたします」
ドアがノックされ、ダニエルはそちらへ目を向ける。
コップをテーブルに置くと、しっかりした声で答える。
「ーどうぞ」
「はい」
静かにドアが開き、1人は頭を下げ、もう1人は堂々とした姿である、
後者のほうが帽子を脱ぐと、ボールハンガーにかける。
「ー俺にもウィスキー」
「畏まりました」
丁寧に言うと、ドアが閉まる。
その途端、静かだった場が熱気を放つ。
客人の顔は強張っており、ダニエルを睨んでくる。
ダニエルは心当たりがあるので、何でもないように平然を装う。
「ーダニエル」
「…何だい、ケント?」
一方は緊張し、一方は荒れる空気を和らげるような声音となる。
客人ーケントは靴の音を立てると、ダニエルの向かい側に座る。
どちらも目を逸らさず、真剣な雰囲気が漂う。
「ー用件は分かっているな?」
「言わなくても分かるよ」
ダニエルは肩を竦めると、ドアがノックされ、ケントのウィスキーが届く。
ケントはそれを一気にあおると、ダニエルに問い詰める。
「どうして邸に、メアリーに会いに来ない?」
「うん? まあ、色々とね」
はぐらさそうとダニエルは、乾杯の意味を込めて、コップを差し出したのだが、ケントは拒否し、コップをテーブルの上に置く。
ケントが怒るのは珍しいことだった。
ー可愛い妹のためだものな。
ダニエルはほうと息を吐くと、正直な気持ちを口にする。
「ー押して駄目なら、引いてみろ」
「は? 何だって、ダニエル?」
「恋の駆け引きさ。僕だけ熱心に好意を伝えても、メアリーは戸惑うばかりのようだから。少し距離を置こうと思って」
「あのな…。メアリーは恋愛の初心者なんだぞ?」
「分かっているよ。だから大事に、大事にしないと」
「何が大事に、だ。毎日、塞ぎ込んで、こちろは見ていられない」
「毎日? …それは大きな効果があったかな」
ダニエルはコップを揺らすと、独りごちる。
「…少しは大人になったっていうことかな?」
「何だって?」
「何でもない。それよりおかわりは?」
「いらない。それよりもお前に用がある」
「何だい? 僕に用って?」
「ーこれだ」
ケントはポケットから、1通の封筒を差し出してくる。
テーブルに滑らせてきたので、ダニエルは受け取ると、メアリーからのようだった。
「よく読め。メアリーが混乱しながらも一生懸命、書いたようだから」
ダニエルは真面目な面持ちとなると、封筒をひっくり返す。
「僕が読んでもいいのかな?」
「お前宛てだ。当然だろう」
ケントはずっと怒ったままで、テーブルに指を乗せ、こつこつと叩く。
早くという催促のようだった。
封筒は赤い蝋で閉められており、ダニエルはクラブの従業員を呼ぶ。
「ペーパーナイフを」
「はい。畏まりました」
何も聞かず、静かに去っていく。
よくできた従業員をだと思いつつ、ドアを見ていると、すぐに従業員が戻ってくる。
「ーどうぞ」
「ありがとう。下がっていい」
ぺこりと頭を下げると、ダニエルはゆっくりとペーパーナイフを操る。
ケントは始終、苛々しているようで、指の音が大きくなっていく。
ー僕だって、ちゃんと考えている。
ダニエルは口に出さず、手紙を取り出すと、中を覗く。
そこには乱れた文字が書かれており、メアリーが緊張と不安の中、書いたのが伝わってくる。
しかし読めないことはなく、ダニエルは黙って手紙の内容を読んでいく。
それから顔を上げると、困ったような、嬉しいような表情となる。
「少し思い出したみたいだね」
「ああ。一瞬だけのようだが、それでも強烈だったらしい」
「強烈…。確かに」
ダニエルは、メアリーの代わりに、手紙を優しく撫でると、愛おしいそうに見つめる。
「メアリーは?」
「体調が良くなくて、寝ている。メイドのジュリーがついているから、取り乱すことはないけれど、食欲もあまりない」
