2.オオカミのお返し
助けてもらったお礼はできた。
俺の目標は達成できて、もう狼谷観察をする必要はなくなった。……のだが、俺は今日もまたいつもの定位置にいる。
「まぁ、いきなりやめるのもな。――しかし、遅いな。今日は来ないのか?」
昼休みが始まり10分ほど経つが、まだ狼谷は空き教室に来ていない。
いつもより近くの枝に移動し教室内をじっくり見てみると、俺が野菜ジュースを置いていた机に何かが置いてあった。
「何だ……?」
周りを見渡し誰もいないことを確認して、窓の外枠に飛び移り中を見る。
机の上にあるのは、透明な袋に包まれた何か。
まさか、と思いながらも確かめずにはいられない。どこか、入れる場所はないかときょろきょろすると、隣の窓が少しだけ開いていた。不用心だが助かる。
もし誰かが入ってきても隠れられるように気をつけながら、机に向かって走った。
「やっぱり! これ、購買のどんぐりクッキーだ。と、ノートの切れ端?」
どんぐりクッキーの下にあった、小さな紙。開いてみると、そこには「うまかった。さんきゅ」と短いながらも綺麗な文字が書かれていた。
「本当に、俺に……? わ、何だこの感じ」
ぶわーっと身体中が熱くなる。今まで感じたことのない高揚感と胸の高鳴りに戸惑いながら、どんぐりクッキーの包みを咥え、小さな紙――今の姿だとだいぶ大きいが――を大事に抱えて、木の上に戻った。
深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、小さな手で袋を開けクッキーを一枚取り出して頬張る。この小さな身体は、たった一枚のクッキーでも頬袋がいっぱいになってくれるので何だかとても贅沢な気分だ。
口に広がる美味しさに幸せを感じていると、教室に狼谷が入ってきた。もぐもぐしながら見ていると、クッキーが置いてあった場所を見て笑っている。
その笑顔を見た途端、落ち着いたはずの心臓がまた激しく動き、身体が熱くなってしまった。
ほとんど無くなってしまった口の中のものを、ごくんと飲み込み、自分の胸に手を当てる。
「何なんだ、これは……俺は何かの病気になってしまったんだろうか……」
*
次の日。俺はあの場所に行けなかった。何故か落ち着かない気持ちになり、向かうことができなかったのだ。
「あれー? 昼休みに律が教室いるなんて珍しいねー?」
「ああ……たまには教室でのんびりしようかと思ってね」
「そっかそっか。お昼は何か食べたの?」
「ああ。購買でどんぐりパンを買ってね、さっき食べ終わったところだ」
「律は本当にどんぐりが好きだねぇ〜」
「まぁ、リスだからな……」
「確かに〜」と朗らかに笑う兎田を見ながら、通学バッグの中に思いを寄せる。
――昨日、狼谷からもらったどんぐりクッキーは、あの時に一枚食べただけで残り大切に残してある。食べてしまえば無くなってしまうのだ。勿体なくて、手を伸ばす気にはなれなかった。
家でも何度も手に取り、あの笑顔を思い出しては胸が高鳴る。本当に何なんだろうな、この衝動は……。
「ねぇ、聞いてる?」
「ああ、すまない。ちょっと考えごとをしていてな。何の話だったんだ?」
「だからー、今日も豹堂君がかっこよかった、って話」
「ああ、それは良かったな」
「何その反応〜」
偶然豹堂とぶつかって以来、すっかりその魅力に魅了されてしまったらしい兎田は、ことある毎に豹堂の話をするようになった。かと言って豹堂自身に話しかけにいくわけではなく、ただひたすらに目で追い、こうしてキャーキャーと騒いでいるだけなのだが。まるでアイドルの追っかけのようだが、楽しそうで何よりだ。
確かに豹堂は華やかな顔立ちとその明るい性格が相まって、すごくモテる。いつも周囲には華やかな男女が集まり、楽しそうに話している姿をよく見かける。ただ、個人的には豹堂よりも狼谷の方がかっこいいと思うがな。近寄りがたい雰囲気こそあるものの、その性格は決して尖ってはいない。
「あれ、律どうしたの?」
「何がだ?」
「顔、赤いよ? それに何か嬉しそうな顔してる」
「いや、何もないが」
「そう?」
ただ、またあの笑顔が頭に浮かんだだけだ。――柔らかで嬉しそうな笑顔が。




