4.オオカミとの距離
最後に観察をしてから四日。また金曜日がやってきてしまったが、今日の昼休みも狼谷は空き教室に来なかった。
「何かあったんだろうか……それとも、俺が近づいたせいか? 寝込みに忍び寄るリスが気持ち悪かったのか? ……気持ち悪いよな。俺は彼からお気に入りの場所を奪ってしまったのか……」
「ちょっと律、何ぶつぶつ言ってるの? 怖いんだけど」
悶々と考えていたことが声に出ていたらしい。兎田が訝しげな視線を向けてくる。
「ああ、ちょっと考え事をな……」
「ふぅん。てかまだ帰らないの? 誰か待ってるとか?」
そう言われて周りを見渡すと、教室には俺と兎田の他に数人しかいなかった。廊下からはまだざわめきが聞こえるが、気づかないうちにHRが終わっていたらしい。
「いや、帰る。兎田は帰らないのか?」
「うん、ちょっとね。ここから第ニグラウンドが見えるじゃない? 実はさ、たまに陸上部の練習覗いちゃってるんだよね」
「陸上部?」
「へへ。律も見てみる?」
兎田の言葉に興味がそそられ、窓に近づきグラウンドを見下ろすと確かに陸上部らしき人たちが走っている。
「陸上部が、どうかしたのか? 兎田も入りたいのか?」
「やだ、そんなんじゃないよ〜見て、あそこにいる人」
「あそこに……? ああ、豹堂君か?」
兎田が指で示す方を見ると、やたらと華やかな男と、金網越しに見学するギャラリーがいた。
「そうなの! 正式に陸上部に入ってるわけじゃないみたいなんだけど、足が速いからたまにこうして助っ人で入ったりすることがあるんだって」
「そうなのか。それはすごいな」
「すごいよねー!」
キャッキャと話す兎田を横目にもう一度下を見ると、豹堂が誰かに話しかけているのが見えた。金網の向こう側、豹堂が声をかけたことによってギャラリーが避け、不自然にできた空間に一人だけが佇んでいる。……あれは、狼谷じゃないか。
今週一度も見かけることのできなかった狼谷が、金網を挟んで豹堂と向かい合っていた。
「豹堂君が話してるの、狼谷君じゃない?」
「あ、ああ、そうみたいだな」
「あの二人って仲いいのかなー? 狼谷君っていつも一人でいるイメージがあるけど」
「どうなんだろうな」
確かに、俺も狼谷が誰かと一緒にいる姿は見たことがない。昼休みもいつも一人で食べていた。
――もしかしたらここ数日あの場所に来なかったのは、豹堂といたからなのではないか? あの二人は一緒に昼を食べるくらい仲がいいのか?
「あれ、律どうしたの? 眉間に皺寄ってるよ?」
そう指摘され、思わず眉間を指でさする。
「……いや、何も。俺はもう帰るが、兎田はもう少し見ていくのか?」
「うん、もうちょっと見ていこうかな」
「そうか。帰り道、気をつけるんだぞ」
「ありがと。律もね」
「また来週」と手を振る兎田に手を振り返し、教室を後にした。
玄関を出て、校門に向かう道の途中に第ニグラウンドがある。先ほどと変わらず陸上部が練習をしていて、ギャラリーたちが賑やかな声を出している。
――狼谷は、もういないんだな。残念なような、少しだけホッとしているような、複雑な気持ちだ。
先ほど、教室から見た光景……豹堂と話している時の狼谷の表情は見えなかったが、豹堂の様子を見るにやたらと親しげだった。あの姿を間近で見るのは、何だか嫌だったから。
「豹堂君は、俺が知らない狼谷の表情を見たことがあるんだろうか……」
一ヶ月と少し。観察を続けて、狼谷のことを知ったつもりになっていた。だが、実際は何も知ってなんかいなかったんだ。
普段、何をしているのかも、誰と仲がいいのかも。
昼休みというほんの少しの時間、あの空き教室で過ごしている狼谷のことしか知らない。クラスが離れているから、あそこに来てくれなければ見かけることすらままならない。――そして、俺は豹堂のように気安く狼谷に声をかけることもできない。
「もう、観察することもできないんだろうか……」
いつも昼休みを一人で過ごす、文字通りの一匹狼。時折聞こえてくる“噂”とは違う、優しい空気を感じる恩人。……その存在が、何だか急に遠くなってしまった気がした。