「それはまずいね」
「当たり前だろう!! いいから会いに来い!!」
ケントはついに真っ向から怒りをぶつけると、立ち上がった。
それから身を乗り出し、ダニエルに顔を近づける。
アルコールの香りがほのかにしたが、ダニエルも負けずに見つめ返す。
「メアリーで遊んでいるんじゃないよな?」
「そう見えるかい? 僕がメアリーで遊んでいるって?」
2人は黙り込むと、睨み合いを続ける。
先に逸らしたのはケントで、ダニエルのコップを奪い、ウィスキーを空にしてしまう。
「くそ…!! いい加減にしろよ、お前!!」
「メアリーにはいい薬になっただろう? 好きばかりでは、どうしようもないことがあるんだよ。両方の気持ちを同じしないと。脆い関係なんていらない。強固なものが欲しいんだよ」
「ダニエル、本当か?」
「僕が嘘をつくと思う? この場で、君に睨まれているのに?」
ちっ、とケントは舌打ちすると、椅子に座り直す。
「ウィスキーは?」
「もういい。それより、どういうつもりだ? 手紙でも書くのか?」
半分、ケントは皮肉を込めたらしいが、ダニエルは無視し、堂々と言う。
「もちろん会いに行くに決まっている。そこまでダメージが酷いということは、僕を欲しているということだ。だったら、僕も応えないと。メアリーは僕の命だがら」
「全く…。何でこんな複雑な性格になったんだ?」
「前からだよ。ケントが知らないだけ」
ふふとダニエルは笑うと、手紙を慎重にしまう。
「これをメアリーだと思って、大事にするよ。邸には…そうだな、そんなに待たずに行っても…?」
「大賛成だ。早く来い。ジュリーが引っ叩くかもしれないけどな」
「うわ、怖いの。…まあ、それだけのことをしているからな」
腕を組むと、ケントが脚を蹴ってくる。
「俺の大事な妹は、お前しかやらないって、幼い頃から、ずっと言っているだろう?」
「うん、覚えている。でも急に思い出させるわけにはいかないから、またゆっくり、ゆっくりかな」
「何だ、それ」
「少し思い出すだけで。パニックになっているんだ。メアリーの心身を優先させたいと。…もちろん、僕で満たしてあげるつもりだけれどね」
後半は聞こえなかったのか、ケントが眉根を寄せてくくる。
「とりあえず、近日中には会いに行くよ。メアリーには、良くも悪くも、刺激になったみたいだし」
「とーっても、悪い。メアリーがおかしくなったら、お前のせいだからな、ダニエル?」
「もちろん。ちゃんと責任は取るよ」
はっきりと言葉を発すると、ダニエルの顔つきが豹変する。
ダニエルは普段、余裕のある大人を演じているが、ここぞという時は恐ろしい存在だった。
それはケントも知っており、ごくりと喉を鳴らす。
「分かっていればいい、分かっていれば」
そう言うと、ケントは両頬を膨らませる。
「ー全く。メアリーを嫁にするなら、もっと大事にしてやればいいものを」
「大事にしているさ、もちろん。でもたまには、恋愛をしたいからね。僕だけじゃなく、メアリーも自分の気持ちに気づいてくれないと」
「はいはい。…とりあえず、用件はそれだけだから」
ケントが帰る素振りを見せたので、ダニエルは軽く聞く。
「クラブの皆と情報交換は? あとゲームとか」
「やっている場合じゃないだろう!! この馬鹿!!」
「…僕が馬鹿なのか。はは」
声を立てて笑うと、ケントが帽子をかぶり、足音を荒くして出ていく。
1人残されたダニエルは封筒を抱きしめると、小さく呟く。
「…すぐに会いに行くよ、すぐにね。僕のメアリー」
本当に心から愛おしいそうに発すると、ダニエルはコップを口にし、氷の感触を楽しむ。
「ーあの、ウィスキーをもう一杯」
追加して注文すると、ダニエルは1人、嬉しそうな、淋しそうな表情で、テーブルに肘をつき、拳を頬に当てたのだった。




